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1964.8.31 遠野邸 2
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「ああ、菅野君か。なんだか最近忙しいようでね」
そう言う順次郎の顔はあまり明るくなかった。
「お仕事が大変なんですの?」
「いや、なぜだかは知らんが、急に慈善活動に目覚めたらしい」
「慈善活動?それはまあ、すばらしいことじゃないですか」
食器を片し終えたテーブルを拭きながら、メグが口をはさんだ。黒のワンピースに、白いフリルのエプロン。まるで海外のメイドのような恰好は、亡くなった母がこの家で働く女中たちに用意したものらしい。
このお屋敷もアメリカ風で、広い芝の庭園に、淡いグレーの外壁の家はひどく目立つ。幾重にも連なる切妻屋根は他の家より頭一つ分とびぬけていて、このあたりでは珍しい三階建てだ。これも、父が母の為に建てた家だった。なんと庭には、かつてシスターだった母の為に礼拝堂まで作ってしまった。
そんな一風変わった家で働いてくれているメグはまだ二十歳と真理亜と二つしか変わらないのに、仕事が早く順次郎から重宝されていた。週のうち半分は遠野家で住み込みで働いてもらい、残りの半分は同棲している彼氏の面倒を見に家に帰る、というせわしない日々を送っている。
「すばらしいことだとは思うがね、けれど彼がなぜ急にそんなことを言い出したのかがわからなくて、詳しく話を聞こうと思ったら、そのう」
「そのう、先はなんですか?」
拭く手を止めて、興味津々にメグが聞いた。するとなぜだかバツが悪そうに、順次郎は視線をグルグルと動かしながら、答えに困ったかのように薄い唇を開いた。
「そのう、じゃあ、真理亜さんとの話はなかったことにしてくださいって……」
「なんですって?」
まさかの菅野の返答に、真理亜は素っ頓狂な声を出してしまった。
「いや、私だって、お前も菅野君のことを気に入ってくれたようだし、ぜひにとは思っていたんだよ。まあ赤崎が聞いた話だと、自分と真理亜じゃ釣り合わないと言ってはいたようだが」
「釣り合わない?」
「歳が離れているのをしきりに理由に挙げていたそうだが」
「そんなこと、気になさらなくても」
だが、歳が離れていることと、順次郎が寄付を断った話は別だ。それがなぜそうなってしまうのか。
「なんで寄付して差し上げなかったの?良いことに使うんですもの、菅野さんの言うとおりにしてさしあげれば良かったのに!きっと菅野さんは、私と結婚したらこんな心の狭い人が義理の父になるのが嫌だと思って、私との話をなかったことにしようとしたんだわ」
そうとしか思えなかった。まったく、自分から勧めてきたくせに、お父様のせいですべてが台無しだわ!
「簡単に寄付と言うがね、彼は一千万は欲しいと言うんだよ。一千万だぞ!?しかも一体どこにそんな多額の寄付をするのかがはっきりしないんだ。なんだか友達が必要だからだとか、肝心なところがはっきりしないんだ。教えてもらったってバチは当たらないだろう?」
「それは……」
順次郎の言い分に、先まですごい剣幕でまくし立てていた真理亜もさすがに黙った。
一千万。大変な金額だというのは、普段からお金に無頓着な真理亜でさえ思った。
「そんな大金、一体どうするんでしょうね。私だったら、お洋服にバッグにレコードに、欲しいものがたくさんあってあっという間に使っちゃいそうですけど」
冗談めかして言ったのはメグだった。「お友だちと山分けでもするのかしら」
「その友達とやらを紹介してくれと言っても、それはすみませんの一点張りだ。どう考えたって怪しいだろう。下手をしたら、彼はその友達とやらに騙されてるかもしれないじゃないか」
なぜ彼はそんなとんでもないことを言い出したのかしら。きっと何か理由があるはず、けれどそれは言いたくないらしい。でも、彼が困っているというのなら、私は何か力になりたい。あるいは、本当に騙されているというならば助けてあげないと。真理亜はそう強く思った。きっと誰にも言えない大変なことが菅野さんに起こっているんだわ、今度は私が彼を助けないと!
「でも、あの優しい菅野さんが、理由もなくお金の無心などするわけないわ、本当にお友だちが困っているのかもしれない。菅野さんに任せて、お金ぐらい差し上げればよろしいじゃないの」
「そうポンとお前は言ってくれるがね、その金は誰の金だ?おまえが稼いだ金じゃあない」
「それは、そうですけれど」
そう言い返されて、真理亜は言葉に詰まってしまった。普段父親は真理亜に不自由のないようお小遣いをくれるけれど、あくまでもお小遣いはお小遣いだ。額だってたかが知れている。かといって、そうやってもらえる分だけのお金を、どうしたら真理亜は稼げるのかがわからない。
「それに、会社の金は従業員に回す金だ。企業が寄付をするって言えば聞こえはいいが、その実還元すべきところに金が行き渡らない」
「じゃあ、お父様のポケットマネーから出せばいいんじゃなくて?」
「ポケットマネーだと!それはならん、ダメだダメだ」
「まあ、本当にケチくさいお父様だこと!」
「なんとでも言え、けれど万一私に何かがあったらお前はどうするんだ、真理亜」
「万一だなんて」
「わからん、俺だって母さんのように急に死んでしまうかもしれないんだ。私はお前のことを思ってだな、お前が一生困らないだけ資産を残しておかなけりゃならんのだ」
「図太いお父様がすぐに死ぬわけなんてないでしょう!それにお金なんて、自分でどうとでもするわよ!」
真理亜は席を立ちあがると、階段を駆け上がり、三階の自分の部屋へと籠ってしまった。もう学校に行く気も起きなかった。
そう言う順次郎の顔はあまり明るくなかった。
「お仕事が大変なんですの?」
「いや、なぜだかは知らんが、急に慈善活動に目覚めたらしい」
「慈善活動?それはまあ、すばらしいことじゃないですか」
食器を片し終えたテーブルを拭きながら、メグが口をはさんだ。黒のワンピースに、白いフリルのエプロン。まるで海外のメイドのような恰好は、亡くなった母がこの家で働く女中たちに用意したものらしい。
このお屋敷もアメリカ風で、広い芝の庭園に、淡いグレーの外壁の家はひどく目立つ。幾重にも連なる切妻屋根は他の家より頭一つ分とびぬけていて、このあたりでは珍しい三階建てだ。これも、父が母の為に建てた家だった。なんと庭には、かつてシスターだった母の為に礼拝堂まで作ってしまった。
そんな一風変わった家で働いてくれているメグはまだ二十歳と真理亜と二つしか変わらないのに、仕事が早く順次郎から重宝されていた。週のうち半分は遠野家で住み込みで働いてもらい、残りの半分は同棲している彼氏の面倒を見に家に帰る、というせわしない日々を送っている。
「すばらしいことだとは思うがね、けれど彼がなぜ急にそんなことを言い出したのかがわからなくて、詳しく話を聞こうと思ったら、そのう」
「そのう、先はなんですか?」
拭く手を止めて、興味津々にメグが聞いた。するとなぜだかバツが悪そうに、順次郎は視線をグルグルと動かしながら、答えに困ったかのように薄い唇を開いた。
「そのう、じゃあ、真理亜さんとの話はなかったことにしてくださいって……」
「なんですって?」
まさかの菅野の返答に、真理亜は素っ頓狂な声を出してしまった。
「いや、私だって、お前も菅野君のことを気に入ってくれたようだし、ぜひにとは思っていたんだよ。まあ赤崎が聞いた話だと、自分と真理亜じゃ釣り合わないと言ってはいたようだが」
「釣り合わない?」
「歳が離れているのをしきりに理由に挙げていたそうだが」
「そんなこと、気になさらなくても」
だが、歳が離れていることと、順次郎が寄付を断った話は別だ。それがなぜそうなってしまうのか。
「なんで寄付して差し上げなかったの?良いことに使うんですもの、菅野さんの言うとおりにしてさしあげれば良かったのに!きっと菅野さんは、私と結婚したらこんな心の狭い人が義理の父になるのが嫌だと思って、私との話をなかったことにしようとしたんだわ」
そうとしか思えなかった。まったく、自分から勧めてきたくせに、お父様のせいですべてが台無しだわ!
「簡単に寄付と言うがね、彼は一千万は欲しいと言うんだよ。一千万だぞ!?しかも一体どこにそんな多額の寄付をするのかがはっきりしないんだ。なんだか友達が必要だからだとか、肝心なところがはっきりしないんだ。教えてもらったってバチは当たらないだろう?」
「それは……」
順次郎の言い分に、先まですごい剣幕でまくし立てていた真理亜もさすがに黙った。
一千万。大変な金額だというのは、普段からお金に無頓着な真理亜でさえ思った。
「そんな大金、一体どうするんでしょうね。私だったら、お洋服にバッグにレコードに、欲しいものがたくさんあってあっという間に使っちゃいそうですけど」
冗談めかして言ったのはメグだった。「お友だちと山分けでもするのかしら」
「その友達とやらを紹介してくれと言っても、それはすみませんの一点張りだ。どう考えたって怪しいだろう。下手をしたら、彼はその友達とやらに騙されてるかもしれないじゃないか」
なぜ彼はそんなとんでもないことを言い出したのかしら。きっと何か理由があるはず、けれどそれは言いたくないらしい。でも、彼が困っているというのなら、私は何か力になりたい。あるいは、本当に騙されているというならば助けてあげないと。真理亜はそう強く思った。きっと誰にも言えない大変なことが菅野さんに起こっているんだわ、今度は私が彼を助けないと!
「でも、あの優しい菅野さんが、理由もなくお金の無心などするわけないわ、本当にお友だちが困っているのかもしれない。菅野さんに任せて、お金ぐらい差し上げればよろしいじゃないの」
「そうポンとお前は言ってくれるがね、その金は誰の金だ?おまえが稼いだ金じゃあない」
「それは、そうですけれど」
そう言い返されて、真理亜は言葉に詰まってしまった。普段父親は真理亜に不自由のないようお小遣いをくれるけれど、あくまでもお小遣いはお小遣いだ。額だってたかが知れている。かといって、そうやってもらえる分だけのお金を、どうしたら真理亜は稼げるのかがわからない。
「それに、会社の金は従業員に回す金だ。企業が寄付をするって言えば聞こえはいいが、その実還元すべきところに金が行き渡らない」
「じゃあ、お父様のポケットマネーから出せばいいんじゃなくて?」
「ポケットマネーだと!それはならん、ダメだダメだ」
「まあ、本当にケチくさいお父様だこと!」
「なんとでも言え、けれど万一私に何かがあったらお前はどうするんだ、真理亜」
「万一だなんて」
「わからん、俺だって母さんのように急に死んでしまうかもしれないんだ。私はお前のことを思ってだな、お前が一生困らないだけ資産を残しておかなけりゃならんのだ」
「図太いお父様がすぐに死ぬわけなんてないでしょう!それにお金なんて、自分でどうとでもするわよ!」
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