1964年の魔法使い

鷲野ユキ

文字の大きさ
22 / 101

1964.8.31 遠野邸 2

しおりを挟む
「ああ、菅野君か。なんだか最近忙しいようでね」
 そう言う順次郎の顔はあまり明るくなかった。
「お仕事が大変なんですの?」
「いや、なぜだかは知らんが、急に慈善活動に目覚めたらしい」
「慈善活動?それはまあ、すばらしいことじゃないですか」
 食器を片し終えたテーブルを拭きながら、メグが口をはさんだ。黒のワンピースに、白いフリルのエプロン。まるで海外のメイドのような恰好は、亡くなった母がこの家で働く女中たちに用意したものらしい。
    このお屋敷もアメリカ風で、広い芝の庭園に、淡いグレーの外壁の家はひどく目立つ。幾重にも連なる切妻屋根は他の家より頭一つ分とびぬけていて、このあたりでは珍しい三階建てだ。これも、父が母の為に建てた家だった。なんと庭には、かつてシスターだった母の為に礼拝堂まで作ってしまった。
    そんな一風変わった家で働いてくれているメグはまだ二十歳と真理亜と二つしか変わらないのに、仕事が早く順次郎から重宝されていた。週のうち半分は遠野家で住み込みで働いてもらい、残りの半分は同棲している彼氏の面倒を見に家に帰る、というせわしない日々を送っている。
「すばらしいことだとは思うがね、けれど彼がなぜ急にそんなことを言い出したのかがわからなくて、詳しく話を聞こうと思ったら、そのう」
「そのう、先はなんですか?」
 拭く手を止めて、興味津々にメグが聞いた。するとなぜだかバツが悪そうに、順次郎は視線をグルグルと動かしながら、答えに困ったかのように薄い唇を開いた。
「そのう、じゃあ、真理亜さんとの話はなかったことにしてくださいって……」
「なんですって?」
 まさかの菅野の返答に、真理亜は素っ頓狂な声を出してしまった。
「いや、私だって、お前も菅野君のことを気に入ってくれたようだし、ぜひにとは思っていたんだよ。まあ赤崎が聞いた話だと、自分と真理亜じゃ釣り合わないと言ってはいたようだが」
「釣り合わない?」
「歳が離れているのをしきりに理由に挙げていたそうだが」
「そんなこと、気になさらなくても」
 だが、歳が離れていることと、順次郎が寄付を断った話は別だ。それがなぜそうなってしまうのか。
「なんで寄付して差し上げなかったの?良いことに使うんですもの、菅野さんの言うとおりにしてさしあげれば良かったのに!きっと菅野さんは、私と結婚したらこんな心の狭い人が義理の父になるのが嫌だと思って、私との話をなかったことにしようとしたんだわ」
 そうとしか思えなかった。まったく、自分から勧めてきたくせに、お父様のせいですべてが台無しだわ!
「簡単に寄付と言うがね、彼は一千万は欲しいと言うんだよ。一千万だぞ!?しかも一体どこにそんな多額の寄付をするのかがはっきりしないんだ。なんだか友達が必要だからだとか、肝心なところがはっきりしないんだ。教えてもらったってバチは当たらないだろう?」
「それは……」
 順次郎の言い分に、先まですごい剣幕でまくし立てていた真理亜もさすがに黙った。
    一千万。大変な金額だというのは、普段からお金に無頓着な真理亜でさえ思った。
「そんな大金、一体どうするんでしょうね。私だったら、お洋服にバッグにレコードに、欲しいものがたくさんあってあっという間に使っちゃいそうですけど」
 冗談めかして言ったのはメグだった。「お友だちと山分けでもするのかしら」
「その友達とやらを紹介してくれと言っても、それはすみませんの一点張りだ。どう考えたって怪しいだろう。下手をしたら、彼はその友達とやらに騙されてるかもしれないじゃないか」
    なぜ彼はそんなとんでもないことを言い出したのかしら。きっと何か理由があるはず、けれどそれは言いたくないらしい。でも、彼が困っているというのなら、私は何か力になりたい。あるいは、本当に騙されているというならば助けてあげないと。真理亜はそう強く思った。きっと誰にも言えない大変なことが菅野さんに起こっているんだわ、今度は私が彼を助けないと!
「でも、あの優しい菅野さんが、理由もなくお金の無心などするわけないわ、本当にお友だちが困っているのかもしれない。菅野さんに任せて、お金ぐらい差し上げればよろしいじゃないの」
「そうポンとお前は言ってくれるがね、その金は誰の金だ?おまえが稼いだ金じゃあない」
「それは、そうですけれど」
 そう言い返されて、真理亜は言葉に詰まってしまった。普段父親は真理亜に不自由のないようお小遣いをくれるけれど、あくまでもお小遣いはお小遣いだ。額だってたかが知れている。かといって、そうやってもらえる分だけのお金を、どうしたら真理亜は稼げるのかがわからない。
「それに、会社の金は従業員に回す金だ。企業が寄付をするって言えば聞こえはいいが、その実還元すべきところに金が行き渡らない」
「じゃあ、お父様のポケットマネーから出せばいいんじゃなくて?」
「ポケットマネーだと!それはならん、ダメだダメだ」
「まあ、本当にケチくさいお父様だこと!」
「なんとでも言え、けれど万一私に何かがあったらお前はどうするんだ、真理亜」
「万一だなんて」
「わからん、俺だって母さんのように急に死んでしまうかもしれないんだ。私はお前のことを思ってだな、お前が一生困らないだけ資産を残しておかなけりゃならんのだ」
「図太いお父様がすぐに死ぬわけなんてないでしょう!それにお金なんて、自分でどうとでもするわよ!」
 真理亜は席を立ちあがると、階段を駆け上がり、三階の自分の部屋へと籠ってしまった。もう学校に行く気も起きなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

【完結】子爵令嬢の秘密

りまり
恋愛
私は記憶があるまま転生しました。 転生先は子爵令嬢です。 魔力もそこそこありますので記憶をもとに頑張りたいです。

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

処理中です...