1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.9.20 浅草 2

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 一緒に家を出るのであまりデートと言う感じはしないけれど、真理亜と菅野は二人仲良くメグに見送られて松濤の屋敷を出た。車とドライバーをつけると言う順次郎の申し出を断って、二人は渋谷から銀座線に乗って浅草までやってきた。
 真理亜は涼しげな、これでも持っている服の中では一番大人っぽい、シンプルなデザインの水色のワンピースに白のヒール。菅野はさすがに美容院帰りとまでは行かないものの、一生懸命セットしたであろうアイビーカット風の髪形と、先日松屋で真理亜が買ってあげたポロシャツのデザイン違いのものに、今日はロングパンツ。
 精一杯おめかしする、と言っていた菅野のセリフは本当だったようだ。少し照れた様子で姿を現した彼は、普段部屋にこもってなにやら怪しげな実験をしている時の姿とはまるで違って見えた。
 このあたりは詳しいんです、という菅野に連れられて、真理亜は初めて浅草寺に行った。基本的に遠野家はカトリックらしいのだけど、熱心に信仰しているのは父親くらいなもので、兄も真理亜も別段信心深いわけではない。この間だって礼拝堂が爆弾魔にやられてしまったけれど、人のいない場所で良かったくらいにしか真理亜は思わなかった。
 だから特に抵抗もなくお参りをして、仲見世通りをブラブラとしているところで声を掛けられた。
「おい、英紀!」
 そう言って振り返った菅野の目線の先には、身体付きのいい、お洒落に決め込んだ男の人と、ブラウスにワンピースの女の人。良くお似合いだわ、真理亜はそう思った。菅野さんのご友人かしら。
「……大月じゃないか、それに小百合さんも」
 けれど大月と呼んだ男の人を見る菅野の顔は、友人に偶然会った喜びが浮かんでいるようには見えなかった。それよりも、なぜこんなところに、という疑問が見て取れた。
 あまり仲の良い方ではないのかしら。真理亜は何となくそう感じた。菅野の友人にしてはちぐはぐな印象を受けた。なにより、仄かに彼から漂う香りが真理亜は苦手だった。
 この匂い、煙草の臭いだわ。
 真理亜の嗅覚は正しかったようで、男は煙草を取り出すと優雅に煙草を吸い始めた。鳥の絵の描かれた紺色の箱は真理亜の目を引いた。
 別にじろじろと見ていたつもりはなかったのだけど、真理亜の視線に気が付いたのだろう。大月が礼儀正しくおじぎをしながら、
「デート中をお邪魔してすみません、俺は英紀の旧友の大月って言います。こちらは、そうだな……俺たちがお世話になった人なんだ。三井小百合さん」
 と自己紹介をしてくれた。それに続けて、きれいな女の人が微笑みながら言った。
「初めまして。本当にごめんなさいね、奥手だった英紀君が女の子と一緒に歩いてたものだから。彼女さん?」
 その言葉に、慌てて真理亜は姿勢を正した。「遠野真理亜です。そんな、その……彼女だなんて」
 どうやら私たちはアベックにちゃんと見えているみたい。嬉しくなって、真理亜は照れ隠しにそう返す。けれどそれを打ち消すかのように、慌てて菅野が口を開いた。
「その、今彼女がいろいろと大変で。ちょっと僕が付き添っているんです」
「付き添ってる?」
 大月が眉を寄せた。
「ああ、なんでも彼女を狙う爆弾魔がいるみたいで。金を寄越さなければ彼女を殺すだなんて手紙が来たらしい」
「ちょっと、菅野さん」
父親が警察にも話していないことをうかつに菅野が話すものだから、真理亜は面喰ってしまった。「あんまり、他の人に言うんじゃないってお父様が」
「大丈夫さ、彼は僕の友人なんだ」
 そう言って英紀が栄二の瞳を見据えた。その目には、なぜだか試すような色が浮かんでいる。本当にお友達なのかしら。
「爆弾魔?それは大変じゃないか」
「心配だわ、警察には相談したの?」
「それが、警察に言うなって……。でも大丈夫です、きっと菅野さんが守って下さるわ」
 そう言って、真理亜は微笑んだ。「爆弾魔になんてお金は渡しません。そんなことに使うくらいなら、ぜんぶ菅野さんに差し上げます」
「ほお、気前のいいことで」
「だって、命を助けて下さるんですもの。このくらいは当然ですわ」
「とまあ、そういう経緯なんだ」
 と菅野が頭をかきながら続けた。
「だから、これは警護というか、なんというか……」
「あら、私は英紀さんにお守りをしてほしくてデートに誘ったんじゃないのよ」
 真理亜は頬を膨らませて抗議した。分が悪いと感じたのか、菅野が口を開く。
「それより、小百合さんと大月はこんなところで何を?」
「何って、デートに決まってるじゃないの」
 お似合いの男女が街中ですることなんて、そのくらいしかないじゃない。そう決め込んで真理亜が言えば、
「デート?」
 と小百合が驚いたような声を上げた、
「違うんですか?とてもお似合いだと思ったんですけれど……」
「はは、こりゃあいいや。まさか、小百合母さんとデートする日が来るとは」
 真理亜の勘違いに、大月が愉快そうに笑う。けれどこの人は今、なんと言った?
「母さん?」
 まさか、この二人は親子なのかしら。とてもそうは見えない。不思議そうに真理亜が菅野と大月の方に目をやれば、なにやらバツが悪そうに菅野がうつむいた。
「いや、違うんだ」大月が慌てたように手を振った。
「この人は、俺たちの小学校の時の先生なんだ。ガキの頃って先生のことを母親と間違えて呼んだりするだろ、ついその時のノリで、今でも母さんって言っちまうんだ」
 確かに、真理亜も昔、先生を間違えてそう呼んで恥をかいたことがある。けれどそんなの、小さな子供のする間違いだ。この年でそんな間違いするかしら。それに、小百合は先生になんて全然見えない。
「まあ。けれど小学校の先生だなんて……信じられませんわ、だって、ものすごくお若く見えるんですもの」
「それはありがとう」
 小百合がにこやかに返した。そうして少し背をかがめて、真理亜の瞳を覗いてこうも言った。
「英紀君のことをよろしくね。きっとあなたの力が必要になる時が来ると思うから」
「私の?」
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