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1964.9.25 九段下 3
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「脅迫状を?ここで書くのか?」
「ああそうさ。善は急げだ。そうだな、あそこに積み重なったチラシ紙の裏なんてどうだ?おっと、素手で触れるんじゃない。指紋で身元がばれたらつまらない」
そう言って青野は、あれで意外に育ちがいいのだろうか、ポケットからきれいに折りたたまれた白いハンカチを取り出し、それに挟んでチラシを抜き出した。
「それこそ、こんなところから盗った紙切れなんて使ったら、俺たちのことがばれるんじゃないのか」
「大丈夫。このチラシが一体何枚配られたと思う?全部を調べることなんてさすがに出来ないだろ。それに、こんな紙切れ、無くなっていようがいまいが店主は気が付かないさ」
その当の店主は、仕事もそっちのけでテレビに釘付けだ。気づけばチャンネルが野球に変わっていた。主人は巨人ファンなのか、画面に向かって届きもしない声援を送っている。
「草加次郎のことなら俺に任せておけ。アンタがすることを彼に全てなすりつけたいのなら、まずは文字を完璧に似せてやらなきゃいけない。筆跡鑑定って言うのは存外に役立つらしいんでね」
そう言って彼は、バミューダパンツのポケットから皺くちゃになった紙切れを取り出した。
「これが、おととし彼が送った脅迫状だ」
そういって拡げられた紙には、くねくねとした読みづらい文字が並んでいた。
「……こんなもの、どうやって手に入れたんだ」
「まさか、本物じゃあない。複製さ。犯人特定の為にメディアにはまだ出さないよう警察が厳戒令を出してるらしいが、そんなもの意味はない」
そうさらりと返す青野を、正志は得体の知れないものを見るような目つきで眺めるしかできなかった。一体こいつは何者だ?なぜこんなものを入手できる?
俺はコイツを利用しているつもりだったけれど、それははたして本当なのだろうか。
「さ、神崎さん。今更降りるなんてことは出来ないだろう?あんたの大切なものはもう奪われちまったんだ。あとは力づくでも取り返すか、新しく作るしかないだろう?」
ああ、こいつも大月みたいなことを言いやがる。だが、そんなことが本当に俺に出来るのだろうか――。
「大丈夫さ、アンタにはそれが出来る。じゃなきゃ、オリンピックを脅すなんて思いつきやしないさ。本物の草加次郎だってね」
まるで正志の不安を読んだかのように、青野が口を開いた。まさかこいつから自分に対して肯定的なセリフを聞けるとは思っていなかった正志は、思わず青野の顔をまじまじと見つめてしまった。
正志に向かって笑顔を向ける青野の瞳は、ひどく細く歪んでいた。だが、その顔を見ているうちに、不思議と自信がみなぎってくるのを感じた。そうだ、俺は本物の草加次郎だってやらないことをしようとしているんだ。大丈夫、俺になら出来る。アイツらを出し抜いて、俺があの家を救うんだ。あいつらと俺は違う――。
その気分のまま、言われるままに文字を真似て脅迫状を書いた。もとよりそのつもりだったのか、あるいはそれなりに学生らしく勉強でもしているのか、青野は筆記具を揃えていた。
宛先は原宿署。おまわりたちが慌てている様子が頭に浮かんで、ほろ酔い気味の栄二はなんだか楽しい気分になってきた。アイツらだって、結局何もしてくれなかった。俺らだって好き好んで盗みなんてしてたわけじゃないのに、まだ子供の俺らを捕まえては殴りやがって。正志は白百合の家に呼ばれる前の、苦しい孤児生活を思い出していた。
日本が戦争に勝って、父が生きていたならば。あいつらなんて俺に触れることさえできなかったはずなのに。
「そうそう、うまいじゃないか。これで誰もアンタが犯人だとは思わない。大丈夫、全部草加次郎のせいにしちまえばいいんだ」
そうだ、大丈夫だ。あの家を救うのは俺だ。菅野でも、まして大月でもない、この俺だ。だが手を汚すのは俺じゃあない。あくまでも『草加次郎』がしでかしたことになるのだから。
青野がタイミングよく現れたのだって、きっとこれは天の導きなのだ。確かにモノレールの件はうまく隠ぺいされてしまったのかもしれない。けれど次はそうさせない。こいつの言うとおりにやってみよう、まずは『草加次郎』が再び動き出したことをこの世に知らしめてやらないと――。
「おい、一緒に送る爆弾は大丈夫なんだろうな?」
「心配性だな、前回だって、前々回だってちゃんと爆発したさ。なんならここで、アンタを爆発させてやったっていいんだぜ」
「おい、馬鹿なこと」
「するわけないだろ、冗談だ。けれど忘れないでくれよ、俺はいつでも、それが出来るんだから」
ジャラリと小銭をテーブルに置き、不穏な発言をした青野が立ち上がった。「明後日の夜、北の丸公園のいつもの場所に。ブツを用意してきてやる」
そう言い残して、青野は街の闇へと消えて行ってしまった。残された正志はその背を睨んで、もう一杯酒を追加した。
「ああそうさ。善は急げだ。そうだな、あそこに積み重なったチラシ紙の裏なんてどうだ?おっと、素手で触れるんじゃない。指紋で身元がばれたらつまらない」
そう言って青野は、あれで意外に育ちがいいのだろうか、ポケットからきれいに折りたたまれた白いハンカチを取り出し、それに挟んでチラシを抜き出した。
「それこそ、こんなところから盗った紙切れなんて使ったら、俺たちのことがばれるんじゃないのか」
「大丈夫。このチラシが一体何枚配られたと思う?全部を調べることなんてさすがに出来ないだろ。それに、こんな紙切れ、無くなっていようがいまいが店主は気が付かないさ」
その当の店主は、仕事もそっちのけでテレビに釘付けだ。気づけばチャンネルが野球に変わっていた。主人は巨人ファンなのか、画面に向かって届きもしない声援を送っている。
「草加次郎のことなら俺に任せておけ。アンタがすることを彼に全てなすりつけたいのなら、まずは文字を完璧に似せてやらなきゃいけない。筆跡鑑定って言うのは存外に役立つらしいんでね」
そう言って彼は、バミューダパンツのポケットから皺くちゃになった紙切れを取り出した。
「これが、おととし彼が送った脅迫状だ」
そういって拡げられた紙には、くねくねとした読みづらい文字が並んでいた。
「……こんなもの、どうやって手に入れたんだ」
「まさか、本物じゃあない。複製さ。犯人特定の為にメディアにはまだ出さないよう警察が厳戒令を出してるらしいが、そんなもの意味はない」
そうさらりと返す青野を、正志は得体の知れないものを見るような目つきで眺めるしかできなかった。一体こいつは何者だ?なぜこんなものを入手できる?
俺はコイツを利用しているつもりだったけれど、それははたして本当なのだろうか。
「さ、神崎さん。今更降りるなんてことは出来ないだろう?あんたの大切なものはもう奪われちまったんだ。あとは力づくでも取り返すか、新しく作るしかないだろう?」
ああ、こいつも大月みたいなことを言いやがる。だが、そんなことが本当に俺に出来るのだろうか――。
「大丈夫さ、アンタにはそれが出来る。じゃなきゃ、オリンピックを脅すなんて思いつきやしないさ。本物の草加次郎だってね」
まるで正志の不安を読んだかのように、青野が口を開いた。まさかこいつから自分に対して肯定的なセリフを聞けるとは思っていなかった正志は、思わず青野の顔をまじまじと見つめてしまった。
正志に向かって笑顔を向ける青野の瞳は、ひどく細く歪んでいた。だが、その顔を見ているうちに、不思議と自信がみなぎってくるのを感じた。そうだ、俺は本物の草加次郎だってやらないことをしようとしているんだ。大丈夫、俺になら出来る。アイツらを出し抜いて、俺があの家を救うんだ。あいつらと俺は違う――。
その気分のまま、言われるままに文字を真似て脅迫状を書いた。もとよりそのつもりだったのか、あるいはそれなりに学生らしく勉強でもしているのか、青野は筆記具を揃えていた。
宛先は原宿署。おまわりたちが慌てている様子が頭に浮かんで、ほろ酔い気味の栄二はなんだか楽しい気分になってきた。アイツらだって、結局何もしてくれなかった。俺らだって好き好んで盗みなんてしてたわけじゃないのに、まだ子供の俺らを捕まえては殴りやがって。正志は白百合の家に呼ばれる前の、苦しい孤児生活を思い出していた。
日本が戦争に勝って、父が生きていたならば。あいつらなんて俺に触れることさえできなかったはずなのに。
「そうそう、うまいじゃないか。これで誰もアンタが犯人だとは思わない。大丈夫、全部草加次郎のせいにしちまえばいいんだ」
そうだ、大丈夫だ。あの家を救うのは俺だ。菅野でも、まして大月でもない、この俺だ。だが手を汚すのは俺じゃあない。あくまでも『草加次郎』がしでかしたことになるのだから。
青野がタイミングよく現れたのだって、きっとこれは天の導きなのだ。確かにモノレールの件はうまく隠ぺいされてしまったのかもしれない。けれど次はそうさせない。こいつの言うとおりにやってみよう、まずは『草加次郎』が再び動き出したことをこの世に知らしめてやらないと――。
「おい、一緒に送る爆弾は大丈夫なんだろうな?」
「心配性だな、前回だって、前々回だってちゃんと爆発したさ。なんならここで、アンタを爆発させてやったっていいんだぜ」
「おい、馬鹿なこと」
「するわけないだろ、冗談だ。けれど忘れないでくれよ、俺はいつでも、それが出来るんだから」
ジャラリと小銭をテーブルに置き、不穏な発言をした青野が立ち上がった。「明後日の夜、北の丸公園のいつもの場所に。ブツを用意してきてやる」
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