1964年の魔法使い

鷲野ユキ

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1964.10.10 国立競技場 1

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「本当にすごい人の数ね」
 国立競技場のゲートをくぐりながら、真理亜がため息とともに呟いた。どこもかしこも人の波で、涼やかな秋だというのに、熱気で会場周辺は暑いくらいだった。
「そりゃあ、世界中の人々が待ちに待ったオリンピックですもの。ご存知ですか、お嬢様。開会式の様子は、衛星を使って世界中のテレビに映るようになるんですって」
 真理亜の言葉を受けて、メグが得意げに言った。
「なんでも世界初らしいじゃないですか」
「そりゃあ知ってるわよ。お父様が何を作ってるかご存じ?それこそ得意げに何度も聞かされたんですもの。アメリカにも協力してもらって、衛星を打ち上げてもらったんだって」
「そうです。だからそれ用にちゃんときれいにカラーで撮れるカメラも作って、それで撮った映像を何とか回線ってのに変換して、ええと、それを東京タワーに送って、それをさらにどこかに送って、そこからようやく宇宙に向けて送るんですって」
「ふうん、なんだかわからないけれどすごいのね」
 興奮しているメグに対して、真理亜は沈んでいた。オリンピックが無事開催されるのは嬉しい。まるで世界中の神様が祝福してくれたかのような青空だ。
 けれど、菅野さんが現れたらどうしよう。その不安で真理亜はいっぱいだった。本当に彼がお金を取りに現れてしまったら。いえ、違う人が犯人かもしれないわ。だとしても、それはそれでどうしたらいいのだろう。
 背負ったリュックにはたくさんのお金が詰め込まれていて、それを持って歩くだけでも女二人は難儀した。本当にこんな重いものを持って逃げ切れるつもりなのかしら。内心呆れてしまったほどだ。犯人はとんだ怪力なのね。あるいは、不思議な力が使えればそれも楽なのだろうか。
 そこまで考えて、真理亜はとんでもない!と思った。物を乾かすだけであんなに疲れてお腹を空かせてしまう人が、こんな重いものを軽々浮かせて持って行けるはずないじゃない!
 その事実になんだかほっとして、真理亜は席に着いた。順次郎が確保していた座席はB―20、21番の席で、犯人に指定された席より良い座席だった。だから自然、二人は身体をひねって、自分たちより後方の席を確認することになる。後ろの席の人に怪訝そうに見られながらも、二人はC―85の席を探していた。
 無事座席の位置も把握して、準備よく用意してきた双眼鏡でのぞいてみれば、例の席となぜだかその隣の席がまだ空いていた。みんな張り切って入場しているものかと思いきや、どうやら会場周辺で行われている音楽隊の演奏やパフォーマンスをのんびり楽しんでいるらしい。パラパラと空席が目立っていた。
「メグさん、どうしましょう。指定された席に行って待っていた方がいいのかしら」
 そわそわと真理亜が腕時計を見ながら言った。一時四十分。会場内がざわつき始めている。天皇両陛下らがいらしたのだ。犯人は聖火に火を灯す前までに、指定の座席に金を持ってこいと言っている。
「もう少し待ちましょう。聖火ランナーが来るのは、三時頃と聞きました」
 双眼鏡をのぞきながらメグが言った。座席には、まだ誰も現れる気配がない。
「でも、式の最中に騒ぎを起こして、台無しになんてしたくないわ。だって世界中が見ているんでしょう、この開会式を」
「そうですが……では、お嬢様。私がC―85の席で犯人が来るのを待っています。お嬢様は、ここで待っていて下さい」
 双眼鏡を降ろして、なにやら意を決した表情でメグが言った。
「私が、受け渡し場所に行きます」
「そんな、危ないわ。私が」
 言いかけた真理亜の言葉を遮ってメグが続けた。
「もし現れたのが菅野さんでしたら、菅野さんは私のこともご存じのはずです。ちょっとの間ですけれど、菅野さんがお屋敷にいらした間にお世話しましたから。菅野さんがいらしたら、真理亜お嬢様が来ていることをお伝えします。彼が私たちに危害を加えないことを確認してから、お嬢様はC―85の席までいらして下さい」
「けれど、それじゃあメグさんが」危険だわ、そう続けようとした真理亜を遮って、メグが続けた。
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