【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。

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別れ②

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 翌日、荷造りをしているとヒルダから人が来ていると呼ばれた。客を二階に上がらせているという。

「随分な醜女だよ。エラそうな態度で胸糞悪くなる」

 アンは、まさか、と思った。思い当たる人物は一人しかいない。もともと彼女は娼婦だった。この場に来るのにさして抵抗もないだろう。

 思った通り、リディアだった。お忍び用の地味な灰色のローブを被ってはいるが、顔は隠してはいない。昨日の騒ぎを警戒して、ヒルダ自らが付き添ってくれていた。
 アンは王妃と呼ぶのを控えて、裾を広げ、無言で礼を取った。

 ぱちりと音がする。リディアが持っていた扇子を閉じた音だった。

 きのう、と勿体ぶって彼女は言った。

「──昨日、貴女の実家に伺いましたの。貴女が気の毒でね」

 いやらしい、ねぶるような物言い。アンは頭を下げたまま聞いた。

「そしたら貴女の母上様がね、身を売っているとおっしやるから、わたくし、居ても立っても居られなくなり、こうしてわざわざ伺いましたの」
 
 ふふ、と笑いを堪えきれずに漏らす声。王宮ではその声を何度も耳にしてきた。

「本日は、どのようなご用件でしょうか」
「良い香りね」

 アンの胸元に顔を近づける。匂いを嗅ぐように扇子をあおがれ、リディアの体臭が鼻につく。ろくに風呂にも入らないリディアのニオイは強烈で、アンは顔を背けた。

「顔色も良いし、よっぽどこのお仕事が肌に合っているようね」
「…おかげさまで」

 リディアは鼻を鳴らすと、アンの後ろにいるヒルダを見やった。

「二人だけで話がしたいわ。アンタは出ていって」

 ヒルダは心配するようにアンを伺う。リディアは一人でいる。さすがに昨日のようなことにはならないだろう。アンは大丈夫、と微笑んだ。

「なにかあったら床を叩くんだよ。直ぐに行くからね」

 小声でヒルダが言う。アンは頷いた。

 ヒルダが去り、二人だけになる。リディアは扇子をまたぱちりと鳴らした。

「継母は随分とアンタを恨んでいるようだね。昨日アンタを襲った男、どんな奴だったか気づいたかい?」
「いえ…」
「病気持ちだよ。あのまま寝てたら、アンタも罹患してたろうね」

 男爵が、わざわざ衣服を燃やし湯浴みをさせた理由を知る。聞いても答えなかったのは彼の優しさだ。あのまま連れて行かれていたら、今頃自分は──。ゾッとして身がすくむ思いがした。

「可哀想に。皆の前で廃妃を突きつけられ、次の日には娼婦に身を落とすなんてね。さすがに家の沽券に関わるからと、継母はアンタのこと公には言いふらしては無いみたいだけど、アタシは別に口止めされてないからね。早速、王さまにも報告させてもらうよ」
「構いません。どうぞ」

 リディアは目を細めた。

「陛下だけでなく、貴族たちにも伝わるだろうけど?」
「構いません」

 既に情報は売られている。目的は達している。今日、リディアがこうしてやって来たことはむしろ好都合だった。

「王妃さま、陛下にどうぞお伝え下さい。私、アン・ハンソンは娼婦となり毎日をつつがなく過ごしておりますと」

 アンはハンカチを取り出して胸につめる。教えてもらった男を誘っているという証。

「どのような殿方でもお相手しておりますと、ご所望でしたら陛下とでも、とお伝え下さい」
「──気に食わないね」扇子を鳴らす。「どんだけ辛い目に遭ってるか楽しみに来てやったのに、アンタは全然堪えてない。気に入らない」

 リディアは扇子を振りかざすと、アンの頬を叩いた。バシッと音がしたかと思えば、頬に痛みが走る。

「娼婦ごときが突っ立ってんじゃないよ!ひざまずきな!」

 足を強かに蹴られ、膝をつく。顎を掴まれて無理やり上を向かされる。親指が頬を撫でると、強烈な痛みが走った。

「──っあう…!!」
「まだ、まともな客しか取ってないようだね。元王妃が銀五枚で相手してくれるって知ったら、今までのようにはいかないよ」

 くすくすとリディアは笑う。

「綺麗なお顔に傷がついちまったねぇ。これじゃあ今日はお客がつかないかもね」

 扇子で叩かれた拍子に、頬に傷が出来たらしい。リディアがまた親指を立てると、同じ痛みが走る。アンは顔を歪めて耐えた。

「あっはっは!良い顔!が好きな殿方もいるから、可愛がってもらうといいさ」

 リディアの手が離れる。親指の爪には血がついていた。それをアンの服で拭うと、笑いながら去っていった。

 リディアがいなくなってから、アンは力なく立ち上がる。頬も足も、じくじくと痛かった。もはや一刻の猶予もない。早くここを出なければ。足を引きずりながら一階へ降りた。
 


 
 娼館に別れを告げて、馬を走らせる。三日三晩駆け、船で渡ってやっと裾野に辿り着く。どこを見渡しても山々の原風景が広がっていた。遠くにある山のいただきを見上げているのに、谷底にあるような錯覚を覚える。それほど、この神域は広く、深かった。
 吸ったことのない空気を吸い込む。身が清められていくように、身体中を満たしていく。

 ここは不可侵の森。聖域と呼ばれる場所だった。

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