上 下
27 / 90

密かな生活④

しおりを挟む

 ベッドでアンの為に朗読をする。恋物語の騎士道物を好むから、それを読み聞かせる。ベッドの中で仰向けになってじっと耳を傾けるアンが、うとうとしだしたので、中断して本を閉じた。

 レイナルドも横になる。隣のアンが、眠そうにしながらもレイナルドの肩に顔を寄せてきた。

「…全く…」

 ふ、と笑みがこみ上げる。可愛らしいと素直に思う。
 眠りについたアンを起こさないように体を向けて、抱きしめるように背中に手を回す。赤子をあやすように優しく叩いて、よく眠れるように促した。
 
 
 朝早くに無遠慮に扉を叩く音。レイナルドは不機嫌ながらも緊急の用だろうと、しぶしぶ起き上がった。

 アンはまだ眠っていた。起こさないよう、そっとベットから降りて扉を開ける。そこには従者が申し訳無さそうな顔で一枚の書類を見せた。

「前線に視察に出ていたマスラー陸軍大将が亡くなりました」
「それで?」
「そ、それで、欠員が出ましたので、一人、昇格させたいと司令長官より通達が来ております」

 受け取った紙は任命書だった。誰を昇格させるか既に決まっていて、後は王の署名のみとなっている。本来なら任命式があるが、今は戦時であるため書類一枚の簡易的な形式となっていた。

「分かった。待ってろ」

 従者を外に待たせ、テーブルに任命書を置く。引き出しから羽根ペンを出して、インクをつけていると、シーツが動いた。静かにしていたつもりだったが、起きてしまったらしい。アンが体を起こす。

「レイナルドさま…?」
「まだ寝てろ。直ぐにそっちに行くから」
「何を書いてるんですか?」

 ベッドから降りてくる。アンが近づいてくる前に、任命書にサッとサインする。羽根ペンをスタンドに置いて、乾くのを待つ。

 アンは不思議そうに任命書を見下ろした。ろくに読めもしないだろうと、レイナルドは大して気にせず、させるがままにした。

「……クラウザー大佐…」

 と、アンが呟く。それは、新しく大将になる軍官の名だった。ぼんやりと見下ろすアンに違和感を抱く。

「アン?どうした?」
「…シェジェン……」

 どきりとする。それは、シェジェンは、敵国のナセル国から奪った地名だった。
 記憶を失っているアンが知る訳が無い地名。何故、そんなことを言い出したのか。
 問おうとする前に、アンは頭を押さえた。

「クラウザー大佐は……奪還の維持は難しいと……」

 両手で頭を押さえ出す。何かを思い出そうとして、せわしなく視線を動かしている。
 ──思い出そうと?違う。思い出しかけている。

「……アン、まて」
「わたし、私は……へいか…」
「…駄目だ!」

 とっさに、アンを抱きしめた。任命書を見せないように、胸に顔を押しつける。

「駄目だ!思い出すな!忘れろ!」
「……へいか…」
「そんなふうに呼ぶな!名前…俺の名を言え!」

 思い出して欲しくない。このままでいて欲しい。忘れたままでと願いながら、必死に、強く抱きしめ続けた。


 思い出して欲しくない。正直な気持ちだった。このままでいて欲しい。記憶が戻って、また以前のような、冷え切った関係に戻りたくなかった。
 今のアンを愛している。偽る気などない。この人を失いたくない。手放したくない。小鳥のようにいじらしい彼女を、永遠に自分の物にして、閉じ込めておきたい。アンが己の欲だ。欲のままに、彼女を愛し続けたい。

 ベッドで仰向けになっているアンは、先の出来事があってからずっとボンヤリとしている。声をかけても目を向けるだけで、反応が薄い。手を握っても、握り返してこない。
 医師を呼んだほうがいいのは分かっているが、なかなか離れられなかった。

「…レイナルドさま」

 と言ったのは、しばらく経ってからのことだった。身を乗り出して、アンの頬を撫でる。

「アン」
「あたま、痛いです」
「待っていてくれ。頭痛薬を持ってくる」
「や、一人はいや」

 アンは不安そうな顔で引き留めてくる。レイナルドは頭を撫でた。

「一人にしない。部屋の外にいる従者に言ってくるだけだ。少しだけ待っててくれ」
「…こわいんです…レイナルドさま…頭、撫でて欲しい」
「和らぐか?」
「うん…レイナルドさまの手、温かいです」
「分かった。ならずっとこうしておいてやる」

 そっと撫で続ける。アンの瞳から涙が流れ落ちるの見ると、レイナルドの胸は締め付けられる。頼りないアンを安心させようと、レイナルドは優しく手を添えて、いつまでも安らぎを与え続けた。




しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ダイニングキッチン『最後に晩餐』

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:2,882pt お気に入り:1

異世界に落っこちたので、ひとまず露店をする事にした。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:2,167pt お気に入り:54

何度でも、君と。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:649

豆狸2024読み切り短編集

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:5,859pt お気に入り:2,461

実は私、転生者です。 ~俺と霖とキネセンと

BL / 連載中 24h.ポイント:319pt お気に入り:1

初恋の王女殿下が帰って来たからと、離婚を告げられました。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:71,611pt お気に入り:6,908

恋心を利用されている夫をそろそろ返してもらいます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:10,064pt お気に入り:1,264

何年も相手にしてくれなかったのに…今更迫られても困ります

恋愛 / 完結 24h.ポイント:759pt お気に入り:4,413

処理中です...