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全てが終わるとき①
しおりを挟む謁見の間へと向かう途中、中庭の回廊で、男が柱に隠れるように立っていた。エイドスが通るのを待っていたのだろう。エイドスは後ろのソフィアを引き寄せてから、声をかけた。
「よぉ」
呼びかけに、男が姿を見せる。いつものように前髪で目を隠して、口元を引き結んでいる。
「……エイドス殿下におかれましては、」
「くだらん口上はやめろ。…ほら」
押し出されたソフィアは、見知らぬ男の前で戸惑っている。不安げに後ろを振り返る。
「エイドス様…?」
「この男はグレンという。ラジュリー王国の何番目かの王子だ」
ソフィアはグレンに向き直る。男の風貌に怯えてか、怖怖と礼を取る。
「ソフィアと申します。グレン殿下」
「ソフィア…?」
今度は男が戸惑う番だった。喜びの再会とはいかない理由を、エイドスだけが知っている。
「クインツで拾ってな、金の瞳だから私の妻とした」
「……金の…、祝福か」
「クインツでは悪魔と交わった者という意味らしいな。所変われば吉兆などすぐ変わる。面白いよな」
挨拶を終えたソフィアはエイドスの腕に捕まる。いじらしさが今の状況では効果的だった。
「お前に頼まれていたアンという女は見つからなかった。残念だったな」
「彼女は、記憶が無いのか」
「ソフィアのことか?ああ、そうだ」
部下が見つけて来たとうそぶく。
「お前は何の用でナセルに来た」
「ただの定期的な挨拶だ。これからナセル王へ謁見する」
「奇遇だな。俺たちも今から挨拶だ。一緒に行くか?」
「まさか。そんな無礼は許されない。遠慮する」
エイドスも本気で誘ったわけではなかった。そもそも王族は入り口から場所が違う。
グレンとしては、折角見つかった探し人がこんなことになって、さぞショックを受けているに違いない。恋に破れた男の心情など察するつもりはない。エイドスはわざと靴を鳴らした。
「また後で会おう。積もる話もある」
手を差し出す。グレンも手を伸ばし、握手を交わす。そのまま別れる。
背中に男の視線を感じた。エイドスでなくソフィアを見ているのだろう。振り返らなかった。
謁見の間で、エイドスは片膝をつく。恭しく礼をしてやると、王から声がかかる。エイドスは顔を上げた。
壇上には、座が三つ置かれていた。中央には王が座り、左座に王妃、右座に王太子である第一王子が座っている。場所一つでも、三人とエイドスの間には大きな隔たりがあった。
この場にいたのは王族だけではなかった。聞いていない野次馬たちまで集まっているのは、金の瞳を確かめに来たのだろう。視線をやると、ダンカンの姿もあった。
王が杖で床を叩くと、野次馬達の雑音が静まる。王は口を開いた。
「──エイドス、此度のクインツ国での統治、ご苦労だった。クインツではすべての奏上に目を通し差配したとか。視察した者が驚いていたぞ」
「は、恐縮です」
「そこで嫁まで見つけてくるのだから、任せた甲斐があった」
ソフィアはエイドスの後ろで、カーテシーのまま顔を伏せている。声がけがあるまでは上げられない。王の言葉に同意してみせる。
「生涯の伴侶と思っております」
「ソフィアと言ったか。顔を見せてみよ」
顔を上げたソフィアは、金の瞳を瞬かせた。金の髪に白い肌、整った相貌は、この世の者とは思えない程だ。幾度も死を超えて、既にこの世の者ではないのかもしれない。
野次馬もざわめき出して、口々に金の瞳だと言い合っている。王は咳払いをして、また静める。
「外野がうるさくてすまんな。ナセルの民は正直者ばかりで、皆そなたの美しさに驚いているようだ」
「ナセル国王陛下のお招きに預かり感謝します」
ソフィアはただ口上のみ述べた。無駄なことは喋らないようにと言いつけていた。
「可愛らしいお嬢さんでしょう?控え目で、私とっても気に入りましてよ」
王妃が口を挟む。同意するように王は頷いた。
母上、と言ったのは兄であるヘイデンだった。
「確かに可愛らしい人だ。堅物のエイドスが心奪われるのも分かる。味見させてほしいくらいだ」
「あら?味見だなんて言わずに、愛人にすれば?一人くらい産ませて、金の瞳の子供だったらこんなに幸多い事はないわ」
くすくすと笑い合う声。下品な物言いに腹も立たない。エイドスは何の反応もしなかった。
「我が一族に金の瞳が加わるならば、栄華は約束されたものだ」
と、王が言う。
「嫌ですわ陛下、既にナセルは陛下の御威光で栄華を極めております。ますますのご繁栄になるかと」
「耳障りの良い言葉ばかりがよく出るものだ」
「事実ですもの。エイドスがシェジェン戦役で勝利したのも、陛下の日頃からのご指導の賜物ですから」
心にも無いことを。だが狙いは分かりやすい。ソフィアに兄の子を産ませる狙いがあるのをよく知れた。決して冗談ではない。兄は既に妻帯し子もいるが、仮に兄が即位し王太子を決める際には、母親が誰であろうが関係ない。王の一存でどうとでもなる。王権が強いナセル国ならではのしきたりだった。
壇上の会話にエイドスは加わる事はない。声がけを待っていると、ふと、手に何か触れた。
ソフィアの手だった。いつも少し冷たい。指先が絡まって、指の腹を撫でられる。彼女からこんなことをするのは珍しかった。
彼女は微笑みをたたえて、壇上を見上げた。
「宣言します」
よく澄んだ声だった。張り上げていないのに、この場にいる全ての者に届いていた。
「次期ナセル国王は、エイドス様です」
思わぬ言葉に、エイドスは耳を疑う。こんな時に、こんな場で、なんて事を言い出すのか。
「ソフィア」
「エイドス様は、ナセル国王に相応しいお方です。陛下も、王妃も、王太子も、ナセルには不必要な方々です」
「ソフィア!黙れ!」
ソフィアの口を手で塞ぐ。微笑みは止まらない。それどころか深まる。金の瞳が煌めいて、尋常ではない底知れなさに、初めてエイドスはこの女に恐れを抱いた。
よく通る声は誰の耳にも届いた。壇上の三人が見逃すはずが無い。王妃などは怒りを露わにして、座っている椅子の肘掛けを叩いた。
「不敬にも程があるわ!いくら金の瞳でも見過ごせない!衛兵!あの女を捕らえなさい!」
王も王太子も口々に同じことを騒ぎ出す。衛兵が近づいてくるのを、エイドスはどうする事も出来ない。なぜこんなことを言い出した?計画が台無しじゃないか。
衛兵がソフィアを捕らえようと触れる寸前、伸びた手が震えだす。次の瞬間、衛兵が血を吐いて倒れた。一瞬の静寂の後に場内から悲鳴が上がる。
「エイドス様がナセル国王です」
ソフィアがまた言い出す。塞いでいた筈なのに、衛兵の突然の昏倒に、いつの間にか離してしまっていたらしい。自分でも動揺しているのが分かった。
倒れた衛兵を別の者が助け起こす。仰向けになった衛兵は、血を吐いたまま絶命しているように見えた。
「魔女の仕業よ!」王妃が叫ぶ。「エイドスが魔女を連れてきたのよ!殺しなさい!二人ともよ!」
エイドスは王妃が言い出すまで、これがソフィアが引き起こしたとは全く思っていなかった。こんな触れもせずに人が死ぬような事、人に出来るわけが無い。
人?この女はもうとっくに人間では───。
木箱の死に顔が浮かぶ。エイドスはゾッとした。だが彼女をこうした自分が、彼女を突き放せるわけが無かった。
「あの娘の仕業なのか?」
幾分か冷静な王が立ち上がる。運ばれていく衛兵を見送りながら、壇上から降りようとするのを、王妃と王太子が止める。
「危険です陛下!お下がりください!」
王太子の言葉に、王は耳を貸さない。
「誰もが見た筈だ。あの娘は触れもせずに兵士を死なせおった。これこそ金の瞳が持つ力!あの力があれば、我が国は世界の覇者となれるぞ!」
王太子がすかさず言う。
「お待ち下さい陛下!あの魔女は我らを名指しして必要無い者と言いました。エイドスに手懐けられている以上、私たちに危害が及ぶやもしれません」
「そうですわ陛下!私たちもあのように殺されたくはありません!早く処理してくださいまし!」
「──エイドス」
王に呼ばれ、エイドスは顔を向ける。心臓は早鐘を打っていた。
「これはお前がけしかけたのだな?」
「いいえ。決して」
「お前が優秀で従順だから今回の戦で使ってみたが、よもやこうも手のひらを返されるとはな」
「謀反のつもりはありません。この娘は、何か勘違いをしているのです」
「で、あればだ」
王は壇上を降りきる。エイドスよりも視線が低くなった王は、ただの老いた男に見えた。
「であればエイドス。この娘を譲ってくれ」
何もかもの思考が停止する。何を言われたのか、理解できなかった。
反応出来ないエイドスに代わり、王が重ねる。
「この娘に余に従うように言ってくれ。そうすれはお前を王太子とし、次期王として扱ってやろう」
「……ほ──」
本気で言っているのかと疑う。だが、拾った言葉は、そうとしか取れなかった。
兄の王太子が黙っている訳がない。我が身となった兄も、壇上を降り王へ詰め寄る。
「父上!気は確かですか!?長年の親子の情を忘れ、こんな簡単にエイドスに位を譲るなど!私は耐えられません」
「耐えられないなら耐えなければ良い。お前ごときが余に口出しするな!これ程の見事な金の瞳が今、目の前にいるのだぞ。余の物にするのが一番良き方法だ。さぁエイドス、お前をその娘を余に」
「父上!」
「乱心よ!」王妃が叫ぶ。「陛下をお守りして!このままではあの女に殺されてしまうわ!早く別室へお連れしなさい!」
「余は正気だ!ええい邪魔をするな!衛兵!王妃とヘイデンを捕らえろ!」
もう誰も正気でなかった。混乱の渦の中、微笑を浮かべ続けるソフィアだけが、異質で美しかった。
「エイドス様がナセル国王です」
光り輝く金の瞳が、全てを掌握する。
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