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終
しおりを挟むレイフは不機嫌だった。ただでさえ王都になどいたくないのに呼び出され、しぶしぶ赴いたところに、一番会いたくない人物に出くわす。レイフは形ばかりの礼を取ると、鼻で笑われた。
「今日は拳が飛んでこないな」
などとからかってくる。レイフは本当に殴ってやろうかと思った。
「関わりたくないだろう。お互い。目こぼししてやるから失せろ」
「何を言っている。呼び出したのは私だ」
さっさと来いと手を振られる。レイフは動かなかった。
「陛下の招聘だと聞いていたが嘘か」
王弟フェルナンド殿下は、してやったというような顔をしている。
「早く終わらせたいだろう?早く済ませたらどうだ?」
ばさりとテーブルに投げ捨てられる。手に取ると、それはレイフとマリアの結婚証明書だった。
「花嫁の名が一度削り取られている」
フェルナンドの指摘。レイフは羊皮紙をテーブルに置いた。忘れもしない。カリナの名を削り取り、マリアに記名させた。羊皮紙は修正が効く分、改ざんもされやすいから、公文書としての信頼性は低い。レイフも重々承知していた。
「婚姻は無効だとでもいいたいのか」
「牧師から話を聞いた。マリアとは式も挙げていないそうじゃないか」
「だから何だ」
フェルナンドはくつくつ笑い出した。もう一枚、羊皮紙を上に投げ捨てた。
「新しい婚姻証明書だ。領地に帰って記名させろ」
「どういうつもりだ。説明しろ」
「国を防衛する辺境伯としての自覚を持ちたまえ。何も戦だけが全てではない。隙を見せるな。婚姻が無効だと指摘されれば、息子はどうなる?伯爵を継げなくなるぞ」
フェルナンドの指摘は、癪だが最もだった。証明書は誰でも閲覧出来るものではないが、全員が閲覧出来ないわけでもない。王弟の命令であればもちろん、教会側も逆らう理由はない。
「あと式も挙げろ。彼女、そういうの結構気にするぞ」
前の旦那の言葉がレイフは気になった。女性というものは式に憧れがあるとは聞いたことはあったが、マリアが当てはまらないということはない。
「…式を挙げたとしても、お前は呼ばないからな」
「私はもうマリアに会う気はない」
レイフは胡乱げに見た。フェルナンドは静かにレイフを見据えている。彼が口を開く。
「卿は、いつ前の記憶を思い出した」
「いつ…?私は記憶を持ったまま生まれた」
「生まれながらということか」フェルナンドは自嘲するように微笑む。「私は戦争が終わった日に思い出した」
フェルナンドは続ける。
「私が言いたいのは、彼女が前の記憶を保持しているかは不明だとしても、思い出させるきっかけを与えてはならないということだ」
「だから、会わないと」
「今更思い出しても、苦しむのは彼女だ」
フェルナンドは羊皮紙を丸めて、長細い箱に入れてテーブルに置いた。
「持っていけ。教会には話を通してある」
レイフは無言で受け取る。簡素な白い箱だった。端から見たらワインでも入っているかのような。周囲に不審がられない為のフェルナンドの気遣いだろう。
「ローレンス…私の息子も前の記憶を持っている」
抱えきれずに打ち明けてしまう。自分の弱さが嫌になる。
「年は?」
「三歳になった」
「それくらいの歳なら馬鹿みたいに遊ばせておけば忘れるだろう。既に全てが変わっている。多少、思い出したところで夢とでも思わせておけ」
投げやりに言われる。そんなことを聞くなと言わんばかり顔をしたかと思えば、ニヤリと不敵な笑みになる。
「彼女にサファイアでも贈ってやったらどうだ?彼女の好きな石だ」
「そうなのか?」
言ってから後悔した。フェルナンドはそんなことも知らないのかと嗤う。
「その様子ならダンスが好きなのも知らないようだな」
レイフは黙った。そういえば、マリアは何が好きとか何が嫌いとかを口にしない。遠慮して言ってこなかったのかもしれない。
フェルナンドが勝ち誇ったような顔でふんぞり返る。レイフはこれ以上、ボロを出さない為に礼を取り、逃げるように部屋を出た。
直ぐに邸に戻る。予定よりもずっと早い帰宅に、マリアは目を丸くしていた。レイフは思ったよりも早く済んだと言い訳した。
例の白い箱から羊皮紙を取り出す。事情を説明して、名を書いてもらう。レイフも書いて、大事にしまう。
レイフはマリアの手を取った。
「式を挙げよう」
「え?」
「挙げていなかったから、ちゃんとしたほうがいいだろう」
マリアは首を横に振った。
「私より、モニカにお願いします」
「モニカに?」
話が見えず、もしかしてと問う。
「まさかジャックと?」
「料理長だそうですよ。旦那さまが出立された日に、打ち明けてくださいました」
全く意外な話だったが、その気なら邸の主として相応の支度をしてやるつもりだ。ジャックには気の毒だが、二人の幸せを祝ってくれるだろう。
レイフはそれどころではなかった。フェルナンドの忌々しい笑いが頭をかすめる。
「し、しかし、挙げたいだろう?」
「私が?」
「そういうの気にするだろう?」
マリアは少し考える素振りを見せて、やはり首を横に振った。
「それよりモニカから聞きました。南の森には、綺麗な湖があると」
「湖…ハマ湖か」
「ローレンスも行きたいと。そこへ連れて行ってくださいな」
「ああ、明日にでも行こう。マリア、式を」
「いいですってば、もう」
マリアは頬を膨らませた。理由を聞くと、めんどくさいという。年末に向けて行事も重なってくるから、そちらで忙しいのだとか。確かに、皇帝の在位十年を祝う式典や、今年は新皇の誕生もあった。否が応でも王都へ向かう回数が増える。ドレスも今から採寸しなければ、間に合わなくなるという。
「なら、宝石を買おう」
「貴方様からいただいた立派な宝石で十分です」
「サファイアを仕入れている宝石商を知っているから、直ぐに呼び寄せる」
マリアは眉を寄せた。不審そうにこちらを見てくる。
「サファイア?どうしてまた」
「好きだろう?」
「宝石など付けていたらローレンスを傷つけてしまいます。そもそもそんなに光り物は好きではありません」
また想定していなかった反応。聞いていた話と全然違う。まさかフェルナンドは嘘をついていたのか。──いや、そうではない。
レイフが知る彼女は、式よりも日常を静かに過ごすのを好み、サファイアよりもネモフィラを愛する。そういう女性だ。
「…すまなかった。久しぶりに君の元を離れたから、動揺してしまった」
「私の歓心を買おうなどとは思わず、今日はゆっくりお休みください」
「ああ、そうさせてもらう」
マリアの手を取る。小さく柔らかな手。両手で包み込む。温もりを分かち合うだけで、気分が落ち着いてくる。彼女の手だからこそ、そう思えた。
晴れた日に、三人で湖へ。馬に乗ってゆっくり向かった。森の中を進むと急に現れ、ローレンスは冒険みたい!と喜んだ。湖底が見えるほど澄みきって、小さな魚が泳いでいた。湖面が煌めいて、レイフは目を細めた。
ローレンスは、初めて見る湖に目をキラキラさせて、早速キャンバスに描き始めた。マリアも隣に座って見守る。森であるから、鹿が出るかもしれない。レイフは警戒して周囲を見回す。爽やかな風が吹いていた。
「できた!」と、何事に対しても一生懸命なローレンスが叫ぶ。覗いていたマリアは声を上げて笑った。
「ふふ、なぁにそれ」
「化け物だよ!こうやって首から上だけしか見せないの!」
気になってレイフも見ると、一面、湖の中に一本、ひょろ長い生き物が顔を出していた。
「僕が化け物退治をしたときの絵だよ」
「あら、この間は刺されて死んだんじゃありませんでしたっけ?」
と、マリアが言い出したのでレイフはぎょっとした。ローレンスは自分が死んだときの絵を、マリアに見せていたのだ。
物騒な話とは裏腹に二人は笑顔だ。ローレンスは、んーと顔を小首をかしげた。
「死んだけど生き返ったの」
「まぁ。じゃあデイジーが好きなお母様も生き返ったのかしら」
「知らなーい」
「…マリア、なんの話だ?」
素知らぬ顔して問いかける。振り向いたマリアは、ああ、と言った。
「子供向けの騎士道物語を読み聞かせしたんです。そしたらこの子、自分で物語を考え出して、自分を騎士様と見立てて冒険してるんです。お姫様を助けたり、ドラゴンと戦ったり、でもこの間は裏切りにあって死んでしまった絵を見せてくれたので、何て悲しい終わり方なのって文句を言ったんです」
「死んじゃったのは本当だよ。痛かったもん」
「まぁ可哀想に」マリアはさらりと言う。「でもあの終わり方は嫌です」
「だってお話考えるの飽きちゃったんだもん」
ローレンスは新しいキャンバスに描き始める。
「私、もっとローレンスが活躍している所がみたいわ」
「気が向いたらね」
「もう本当に口が達者になって」
二人のやりとりを見ながら、フェルナンドの言葉を思い出す。遊ばせておけば忘れるなどと、根拠もないアドバイスをしたものだと思ったものだが、あながち間違いでは無かったらしい。
ローレンスが覚えているかどうかを、改めて聞く勇気は無い。マリアは物語だと信じ込んでいる。それが当たり前の反応だ。ならそのまま、そのままで。もう息子が死ぬ未来は無いのだから。
「お医者様に、診てもらったんです」
寝台に座るマリアが腹を押さえる。微笑んだので、レイフはまさか、と膝をついて手を取った。
「二ヶ月だそうです」
「本当か?」
「嘘なんか言いません」
信じられなかった。ローレンスだけで十分だったのに、次の子まで。レイフはマリアの腹に手を当てた。
「嬉しいな…」
「はい…旦那さま、」
マリアが、つい、とレイフの目元を拭った。自分で触れてみると、いつの間にか涙を流していた。乱暴に拭う。涙が次から次へと溢れた。
「すまない。止まらない」
「そんなに喜んでくれて、この子も喜んでますよ」
マリアが肩に手を置く。労るような温かさ。レイフは思わず抱きしめた。ずっと抱きしめて、落ち着いてきて、少し離れる。マリアの目元も赤かった。
「もう授からないと思っていました」
「来てくれて、この子に頭が上がらないな」
「はい…良い日になりました。この日を覚えておこうと思います」
レイフも覚えておこうと思って、はっとする。前のときは今の時期、ちょうどまた戦争が始まった。それから長い長い戦いの末、レイフもローレンスも、そしてマリアも、命を落とした。今日の日を境に全てが終わったかのような、何か運命めいた、神託のようなものを感じた。
「今から名前を決めておいてくださいね。どちらが生まれてもいいように、二つ考えてくださいね」
「…決められないな」
「言うと思いました」マリアは口元を隠して笑う。「ローレンスにも決めてもらいましょう。変な名前をつけないように、二人で考えてくださいね」
新しい命。新しい家族が増えて、これからはずっと毎日が、何のしがらみもなく進んでいく。ようやく実感が湧いて、この愛しい人とずっと生きていける幸せを噛みしめた。
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