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二章(アーネスト視点)
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しおりを挟む似た兄弟だと、よく言われた。待遇は天地の差だった。
本当は女が欲しかったそうだ。男は兄の一人で十分。女がいれば何処かの権力者に嫁がせて、お家に貢献出来るからと。
難産の末、自分を産んで体調を壊し、二度と子を孕めなくなった母からは物心ついたときから厄介者扱いされ、まともに言葉を交わしたことさえなかった。
父も母に同調するように、同じように扱った。
癇癪持ちの兄のはけ口に使われ、度々暴力を受けた。
家族は三人だけで、愛することも愛されることも知らずに育った。
あれは春の出来事だった。なにかの招きに応じて何処かの屋敷を訪問した。兄が風邪で寝込んでいたから、急遽、同行することになった。お前は何もするなと、言葉でも視線でも言われ続けて、怒らせないように、いつも下を向いていた。
なんのタイミングだったか。今はもう思い出せない。父と母の後ろを歩いていると、突然、腕を引かれた。
「────!」
それは女の子だった。自分と同じくらい。大きな丸い瞳に滝のような黒髪が目を引く。なんの警戒心もない純粋な笑みを向けられて、アーネストは一目で恋に落ちた。
当時はそんな自覚など無く、ただ心臓がうるさく、驚くばかりで、まともに反応出来ずにいた。
先を歩く父母は気づかずに行ってしまう。二人だけ取り残されると、女の子は更に腕を引いた。
「お庭行きましょう!薔薇が咲いて、とっても綺麗なの!」
声を弾ませて、はしゃぎながら女の子は引っ張り続ける。身なりからしてこの屋敷の子供だろう。背中で結ばれた青のリボンが、女の子が走るたびに大きく揺れる。
「ま、待って!ぼく、行かないと」
「あんなのに付き合う必要ないわ。つまらない大人の話よ」
「で、でも」
「早く!本当に綺麗なんだから」
強引に外に連れ出されて、庭に出る。こっちだと、されるがまま行きついた先は、花園だった。
小さな花園は、恋人同士でしか入ってはならないと聞いたことがある。
「入っちゃ駄目だよ」
「いいったらいいの。見て」
むせ返るような薔薇の香り。薔薇だけが植えられた一画で、強烈な色に目眩を起こしそうになる。
「私が生まれた年に薔薇を植え直して、今年が一番、綺麗に咲いたんですって」
説明をしながら、女の子は手を離さない。ずっと繋いだまま、女の子が笑いかける。柔らかな笑みを称えていた。
「…きれい…」
それは、花にも、彼女にも当てはまった。
「でしょ?誰かと一緒に、そう思いたかったの」
「誰かと?」
少女は頷く。
「同じように感情をね、きょうゆうするの」
「きょうゆう?」
当時はまだ知らない言葉だった。少女は諭すように、深く頷く。
「同じように綺麗だと思っている間は、その人と一つになれる。そういうのって凄く大事なことなのよ」
「…………」
「難しくないの。あなたがこの花を気に入ってくれたなら、私も嬉しいってこと。あなたが嬉しいと、私も嬉しい」
哲学のような、でも少女の伝えたいことは分かる。少年は頷いた。
「ぼくも嬉しい」
「薔薇、綺麗ね」
そう言った、彼女の薔薇を見る横顔は、何だか寂しそうだった。気のせいでは無いのだろうと思った。自分は今、彼女と感情を共有しているのだから。彼女が寂しければ、自分も寂しかった。でも薔薇を美しいも思う気持ちも同時に存在していた。
ずっとこの不思議な感情が色褪せずに、少年の胸に残り続けた。
アブサンを飲みながら、我ながら子供じみた夢物語だったと自嘲する。たった一度会っただけのあの少女は、兄の婚約者となり、十八になるのを待って、結婚するという。
あんな思いをしたのは後にも先にも一度きり。美しい薔薇を見ても、誰かが美しいと言おうとも、アーネストの心には全く響かなかった。
酒を覚えてからは、日夜、煽るようになっていた。このうっとおしい感情を、消してしまう為に飲んでいるのか、今だにこの家に縛られている憂さ晴らしなのか、境界が見えなくなっていた。
扉を叩く音。訪ねてくるのは幼い頃から世話をしてくれる従者のみだが、今回は違った。
返事もしないうちに部屋に入ってきたのは、実の兄、ウィレムだった。
「やあアーネスト。また飲んでるのかい?」
見れば分かるだろうに。アーネストは酔っ払っているふりをして、返事をしなかった。
「酒もいいけど、やっぱり私は、花を愛でる方が楽しいと思うけどな」
花を愛でるとは、兄の場合は女性に喩えられる。昔から兄は手当たり次第に女に手を出す悪癖を持っていた。こんな男を婚約者に持ってと気の毒には思わない。貴族にとっては当たり前の習慣で、父も母もそれぞれに愛人を囲っていた。酒に溺れる自分など、まだまだ健全と言えた。
グラスを奪われ、許可していないのに残りのアブサンを飲まれてしまう。何をしても、兄から何かを奪えたことなど無かったから、今回も何も言わなかった。兄は舌を出して苦い顔をする。
「キツイな。いつもこんなの飲んでるの?」
「用事が無ければ、お帰りください」
「まぁそう言うなよ。それより、私の婚約者なんだけど」
婚約者。偶然にも彼女を思い出していたアーネストは兄を見上げる。立ったままの兄はグラスを置いて、わざとらしく長いため息をついた。
「スートラに罹ったらしい」
それは今猛威を振るっているはやり病だった。一度感染すれば、全身に発疹が広がり、酷い呼吸困難になるとか。感染力が強く、生き残ったとしても皮膚が焼けただれる後遺症が残り、普通の生活を送れなくなるとも言う。
信じられない報告に、アーネストは酔いが一気に醒める。血の気さえも引いて、体が冷え込む。
「無事なのか?」
それだけしか言えなかった。スートラに罹った者の半分は命を落とす。病で純粋に死ぬ者もいれば、罹患を恐れて殺される者、醜い容貌に絶望して自ら命を断つ者もいた。それらを含めての半分の死亡率だった。
「さぁ」
気のない返答。自分の婚約者だろうに。兄はまるで、他人事のようだ。
「婚約者ではありませんか」
「もう婚約者ではないからね」
「…罹患したからですか」
「一度も会ったことは無かったけど、会わなくて良かったよ。元の顔を懐かしむなんて、面倒なことはしたくないからね。慰めの言葉をかけるのも、本人には良くないだろうし」
やれやれと、兄はタイを外す。今も何処かの女の元から帰ってきたのだろう。そういった痕が残っていた。
恐らくは、婚約者が病なのを早々に知っていたのだろう。でなければ婚約者で無いなどとアーネストに言うはずがない。婚約者が苦しんでいるのを知りながら、別の女へ赴くなどあり得ない。会わなくて良かった?面倒はことはしたくない?人を人とも思わぬ性根に、兄の残酷な本質に、アーネストはただ怒りが沸き起こっていた。
「…………」
「アーネスト?寝たのかい?」
「兄上」
アーネストは窓を指差した。兄がそちらを見ようと背を向けた隙を付いて、渾身の力で首の後ろを手で叩きつける。
「…ぐあ……!」
手刀一撃を受けて、兄は膝をついて倒れ込む。受け身も取れずに地に伏した兄が口から泡をふいていた。
怒りが収まらないアーネストは、だが兄をこのまま放っておくわけにはいかなかった。
兄を殺せば、自分が侯爵家を継げる。兄さえいなければ、地位も婚約者も、自分のものとなる。
昏倒する兄の髪を掴んで持ち上げる。自分と似ているという顔。アーネストはこの顔を嫌って、まともに自分の顔を見もしてこなかった。鏡で見てしまえば、嫌でも兄と対峙することになる。母も父も、幼い頃から虐げてきた。中でも兄の蔑みを受けて生きていくのは、何よりも屈辱だった。似ているからこそ、順番さえ違ったなら、という悔しさが、いつもアーネストの中で燻っていた。
だからこそ殺さない。殺してしまったら、兄は自分が受けた苦しみを味わうことなく死んでしまう。
今は、かつての思い出のよしみから、婚約者の為に愚かな兄に手をかけた。殺してしまいたい衝動を押さえ、仰向けに転がす。愚鈍な兄のことだから、何故自分が気を失ったのかすら気づいていないだろう。おめでたいものだ。無様な兄の姿にアーネストは舌打ちして、従者に介抱させるため、部屋の外に出た。
密かに調べてみると、あの少女は一命を取り留めたという。アーネストは胸を撫で下ろした。
と同時に彼女の腹違いの妹が、兄の新たな婚約者となった。向こうも同じ同格の侯国の名門だ。高潔な血を絶やさぬためにと、縁談に躍起になるのも当然だった。
病を患い、婚約者を妹に奪われて、彼女は、アンはどう過ごしているのだろう。気がかりだった。だが無力な自分は何もできないでいた。
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