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prologue:積まれた書籍とタバコケース
呪う手に差し伸べられる言葉
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「さあ、一緒に行きましょう。立てますか?」
そう言って男が少女に手を差し出すと、シドは少女の身体を支えていた腕に違和感を覚えた。そこに目を落とすと、これまで何の反応も無かった少女が白衣の袖を握りしめている。その小さな真っ白の手は小刻みに震えている。
男がゆっくりと抱きかかえるように起こそうとすると、シドの袖を握りしめていた手が拒むように引っ掛かっている。
「もう大丈夫、本当に怖かったのね」
そう言った女の声は人込みではぐれてしまった我が子にかけるような、柔らかな声だった。必死で握りしめていた手も、ほとんど力は込めることができておらず、少女の身体を2人にゆだねる。すると、またシドと少女の目がしっかりと交差した。
「あっ・・・・・・」
「どうしました?あなたも立てますか?」
「あ、ああ。いや、何でもない。ありがとう」
2人が引き離されたのを見て、アレックスが今度はシドに手を差し伸べた。シドは一回りは若い男に手を貸してもらうことを少し情けなくも感じたが、緊張の糸が解けた身体は思いの外疲労も困憊していた様だ。差し伸べられた真っ白な軍手をつけた手を取り、素直に礼を言って引き起こしてもらう。少女の小さな手形が残る袖を見ると胃の辺りがズキズキと痛むのを感じていた。そして、目が合った瞬間が頭から離れないでいた。
軍靴が泥を踏む音が段々と小さくなっていく。2人は優しく少女の身体を支えながら、今もずっと柔らかく声をかけ続けている。そもそもシドには引き留めるような理由は全く無かったし、何か腑に落ちない感覚があったとはいえ騎士団の様な公的組織に保護されることはむしろ喜ばしいことであると理性で納得していた。
「そう言えば・・・・・・あの森の先から来たのか?居住区の方ずあなくて?」
「そうですね、要らぬ混乱や不安を招いても双方に利がありませんし、居住区には立ち寄らないルートで王都シリウス方面から入りました」
少女が連れられて行く先には、葉が一枚もついていない枯れ木の森が広がっている。何故その場所にだけ枯れ木が今もなお風化せずにあるのかは分からないが、こんな異質な土地にあってもその異様さは飛びぬけていた。
アレックスの言葉に嘘はない。ゴミ溜めの住人と言うのは皆何かしら腹に一物を抱えている。外部への恐怖や疑念など様々あるだろうし、騎士団の様な正義を執行する機関との接触を良く思わない者も少なくはないだろうことは、居住区の南の一枚の旗がよく表していた。人々の怒りを一心に受けた、騎士団のシンボルである「2翼の正十字」を掲げる旗がびりびりに破られ捨てられているのだ。
「とはいえ、あなたは居住区までしっかりとお連れしますからご安心ください」
アレックスはそう言って笑う。もうほとんど足音は聞こえない程に離れた背中。いつまでも見送るシド誘導する様に、アレックスはシドの背に手を添え、居住区に繋がる道を反対の手で指し示す。シドも事態を飲み込んで身体の向きを変えようとしたその時、金色の髪が揺れて少女が振り返って手を伸ばした。
「う、うああああああああっ!!」
また突然に過る記憶を身体が拒否するように、鈍く重い意識を飛ばされてしまいそうな程の激痛がシドの頭を襲う。あまりの痛みに悶絶しながら、シドは頭を両手で押さえつけながらその場に膝をついて身体を丸める。急なことに動揺した3人が足を止めて振り返るのを見て、アレックスがシドの背を抑えながら「ここは大丈夫です。あなた達は行きなさい」 と指示を出した。
シドは目を見開き叫び声をあげることでしか痛みに抗う手段が無くなっていた。掠れるほどに振り絞る声、口の端からあふれ出す涎を飲み込むことも拭うこともできず、頭を圧迫している両手は各関節に痛みがはしるほどに力が入っていた。アレックスから見えていた手の甲をはしる血管と、後頚部の血管がはっきりと浮き出ていた。
「大丈夫ですか、何か持病が?薬は所持していますか?」
闇の売人と向き合い一切の気負いも動揺も見られなかったアレックスでさえ、その声色に緊張と焦り、困惑が混じっていた。突発的な発作と見られる症状を抑えられる薬があればと、シドの白衣のポケットを確認しようとするアレックスの手を大きく震えるシドの手が制止した。
「大丈夫・・・・・・精神的な負荷によって引き起こされた一時的な発作だ、すぐ治まる」
「そうは言いますが、尋常な症状ではありませんよ」
「これでも医学の心得はある、問題ない・・・・・・ぐっ」
制止しようと挙げた手は細かな伸縮を繰り返し震え続けていた。途切れ途切れに言葉を出しながらもまだシドの表情は険しく、ピークを過ぎたとは言え両のこめかみを襲う脈動に呼応する激しい痛みは継続していた。
「スラムに住む若き医師。そうか、あなたがシド先生か」
「っつ、先生って呼ぶんじゃねぇ。それに正式な医者じゃない、騎士様に知られる様なもんじゃないよ」
症状は段々と治まり、シドはいつもの決まり文句を口にすることができるようになっていた。依然として息は切れ切れで全身から汗が吹き出し、頭を押さえたまま痛みに耐えている様ではあるが、危険な状態は脱したとアレックスは判断していた。
「そうですね、私は騎士団の一員なので先生の言う資格や肩書というものが蔑ろにされるべきではないことに疑念の入る余地はないと思っています。
・・・・・・なので、これはアレックス・シュナイダー個人としての感想になりますが、手の届く範囲にある苦しむ人々に手を差し伸べる為に身に着けた教養やその為の努力、一般的な考えに反すると知りながらそれでも手を尽くしてきたあなたの行動を心より尊敬します」
シドはずっと自分の手を呪い続けていた。それは妹との離別の時からかけられた呪いだったのかもしれないが、ゴミを漁り医学知識を身に着け、何人もの人を見送る度、必死で手を尽くしそれでも届かないことにどうしようもない無力感を感じていたのだ。シドはアレックスの言葉に救われていた。それでも自分の無力を許すことなど到底できるものでは無かったのだが、少なくとも今であればマーズのあの言葉をもう少し素直に受け取れることができたのではないかと思う程には、救われていたのだ。
「とはいえです。あなたの身体も本当に心配だ、まずは居住区に戻りましょう」
「ああ」
アレックスがすくっと立ち上がり、また手を差しのべる。シドは短くたくさんの息を吐いて、まつ毛にまで滴っていた顔中の汗を袖で拭って、手を取ろうとすると、まるで近くで何かが爆発したのではないかと一瞬身体が硬直するほどの揺れを感じた。
「いやああああああ!」
すると、そして女の悲鳴があの森の中から響き渡る。
「シド先生あなたはここに居てください。まさか暴走したのか?いや、恐らく・・・・・・」
アレックスはこれまでに無い強い口調でそう言って、懐から再び銃を取り出しながら駆けだす。あっという間にその姿は枯れ木の森の、剣山のように蔓延る木の幹の影に消えていった。背中に描かれた二枚翼の正十字がシドの瞳に残像を残す。
そう言って男が少女に手を差し出すと、シドは少女の身体を支えていた腕に違和感を覚えた。そこに目を落とすと、これまで何の反応も無かった少女が白衣の袖を握りしめている。その小さな真っ白の手は小刻みに震えている。
男がゆっくりと抱きかかえるように起こそうとすると、シドの袖を握りしめていた手が拒むように引っ掛かっている。
「もう大丈夫、本当に怖かったのね」
そう言った女の声は人込みではぐれてしまった我が子にかけるような、柔らかな声だった。必死で握りしめていた手も、ほとんど力は込めることができておらず、少女の身体を2人にゆだねる。すると、またシドと少女の目がしっかりと交差した。
「あっ・・・・・・」
「どうしました?あなたも立てますか?」
「あ、ああ。いや、何でもない。ありがとう」
2人が引き離されたのを見て、アレックスが今度はシドに手を差し伸べた。シドは一回りは若い男に手を貸してもらうことを少し情けなくも感じたが、緊張の糸が解けた身体は思いの外疲労も困憊していた様だ。差し伸べられた真っ白な軍手をつけた手を取り、素直に礼を言って引き起こしてもらう。少女の小さな手形が残る袖を見ると胃の辺りがズキズキと痛むのを感じていた。そして、目が合った瞬間が頭から離れないでいた。
軍靴が泥を踏む音が段々と小さくなっていく。2人は優しく少女の身体を支えながら、今もずっと柔らかく声をかけ続けている。そもそもシドには引き留めるような理由は全く無かったし、何か腑に落ちない感覚があったとはいえ騎士団の様な公的組織に保護されることはむしろ喜ばしいことであると理性で納得していた。
「そう言えば・・・・・・あの森の先から来たのか?居住区の方ずあなくて?」
「そうですね、要らぬ混乱や不安を招いても双方に利がありませんし、居住区には立ち寄らないルートで王都シリウス方面から入りました」
少女が連れられて行く先には、葉が一枚もついていない枯れ木の森が広がっている。何故その場所にだけ枯れ木が今もなお風化せずにあるのかは分からないが、こんな異質な土地にあってもその異様さは飛びぬけていた。
アレックスの言葉に嘘はない。ゴミ溜めの住人と言うのは皆何かしら腹に一物を抱えている。外部への恐怖や疑念など様々あるだろうし、騎士団の様な正義を執行する機関との接触を良く思わない者も少なくはないだろうことは、居住区の南の一枚の旗がよく表していた。人々の怒りを一心に受けた、騎士団のシンボルである「2翼の正十字」を掲げる旗がびりびりに破られ捨てられているのだ。
「とはいえ、あなたは居住区までしっかりとお連れしますからご安心ください」
アレックスはそう言って笑う。もうほとんど足音は聞こえない程に離れた背中。いつまでも見送るシド誘導する様に、アレックスはシドの背に手を添え、居住区に繋がる道を反対の手で指し示す。シドも事態を飲み込んで身体の向きを変えようとしたその時、金色の髪が揺れて少女が振り返って手を伸ばした。
「う、うああああああああっ!!」
また突然に過る記憶を身体が拒否するように、鈍く重い意識を飛ばされてしまいそうな程の激痛がシドの頭を襲う。あまりの痛みに悶絶しながら、シドは頭を両手で押さえつけながらその場に膝をついて身体を丸める。急なことに動揺した3人が足を止めて振り返るのを見て、アレックスがシドの背を抑えながら「ここは大丈夫です。あなた達は行きなさい」 と指示を出した。
シドは目を見開き叫び声をあげることでしか痛みに抗う手段が無くなっていた。掠れるほどに振り絞る声、口の端からあふれ出す涎を飲み込むことも拭うこともできず、頭を圧迫している両手は各関節に痛みがはしるほどに力が入っていた。アレックスから見えていた手の甲をはしる血管と、後頚部の血管がはっきりと浮き出ていた。
「大丈夫ですか、何か持病が?薬は所持していますか?」
闇の売人と向き合い一切の気負いも動揺も見られなかったアレックスでさえ、その声色に緊張と焦り、困惑が混じっていた。突発的な発作と見られる症状を抑えられる薬があればと、シドの白衣のポケットを確認しようとするアレックスの手を大きく震えるシドの手が制止した。
「大丈夫・・・・・・精神的な負荷によって引き起こされた一時的な発作だ、すぐ治まる」
「そうは言いますが、尋常な症状ではありませんよ」
「これでも医学の心得はある、問題ない・・・・・・ぐっ」
制止しようと挙げた手は細かな伸縮を繰り返し震え続けていた。途切れ途切れに言葉を出しながらもまだシドの表情は険しく、ピークを過ぎたとは言え両のこめかみを襲う脈動に呼応する激しい痛みは継続していた。
「スラムに住む若き医師。そうか、あなたがシド先生か」
「っつ、先生って呼ぶんじゃねぇ。それに正式な医者じゃない、騎士様に知られる様なもんじゃないよ」
症状は段々と治まり、シドはいつもの決まり文句を口にすることができるようになっていた。依然として息は切れ切れで全身から汗が吹き出し、頭を押さえたまま痛みに耐えている様ではあるが、危険な状態は脱したとアレックスは判断していた。
「そうですね、私は騎士団の一員なので先生の言う資格や肩書というものが蔑ろにされるべきではないことに疑念の入る余地はないと思っています。
・・・・・・なので、これはアレックス・シュナイダー個人としての感想になりますが、手の届く範囲にある苦しむ人々に手を差し伸べる為に身に着けた教養やその為の努力、一般的な考えに反すると知りながらそれでも手を尽くしてきたあなたの行動を心より尊敬します」
シドはずっと自分の手を呪い続けていた。それは妹との離別の時からかけられた呪いだったのかもしれないが、ゴミを漁り医学知識を身に着け、何人もの人を見送る度、必死で手を尽くしそれでも届かないことにどうしようもない無力感を感じていたのだ。シドはアレックスの言葉に救われていた。それでも自分の無力を許すことなど到底できるものでは無かったのだが、少なくとも今であればマーズのあの言葉をもう少し素直に受け取れることができたのではないかと思う程には、救われていたのだ。
「とはいえです。あなたの身体も本当に心配だ、まずは居住区に戻りましょう」
「ああ」
アレックスがすくっと立ち上がり、また手を差しのべる。シドは短くたくさんの息を吐いて、まつ毛にまで滴っていた顔中の汗を袖で拭って、手を取ろうとすると、まるで近くで何かが爆発したのではないかと一瞬身体が硬直するほどの揺れを感じた。
「いやああああああ!」
すると、そして女の悲鳴があの森の中から響き渡る。
「シド先生あなたはここに居てください。まさか暴走したのか?いや、恐らく・・・・・・」
アレックスはこれまでに無い強い口調でそう言って、懐から再び銃を取り出しながら駆けだす。あっという間にその姿は枯れ木の森の、剣山のように蔓延る木の幹の影に消えていった。背中に描かれた二枚翼の正十字がシドの瞳に残像を残す。
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