PARADOX=世界の真相を巡る旅に始まり終焉へと帰結する、数多の矛盾と真実で紡がれる物語

小鉢 龍(こばち りゅう)

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1話:森の都の外套技師

光が染みて

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 シドはネオンを連れルーザの店を発ち、住み慣れた居住区から踏み出した。左手には少ない旅の支度と、シルビーから譲り受けた簡易的な応急処置に使う医療器具が入ったアルミケース。反対の手には、「不敗の兵器」と恐れられたブレイグルであるネオンの小さく冷たい手を引いている。空を覆う黒い靄は依然として、視界の端まで占めておりシドはまだ新しい地に向かう現実感がなかった。

 ルーザの依頼から始まった旅。10数年必死で身につけた医学の知識は、どこまでいっても日常でしか実を結ぶことはない現実を突きつけられた。少しだけ自分の手に特別感を抱いた気になっていたシドにとって、非日常的な、これまで見えていなかった現実の中で全く役に立たなかった経験は苦い思い出となっていた。

「結構歩いたけどネオン平気か?」

 シドは特に誰かと比べたわけではないが、歩くのは早い方だ。誰かに合わせて歩いたこともほとんど記憶になく、意識的に歩幅を狭めて、歩調も落として慣れない歩き方で疲労を感じていた。ネオンは、特に何か反応するでもなく、シドが歩けば必死で足を動かして、シドが止まればネオンも背中に隠れるように足を止める。初めはシドが止まると、ネオンの肩が切れたりしていたが、3時間ほど歩く中で試行錯誤を繰り返し、今はどうにかお互いに許容できる歩き方が分かる様になってきたところだ。

 シドは歩きながら、握り返す力のほとんど感じない手を見つめる。ネオンは喋ろうとしないので、どんな過酷な生活を送ってきたのかを知る術は無い。ゴミ溜めの暮らしも、一般的な感覚からすれば過酷なものだ。食べる物を作る知識や技術、食べる物を捕まえたり、何かしらの方法で手に入れる能力が無ければいつ餓死するかも分からない。実際に、餓死ではなくても慢性的な栄養失調によって病に倒れ、栄養が十分であれば完治できたケースで手の打ちようがなく見送った経験もある。

 その時に見た栄養失調の患者の痩せこけた手とネオンの手は一緒だった。しかし、シドは子どもがこんな状態になっているのを幸運なことに診たことはなく、何も語らないネオンの姿がどうしようもなく悲しく感じるのだった。

「おっ見えてきたな『ゴミの壁』ーー懐かしいな」

 ゴミ溜めと呼ばれる地もそこかしこにゴミが散乱しているわけではない。それは何故ゴミが溜まっていくのかということを考えると自然なことだ。ゴミ溜めに投棄されるゴミは、人間が作り出したものしかないのだ。人間の遺体も含めて、自然が生み出したものは、自然の自己浄化作用による循環で必ず自然に還っていく。そうした物が棄てられていないわけではないけれど、一時的に山積するだけで、必ず分解されいつか無くなる。だから、積み上げられているゴミは金属物であったり、科学的に作られた人工物に限られる。

 では、そうしたゴミは勝手にこの地に生まれたりするのかといえば、勿論そうではなく、人間の手によって運び込まれることになる。なので、ゴミ溜めと呼ばれる地と他の地が接する場所にほとんどのゴミが集まっているのだ。特に、大国であるシリウス・平地の多いリトニア連邦、交易都市と呼ばれるアネリア自治区の三方向に面する場所には、ゴミ溜め全体の実に7割を超えるゴミが一挙に集まっているのだ。最も高く積まれた場所では、成人男性の3倍ほどの高さになり、鋭角にそびえ立つ山の幅は100メートルほどになる場所もある。

 今回2人が来た場所はシリウスとリトニア連邦の東端にあたるレネ区の境に近い場所にいた。シドが何度か訪れたことのあるゴミの壁は居住区から最も近い場所にある、今いる場所とは真反対の方角にある場所だった。

「よくもまあ、こんだけの物を造っては棄てられるもんだな・・・・・・」

 せせり立つゴミの壁を見上げながら、立ち止まったシドが独り言をこぼした。そこにはどんな用途で造られたのか、どんな使い方をされたのか、どんな理由で廃棄することになったのか分からない塊が無造作に、でも崩壊を免れる絶妙なバランスでもって重なっている。

 すると、ほんの少しだけ、小さく冷たいそれを握る手が引っ張られた気がした。ネオンはほんの少しだけ首を右に回して、どこかに視線を落としている。その視線の先、散乱するゴミの下敷きにされたそれを見て、シドは眉をひそめた。

「ここじゃあ植物は生きていけない。こうして、必死で芽を伸ばしたものも環境に耐えられずに死んでいく。誰に看取られることもなくな・・・・・・」

 ネオンが意識して何かを伝えようとしたのかは分からないが、シドの言葉を聞き終わったネオンが少しだけ、大きく温かな少しゴツゴツとした手をぎゅっと握った。2人の間を奔放にかけていった風に、嗅ぎなれた腐敗臭と共に、わずかに土と埃の匂いが混じっていた。

「もう少しでゴミ溜めを抜けるはずだ。行こうかネオン」

 シドに促されたネオンは傾けていた首を戻す。それが、「了解」の合図だと感じて、シドは一人で笑った。

 異変はそこかしこに転がってあった。黒い靄が薄くなり、遠く上空の靄を撫でるように照らすだけだった頼りない太陽の光が強くなっていく。湿気た土地も太陽光や、新鮮な空気を送り込まれることで浄化されていく。あれだけ不快だった腐った匂いも、淀んだ空気そのものも、いつの間にか新しい生命が生まれるかの様に、シドの認識の中に溶け込んでいく。

 ゴミの壁を離れて1時間が経った時、シドは急に足を止めた。それまでの、予備動作のある停止では無く、シドすらも無意識に足を止められたもので、対応できなかったネオンが思い切り額でシドの背中を強打した。

 絵画などでは、神や救世主が降誕召される時、厚い雲に切れ目が現れ、神々しいなかりの光の梯子が天地をまたいで降りてくる場面がある。シドは特定の宗教を信じているわけでもないし、神様だとか曖昧な存在を信じるつもりは毛頭なかった。

 それでも、記憶を失くして10数年、その間に一度も見ることのできなかった太陽の光。それが、絵画の様な絹の様な白い雲ではなかったが、この地を覆い環境も空気も秩序のような抽象的な概念までもを腐らせていた黒い靄の切れ目から、すっと何か道具を使って真っすぐな線を引いたかのように光が刺していた。

 いつの間にか、嗅ぎなれた匂いが後方からの風に乗って漂うと鼻を覆いたくなる様になっていた。じめじめとして、どこか喉にへばりつく様な濁った空気も、今や何の抵抗も無く流れる海流の様にすっと肺を満たすようになっていた。

「・・・・・・シド?」

 シドは空を仰ぎ見ながら、必死で零れないようにしていた。大の男が恥ずかしいという気持ちもあったし、1周り以上年下のネオンに診られたくないというくだらない理由もあった。だから上を向いて、下眼瞼でせき止めていた透明な体液を零さない様にしていたのだ。けれど、シドにとってそれは想定外のフィルターの役割をして、色彩も光量も閉じられていた五感全てが、ありふれた当たり前の奇跡をキラキラと輝かせていたのだ。

「ああ、くっそぉ。綺麗だ・・・・・・そうだよ、世界はこんなにも綺麗なんだよ」

 抑えていた気持ちが口から零れ出ると、それに続いて温かいそれがシドの頬をつうと伝って地面に落下していく。その一筋の生まれた場所から、大地に還っていくまで、その一連の物語をネオンは見ていたのだった。

「ごめんな、ビックリしただろ?久々の光が目に沁みやがるから・・・・・・」

 ルーザの店を出てからおよそ7時間後、シドとネオンは黒い靄に包まれたゴミ溜めの街を抜けたのだった。
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