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35. 鎮護の儀
しおりを挟むついに鎮護の儀が始まる。
ルーカスとともに緊張した面持ちでやってきたエドゥアルド殿下は、春の新緑を思わせる黄緑色のローブを身にまとっていた。襟元や袖口には金糸の刺繍が施され、裾は長く軽やかで、エドゥアルド殿下が歩くたびに裏地の黄土色がちらりと覗く。
私自身もまた、巫女として儀式に参加するため、黄土色に黄緑色の差し色が入った衣装を着て、頭には同色のベールを被っている。
フィディア神は黄土色の髪と黄緑色の目を持つ女神だから、衣装の色からも民の信仰心を呼び起こそうという狙いがあるのだろう。
「わあ、エレアノールちゃんかわいい! 巫女の衣装も似合うねえ」
「うふふ、ありがとう。ルーカスこそ本当に麗しい侯爵様ね! こんなに素敵なんだもの、女性が放っておかないのではない?」
「うぐ……エレアノールちゃん、君って子は……嬉しいけど絶妙に嬉しくない」
なぜか肩を落とすルーカスを不思議に思って首を傾げていると、その向こう側でエドゥアルド殿下が恐る恐る窓へ近づいていくのが見えた。
エドゥアルド殿下は今日まで、果たして民は儀式に集まってくれるだろうかと不安そうにしていた。
けれど、いざ蓋を開けてみれば、窓の外に見える王城前の広場は見渡す限り人で埋め尽くされている。それどころか、入りきらなかった人波が広場から溢れ、道のずっと先まで続いていた。
その光景を感極まった様子で眺めるエドゥアルド殿下の隣に、お父様が歩み寄って目を細める。
「ヴァルケルでこの光景を作り出せるのは、エドゥアルド殿だけでしょうね」
お父様の言葉を聞いたエドゥアルド殿下は、窓の外を静かに見つめ、やがて感謝を捧げるように胸に手を当てて目を閉じた。
民にとってエドゥアルド殿下が一筋の希望だったように、きっと守るべき民の存在が彼を支えていたのだろう。
どうか、エドゥアルド殿下とヴァルケルの民が明るい未来を生きられますように。
目を閉じて祈っていると隣に人の気配を感じた。
「エレアノール、緊張しているか?」
「ノックス……いいえ、大丈夫よ」
「そうか」
私を見つめるノックスは、普段のラフな格好とは違い、銀糸の刺繍が美しいブルーブラックのジャケットとベストを身に着けていた。クラバットに大きなエメラルドの装飾をつけ王子様然としているけれど、腰には剣を佩いている。人手不足なこともあり、ノックスとルーカスがエドゥアルド殿下の護衛を兼ねるらしい。
「……けれど結局、神威の紋は完成しなかったわ」
「それならそれが神の思し召しなんだろう。気にするな」
右手首にある神威の紋は、あと少しで完成しそうなのにまだ端が少しだけ欠けている。
この危機を乗り越えるために神威を授かったというのは、私の勘違いだったのだろうか。
「ほら、窓の外を見てみろ。神威がなくてもどうにかなるかもしれないぞ」
「え……? まあ!」
王城前の広場に集まった民は、まだ儀式が始まってもいないというのに既に膝をついて祈っている。
そしてかなり成長して大きく口を開けていた裂け目は、閉じるまではいかずとも完全に動きを止めていた。
「すごい……私が願いの神威を使わずとも、民とフィディア神が力を合わせれば、きっと裂け目を塞ぐことができるわ!」
感動のあまり窓に張りついて大きな声を上げると、ノックスは優しい顔で私の言葉を肯定してくれた。
「そうだな。そうしたら、イシルディアに願いの神威を持つ王太子妃が誕生することになる。結婚したら守りも万全にできるから、いっそ公表してしまおうか? 俺の聖女を独り占めしたいところではあるが、民に慕われる君を見るのも悪くない」
「まあ! ふふ、気が早い王子様ね」
一緒にクスクス笑いながらそっと触れるようなキスを交わす。
しかし次の瞬間、ノックスは厳しい顔で剣に手を添えながら、私を背に庇うようにして勢いよくドアを振り返った。
「今の……どういうことよ……」
「っ……シャンベル、男爵令嬢?」
そこには、部屋に引きこもっているはずのシャンベル男爵令嬢が立っていた。マルセルと近衛騎士団長を含む六人の近衛騎士、そして侍従長も一緒だ。
ここまで止められずに辿り着けたということは、彼女を案内してきたのは侍従長なのだろう。
彼はエドゥアルド殿下の腹心の部下で、シャンベル男爵令嬢を連れてくるなんて本来なら絶対にしない。なのに何も悪びれる様子がないということは、十中八九、彼は操られているのだ。
間が悪いことに騎士のほとんどが広場の警備に駆り出されているため、この無礼な訪問者をつまみ出す術がない。今回は私たちがイシルディアから連れてきた護衛騎士にも広場の警備を手伝ってもらっているほどなのだ。
広場で揉め事が起こっただけでも世界の危機に直結する可能性があるから、慎重すぎるぐらいでいいという判断だったのだけれど……
いくら広場の警備を厳重にしたところで、儀式自体を邪魔されては意味がない。
操られないようノックスに触れながら、お呼びでない客を睨みつける。
「なぜここへ来たのです? 儀式が終わるまでは部屋から出ないようにと――」
「うるさいうるさい!! あんた、ヴァルケルに逃げるふりして、私から王妃の座を奪うつもりで……しかも願いの神威って何よ。クソクソクソ!! どこまでも邪魔なクソ女! そもそも、その男は…………っ!?」
言葉を止めた彼女の表情を見て、ドクリと心臓が嫌な音を立てる。
彼女は頬を染め、目を見開いてノックスを見つめたまま呆けた顔をしていた。
いつもと違う、無防備で純粋な――それは間違いなく、恋に落ちた人の顔だった。
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