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43. 嵐の予感
しおりを挟むしかし私は、目に映る予想外の光景に、たった三歩で立ち止まった。
燃えるような赤髪の美女が、大股でこちらへ向かってくる。
彼女は切れ長の目を吊り上げ、銀の瞳に怒りの炎を宿らせていた。
その後ろをしくしく泣きながら小さな足取りでついてきているマルセルの姿が、不穏な空気をいや増している。
(ああぁ……せっかくノックスと陛下が和解して良い雰囲気なのに……)
しかし、立ち塞がるわけにもいかない相手だ。
私は少しでも時間稼ぎをするべく、なるべく早歩きで近寄って頭を下げた。
「おお、エレアノール! 久しいな。そなた、何やら活躍したそうではないか! 後ほど詳しく聞かせてくれ」
「マリアン王妃陛下、お久しぶりでございます。あの……」
「話の途中で済まぬが、今は急いでいるのだ。ああそうだ、そなたも来い! 当事者なのだからな!」
ずんずん歩いてきたマリアン王妃陛下は、挨拶もそこそこに、そのままずんずんとノックスたちの方に歩いていった。
(足止めは失敗ね……なぜこんなにお怒りなのかしら?)
よく見ると、王妃陛下の格好は出征帰りそのままだ。それはつまり、戦場から戻るなり駆けつけてくるほど怒りが深いということで……
慌てて追いかけると、マリアン王妃陛下の向こう側にハインリヒ陛下の後ろ姿が見えた。どうやら、座り込んでいるノックスが立ち上がれるよう、手を貸そうとしているようだ。
ああ、逃げてと叫べたらなら……
しかし、どのみち剣聖から逃げられる者など居ない。もうこの時点で結末は決まっていたのだろう。
「下がれ! 護衛なら私一人でじゅうぶんだ。しばらく誰も近づかせるな」
人払いをしたマリアン王妃陛下は、侍従長や近衛騎士たちが居なくなったことを確認すると、何事かと振り返ったハインリヒ陛下の胸倉を掴んで拳を振り下ろした。
ゴチン、と何か硬いものと硬いものがぶつかり合う、人の頭からしてはいけない音が美しい庭に響き渡る。
「聞いたぞ! 魔女にまんまと操られ、ありもしないエレアノールの醜聞をまき散らした挙句に、婚約破棄したそうではないか! 愚か者め!」
陛下は完全に伸びてしまい、王妃陛下に胸ぐらを掴まれたままぶら下がっている。イシルディア国王としては絶対にダメな絵面だ。
というか、陛下は生きているのだろうか……?
「刃物を使うと手加減ができぬでな。拳骨で我慢してやったのだ。ありがたく思え!」
手加減できても陛下に刃物を向けてはダメだし、そもそも拳骨もダメだと思うのだけれど……?
ノックスは座り込んだまま石像のように固まり、マルセルは未だしくしくと泣いている。陛下は伸びているし、もしかしてこれは私がお相手をする流れだろうか。
案の定、マリアン王妃陛下は陛下をポイッと捨ててから振り返り、私の肩に手を置いた。
「エレアノール。うちの馬鹿どもが済まなかったな」
「い、いえ、お二人は被害者ですわ。それより、突然のお帰りで驚きました」
さすがに、操られている間にやったことで陛下やマルセルを責めるのは酷だし、取り敢えず話をずらしておこう。
マリアン王妃陛下は非常にさっぱりした方なので、特に怒りを引きずることなく話題を変えてくれるだろう。
「そうそう、聞いてくれ。スカリムドールが攻め入ってきたもんだから出征したのだが、途中でなんと戦神スカールヴァルンが降臨してな!」
あ、それ呼んだの私ですね……
まったく呼ぶ気はなかったやつです……
「よくわからんが、戦神はイシルディアへの侵攻を望んでいないようで、叱られたらしい。奴ら、すごすごと引き上げていったぞ」
「まあ……では、もう攻め入ってくることはないのでしょうか?」
「うーん、食糧難で略奪しに来ているところもあるから、難しい問題だがなぁ」
たしかに、スカリムドールは戦士を尊ぶ文化が根づいていて、農業や牧畜を担う者が圧倒的に少ない。もともと寒冷地ゆえに耕作が難しく、限られた食糧の保存や流通技術も未発達なようだから、それらを解決しない限りはどうしようもないのだろう。
(さすがに神が降りたからといって、何もかも解決するわけはないわよね……)
安易な考えを反省していると、ノックスが陛下に「生きてるか?」と声をかけつつ困惑げにしているのが目に入った。
一方、ハインリヒ陛下を伸したマリアン王妃陛下は、陛下のことなど気にしていない様子で、今初めて存在に気づいたらしいノックスに興味津々だ。
「おお、なんだ? ハインリヒの客人か? …………ってイ、イ、イザベル様!?」
マリアン王妃陛下は、イザベル前王妃陛下にそっくりなノックスの顔を見るや否や、飛び掛かるように彼の足元に縋りついた。
「よくぞ、よくぞご無事で……! あなた様が攫われたとき、私が奪還に失敗したばかりに苦労をおかけして、なんとお詫び申し上げればよいか……。お戻りいただいたことですし、そろそろ私は切腹すべきでしょうか!?」
「な、なんだ!? セップクが何かはよくわからないが、嫌な予感しかしないからやめてくれ」
「ええ、本当ですか? でもケジメが……切腹は自ら腹を切る刑罰でして、東方では誇り高き……」
「絶対にやめてくれ!!」
マリアン王妃陛下は涙声で、本当に切腹しなくてもいいのかとノックスになおも迫っている。
剣聖の神威を授かったマリアン王妃陛下はイシルディアの守護を任されているも同然なのだから、セップクしたらアストリウス神も頭を抱えると思う。
「そもそも、俺はあなたから隠れてわざと攫われたのだから……あなたの責任ではない」
ノックスが気まずそうに言う。
それにしても、回帰前に攫われかけたノックスの奪還に成功したのはマリアン王妃陛下だったのね、と考えていると、マリアン王妃陛下は跪いたまま手を組んでノックスを見上げ、声を震わせた。
「わざと攫われた……二歳児が? もしや天才……? で、ではヴァルケルを攻め滅ぼし、あなた様を攫ったであろうレオパルドの首を持参してまいりましょうか!?」
「いや、いい。レオパルドはもう死んだ。新王は俺の育ての親だから、ヴァルケルを攻め滅ぼすのはやめてくれ」
「なんと、ご自分で復讐を遂げたのですか!? さすがイザベル様のお子! ああ、そうだ。早速立太子の準備をせねば……!」
そのとき、肩をすくめるほどに大きな声が突然空気を震わせた。
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