上 下
11 / 59

星に願いを……

しおりを挟む
そして恵はこの勢いで、

名前も知らない綺麗な彼女と楽しい話で盛り上がりながら

クリムゾンカラーの真っ赤な夕陽ゆうひがキラキラと眩しい、

夕暮れの歓楽街をやや足早に歩いていたけれど

来週から恵が就職をする予定のパスタ料理専門店アホの洞窟は、

意外と早く見つかったので

*****

(あーっ!きっとあのお店がアホの洞窟だよね~?)

と心で呟くアホの恵はウキウキしながら美女と一緒に手をつないで

世紀末パスタ専門店『アホの洞窟』に意気揚々と到着したのだが、

なんだか本当に世紀末な雰囲気をかもし出しているアホの洞窟は……


(えっ?あの赤紙は何?戦争のお知らせ?)

と見間違えてしまう位にヤバそうな

金融業者の督促状がベタベタと貼られた悲しすぎるパスタ屋だったので

この瞬間に考える事を放棄した恵は早くも身体を震わせながら

(えっとスマホの地図によると
どう考えてもこの店がアホの洞窟って事になるから~……
つまり今日はお店の定休日なんだよねぇきっと…て言うか多分、半永久的に~)

て感じの現実逃避をしてみたが、そんな恵の目の前に……!

『☆本日のランチ☆ミートソースパスタと小エビのサラダ☆ドリンク付き!』

と書かれたオシャレな黒板があったから

(えっ?本日のランチの立て看板があるって事は……
まだこの店は潰れていないんだよね?そうだよね?お婆ちゃん!)

こうして僅かな希望を胸にいだいて

督促状だらけの玄関ドアに走った恵はこのままの勢いで


「すいません!こんにちは!誰か居ませんか?
私は来週からこの店で働く予定の星野恵です!
今日、春川村から上京してきました!誰かドアを開けてくれませんか?」

と大きな声で一生懸命に自己紹介をしながら

錆び付いた玄関ドアのレバーをガチャガチャと回して半泣きになっていたけれど

そんな恵の後ろから……


「なる程ね、貴女の事情はよく分かりました……
じゃあ次は、私が選んだ店に行きましょうか恵さん」

と優しい声の美女が現れて

そして今にも泣きそうな顔で店のドアノブを回し続ける恵の手の上に、

自分の手をそっと重ねながら……


「そんなに泣かなくても大丈夫……。
だってこの街は、貴女が思う以上に広い街ですからね?
じゃあそろそろ気分を直して、私が選んだ店に行きましょうか恵さん」

て感じで傷ついた恵を慰めながら

小さく震える恵の手を握ったままでドコかに向かって歩き出し、

そしてその後あっと言う間にタクシーを止めて……


「一丁目のサファイアホテルまでお願いします!」

と微妙に嬉しそうな声でサッサと車に乗り込んで

明らかに放心状態の恵をどこかに連れ出そうとしていたが……

*****

そんな美女とは正反対の、心が真っ白な恵は今まさに、

(ねぇお婆ちゃん、どうしよう……
私には都会の知り合いが一人も居ないから、
今すぐ職安に通って次の仕事を決めたとしても、
保証人になってくれる人が全然いないし、
そもそも次の仕事が簡単に決まる保証もないし、
右も左も分からない街で何をすればいいのか全然わかんないし、
なんだかもう…自分が何者なのかも分からなくなってきたよ……)

こうして完全に頭が混乱していたから

今の自分が名前も知らない人と一緒にタクシーに乗っている事も……


「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ?
ベッドの中で良い子にしていれば……
この俺が必ずなんとかしてあげますから…フフフッ…」

そしてこのタイミングで何故か突然

美女の一人称が『俺』に変わっていた事も

全く何ひとつ気付いていなかったので

この後タクシーの窓から見える綺麗な金星をジッと眺めながら


(あーっ!ねぇねぇお婆ちゃん。
あの星は一番星だよね?今日も星が綺麗だなぁ……)

こんなふうに思考回路が停止している哀れな恵は今まさに、

男なら誰でも悦ぶ隙だらけの状態になっていた事は今さら言うまでもないが

*****

そんな事よりも何よりも、

シーンと静かな車の内で、何故かいきなり一人称が

私から俺に変わった謎の美人が実は今、心の中で虎視眈々と……


(ねぇ恵さん、今から凄く可愛いきみを……

龍崎サファイアホテルのスイートルームに連れて行ってあげるよ。

その理由をお前に教えるつもりは全くないけど、

俺がお前を追いかけた時点で、今夜の相手は恵に決まっていた訳だから

つまり きみはもう既に、この俺から逃げる事は絶対に出来ないんだよ?

もちろん今夜一晩だけの話だけどね、フフフッ……)


て感じの自信満々な態度で

狙った獲物は絶対に逃さないと言わんばかりのトンデモナイ事を考えていたなんて

田舎育ちの恵には、もちろん全く分かっていなかったけど

そんな恵の隣で微笑む、百戦錬磨の美しい男も恵と全く同じ様に、

車の窓から今にも泣きそうな瞳で星を見ている小さな女が

世界中の誰よりも強くて優しい、最強シンデレラである事を全く気付いていなかった。
しおりを挟む

処理中です...