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第1章 偽りの女神と加工された嘘
第15話 損切り完了
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MIIKAの逮捕から3日後の夜。
佐藤任三郎のオフィスは、芳醇な香りに包まれていた。
それは、勝利の香りであり、安息の香りでもあった。
部屋の中央、通常は作戦会議に使われる無機質なテーブルには、純白のクロスが敷かれ、クリスタルのグラスと銀の食器が並べられている。
キャンドルの灯りが、8人の顔を照らす。
チーム「Octogram」の正式な祝勝会だ。
「……お待たせしました」
佐藤が恭しくワゴンを押して現れた。
その上には、見事な焼き色のついた鴨のローストが鎮座している。
フランス・ヴァンデ産、最高級のシャラン鴨。
以前、佐々木紘子との取引で焼いたものと同じだが、今日はサイズが違う。8人の胃袋を満たすための、特大サイズだ。
佐藤はナイフを手に取り、慣れた手つきでデクパージュを始める。
ナイフが入るたび、パリッという皮の弾ける音と、肉汁が滴る音が響く。
断面は、宝石のようなルビー色。
「どうぞ。ソースはフランボワーズと赤ワインのガストリックソース。……それと」
佐藤は別の皿もサーブした。
「紘子さんからのリクエストにお応えして、付け合わせは『イタリア産白トリュフのリゾット』です」
切り分けられた皿が、メンバーの前に配られる。
紘子が待ちきれない様子でフォークを刺し、鴨肉を口に運ぶ。
咀嚼。
そして、恍惚のため息。
「……んんッ。これよ。何度食べても最高だわ」
彼女はうっとりと瞳を潤ませた。
「血の味がするわ。野蛮で、濃厚で、それでいて洗練されている。……まるで私たちの仕事そのものね」
「白トリュフの香りも完璧です」
佐藤は軽く頭を下げた。
他のメンバーも舌鼓を打つ。
「やば、何これ柔らかっ! 歯がいらないんだけど」
田中襟華が目を丸くする。
「カロリー計算は……今日は忘れましょう。この脂の甘み、抗えないわ」
小林弥生も白衣を脱いで、食に没頭している。
その傍らで、松本愛永は一人、別の快楽に酔いしれていた。
彼女は片手に赤ワイン、もう片手にタブレットを持ち、ニュース番組の録画データを再生していた。
画面に映っているのは、彼女自身がキャスターを務める番組だ。
『……速報です。逮捕されたMIIKA容疑者が、反社会的勢力への資金提供を認めました。これを受け、所属事務所は解散を発表……』
「見てよ、この数字」
愛永がワイングラスを揺らしながら、ニヤリと笑った。
「瞬間最高視聴率、24.8%。……平日のお昼にこの数字は化け物よ。スポンサーは大喜び、局長からは金一封。私のギャラも交渉次第で倍増ね」
「悪趣味ねえ。他人の不幸を肴に飲む酒は美味しい?」
渡辺千尋が皮肉っぽく笑う。
「最高に美味しいわよ? それが『正義』ってラベルの貼られた不幸なら、なおさらね」
愛永は悪びれもせず、グラスを掲げた。
「乾杯しましょう。哀れな生贄と、私たちの完璧なシナリオに!」
チンッ。
グラスが触れ合う音が、夜の静寂に響いた。
誰も罪悪感など抱いていない。
これは掃除だ。害虫を駆除し、美味しい食事と美酒に酔う。
それが彼らの流儀だった。
宴もたけなわとなった頃。
佐藤はバルコニーに出て、夜風に当たっていた。
階下の東京の街は、何事もなかったかのように光り輝いている。
MIIKAという一つの歪みが消えても、この街の輝きは変わらない。すぐにまた、別の歪みが生まれるだろう。
「……サトウ」
背後から、低い声がかかった。
振り返ると、グレタ・ヴァイスが立っていた。
いつもの黒い服ではなく、背中の開いたダークグリーンのドレス姿だ。祝勝会のために着替えたのだろうが、その立ち姿には隙がなく、ドレスの下に筋肉の鎧を纏っていることがわかる。
彼女の手には、車のキーが握られていた。
「私の報酬を忘れていないだろうな?」
グレタは無表情のまま言った。
「もちろんです。……約束通り、『デート』の時間ですね」
佐藤は苦笑した。
このチームのメンバーは、誰もが現金での報酬以上に、それぞれの個人的な欲望の充足を求めてくる。
紘子は美食。愛永はスクープ。
そして、この寡黙な元特殊部隊員の望みは――。
深夜の首都高速湾岸線。
流れる街灯が、光の帯となって後方へ飛び去っていく。
時速250キロオーバー。
常人なら恐怖で悲鳴を上げる速度だが、この車の助手席に座る佐藤は、涼しい顔で窓の外を眺めていた。
グレタの愛車、BMW M5 CS。
一見すると重厚な4ドアセダンだが、その中身は635馬力を叩き出すモンスターだ。
「羊の皮を被った狼」という言葉すら生温い。これは「セダンの皮を被ったミサイル」だ。
「……エンジンの吹き上がりが軽い」
ハンドルを握るグレタが、恍惚とした表情で呟く。
普段の氷のような無表情とは違う、機械と一体化した時にだけ見せる、官能的なまでの熱量。
「あなたが調達した最高級のオイルと、紘子が手に入れたチタン製コンロッドのおかげだ。……完璧だ、サトウ」
「それは重畳です。私の口座から引かれた金額も、目玉が飛び出るほどでしたが」
佐藤はGに耐えながら答える。
これが、グレタとの「デート」だ。
彼女の愛車のテストドライブに付き合い、助手席で「重り」として座ること。そして、そのドライビングテクニックを無言で称賛すること。
言葉はいらない。
極限のスピードの中で共有される緊張感だけが、二人のコミュニケーションだった。
車は大黒ふ頭で速度を落とし、パーキングエリアに滑り込んだ。
エンジンを切ると、熱を持ったマフラーがチン、チン、と冷める音だけが響く。
静寂。
グレタはシートに背を預け、革の手袋を外した。
その指先は白く、美しい。人を殺める手には見えない。
「……MIIKAの件」
グレタが唐突に切り出した。
「最後、彼女は泣いていたな」
「ええ。全てを失いましたから」
「以前の戦場でもそうだった。悪党ほど、追い詰められると命乞いをする。……私はそれが嫌いだ」
グレタはサイドミラー越しに、遠くの工場夜景を見つめた。
「自分のしたことの責任を負う覚悟もない奴が、他人の人生を弄ぶ。……虫酸が走る」
「同感です」
佐藤は頷いた。
「だから我々は『損切り』をする。彼らに責任を取らせるために」
「ああ。……そのための『手』として、私はあなたに雇われた」
グレタは佐藤の方を向き、青い瞳で彼を射抜いた。
「サトウ。私はあなたの『正義』には興味がない。だが、あなたの『規律』は美しいと思う」
彼女は身を乗り出し、佐藤のネクタイに触れた。
甘い香水ではなく、ガソリンと革の匂いがした。
「私を使いこなしてみせろ。……ハンドルを握る手は緩めるなよ、ボス」
それは、彼女なりの忠誠の誓いであり、挑発だった。
佐藤は微かに口角を上げ、彼女の手を払うことなく受け入れた。
「ええ。シートベルトは締めておきますよ。……あなたの運転は、少々荒っぽいですから」
グレタが微かに笑った。
本当に、微かに。
それは夜明け前の空のように、冷たくて美しい笑みだった。
「行くぞ。……帰りのルートは最短記録を狙う」
彼女は再びキーを回した。
V8ツインターボエンジンが、獣のように咆哮を上げる。
タイヤが白煙を上げ、漆黒のセダンは闇の中へと弾かれたように飛び出した。
翌朝。
佐藤はいつものように、完璧に整頓されたキッチンでコーヒーを淹れていた。
平和な朝だ。
だが、その静寂を破るように、PCの通知音が鳴った。
『新規メール受信:件名なし』
佐藤はコーヒーカップを置き、モニターを確認した。
差出人は不明。
本文には、短いURLと、一行のメッセージだけが記されていた。
『貴様らの"正義"ごっこは、ここで終わりだ。次は、我々が貴様を断罪する』
添付されていたURLを開くと、そこには動画が表示された。
黒い背景に、白い仮面を被った男が映っている。
『暴露系YouTuber ジャッジマン・タナカ』。
今、ネット上で急速に支持を集めている、過激な配信者だ。
「……ふむ」
佐藤は眉一つ動かさずに、その動画を見つめた。
「どうやら、祝宴の余韻に浸る時間はなさそうですね」
佐藤はモニターを見る。
八人の仲間と共に、次なる戦場へ向かう準備はできている。
MIIKAなど、序章に過ぎなかった。
本当の闇は、もっと深く、粘り気を持って、彼らを待ち受けていたのだ。
佐藤の瞳に、再び冷徹な処刑人の光が灯る。
佐藤任三郎のオフィスは、芳醇な香りに包まれていた。
それは、勝利の香りであり、安息の香りでもあった。
部屋の中央、通常は作戦会議に使われる無機質なテーブルには、純白のクロスが敷かれ、クリスタルのグラスと銀の食器が並べられている。
キャンドルの灯りが、8人の顔を照らす。
チーム「Octogram」の正式な祝勝会だ。
「……お待たせしました」
佐藤が恭しくワゴンを押して現れた。
その上には、見事な焼き色のついた鴨のローストが鎮座している。
フランス・ヴァンデ産、最高級のシャラン鴨。
以前、佐々木紘子との取引で焼いたものと同じだが、今日はサイズが違う。8人の胃袋を満たすための、特大サイズだ。
佐藤はナイフを手に取り、慣れた手つきでデクパージュを始める。
ナイフが入るたび、パリッという皮の弾ける音と、肉汁が滴る音が響く。
断面は、宝石のようなルビー色。
「どうぞ。ソースはフランボワーズと赤ワインのガストリックソース。……それと」
佐藤は別の皿もサーブした。
「紘子さんからのリクエストにお応えして、付け合わせは『イタリア産白トリュフのリゾット』です」
切り分けられた皿が、メンバーの前に配られる。
紘子が待ちきれない様子でフォークを刺し、鴨肉を口に運ぶ。
咀嚼。
そして、恍惚のため息。
「……んんッ。これよ。何度食べても最高だわ」
彼女はうっとりと瞳を潤ませた。
「血の味がするわ。野蛮で、濃厚で、それでいて洗練されている。……まるで私たちの仕事そのものね」
「白トリュフの香りも完璧です」
佐藤は軽く頭を下げた。
他のメンバーも舌鼓を打つ。
「やば、何これ柔らかっ! 歯がいらないんだけど」
田中襟華が目を丸くする。
「カロリー計算は……今日は忘れましょう。この脂の甘み、抗えないわ」
小林弥生も白衣を脱いで、食に没頭している。
その傍らで、松本愛永は一人、別の快楽に酔いしれていた。
彼女は片手に赤ワイン、もう片手にタブレットを持ち、ニュース番組の録画データを再生していた。
画面に映っているのは、彼女自身がキャスターを務める番組だ。
『……速報です。逮捕されたMIIKA容疑者が、反社会的勢力への資金提供を認めました。これを受け、所属事務所は解散を発表……』
「見てよ、この数字」
愛永がワイングラスを揺らしながら、ニヤリと笑った。
「瞬間最高視聴率、24.8%。……平日のお昼にこの数字は化け物よ。スポンサーは大喜び、局長からは金一封。私のギャラも交渉次第で倍増ね」
「悪趣味ねえ。他人の不幸を肴に飲む酒は美味しい?」
渡辺千尋が皮肉っぽく笑う。
「最高に美味しいわよ? それが『正義』ってラベルの貼られた不幸なら、なおさらね」
愛永は悪びれもせず、グラスを掲げた。
「乾杯しましょう。哀れな生贄と、私たちの完璧なシナリオに!」
チンッ。
グラスが触れ合う音が、夜の静寂に響いた。
誰も罪悪感など抱いていない。
これは掃除だ。害虫を駆除し、美味しい食事と美酒に酔う。
それが彼らの流儀だった。
宴もたけなわとなった頃。
佐藤はバルコニーに出て、夜風に当たっていた。
階下の東京の街は、何事もなかったかのように光り輝いている。
MIIKAという一つの歪みが消えても、この街の輝きは変わらない。すぐにまた、別の歪みが生まれるだろう。
「……サトウ」
背後から、低い声がかかった。
振り返ると、グレタ・ヴァイスが立っていた。
いつもの黒い服ではなく、背中の開いたダークグリーンのドレス姿だ。祝勝会のために着替えたのだろうが、その立ち姿には隙がなく、ドレスの下に筋肉の鎧を纏っていることがわかる。
彼女の手には、車のキーが握られていた。
「私の報酬を忘れていないだろうな?」
グレタは無表情のまま言った。
「もちろんです。……約束通り、『デート』の時間ですね」
佐藤は苦笑した。
このチームのメンバーは、誰もが現金での報酬以上に、それぞれの個人的な欲望の充足を求めてくる。
紘子は美食。愛永はスクープ。
そして、この寡黙な元特殊部隊員の望みは――。
深夜の首都高速湾岸線。
流れる街灯が、光の帯となって後方へ飛び去っていく。
時速250キロオーバー。
常人なら恐怖で悲鳴を上げる速度だが、この車の助手席に座る佐藤は、涼しい顔で窓の外を眺めていた。
グレタの愛車、BMW M5 CS。
一見すると重厚な4ドアセダンだが、その中身は635馬力を叩き出すモンスターだ。
「羊の皮を被った狼」という言葉すら生温い。これは「セダンの皮を被ったミサイル」だ。
「……エンジンの吹き上がりが軽い」
ハンドルを握るグレタが、恍惚とした表情で呟く。
普段の氷のような無表情とは違う、機械と一体化した時にだけ見せる、官能的なまでの熱量。
「あなたが調達した最高級のオイルと、紘子が手に入れたチタン製コンロッドのおかげだ。……完璧だ、サトウ」
「それは重畳です。私の口座から引かれた金額も、目玉が飛び出るほどでしたが」
佐藤はGに耐えながら答える。
これが、グレタとの「デート」だ。
彼女の愛車のテストドライブに付き合い、助手席で「重り」として座ること。そして、そのドライビングテクニックを無言で称賛すること。
言葉はいらない。
極限のスピードの中で共有される緊張感だけが、二人のコミュニケーションだった。
車は大黒ふ頭で速度を落とし、パーキングエリアに滑り込んだ。
エンジンを切ると、熱を持ったマフラーがチン、チン、と冷める音だけが響く。
静寂。
グレタはシートに背を預け、革の手袋を外した。
その指先は白く、美しい。人を殺める手には見えない。
「……MIIKAの件」
グレタが唐突に切り出した。
「最後、彼女は泣いていたな」
「ええ。全てを失いましたから」
「以前の戦場でもそうだった。悪党ほど、追い詰められると命乞いをする。……私はそれが嫌いだ」
グレタはサイドミラー越しに、遠くの工場夜景を見つめた。
「自分のしたことの責任を負う覚悟もない奴が、他人の人生を弄ぶ。……虫酸が走る」
「同感です」
佐藤は頷いた。
「だから我々は『損切り』をする。彼らに責任を取らせるために」
「ああ。……そのための『手』として、私はあなたに雇われた」
グレタは佐藤の方を向き、青い瞳で彼を射抜いた。
「サトウ。私はあなたの『正義』には興味がない。だが、あなたの『規律』は美しいと思う」
彼女は身を乗り出し、佐藤のネクタイに触れた。
甘い香水ではなく、ガソリンと革の匂いがした。
「私を使いこなしてみせろ。……ハンドルを握る手は緩めるなよ、ボス」
それは、彼女なりの忠誠の誓いであり、挑発だった。
佐藤は微かに口角を上げ、彼女の手を払うことなく受け入れた。
「ええ。シートベルトは締めておきますよ。……あなたの運転は、少々荒っぽいですから」
グレタが微かに笑った。
本当に、微かに。
それは夜明け前の空のように、冷たくて美しい笑みだった。
「行くぞ。……帰りのルートは最短記録を狙う」
彼女は再びキーを回した。
V8ツインターボエンジンが、獣のように咆哮を上げる。
タイヤが白煙を上げ、漆黒のセダンは闇の中へと弾かれたように飛び出した。
翌朝。
佐藤はいつものように、完璧に整頓されたキッチンでコーヒーを淹れていた。
平和な朝だ。
だが、その静寂を破るように、PCの通知音が鳴った。
『新規メール受信:件名なし』
佐藤はコーヒーカップを置き、モニターを確認した。
差出人は不明。
本文には、短いURLと、一行のメッセージだけが記されていた。
『貴様らの"正義"ごっこは、ここで終わりだ。次は、我々が貴様を断罪する』
添付されていたURLを開くと、そこには動画が表示された。
黒い背景に、白い仮面を被った男が映っている。
『暴露系YouTuber ジャッジマン・タナカ』。
今、ネット上で急速に支持を集めている、過激な配信者だ。
「……ふむ」
佐藤は眉一つ動かさずに、その動画を見つめた。
「どうやら、祝宴の余韻に浸る時間はなさそうですね」
佐藤はモニターを見る。
八人の仲間と共に、次なる戦場へ向かう準備はできている。
MIIKAなど、序章に過ぎなかった。
本当の闇は、もっと深く、粘り気を持って、彼らを待ち受けていたのだ。
佐藤の瞳に、再び冷徹な処刑人の光が灯る。
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