フォロワー100万人の裏側、全部晒します。~炎上コンサルタント・佐藤任三郎の処刑ログ~

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第3章:虚構の王国と洗脳された信者たち

第37話 嵐の前の静けさ

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 東京ドームでの狂騒から三日。
 佐藤任三郎のオフィス兼自宅には、奇跡のような平穏が訪れていた。

 午前9時00分。
 初夏の柔らかい日差しが、ブラインドの隙間から差し込んでいる。

「……おはようございます」

 佐藤はキッチンで、湯気の立つ寸胴鍋と向き合っていた。
 漂ってくるのは、鶏ガラと貝柱の優しい香り。
 今日の手料理は、連日の激務と暴飲暴食で疲弊したメンバーの胃腸を労るための『特製・中華粥』だ。

 米はジャスミンライスと日本米を1対1でブレンドし、米粒が花開くまで弱火でじっくりと煮込んである。
 具材はピータンと、ホロホロになるまで煮込んだ手羽元。そして、彩りの刻みネギと揚げパン。

「おっはよー、社長。……いい匂い」

 寝癖のついた髪をかきながら、田中襟華がリビングに入ってきた。
 彼女はあくびを噛み殺し、そのままソファへダイブする。

「おや、今日は学校では?」
「創立記念日で休み。……それに、まだ体がだるいし」

 襟華はクッションに顔を埋めた。

「まだあの変な薬が抜けてない気がする」

「だからこその中華粥です。……デトックス効果がありますよ」

 佐藤がお玉で粥を掬っていると、足元で「ニャア!」と元気な声がした。
 黒猫のダシだ。
 彼は佐藤の足首にスリスリと体を擦り付け、見上げている。

「はいはい、あなたにはササミですよ」

 佐藤は茹でたササミを細かく裂き、ダシの皿に置いた。
 ダシは嬉しそうに尻尾を立て、ガツガツと食べ始める。

「……平和ねえ」

 窓際でコーヒーを飲んでいた渡辺千尋が、微笑ましそうに呟いた。
 彼女の手には英字新聞。

「あの詐欺師が逮捕されてから、株価も為替も落ち着いたわ。……西園寺の影響力なんて、所詮はその程度だったってことね」

 キッチンから、佐々木紘子が顔を出した。
 彼女は朝からリンゴを丸かじりしている。

「でも、油断は禁物よ。西園寺の隠し資産、まだ半分も見つかってない。どこかのタックスヘイブンに逃がしてるはずだわ」

「それは彩さんがマルサと協力して追っています。……じきに全容が解明されるでしょう」

 佐藤は中華粥をそれぞれの器に盛り付け、ワゴンに乗せて運んだ。
 現在、オフィスにいるのは佐藤、襟華、千尋、紘子、そして――

「……グレタは?」
「ガレージでGクラスの整備中よ。あとで呼んでくる」

 紘子が答える。
 不在のメンバーは二人。
 小林弥生は、久々に新宿の自身のクリニックへ戻り、溜まっていた一般患者の診察とカルテ整理に追われている。
 松本愛永は、平日のこの時間はテレビ局で生放送の真っ最中だ。

「いただきます!」

 襟華がレンゲで一口啜る。

「ん……っ! 染みるぅ……」

 熱々の粥が、疲れた体にじんわりと広がっていく。

「美味しい。……貝柱の出汁が効いてるわね」千尋も目を細める。
「点心も用意しました。海老蒸し餃子と、小籠包です」

 佐藤がせいろの蓋を開けると、白い湯気が立ち上った。

 平和な朝食。
 それは、彼らが命がけで勝ち取った、束の間の休息だった。

 その時。
 リビングの壁面に設置された大型モニターから、ニュース速報のアラート音が鳴り響いた。

『緊急速報です』

 アナウンサーの緊張した声。
 全員の手が止まる。

『先ほど、東京拘置所に収容されていた西園寺レオ容疑者が、独房内で死亡しているのが発見されました』

「……は?」

 襟華がレンゲを落とした。

『発見時、西園寺容疑者はシーツを使って首を吊っていたとのことです。警察は自殺と見て調べていますが、遺書などは見つかっておらず……』

「自殺……?」

 千尋が眉をひそめる。

「あの自己愛の塊のような男が? あり得ないわ」
「ええ。彼は『次は見てろ』と言っていました。……復讐心に燃えている人間は、自殺などしません」

 佐藤は立ち上がり、モニターに近づいた。

「口封じね」

 紘子がリンゴを置いた。

「西園寺は喋りすぎた。……あるいは、これから喋る可能性があった」

 その直後だった。

 プツン。

 ニュース映像が途切れた。
 モニターがブラックアウトする。
 それだけではない。オフィスの照明、空調、さらにはメンバーのスマホまで、一斉に電源が落ちたのだ。

「停電?」
「いや、違う!」

 佐藤が叫ぶ。

「ダシ、ケージへ!」

 一瞬の静寂の後。
 ブラックアウトしていたモニターに、ノイズが走った。

 ザザッ……ザザザッ……。

 白いノイズの中から、一人の男の顔が浮かび上がった。
 年齢は30代半ば。色素の薄い髪に、病的なまでに白い肌。そして、爬虫類を思わせる無機質な瞳。
 高級そうな白いタートルネックを着ている。

『……初めまして、佐藤任三郎さん。そして、優秀なバグの皆さん』

 スピーカーから流れる声は、合成音声のように抑揚がなかった。
 しかし、その声を聞いた瞬間、室内の空気が氷点下まで凍りついた。

「誰だ、お前」

 襟華が震える声で問う。

 男は薄く笑った。

『私の名前は氷室レイ。……君たちが潰した西園寺レオの、元・飼い主だよ』

 氷室レイ。
 巨大トレンド操作会社「バズ・インキュベーション」のCEO。
 西園寺が最期に口にした、真の黒幕。

「……何の用ですか」

 佐藤は冷静を装い、背後の手探りで予備のタブレットを探った。

「西園寺は死にました。あなたの尻尾切りは成功したはずですが」

『用? ……ああ、違うよ』

 氷室は首を傾げた。まるで、理解の遅い子供を見るような目だ。

『これは警告でも交渉でもない。……ただの「削除通知」だ』

 カチャリ、と氷室がキーボードを叩く音がした。

 その瞬間。
 オフィスのメインサーバーから、けたたましいアラート音が鳴り響いた。

「社長! データが!」

 襟華が自分のノートPCを開く。

「ファイルが勝手に消えてく! 顧客リスト、調査データ、過去のログ……全部!」

「ファイアウォールはどうなっています!」
「ダメ! 突破された! ……嘘でしょ、これ何重にロックかけてると思ってるの!? 瞬殺されたんだけど!」

 佐藤は予備のタブレットでサーバーへのアクセスを試みた。
 しかし、画面には『Access Denied(アクセス拒否)』の文字が並ぶだけだ。

『無駄だよ』

 画面の中の氷室が告げる。

『君たちのセキュリティは、民生用としては優秀だった。……でも、我々の「パノプティコン」の前では、紙切れ同然だ』

「パノプティコン……?」

『私の演算能力は、君たちの想像を超えている。……量子暗号すら解読できるレベルだ』

 氷室は退屈そうに欠伸をした。

『君たちは少し、目立ちすぎた。……社会というシステムに生じたバグは、修正しなければならない』

 モニター上のプログレスバーが進んでいく。

『データ消去率:80%』

「やめろ……!」

 佐藤が叫ぶ。

「私のデータだけならいい! だが、被害者たちのデータまで消す気か!」

 MIIKAやタナカの事件で集めた証拠、被害者の証言データ。それらが消えれば、彼らを法的に守る術が失われる。

『被害者? ……ああ、あのノイズたちのことか』

 氷室は冷笑した。

『彼らのデータなど、最初から価値はない。……私が消したいのは、君たちという「特異点」だ』

『データ消去率:99%』

『さようなら、佐藤任三郎。……次は、物理的に消しに行くよ』

 プツン。

 画面が消えた。
 同時に、サーバーのファンが停止し、オフィスは完全な静寂に包まれた。

「……」

 全員が言葉を失っていた。
 あれほど鉄壁を誇った佐藤のサイバー要塞が、わずか数分で更地にされたのだ。
 圧倒的な技術力の差。
 次元が違う。

「……クソッ!」

 佐藤はタブレットを床に叩きつけた。
 液晶が割れ、破片が飛び散る。
 冷静沈着な彼が、これほど感情を露わにするのは初めてだった。

 その時、オフィスのドアが開き、作業着姿のグレタ・ヴァイスが飛び込んできた。

「サトウ! セキュリティシステムがダウンした。ガレージのカメラも死んだぞ!」

「……ええ。やられました」

 佐藤は荒い息を吐き、デスクに手をついた。
 悔しさで指が震えている。だが、止まっている時間はない。

「すぐに出るぞ。……奴は『物理的に消す』と言った。ここが襲撃されるのも時間の問題だ」

「どこへ?」

 千尋が不安げに問う。

「グレタの隠れ家へ。……それと、弥生さんと愛永さんにも警告を」

 佐藤はバックアップ用の衛星携帯電話を取り出した。通常の回線は既に監視されている可能性がある。

「弥生さん、聞こえますか。……今すぐクリニックを閉めて逃げてください。自宅にも戻らないように」
『え? な、なに?』
「説明は後です。指定のポイントへ!」

 続けて愛永の裏回線へ。

「愛永さん、放送が終わったら局から出ないでください。人目のある場所が一番安全です。……絶対に一人にならないで」

 指示を出し終え、佐藤は足元のダシを抱き上げた。
 ダシは不安そうに「ミャウ」と鳴いた。

「行きましょう。……本当の戦争は、これからです」

 メンバーたちは頷き、最小限の荷物をまとめて部屋を飛び出した。
 中華粥の入った鍋からは、まだ湯気が立ち上っていたが、それを味わう時間はもう残されていなかった。

 午後8時。
 佐藤たちは、都内のホテルを転々とした後、グレタの隠れ家である湾岸地区のガレージに身を寄せていた。
 ネットには接続できない。スマホも電源を切っている。
 完全なアナログ環境だ。

 コンクリート打ちっぱなしの寒々しい空間。
 ドラム缶の上で、コンビニの弁当を広げるメンバーたち。
 朝の優雅な中華粥とは天と地の差だ。

 ここにいるのは、佐藤、襟華、千尋、紘子、グレタの5名。
 弥生とは合流ポイントで落ち合う手はずになっており、愛永はテレビ局の仮眠室に籠城するよう指示してある。とりあえず全員無事だ。

「……美味しくない」

 襟華が冷えた唐揚げを齧り、呟いた。

「我慢しろ。……今はカロリー摂取が最優先だ」

 グレタがミネラルウォーターを配る。

 佐藤は車のボンネットに座り、ぼんやりと天井を見上げていた。
 全てを失った。
 オフィスも、データも、武器も。
 残ったのは、この身一つと、仲間たちだけ。

「……サトウ」

 グレタが近づいてきた。
 彼女は自分の着ていた革のジャケットを脱ぎ、佐藤の肩にかけた。

「風邪を引くぞ。……お前が倒れたら、誰が指揮を執る」

「……すみません」

 佐藤はジャケットの前を合わせた。グレタの体温と、オイルの匂いがする。

「……怖くないのですか、グレタ」

 佐藤は聞いた。

「相手は、国家レベルの力を持つ怪物ですよ」

「怪物? ……フン」

 グレタは鼻で笑い、隣に腰掛けた。

「私はGSG-9で、もっと醜悪な怪物たちを見てきた。……テロリスト、独裁者、狂信者。奴らに共通しているのは、自分が『神』だと勘違いしていることだ」

 グレタは佐藤の方を向き、そのアイスブルーの瞳で見つめた。

「だが、神は血を流さない。……奴らは血を流す。なら、殺せる」

 シンプルで、力強い論理。
 佐藤はふっと笑みをこぼした。

「……頼もしいですね」

「それに」

 グレタは少し視線を逸らし、ボソリと言った。

「……お前の作る飯が食えなくなるのは、困る」

「……え?」

「朝の粥。……半分しか食ってない。まだ腹が減ってるんだ」

 それは、彼女なりの不器用な励ましだった。
 佐藤は胸の奥が温かくなるのを感じた。

「……わかりました」

 佐藤はボンネットから降りた。

「ここを切り抜けたら、最高の中華粥を作り直しましょう。……今度は、揚げパンを倍にして」

「……悪くない」

 グレタが微かに口角を上げた。

 佐藤は拳を握りしめた。
 失ったものは大きい。だが、まだ終わっていない。
 氷室レイ。
 感情を持たない怪物を倒すには、感情を力に変える人間の力が必要だ。

「反撃の準備をしますよ。……まずは、アナログな方法で」

 ガレージのシャッターの隙間から、東京の夜景が見える。
 その光の一つ一つが、今は敵の目のように見えた。
 だが、佐藤任三郎はもう震えてはいなかった。
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