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第49話 青きサバの味噌煮とホテルラウンジの決別
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中間試験の結果発表も終わり、週末の開放感に包まれた金曜日の放課後。
俺は、渋谷のゲームセンターで、激しいビートの中に身を置いていた。
ドッドッドッドッ……!
重低音が響き渡る筐体の上で、城戸隼人が華麗なステップを刻んでいる。
『ダンスダンスレボリューション』。
1998年の稼働以来、日本中を席巻しているリズムゲームだ。
元陸上部のエースである隼人にとって、このゲームは単なる遊びではなく、身体能力を見せつけるステージのようなものだ。
矢印に合わせて正確に、かつリズミカルにパネルを踏む彼の動きに、周囲のギャラリーから歓声が上がる。
「っしゃオラァ! フルコンボだぜ!」
曲が終わり、汗だくの隼人がガッツポーズを決める。
金髪にピアス、着崩した制服。いかにもな不良スタイルだが、その笑顔はスポーツ後のように爽やかだ。
「やるな、城戸。リズム感もさることながら、体幹がブレていない」
「へへっ、だろ? ……次、西園寺の番な! 逃げんなよ!」
「……仕方ない」
俺はジャケットを脱ぎ、隼人に預けた。
41歳の精神を持つ俺にとって、人前で踊るのはいささか抵抗があるが、15歳の肉体は音楽に反応してうずいている。
選曲は『PARANOiA』。難易度は高めだ。
スタート。
流れてくる矢印を、最小限の動きで処理していく。
派手なパフォーマンスはしない。重心を一定に保ち、無駄なエネルギー消費を抑える「省エネ打法」ならぬ「省エネステップ」。
結果、スコアは隼人を僅かに上回った。
「はぁ!? お前、なんでそんな涼しい顔してんだよ! ロボットか!」
「効率化だよ。……さて、ジュースをご馳走になろうか」
「くっそー! 覚えてろよ!」
隼人は悔しがりながらも、自販機へ走っていった。
炭酸の刺激を喉に流し込みながら、俺たちは他愛のない話で笑い合った。
彼との時間は、ビジネスの重圧を忘れさせてくれる貴重なリセットタイムだ。
だが、今日はこの後、重要な「仕事」が控えている。
「悪いな城戸。俺はこれから用事がある」
「おう、デートか? 隅に置けねーな」
「仕事だよ。……ある意味、デート以上に気を使う相手だ」
俺は隼人と別れ、駅前へと向かった。
そこには、少し緊張した面持ちで待っている少女の姿があった。
「お待たせしました、桜木さん」
「あ、西園寺くん! ……こ、こんにちは」
桜木マナだ。
ショートボブの黒髪と、意思の強さを感じさせる眉。
今日は制服姿だが、スカートの丈やリボンの位置を何度も気にしている。
これから向かう場所を聞かされ、緊張しているのだろう。
「行きましょう。車が待っています」
「う、うん……。本当に私でいいの?」
「君でなくては意味がありません。今日は『キッチン・チェリー』のコンサルティングの一環、競合他社の視察ですから」
俺たちはハイヤーに乗り込み、渋谷から恵比寿へと移動した。
向かった先は、『ウェスティンホテル東京』。
ヨーロピアンクラシックの重厚な内装と、最高級のホスピタリティを誇るラグジュアリーホテルだ。
その1階にある『ザ・ラウンジ』。
高い天井、豪華なシャンデリア、そして窓の外に広がる緑豊かな庭園。
制服姿の高校生が足を踏み入れるには、あまりに敷居が高い空間だ。
「す、すごい……。ここ、本当に入っていいの?」
マナが俺の袖を掴み、小声で囁く。
その瞳は不安で揺れている。
周囲の客層は、優雅にアフタヌーンティーを楽しむマダムや、商談中のビジネスマンばかりだ。
「堂々としていればいいんです。僕たちは客として、対価を払ってここにいるのですから」
俺はボーイに目配せをし、予約していた窓際の席へと案内させた。
椅子を引いて彼女を座らせる。
「……ありがとう」
マナは恐縮しながら座った。
俺はメニューを開き、オーダーを済ませた。
季節のケーキセットと、最高級のアールグレイ。
「さて、桜木さん。ただ楽しむだけではありませんよ。……この空間、サービス、そして味。これらがなぜ高い金額で提供されているのか、肌で感じてください」
「う、うん……。でも、うちのお店とは全然違うよ? 参考になるかな……」
「違っていいんです。重要なのは『体験』という付加価値です。お客様は、単にカロリーを摂取しに来ているわけではない。……この優雅な時間に対価を払っている」
運ばれてきたケーキは、皿の余白さえも計算された芸術品のような盛り付けだった。
マナは目を輝かせ、一口食べた瞬間、頬を緩ませた。
「……おいしい! クリームが全然重くない!」
「でしょう。……君の店の『限定ハンバーグ』にも、この特別感が必要です。味だけでなく、盛り付けや提供時の演出で、お客様の満足度は劇的に変わる」
俺は具体例を挙げながら、飲食店のブランディングについて講義をした。
マナは真剣な表情でメモを取っている。
その横顔には、もう「場違いな場所に連れてこられた子供」の怯えはない。
自分の店を良くしたいと願う、一人のプロフェッショナルの顔だ。
その時だった。
静かなラウンジの空気を切り裂くような、場違いな大声が響いた。
「おいマナ! 何してんだよ!」
入り口の方から、ドカドカと足音を立てて近づいてくる影。
日向翔太だ。
ジャージ姿にスポーツバッグ。部活帰りだろうか。
彼は俺たちのテーブルまで来ると、マナの腕を乱暴に掴もうとした。
「こんな高い店で何してんだよ! お前、騙されてんぞ!」
「……っ! 痛いよ翔太、離して!」
「うるせー! 目を覚ませよ! 西園寺みたいな金持ちが、お前みたいな庶民を相手にするわけねーだろ! 金で遊ばれてるだけだって分かんねーのかよ!」
翔太は顔を真っ赤にして喚き散らした。
周囲の客が眉をひそめ、ボーイが慌てて駆け寄ってくる。
最悪のタイミングだ。
彼は、マナが「自分以外の男」と高級な場所にいることが許せないのだ。
それを「マナのため」という正義感にすり替えて、自分の嫉妬心を満たそうとしている。
「……日向くん。場所を弁えなさい」
俺はカップをソーサーに置き、冷徹な声で言った。
立ち上がる必要すらない。
ただ、絶対零度の視線で彼を射抜く。
「これはビジネスです。僕は彼女を『キッチン・チェリー』の実質的な経営パートナーとして、ここに招いています。……遊びで連れ回しているのは、君の方ではありませんか?」
「はぁ!? ビジネスだぁ? 高校生が何言ってんだよ! マナは俺の……」
「幼馴染、ですか? それがどうしました?」
俺は彼の言葉を遮った。
「幼馴染という過去が、彼女の未来を縛る理由にはなりません。……彼女は今、自分の意志で、自分の店を守るために学んでいる。それを邪魔する権利は、誰にもない」
「……ッ!」
翔太は言葉に詰まった。
俺の言葉の正しさを理解したからではない。俺の纏う「大人の圧」に気圧されたのだ。
「帰りたまえ。……これ以上騒ぐなら、威力業務妨害で警備員を呼びますよ」
ボーイたちが翔太を取り囲む。
翔太は悔しそうに俺とマナを睨みつけたが、多勢に無勢を悟り、「……覚えてろよ!」と捨て台詞を吐いて逃げ去っていった。
嵐が去った後のような静寂。
マナは小さく震えていた。
「……ごめんなさい、西園寺くん。私のせいで……」
「謝る必要はありません。……むしろ、不快な思いをさせて申し訳ない」
俺は新しいナプキンを彼女に渡した。
「……でも、はっきりしましたね。彼は君を子供扱いし、下に見ている。……だが僕は違う」
俺は彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「僕は君を、対等なビジネスパートナーとして尊敬しています。君の舌、君の感性、そして店を守ろうとする君の強さを信じている。……だから、自信を持ってください」
マナは涙を拭い、顔を上げた。
その瞳には、今まで見たことのない強い光が宿っていた。
「……うん。私、負けない。翔太にも、お店の危機にも」
彼女は力強く頷いた。
その瞬間、彼女は「守られる幼馴染」から「共に戦うパートナー」へと進化した。
ホテルを出た後、俺たちは気分転換に『恵比寿ガーデンプレイス』を散策することにした。
レンガ造りの建物と、美しく整備された広場。
夕暮れ時のガーデンプレイスは、ロマンチックな雰囲気に包まれている。
「わぁ……綺麗。ここ、ドラマで見たことある!」
マナがはしゃいだ声を上げる。
先ほどの緊張が嘘のように、等身大の15歳の笑顔だ。
俺たちは雑貨店やショールームを冷やかしながら、ウィンドウショッピングを楽しんだ。
あくまで「視察」の延長だが、彼女がリラックスしてくれるならそれでいい。
「あ、このお皿可愛い! お店で使ったら映えるかな?」
「いいですね。白い陶器は料理の色を引き立てます」
ビジネスの話と、他愛のない会話が混ざり合う。
心地よい時間。
だが、日は落ち、そろそろ解散の時間だ。
「……今日はありがとう、西園寺くん。すごく勉強になったし……楽しかった」
「こちらこそ。有意義な時間でした」
駅の改札で別れ際、マナは少し名残惜しそうに俺を見た。
「……今度、試作のハンバーグができたら、一番に食べてくれる?」
「ええ。楽しみに待っています」
彼女は小さく手を振り、改札を抜けていった。
その背中を見送り、俺は本来の目的に戻った。
夕食の買い出しだ。
恵比寿からタクシーで渋谷へ戻り、東急百貨店本店のデパ地下へ。
今日の夕食のテーマは「和の真髄」。
鮮魚コーナーで、最高級の『マサバ』を見つけた。
この時期のサバは脂が乗っていないと思われがちだが、九州で水揚げされたブランド鯖は別格だ。
丸々と太り、背中の模様が鮮やかに輝いている。
これを味噌煮にする。
「……サバの味噌煮。シンプルだが、奥が深い」
さらに、青果コーナーで『江戸崎かぼちゃ』を購入。
完熟してから収穫されるこのカボチャは、栗のようにホクホクとして甘みが強い。
これを煮物にする。
そして、忘れてはならないのが「お茶」だ。
日本茶専門店『ルピシア』へ向かう。
選んだのは、福岡県八女産の最高級玉露『極』。
低温でじっくり抽出することで、出汁のような濃厚な旨味と甘みを楽しめる、お茶の芸術品だ。
脂の乗ったサバの味噌煮には、この力強い旨味が合う。
帰宅後、俺はエプロンを締め、キッチンに立った。
まずはサバの下処理からだ。
二枚におろし、切り身にする。
皮目に飾り包丁を入れ、熱湯を回しかけて霜降りにする。
表面が白くなったら冷水に取り、血合いや汚れを丁寧に掃除する。
このひと手間が、生臭さを消し、仕上がりを美しくする。
フライパンに水、酒、砂糖、スライスした生姜を入れて火にかける。
煮立ったらサバを、皮を上にして並べ入れる。
落とし蓋をして、強火で煮る。
煮汁が白濁してくる。これが乳化だ。
魚のゼラチン質と煮汁が混ざり合い、とろみがつく。
ここで味噌を溶き入れる。
今日は、信州の白味噌と、八丁味噌をブレンドする。
白味噌の甘みと、八丁味噌のコク。
煮汁を回しかけながら、煮詰めていく。
最後にみりんを加え、照りを出す。
煮汁がとろりと飴色になり、サバに絡みつく。
完璧だ。
並行して、かぼちゃの煮物を作る。
種とワタを取り、一口大に切る。
皮を所々削ぎ落とし、面取りをする。煮崩れを防ぐための重要な工程だ。
鍋にかぼちゃを皮を下にして並べ、出汁、砂糖、酒、醤油を加える。
落とし蓋をして、弱火でじっくりと煮含める。
煮汁がなくなる直前で火を止め、一度冷ます。
冷める過程で、味が中まで染み込むのだ。
「鍋止め」という技術だ。
ご飯は、土鍋で炊いた魚沼産コシヒカリ。
蓋を開けると、カニ穴の空いた美しい銀シャリが湯気を立てている。
そして、玉露。
湯冷ましで50度まで冷ましたお湯を、茶葉に注ぐ。
じっくりと2分待つ。
急須を最後の一滴まで絞り切る。
湯呑みに注がれた液体は、黄金色に輝き、濃厚な香りを放っている。
ダイニングテーブルに料理を並べる。
飴色のタレを纏ったサバの味噌煮。
ホクホクとした黄色が鮮やかなカボチャの煮物。
艶やかな白米。
そして、至高の玉露。
一汁三菜の、究極形。
「いただきます」
まずはサバから。
箸を入れると、身がホロリと崩れる。
口に運ぶ。
……美味い。
濃厚な味噌のコクと、サバの脂の甘みが口いっぱいに広がる。
生姜の香りがアクセントになり、後味はしつこくない。
ご飯が進む。
タレが染み込んだご飯は、それだけでご馳走だ。
次にカボチャ。
箸でスッと切れる柔らかさ。
口に入れると、栗のような甘みと出汁の風味が広がる。
煮崩れせず、形を保ったまま中まで火が通っている。完璧な火入れだ。
そして、玉露を啜る。
……衝撃だ。
お茶とは思えない、濃厚な旨味。
まるで極上の出汁を飲んでいるようだ。
口の中に残った味噌の脂を、玉露の旨味が洗い流し、さらに高みへと引き上げる。
最高のマリアージュ。
一人静かな食卓だが、心は満たされている。
今日のマナの成長、翔太との決別、そしてビジネスの進展。
全てが順調に進んでいる。
41歳の経験と、15歳の肉体。そして310億円の資産。
これらを駆使して、俺は俺の理想とする世界を構築していく。
俺は、渋谷のゲームセンターで、激しいビートの中に身を置いていた。
ドッドッドッドッ……!
重低音が響き渡る筐体の上で、城戸隼人が華麗なステップを刻んでいる。
『ダンスダンスレボリューション』。
1998年の稼働以来、日本中を席巻しているリズムゲームだ。
元陸上部のエースである隼人にとって、このゲームは単なる遊びではなく、身体能力を見せつけるステージのようなものだ。
矢印に合わせて正確に、かつリズミカルにパネルを踏む彼の動きに、周囲のギャラリーから歓声が上がる。
「っしゃオラァ! フルコンボだぜ!」
曲が終わり、汗だくの隼人がガッツポーズを決める。
金髪にピアス、着崩した制服。いかにもな不良スタイルだが、その笑顔はスポーツ後のように爽やかだ。
「やるな、城戸。リズム感もさることながら、体幹がブレていない」
「へへっ、だろ? ……次、西園寺の番な! 逃げんなよ!」
「……仕方ない」
俺はジャケットを脱ぎ、隼人に預けた。
41歳の精神を持つ俺にとって、人前で踊るのはいささか抵抗があるが、15歳の肉体は音楽に反応してうずいている。
選曲は『PARANOiA』。難易度は高めだ。
スタート。
流れてくる矢印を、最小限の動きで処理していく。
派手なパフォーマンスはしない。重心を一定に保ち、無駄なエネルギー消費を抑える「省エネ打法」ならぬ「省エネステップ」。
結果、スコアは隼人を僅かに上回った。
「はぁ!? お前、なんでそんな涼しい顔してんだよ! ロボットか!」
「効率化だよ。……さて、ジュースをご馳走になろうか」
「くっそー! 覚えてろよ!」
隼人は悔しがりながらも、自販機へ走っていった。
炭酸の刺激を喉に流し込みながら、俺たちは他愛のない話で笑い合った。
彼との時間は、ビジネスの重圧を忘れさせてくれる貴重なリセットタイムだ。
だが、今日はこの後、重要な「仕事」が控えている。
「悪いな城戸。俺はこれから用事がある」
「おう、デートか? 隅に置けねーな」
「仕事だよ。……ある意味、デート以上に気を使う相手だ」
俺は隼人と別れ、駅前へと向かった。
そこには、少し緊張した面持ちで待っている少女の姿があった。
「お待たせしました、桜木さん」
「あ、西園寺くん! ……こ、こんにちは」
桜木マナだ。
ショートボブの黒髪と、意思の強さを感じさせる眉。
今日は制服姿だが、スカートの丈やリボンの位置を何度も気にしている。
これから向かう場所を聞かされ、緊張しているのだろう。
「行きましょう。車が待っています」
「う、うん……。本当に私でいいの?」
「君でなくては意味がありません。今日は『キッチン・チェリー』のコンサルティングの一環、競合他社の視察ですから」
俺たちはハイヤーに乗り込み、渋谷から恵比寿へと移動した。
向かった先は、『ウェスティンホテル東京』。
ヨーロピアンクラシックの重厚な内装と、最高級のホスピタリティを誇るラグジュアリーホテルだ。
その1階にある『ザ・ラウンジ』。
高い天井、豪華なシャンデリア、そして窓の外に広がる緑豊かな庭園。
制服姿の高校生が足を踏み入れるには、あまりに敷居が高い空間だ。
「す、すごい……。ここ、本当に入っていいの?」
マナが俺の袖を掴み、小声で囁く。
その瞳は不安で揺れている。
周囲の客層は、優雅にアフタヌーンティーを楽しむマダムや、商談中のビジネスマンばかりだ。
「堂々としていればいいんです。僕たちは客として、対価を払ってここにいるのですから」
俺はボーイに目配せをし、予約していた窓際の席へと案内させた。
椅子を引いて彼女を座らせる。
「……ありがとう」
マナは恐縮しながら座った。
俺はメニューを開き、オーダーを済ませた。
季節のケーキセットと、最高級のアールグレイ。
「さて、桜木さん。ただ楽しむだけではありませんよ。……この空間、サービス、そして味。これらがなぜ高い金額で提供されているのか、肌で感じてください」
「う、うん……。でも、うちのお店とは全然違うよ? 参考になるかな……」
「違っていいんです。重要なのは『体験』という付加価値です。お客様は、単にカロリーを摂取しに来ているわけではない。……この優雅な時間に対価を払っている」
運ばれてきたケーキは、皿の余白さえも計算された芸術品のような盛り付けだった。
マナは目を輝かせ、一口食べた瞬間、頬を緩ませた。
「……おいしい! クリームが全然重くない!」
「でしょう。……君の店の『限定ハンバーグ』にも、この特別感が必要です。味だけでなく、盛り付けや提供時の演出で、お客様の満足度は劇的に変わる」
俺は具体例を挙げながら、飲食店のブランディングについて講義をした。
マナは真剣な表情でメモを取っている。
その横顔には、もう「場違いな場所に連れてこられた子供」の怯えはない。
自分の店を良くしたいと願う、一人のプロフェッショナルの顔だ。
その時だった。
静かなラウンジの空気を切り裂くような、場違いな大声が響いた。
「おいマナ! 何してんだよ!」
入り口の方から、ドカドカと足音を立てて近づいてくる影。
日向翔太だ。
ジャージ姿にスポーツバッグ。部活帰りだろうか。
彼は俺たちのテーブルまで来ると、マナの腕を乱暴に掴もうとした。
「こんな高い店で何してんだよ! お前、騙されてんぞ!」
「……っ! 痛いよ翔太、離して!」
「うるせー! 目を覚ませよ! 西園寺みたいな金持ちが、お前みたいな庶民を相手にするわけねーだろ! 金で遊ばれてるだけだって分かんねーのかよ!」
翔太は顔を真っ赤にして喚き散らした。
周囲の客が眉をひそめ、ボーイが慌てて駆け寄ってくる。
最悪のタイミングだ。
彼は、マナが「自分以外の男」と高級な場所にいることが許せないのだ。
それを「マナのため」という正義感にすり替えて、自分の嫉妬心を満たそうとしている。
「……日向くん。場所を弁えなさい」
俺はカップをソーサーに置き、冷徹な声で言った。
立ち上がる必要すらない。
ただ、絶対零度の視線で彼を射抜く。
「これはビジネスです。僕は彼女を『キッチン・チェリー』の実質的な経営パートナーとして、ここに招いています。……遊びで連れ回しているのは、君の方ではありませんか?」
「はぁ!? ビジネスだぁ? 高校生が何言ってんだよ! マナは俺の……」
「幼馴染、ですか? それがどうしました?」
俺は彼の言葉を遮った。
「幼馴染という過去が、彼女の未来を縛る理由にはなりません。……彼女は今、自分の意志で、自分の店を守るために学んでいる。それを邪魔する権利は、誰にもない」
「……ッ!」
翔太は言葉に詰まった。
俺の言葉の正しさを理解したからではない。俺の纏う「大人の圧」に気圧されたのだ。
「帰りたまえ。……これ以上騒ぐなら、威力業務妨害で警備員を呼びますよ」
ボーイたちが翔太を取り囲む。
翔太は悔しそうに俺とマナを睨みつけたが、多勢に無勢を悟り、「……覚えてろよ!」と捨て台詞を吐いて逃げ去っていった。
嵐が去った後のような静寂。
マナは小さく震えていた。
「……ごめんなさい、西園寺くん。私のせいで……」
「謝る必要はありません。……むしろ、不快な思いをさせて申し訳ない」
俺は新しいナプキンを彼女に渡した。
「……でも、はっきりしましたね。彼は君を子供扱いし、下に見ている。……だが僕は違う」
俺は彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「僕は君を、対等なビジネスパートナーとして尊敬しています。君の舌、君の感性、そして店を守ろうとする君の強さを信じている。……だから、自信を持ってください」
マナは涙を拭い、顔を上げた。
その瞳には、今まで見たことのない強い光が宿っていた。
「……うん。私、負けない。翔太にも、お店の危機にも」
彼女は力強く頷いた。
その瞬間、彼女は「守られる幼馴染」から「共に戦うパートナー」へと進化した。
ホテルを出た後、俺たちは気分転換に『恵比寿ガーデンプレイス』を散策することにした。
レンガ造りの建物と、美しく整備された広場。
夕暮れ時のガーデンプレイスは、ロマンチックな雰囲気に包まれている。
「わぁ……綺麗。ここ、ドラマで見たことある!」
マナがはしゃいだ声を上げる。
先ほどの緊張が嘘のように、等身大の15歳の笑顔だ。
俺たちは雑貨店やショールームを冷やかしながら、ウィンドウショッピングを楽しんだ。
あくまで「視察」の延長だが、彼女がリラックスしてくれるならそれでいい。
「あ、このお皿可愛い! お店で使ったら映えるかな?」
「いいですね。白い陶器は料理の色を引き立てます」
ビジネスの話と、他愛のない会話が混ざり合う。
心地よい時間。
だが、日は落ち、そろそろ解散の時間だ。
「……今日はありがとう、西園寺くん。すごく勉強になったし……楽しかった」
「こちらこそ。有意義な時間でした」
駅の改札で別れ際、マナは少し名残惜しそうに俺を見た。
「……今度、試作のハンバーグができたら、一番に食べてくれる?」
「ええ。楽しみに待っています」
彼女は小さく手を振り、改札を抜けていった。
その背中を見送り、俺は本来の目的に戻った。
夕食の買い出しだ。
恵比寿からタクシーで渋谷へ戻り、東急百貨店本店のデパ地下へ。
今日の夕食のテーマは「和の真髄」。
鮮魚コーナーで、最高級の『マサバ』を見つけた。
この時期のサバは脂が乗っていないと思われがちだが、九州で水揚げされたブランド鯖は別格だ。
丸々と太り、背中の模様が鮮やかに輝いている。
これを味噌煮にする。
「……サバの味噌煮。シンプルだが、奥が深い」
さらに、青果コーナーで『江戸崎かぼちゃ』を購入。
完熟してから収穫されるこのカボチャは、栗のようにホクホクとして甘みが強い。
これを煮物にする。
そして、忘れてはならないのが「お茶」だ。
日本茶専門店『ルピシア』へ向かう。
選んだのは、福岡県八女産の最高級玉露『極』。
低温でじっくり抽出することで、出汁のような濃厚な旨味と甘みを楽しめる、お茶の芸術品だ。
脂の乗ったサバの味噌煮には、この力強い旨味が合う。
帰宅後、俺はエプロンを締め、キッチンに立った。
まずはサバの下処理からだ。
二枚におろし、切り身にする。
皮目に飾り包丁を入れ、熱湯を回しかけて霜降りにする。
表面が白くなったら冷水に取り、血合いや汚れを丁寧に掃除する。
このひと手間が、生臭さを消し、仕上がりを美しくする。
フライパンに水、酒、砂糖、スライスした生姜を入れて火にかける。
煮立ったらサバを、皮を上にして並べ入れる。
落とし蓋をして、強火で煮る。
煮汁が白濁してくる。これが乳化だ。
魚のゼラチン質と煮汁が混ざり合い、とろみがつく。
ここで味噌を溶き入れる。
今日は、信州の白味噌と、八丁味噌をブレンドする。
白味噌の甘みと、八丁味噌のコク。
煮汁を回しかけながら、煮詰めていく。
最後にみりんを加え、照りを出す。
煮汁がとろりと飴色になり、サバに絡みつく。
完璧だ。
並行して、かぼちゃの煮物を作る。
種とワタを取り、一口大に切る。
皮を所々削ぎ落とし、面取りをする。煮崩れを防ぐための重要な工程だ。
鍋にかぼちゃを皮を下にして並べ、出汁、砂糖、酒、醤油を加える。
落とし蓋をして、弱火でじっくりと煮含める。
煮汁がなくなる直前で火を止め、一度冷ます。
冷める過程で、味が中まで染み込むのだ。
「鍋止め」という技術だ。
ご飯は、土鍋で炊いた魚沼産コシヒカリ。
蓋を開けると、カニ穴の空いた美しい銀シャリが湯気を立てている。
そして、玉露。
湯冷ましで50度まで冷ましたお湯を、茶葉に注ぐ。
じっくりと2分待つ。
急須を最後の一滴まで絞り切る。
湯呑みに注がれた液体は、黄金色に輝き、濃厚な香りを放っている。
ダイニングテーブルに料理を並べる。
飴色のタレを纏ったサバの味噌煮。
ホクホクとした黄色が鮮やかなカボチャの煮物。
艶やかな白米。
そして、至高の玉露。
一汁三菜の、究極形。
「いただきます」
まずはサバから。
箸を入れると、身がホロリと崩れる。
口に運ぶ。
……美味い。
濃厚な味噌のコクと、サバの脂の甘みが口いっぱいに広がる。
生姜の香りがアクセントになり、後味はしつこくない。
ご飯が進む。
タレが染み込んだご飯は、それだけでご馳走だ。
次にカボチャ。
箸でスッと切れる柔らかさ。
口に入れると、栗のような甘みと出汁の風味が広がる。
煮崩れせず、形を保ったまま中まで火が通っている。完璧な火入れだ。
そして、玉露を啜る。
……衝撃だ。
お茶とは思えない、濃厚な旨味。
まるで極上の出汁を飲んでいるようだ。
口の中に残った味噌の脂を、玉露の旨味が洗い流し、さらに高みへと引き上げる。
最高のマリアージュ。
一人静かな食卓だが、心は満たされている。
今日のマナの成長、翔太との決別、そしてビジネスの進展。
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これらを駆使して、俺は俺の理想とする世界を構築していく。
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それもヒロインの聖魔法によって倒され、彼の人生の幕は閉じる。
これが、悪役転生ってことか。
特に描写はなかったけど、こいつも怠惰で堕落した生活を送っていたに違いない。
あの肥満体だ、運動もろくにしていないだろう。
これは努力すれば眠れる才能が開花し、死亡フラグを回避できるのでは?
そう考えた俺は執事のカモールに頼み込み訓練を開始する。
偏った考えで領地を無駄に統治してる親を説得し、健全で善人な人生を歩もう。
一つ一つ努力していけば、きっと開かれる未来は輝いているに違いない。
そう思っていたんだけど、俺、弱くない?
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