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第55話 紙の宝石と冷たいスープの温度
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6月に入り、東京の空気は次第に湿度を帯び始めていた。
梅雨入り前の、気まぐれな晴れ間。
放課後、俺は、移動中のハイヤーの後部座席で、手帳に記された資産リストを見返していた。
『Pokémon Card Game Base Set Booster Box - 400 units』
先日、秋葉原の視察を経て購入を決定し、独自ルートで輸入・確保した米国版ポケモンカードの未開封ボックスだ。
取得単価は1箱あたり約100ドル。総額でおよそ500万円の投資。
現在の俺の総資産からすれば微々たる金額だが、このアイテムが持つポテンシャルは、他の金融商品を遥かに凌駕する。
2024年、2025年といった未来において、この「初期版・未開封」という条件を満たしたボックスは、もはやカードではなく「文化遺産」として扱われる。
状態が良いものであれば、1箱あたり3,000万円から5,000万円。2020年代のピーク時には、オークションで億単位の値がついたケースさえある。
仮に控えめに1箱5,000万円で計算したとしても、400箱で200億円。
500万円が200億円に化ける。倍率は4,000倍だ。
どんなベンチャー株も、仮想通貨も敵わない、異常なリターン率。
「……紙の宝石、か。言い得て妙だな」
俺は手帳を閉じた。
温度と湿度が完全に管理された倉庫で、それらは25年の眠りにつく。
俺が40歳になる頃、このタイムカプセルを開封するのが楽しみだ。
車は渋谷の雑踏へと滑り込んでいく。
未来の資産も大事だが、今は現在の肉体をメンテナンスする必要がある。
渋谷の会員制スポーツジム。
平日の夕方ということもあり、フロアは比較的空いていた。
俺はいつものようにトレーニングウェアに着替え、ストレッチエリアで入念に体をほぐした。
15歳の関節は柔らかく、可動域も広い。
だが、油断は怪我の元だ。41歳の慎重さで、筋肉のコンディションを確認していく。
今日は下半身を中心に追い込む日だ。
スクワット、レッグプレス、レッグカール。
大腿四頭筋とハムストリングスに、的確な負荷をかけていく。
限界まで追い込み、オールアウトさせる。
脳内麻薬が分泌され、思考がクリアになっていく感覚。
ビジネスの戦略も、人間関係の悩みも、バーベルの重さの前では単純な物理法則に還元される。
1時間のワークアウトを終え、シャワーで汗を流した俺は、ラウンジのカウンターに向かった。
「……『ミックスベリーのプロテインスムージー』を」
注文を受けてから、スタッフが冷凍のベリーとプロテインパウダー、そして低脂肪乳をミキサーにかける。
鮮やかな紫色の液体がグラスに注がれる。
受け取り、一口飲む。
ベリーの強烈な酸味と、ミルクのまろやかさ。プロテイン特有の粉っぽさは全くない。
冷たい液体が、火照った食道を滑り落ち、枯渇した筋肉にアミノ酸を届ける。
「……ふぅ」
息をつくと、全身の細胞が喜んでいるのが分かった。
自己管理。
それは、他者を管理する前に果たすべき、最低限の義務だ。
俺はグラスの結露を指で拭いながら、窓の外の渋谷の街を見下ろした。
人々が蟻のように行き交っている。
その一人一人に人生があり、物語がある。
俺はその物語の、ほんの一部に関与しているに過ぎない。
だが、その関与が彼らの運命を少しでも良い方向へ変えられるなら、それは意味のあることだ。
ジムを出て、火照った体を冷ましながら公園通りを歩いていた時のことだ。
オープンテラスのあるカフェの前で、見覚えのある女性の姿を見つけた。
柚木沙耶さんだ。
今日の彼女は、初夏らしい涼しげな装いだった。
透け感のあるネイビーのシフォンブラウスに、白いタイトスカート。
足元は華奢なストラップサンダル。
アンニュイな肢体が、午後の日差しの中で気怠げに、しかし圧倒的な美しさを放って存在している。
シャギーの入ったショートボブが風に揺れ、憂いを帯びた切れ長の瞳が、通りを行き交う人々を観察するように彷徨っている。
その口元にある小さなホクロが、彼女のミステリアスな魅力を一層引き立てていた。
「……柚木さん」
俺が声をかけると、彼女はゆっくりと顔を向け、俺を認めると、ふわりと花が綻ぶように微笑んだ。
「あら。……社長さんじゃない」
「奇遇ですね。大学の帰りですか?」
「ええ。ゼミで絞られて、ちょっと糖分補給してたところ」
彼女のテーブルには、食べかけのレアチーズケーキとアイスティーが置かれている。
「西園寺くんは? ……またジム?」
「はい。定期的なメンテナンスです」
「ふふ、相変わらずストイックね。……座れば? 奢ってあげるわよ」
彼女は向かいの席を顎で示した。
俺は失礼して腰を下ろした。
まだプロテインを飲んだばかりだが、アイスコーヒーくらいなら入るだろう。
「……お言葉に甘えて。アイスコーヒーをお願いします」
「オッケー」
沙耶さんは店員を呼び、手慣れた様子で注文した。
待っている間、彼女は頬杖をつき、上目遣いで俺を見てきた。
「……ねえ。最近、舞の様子はどう?」
「至って順調ですよ。仕事も完璧ですし、体調も崩していません」
「そっか。……あの子、君の話するときだけ、すごく楽しそうな顔するのよね」
「……そうですか」
俺は少し照れくささを感じて視線を逸らした。
沙耶さんはクスクスと笑う。
「嫉妬しちゃうわ。……私の親友を奪った罪な男の子」
「奪ったわけではありません。彼女は彼女の意志で、僕の隣にいるだけです」
「はいはい。……でも、感謝してるわ。あの子、昔よりずっと生き生きしてるもん」
彼女の声は優しかった。
舞への友情と、俺への信頼。
そして、その奥にある微かな恋心。
それらが複雑に混ざり合い、彼女独特のアンニュイな雰囲気を作り出している。
「柚木さんも、無理はしないでくださいね。……レポート、手伝いましょうか?」
「バカ言わないで。年下に頼るほど落ちぶれてないわよ」
彼女はツンと澄ました顔をしたが、その耳は赤くなっていた。
素直じゃないところが、彼女の魅力だ。
「……あ、そういえば。もうすぐ梅雨入りね」
「そうですね。アジサイが咲き始めています」
「私、雨って嫌いじゃないの。……世界が静かになる気がして」
彼女は遠くを見るような目をした。
雨の日のバス停で泣いていた彼女を思い出す。
あの時、俺が差し出した傘が、彼女の心を守る盾になれたのなら幸いだ。
「……雨の日も悪くありませんね。柚木さんとこうして話せるなら」
「……っ! さらっとそういうこと言う……」
沙耶さんは顔を真っ赤にして、ストローをかき回した。
勝利だ。
俺はアイスコーヒーを飲み干し、席を立った。
「では、俺はこれで。夕食の準備がありますので」
「うん。……またね、 坊や」
彼女は手を振った。
その表情には、以前のような迷いはなく、清々しい色が浮かんでいた。
沙耶さんと別れた後、俺はいつものように東急百貨店本店のデパ地下へと向かった。
今日の夕食は、初夏の湿気を吹き飛ばすような、爽やかで洗練されたメニューにしたい。
鮮魚コーナーで、長崎県産の『イサキ』を見つけた。
「梅雨イサキ」とも呼ばれるこの時期のイサキは、産卵前で脂が乗っている。
皮目の美しい縞模様。目が澄んでいて、身に張りがある。
これをポワレにする。皮をパリッと焼き上げ、身はふっくらと仕上げる。
次に青果コーナー。
新じゃがと長ネギ、そして玉ねぎ。
これらを使って、冷製スープ『ヴィシソワーズ』を作る。
滑らかな舌触りと、ジャガイモの優しい甘みが、疲れた体に染みるはずだ。
さらに、付け合わせとしてスナップエンドウとミニトマトも購入。
最後に、ワインセラーへ。
……いや、今日は休肝日にしよう。
代わりに、ジューススタンドのようなフレッシュな飲み物が欲しい。
果物コーナーで、完熟の『ブラッドオレンジ』を見つけた。
イタリア・シチリア産。
これを絞って、炭酸で割る。
『ブラッドオレンジソーダ』。
ルビー色の液体が、食卓を華やかに彩るだろう。
両手に食材を抱え、俺は帰宅した。
すぐに調理に取り掛かる。
まずはヴィシソワーズから。
玉ねぎと長ネギを薄切りにし、バターでじっくりと炒める。焦がさないよう、弱火で甘みを引き出すのがポイントだ。
そこに薄切りにした新じゃがとブイヨンを加え、柔らかくなるまで煮込む。
粗熱が取れたらミキサーにかけ、滑らかなピュレ状にする。
これをさらに裏ごしする。このひと手間が、舌触りを劇的に変える。
牛乳と生クリームを加え、塩で味を調える。
冷蔵庫でキンキンに冷やす。器も冷やしておくのを忘れない。
次にイサキのポワレ。
三枚におろしたイサキに塩胡椒を振り、皮目に小麦粉を薄くはたく。
フライパンにオリーブオイルと潰したニンニクを入れ、香りを移す。
イサキを皮目から入れる。
ターナーで軽く押さえつけ、皮全体を均一に焼く。
皮がパリッとしてきたら、スプーンで熱い油を身にかける「アロゼ」。
身を裏返さず、油の熱だけで火を通すことで、ふっくらとした食感に仕上げる。
仕上げにバターをひとかけら落とし、風味をつける。
ソースは、フライパンに残った焼き汁にバルサミコ酢と醤油、少しのハチミツを加えて煮詰めたもの。
酸味とコクが、白身魚の脂とよく合う。
付け合わせのスナップエンドウは塩茹でに、ミニトマトは湯剥きしてオリーブオイルでマリネにする。
ブラッドオレンジを絞り、強炭酸で割る。
ダイニングテーブルに料理を並べる。
ガラスの器に注がれた、純白のヴィシソワーズ。
香ばしい焼き色のついたイサキのポワレ、バルサミコソースの黒いライン。
そして、ルビー色に輝くソーダ。
色彩のバランスも完璧だ。
「いただきます」
まずはヴィシソワーズを一口。
……冷たい。
そして、驚くほど滑らかだ。
新じゃがの大地の香りと、玉ねぎの甘み、クリームのコクが一体となり、喉を滑り落ちていく。
上品で、優しい味。
レストランの味だ。
次にイサキ。
ナイフを入れると、パリッという小気味よい音がする。
口に運ぶと、皮の香ばしさと、身から溢れ出る脂の旨味が広がる。
バルサミコソースの酸味が、全体を引き締める。
……美味い。
素材の良さを最大限に引き出した調理法だ。
ブラッドオレンジソーダを流し込むと、爽やかな柑橘の香りが鼻に抜ける。
一人静かな食卓。
窓の外には、東京の夜景が広がっている。
贅沢な時間だ。
自分の手で作り出した料理と、空間。
それが俺の心を満たしていく。
食事をしながら、テレビをつける。
ゴールデンタイムのクイズ番組が放送されていた。
画面の中には、天童くるみの姿があった。
今日の衣装は、知的なイメージを意識したのか、ブレザー風のジャケットにチェックのスカートだ。
メガネをかけているのが、あざといが可愛い。
『問題。現在、世界で最も多くの人が使用している言語は?』
司会者の問いに、くるみさんがボタンを押す。
『中国語です! 人口比で言えば圧倒的ですね!』
正解。
英語と答えがちなひっかけ問題だが、彼女は冷静に統計データを把握している。
以前、俺が雑談の中で教えた知識だ。
彼女の記憶力と応用力には驚かされる。
『正解! 天童ちゃん、最近冴えてるねぇ!』
『えへへ、世界進出狙ってますから!』
彼女はカメラに向かってガッツポーズをした。
その笑顔は、自信と野心に満ちている。
彼女はもう、俺が守らなければならない「か弱い少女」ではない。
共に戦う「パートナー」として、確実に成長している。
「……頼もしい限りだ」
俺は画面に向かってソーダのグラスを掲げた。
彼女の活躍は、俺のビジネスにとっても最高の宣伝になる。
着メロサイトの会員数も、彼女の露出と共に右肩上がりだ。
食後、俺はリビングでくつろぎながら、パズルを手に取った。
先日完成させた『ニューヨークの摩天楼』。
それを崩し、箱に戻す。
完成したものを壊すのは惜しいが、執着してはいけない。
次は、もっと難解なパズルに挑むのだ。
例えば……この世界の経済という、巨大なパズルに。
梅雨入り前の、気まぐれな晴れ間。
放課後、俺は、移動中のハイヤーの後部座席で、手帳に記された資産リストを見返していた。
『Pokémon Card Game Base Set Booster Box - 400 units』
先日、秋葉原の視察を経て購入を決定し、独自ルートで輸入・確保した米国版ポケモンカードの未開封ボックスだ。
取得単価は1箱あたり約100ドル。総額でおよそ500万円の投資。
現在の俺の総資産からすれば微々たる金額だが、このアイテムが持つポテンシャルは、他の金融商品を遥かに凌駕する。
2024年、2025年といった未来において、この「初期版・未開封」という条件を満たしたボックスは、もはやカードではなく「文化遺産」として扱われる。
状態が良いものであれば、1箱あたり3,000万円から5,000万円。2020年代のピーク時には、オークションで億単位の値がついたケースさえある。
仮に控えめに1箱5,000万円で計算したとしても、400箱で200億円。
500万円が200億円に化ける。倍率は4,000倍だ。
どんなベンチャー株も、仮想通貨も敵わない、異常なリターン率。
「……紙の宝石、か。言い得て妙だな」
俺は手帳を閉じた。
温度と湿度が完全に管理された倉庫で、それらは25年の眠りにつく。
俺が40歳になる頃、このタイムカプセルを開封するのが楽しみだ。
車は渋谷の雑踏へと滑り込んでいく。
未来の資産も大事だが、今は現在の肉体をメンテナンスする必要がある。
渋谷の会員制スポーツジム。
平日の夕方ということもあり、フロアは比較的空いていた。
俺はいつものようにトレーニングウェアに着替え、ストレッチエリアで入念に体をほぐした。
15歳の関節は柔らかく、可動域も広い。
だが、油断は怪我の元だ。41歳の慎重さで、筋肉のコンディションを確認していく。
今日は下半身を中心に追い込む日だ。
スクワット、レッグプレス、レッグカール。
大腿四頭筋とハムストリングスに、的確な負荷をかけていく。
限界まで追い込み、オールアウトさせる。
脳内麻薬が分泌され、思考がクリアになっていく感覚。
ビジネスの戦略も、人間関係の悩みも、バーベルの重さの前では単純な物理法則に還元される。
1時間のワークアウトを終え、シャワーで汗を流した俺は、ラウンジのカウンターに向かった。
「……『ミックスベリーのプロテインスムージー』を」
注文を受けてから、スタッフが冷凍のベリーとプロテインパウダー、そして低脂肪乳をミキサーにかける。
鮮やかな紫色の液体がグラスに注がれる。
受け取り、一口飲む。
ベリーの強烈な酸味と、ミルクのまろやかさ。プロテイン特有の粉っぽさは全くない。
冷たい液体が、火照った食道を滑り落ち、枯渇した筋肉にアミノ酸を届ける。
「……ふぅ」
息をつくと、全身の細胞が喜んでいるのが分かった。
自己管理。
それは、他者を管理する前に果たすべき、最低限の義務だ。
俺はグラスの結露を指で拭いながら、窓の外の渋谷の街を見下ろした。
人々が蟻のように行き交っている。
その一人一人に人生があり、物語がある。
俺はその物語の、ほんの一部に関与しているに過ぎない。
だが、その関与が彼らの運命を少しでも良い方向へ変えられるなら、それは意味のあることだ。
ジムを出て、火照った体を冷ましながら公園通りを歩いていた時のことだ。
オープンテラスのあるカフェの前で、見覚えのある女性の姿を見つけた。
柚木沙耶さんだ。
今日の彼女は、初夏らしい涼しげな装いだった。
透け感のあるネイビーのシフォンブラウスに、白いタイトスカート。
足元は華奢なストラップサンダル。
アンニュイな肢体が、午後の日差しの中で気怠げに、しかし圧倒的な美しさを放って存在している。
シャギーの入ったショートボブが風に揺れ、憂いを帯びた切れ長の瞳が、通りを行き交う人々を観察するように彷徨っている。
その口元にある小さなホクロが、彼女のミステリアスな魅力を一層引き立てていた。
「……柚木さん」
俺が声をかけると、彼女はゆっくりと顔を向け、俺を認めると、ふわりと花が綻ぶように微笑んだ。
「あら。……社長さんじゃない」
「奇遇ですね。大学の帰りですか?」
「ええ。ゼミで絞られて、ちょっと糖分補給してたところ」
彼女のテーブルには、食べかけのレアチーズケーキとアイスティーが置かれている。
「西園寺くんは? ……またジム?」
「はい。定期的なメンテナンスです」
「ふふ、相変わらずストイックね。……座れば? 奢ってあげるわよ」
彼女は向かいの席を顎で示した。
俺は失礼して腰を下ろした。
まだプロテインを飲んだばかりだが、アイスコーヒーくらいなら入るだろう。
「……お言葉に甘えて。アイスコーヒーをお願いします」
「オッケー」
沙耶さんは店員を呼び、手慣れた様子で注文した。
待っている間、彼女は頬杖をつき、上目遣いで俺を見てきた。
「……ねえ。最近、舞の様子はどう?」
「至って順調ですよ。仕事も完璧ですし、体調も崩していません」
「そっか。……あの子、君の話するときだけ、すごく楽しそうな顔するのよね」
「……そうですか」
俺は少し照れくささを感じて視線を逸らした。
沙耶さんはクスクスと笑う。
「嫉妬しちゃうわ。……私の親友を奪った罪な男の子」
「奪ったわけではありません。彼女は彼女の意志で、僕の隣にいるだけです」
「はいはい。……でも、感謝してるわ。あの子、昔よりずっと生き生きしてるもん」
彼女の声は優しかった。
舞への友情と、俺への信頼。
そして、その奥にある微かな恋心。
それらが複雑に混ざり合い、彼女独特のアンニュイな雰囲気を作り出している。
「柚木さんも、無理はしないでくださいね。……レポート、手伝いましょうか?」
「バカ言わないで。年下に頼るほど落ちぶれてないわよ」
彼女はツンと澄ました顔をしたが、その耳は赤くなっていた。
素直じゃないところが、彼女の魅力だ。
「……あ、そういえば。もうすぐ梅雨入りね」
「そうですね。アジサイが咲き始めています」
「私、雨って嫌いじゃないの。……世界が静かになる気がして」
彼女は遠くを見るような目をした。
雨の日のバス停で泣いていた彼女を思い出す。
あの時、俺が差し出した傘が、彼女の心を守る盾になれたのなら幸いだ。
「……雨の日も悪くありませんね。柚木さんとこうして話せるなら」
「……っ! さらっとそういうこと言う……」
沙耶さんは顔を真っ赤にして、ストローをかき回した。
勝利だ。
俺はアイスコーヒーを飲み干し、席を立った。
「では、俺はこれで。夕食の準備がありますので」
「うん。……またね、 坊や」
彼女は手を振った。
その表情には、以前のような迷いはなく、清々しい色が浮かんでいた。
沙耶さんと別れた後、俺はいつものように東急百貨店本店のデパ地下へと向かった。
今日の夕食は、初夏の湿気を吹き飛ばすような、爽やかで洗練されたメニューにしたい。
鮮魚コーナーで、長崎県産の『イサキ』を見つけた。
「梅雨イサキ」とも呼ばれるこの時期のイサキは、産卵前で脂が乗っている。
皮目の美しい縞模様。目が澄んでいて、身に張りがある。
これをポワレにする。皮をパリッと焼き上げ、身はふっくらと仕上げる。
次に青果コーナー。
新じゃがと長ネギ、そして玉ねぎ。
これらを使って、冷製スープ『ヴィシソワーズ』を作る。
滑らかな舌触りと、ジャガイモの優しい甘みが、疲れた体に染みるはずだ。
さらに、付け合わせとしてスナップエンドウとミニトマトも購入。
最後に、ワインセラーへ。
……いや、今日は休肝日にしよう。
代わりに、ジューススタンドのようなフレッシュな飲み物が欲しい。
果物コーナーで、完熟の『ブラッドオレンジ』を見つけた。
イタリア・シチリア産。
これを絞って、炭酸で割る。
『ブラッドオレンジソーダ』。
ルビー色の液体が、食卓を華やかに彩るだろう。
両手に食材を抱え、俺は帰宅した。
すぐに調理に取り掛かる。
まずはヴィシソワーズから。
玉ねぎと長ネギを薄切りにし、バターでじっくりと炒める。焦がさないよう、弱火で甘みを引き出すのがポイントだ。
そこに薄切りにした新じゃがとブイヨンを加え、柔らかくなるまで煮込む。
粗熱が取れたらミキサーにかけ、滑らかなピュレ状にする。
これをさらに裏ごしする。このひと手間が、舌触りを劇的に変える。
牛乳と生クリームを加え、塩で味を調える。
冷蔵庫でキンキンに冷やす。器も冷やしておくのを忘れない。
次にイサキのポワレ。
三枚におろしたイサキに塩胡椒を振り、皮目に小麦粉を薄くはたく。
フライパンにオリーブオイルと潰したニンニクを入れ、香りを移す。
イサキを皮目から入れる。
ターナーで軽く押さえつけ、皮全体を均一に焼く。
皮がパリッとしてきたら、スプーンで熱い油を身にかける「アロゼ」。
身を裏返さず、油の熱だけで火を通すことで、ふっくらとした食感に仕上げる。
仕上げにバターをひとかけら落とし、風味をつける。
ソースは、フライパンに残った焼き汁にバルサミコ酢と醤油、少しのハチミツを加えて煮詰めたもの。
酸味とコクが、白身魚の脂とよく合う。
付け合わせのスナップエンドウは塩茹でに、ミニトマトは湯剥きしてオリーブオイルでマリネにする。
ブラッドオレンジを絞り、強炭酸で割る。
ダイニングテーブルに料理を並べる。
ガラスの器に注がれた、純白のヴィシソワーズ。
香ばしい焼き色のついたイサキのポワレ、バルサミコソースの黒いライン。
そして、ルビー色に輝くソーダ。
色彩のバランスも完璧だ。
「いただきます」
まずはヴィシソワーズを一口。
……冷たい。
そして、驚くほど滑らかだ。
新じゃがの大地の香りと、玉ねぎの甘み、クリームのコクが一体となり、喉を滑り落ちていく。
上品で、優しい味。
レストランの味だ。
次にイサキ。
ナイフを入れると、パリッという小気味よい音がする。
口に運ぶと、皮の香ばしさと、身から溢れ出る脂の旨味が広がる。
バルサミコソースの酸味が、全体を引き締める。
……美味い。
素材の良さを最大限に引き出した調理法だ。
ブラッドオレンジソーダを流し込むと、爽やかな柑橘の香りが鼻に抜ける。
一人静かな食卓。
窓の外には、東京の夜景が広がっている。
贅沢な時間だ。
自分の手で作り出した料理と、空間。
それが俺の心を満たしていく。
食事をしながら、テレビをつける。
ゴールデンタイムのクイズ番組が放送されていた。
画面の中には、天童くるみの姿があった。
今日の衣装は、知的なイメージを意識したのか、ブレザー風のジャケットにチェックのスカートだ。
メガネをかけているのが、あざといが可愛い。
『問題。現在、世界で最も多くの人が使用している言語は?』
司会者の問いに、くるみさんがボタンを押す。
『中国語です! 人口比で言えば圧倒的ですね!』
正解。
英語と答えがちなひっかけ問題だが、彼女は冷静に統計データを把握している。
以前、俺が雑談の中で教えた知識だ。
彼女の記憶力と応用力には驚かされる。
『正解! 天童ちゃん、最近冴えてるねぇ!』
『えへへ、世界進出狙ってますから!』
彼女はカメラに向かってガッツポーズをした。
その笑顔は、自信と野心に満ちている。
彼女はもう、俺が守らなければならない「か弱い少女」ではない。
共に戦う「パートナー」として、確実に成長している。
「……頼もしい限りだ」
俺は画面に向かってソーダのグラスを掲げた。
彼女の活躍は、俺のビジネスにとっても最高の宣伝になる。
着メロサイトの会員数も、彼女の露出と共に右肩上がりだ。
食後、俺はリビングでくつろぎながら、パズルを手に取った。
先日完成させた『ニューヨークの摩天楼』。
それを崩し、箱に戻す。
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いつもの様に幼馴染達と学校帰りの公園でくっちゃべっていると地面に突然魔法陣が現れて…
気付くと愽は1人だけ見渡す限り草原の中に突っ立っていた。
愽は幼馴染達を探す為に周囲を捜索してみたが、一緒に飛ばされていた筈の幼馴染達は居なかった。
生きていればいつかは幼馴染達とまた会える!
愽は希望を持って、この不思議な無人島でサバイバル生活を始めるのだった。
「幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕の授かったスキルは役に立つものなのかな?」
「幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕は幼馴染達よりも強いジョブを手に入れて無双する!」
「幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕は魔王から力を授かり人類に対して牙を剥く‼︎」
幼馴染達と一緒に異世界召喚の第四弾。
愽は幼馴染達と離れた場所でサバイバル生活を送るというパラレルストーリー。
はたして愽は、無事に幼馴染達と再会を果たせるのだろうか?
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
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