追放鑑定士はダンジョン市場で偽物グルメを暴く ――屋台ひとつで成り上がり、王都の“味”を取り戻す――

ken

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残り火の告白と、黒革の断罪

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 夜明けの空を、紅蓮の炎が焦がしていた。

 轟音と共に崩れ落ちていく巨大な石造りの倉庫。その光景は、市場の闇を焼き払う浄化の火のようでもあり、同時にレインたちが足を踏み入れた地獄の入り口のようでもあった。



「……ッ、伏せろ!」



 レインは叫びながら、シルヴィアとセオの頭を抱え込むようにして、瓦礫の陰へと滑り込んだ。

 直後、倉庫の屋根が崩落し、熱波と黒煙が津波のように押し寄せてくる。

 肌を焼くような熱気。

 だが、レインの意識は、懐にある一冊の帳簿に向けられていた。

 これだけは守り抜かなければならない。多くの犠牲の上に手に入れた、唯一の希望だ。



「……みんな、無事か?」

「ああ、なんとかな。……だが、私の鎧は煤だらけだ」



 シルヴィアが咳き込みながら顔を上げる。

 その白銀の鎧は黒く汚れ、美しい銀髪にも灰が降り積もっていた。だが、煤に塗れてなお、彼女の蒼穹の瞳は宝石のように澄んだ輝きを放っている。

 炎の照り返しを受けて赤く染まった横顔は、戦場に立つ女神のような凛々しさと、儚い美しさを同時に漂わせていた。

 レインは不覚にも、その姿に見惚れそうになる自分を叱咤した。



「僕の機材も限界だよ。……でも、あれだけの爆発だ。中の証拠はもう何も残っていないだろうね」



 セオが割れた眼鏡を悲しげに見つめながら呟く。



 レインは燃え盛る倉庫を見上げた。

 銀仮面の男、そして監査官バロウズ。奴らはこの炎の中を逃げ延びただろうか。

 その時だった。



「……う、あ……」



 崩れた壁の隙間、炎のカーテンの向こう側から、呻くような声が聞こえた。

 レインの『異端の鑑定眼』が反応する。

 人影だ。

 黒いローブを纏い、炎の中を彷徨うように歩く姿。



「まだ逃げ遅れた奴がいるのか……!」



 レインは反射的に飛び出していた。

 敵かもしれない。だが、目の前で人が焼け死ぬのを見過ごすことは、彼の良心が許さなかった。



「レイン! 危険だ!」



 シルヴィアの制止を振り切り、レインは熱波の中へと踏み込む。

 黒いローブの人物は、出口を探しているようには見えなかった。ただ、炎に巻かれるのを待っているかのように、ふらふらと立ち尽くしている。

 レインはその腕を掴み、強引に引き寄せた。



「おい! こっちだ! 死にたいのか!」



 レインが怒鳴ると、フードが外れ、その下の素顔が露わになった。

 若い男だった。

 年齢はレインと変わらないだろう。だが、その顔には生気がなく、瞳は死んだ魚のように濁っていた。

 手には、空になった革袋が握られている。あの『紅蓮粉』が入っていた袋だ。



「……離せ。……俺は、ここで終わるんだ」



 男は掠れた声で呟き、レインの手を振りほどこうとした。

 その力は弱々しいが、拒絶の意志は固い。



「任務は失敗した。……証拠を消せなかった俺には、もう帰る場所なんてない。『供給元』は、失敗者を許さない……」



 男が再び懐に手を伸ばす。

 そこから取り出したのは、残っていた『燃焼促進の粉』だった。

 彼はそれを自分の頭から被り、自らを松明として証拠隠滅の最後の一押しにしようとしているのだ。



「ふざけるなッ!」



 レインは男の手首を掴み上げ、体勢を崩させた。

 粉が舞う。

 だが、着火する前に、駆けつけたシルヴィアが男の反対側の腕を取り、関節を極めて地面に組み伏せた。



「……命を粗末にするな。貴様が死んでも、罪は消えんぞ」



 シルヴィアの静かだが力強い声。

 男は抵抗をやめ、泥と灰に塗れた地面に顔を押し付けたまま、虚ろな目をレインに向けた。



「……あんたには、わからないよ」



 その瞳。

 レインは息を呑んだ。

 そこにあったのは、憎悪でも殺意でもない。

 深い、底なしの『諦め』だった。

 自分の意志を奪われ、組織の歯車として使い潰され、最期はゴミのように捨てられることを受け入れた、家畜の目。

 それはかつて、レイン自身がギルドを追放された時に鏡の中で見た、自分の目と重なった。



「……ああ、わかるさ。俺も一度、その目をしていた」



 レインは男の胸倉を掴み、無理やり顔を上げさせた。



「だがな、俺は諦めなかった。組織に捨てられても、自分の料理だけは捨てなかった! ……お前もだ。死ぬ勇気があるなら、生きて罪を償え! そして証言しろ! お前をこんな目に遭わせた連中の正体を!」



 男の瞳が、僅かに揺れた。

 レインの琥珀色の瞳に宿る、決して消えない怒りと生命力の炎に、射すくめられたように。



「レイン、これ以上は危険だ! 建物が崩れるぞ!」



 セオの叫び声と共に、頭上の梁が焼け落ちてきた。

 レインは舌打ちをし、男を引きずり起こした。



「シルヴィア、こいつを運べるか?」

「任せろ。……少し手荒になるがな」



 シルヴィアは男を米俵のように担ぎ上げると、驚くべき脚力で瓦礫の山を駆け上がった。レインとセオもそれに続く。

 背後で、轟音と共に倉庫が完全に崩落した。

 黒いローブの男が消そうとした証拠――レインの懐にある帳簿だけを残して、全てが灰燼に帰したのだ。



 市場の外れ、人気のない廃墟化した時計塔の下。

 そこがレインたちの臨時の隠れ家だった。

 朝日が昇りきり、街は活動を始めているが、ここには静寂があった。



 捕らえた黒ローブの男――彼は名を『カイル』と言った――は、セオが調合した睡眠薬で眠らせ、シルヴィアが手配した騎士団の信頼できる部下に引き渡す手はずを整えた。

 彼は重要な証人になる。だが、今はそれ以上に、確認すべきものがあった。



 レインは瓦礫の上に腰を下ろし、懐から『裏帳簿』を取り出した。

 革の表紙は熱で焼け焦げ、端は炭化している。

 だが、中身は無事だ。

 レインは震える手でページを開いた。



「……さて。答え合わせと行こうか」



 シルヴィアとセオが、左右から覗き込む。

 ページには、びっしりと取引の記録が書き込まれていた。

 毒入り霊蜜の原料である『痺れ草』や『幻覚茸』の入荷記録。

 屋台潰しに使われた『死に火の粉』の出庫記録。

 そして、それらの取引先を示す暗号化された符号。



「この『V-商』というのは、間違いなくヴォルク商会だろうね」



 セオが指差す。

 問題は、その搬入元だ。

 多くの項目に、ある共通の略号が記されていた。



 ――『G-監』。



 レインの指が、その文字の上で止まる。



「……『G』はギルド。そして『監』は……」

「監査官。……つまり、王都鑑定ギルド監査部だ」



 シルヴィアの声が、怒りで低く沈んだ。

 監査部。

 それはギルド内部の不正を取り締まり、市場の公正さを監視する、いわば「警察」のような部署だ。

 あのバロウズが所属していた部署でもある。

 警察が、泥棒の親玉だったのだ。これほどタチの悪い冗談はない。



「さらにここを見てくれ」



 レインはページを捲った。

 そこには、より新しい日付で、特別な取引が記されていた。



 『日付:聖暦998年 4月10日』

 『品名:竜の涙原液』

 『納入者:特級鑑定士・S』

 『承認:G-総』



「……『G-総』?」



 レインの背筋に、冷たいものが走った。

 監査部だけではない。

 『総』が意味するもの。それはギルドの頂点、総帥か、あるいは総務局か。いずれにせよ、組織の中枢までもがこの闇に関与していることを示唆していた。



「特級鑑定士・S……。これが、あの銀仮面の男か?」

「恐らくな。……特級なんて位、俺は聞いたことがない。一級の上、国家の影で動く非公開の階級があるのかもしれない」



 レインは帳簿を閉じた。

 パタン、という乾いた音が、廃墟に響く。

 これ以上ない証拠だ。

 この一冊があれば、ギルドの不正を暴き、市場を浄化することができる。

 だが同時に、これはレインたちが巨大な国家権力に喧嘩を売るための、片道切符でもあった。



「……どうする、レイン?」



 シルヴィアが問いかける。

 彼女は兜を脱ぎ、煤で汚れた顔をそのままに、真っ直ぐにレインを見つめていた。

 その瞳には、一点の曇りもない。覚悟を決めた騎士の目だ。



「この帳簿を騎士団本部に持ち込めば、父上が動いてくれる。だが、相手がギルドの上層部となれば、揉み消される可能性もゼロではない。……下手をすれば、私たちは反逆者扱いだ」

「わかってる」



 レインは立ち上がり、市場の方角を見据えた。

 朝の光に照らされた市場は、今日もまた、何も知らない人々で賑わい始めているだろう。

 毒入りの蜜を飲み、偽物の肉を食い、知らず知らずのうちに命を削られている人々。

 そして、その犠牲の上に胡坐をかき、私腹を肥やす豚ども。



「反逆者? 上等だよ」



 レインは口元を歪め、獰猛に笑った。



「俺はとっくに追放者だ。失うものなんて、このボロ屋台と包丁一本くらいしかない。……だが、奴らは違う。地位、名誉、金。守りたいものが山ほどあるはずだ」

「レイン君……」

「やってやるよ。この帳簿を突きつけて、奴らの化けの皮を剥いでやる。……俺の料理を邪魔したこと、リズたちを泣かせたこと、地獄の底で後悔させてやる」



 レインの言葉に、セオがニヤリと笑い、シルヴィアが満足そうに頷いた。



「いい顔だ、料理人。……その戦い、最後まで付き合おう」

「僕も乗ったよ。特級鑑定士の『溶解毒』……その化学式を解明するまでは死ねないからね」



 三人の手が、帳簿の上で重なった。

 煤と泥に塗れた手。

 だが、その熱は、どんな宝石よりも温かく、力強かった。



「……まずは、バロウズだ」



 レインは言った。

 あの監査官は、必ずまた現れる。この帳簿を取り返すために。

 ならば、こちらから仕掛けるまでだ。



「奴が焦って動き出す瞬間を狙う。……最高の『メインディッシュ』を用意して待っててやるさ」



 レインは空を見上げた。

 灰色の煙が晴れ、澄み渡る青空が広がっている。

 戦いの舞台は、薄暗い倉庫から、王都の表舞台へと移ろうとしていた。
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