追放鑑定士はダンジョン市場で偽物グルメを暴く ――屋台ひとつで成り上がり、王都の“味”を取り戻す――

ken

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複製の秘術と、死神からの恋文

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 廃墟と化した時計塔の最上階。

 かつては王都の時を告げていたであろう巨大な鐘が、今は沈黙を守り、床に落ちたその影だけが時間を刻んでいた。

 吹き抜ける風が、焦げ臭い硝煙の匂いを運び去り、代わりに朝の澄んだ空気を運んでくる。



「……ふぅ。ようやく一息つけたな」



 レインは柱に背を預け、大きく息を吐き出した。

 全身の筋肉が悲鳴を上げている。だが、その痛みさえも生きている証拠だと思えば悪くない。

 懐には、命がけで守り抜いた『裏帳簿』がある。その重みが、レインに心地よい疲労感を与えていた。



「……レイン、少し頼めるか?」



 背後から、控えめな声がかかった。

 振り返ると、シルヴィアが顔を赤らめながら立っていた。

 彼女は既に重厚な白銀の鎧を外し、その下の軽装――体にフィットした濃紺のインナーと革のズボン姿になっていた。

 その肢体は、戦士として鍛え上げられているにも関わらず、女性らしい柔らかな曲線を描いている。豊かな胸の膨らみや、引き締まった腰のくびれが、あからさまではない色香を放っていた。



「どうした? 怪我でもしたか?」

「いや、そうではないのだが……その、背中の留め具が外れなくてな。鎧の煤を落とそうと思ったのだが、一人ではどうにも……」

「ああ、なるほど。貸してみろ」



 レインは苦笑し、彼女の背後に回った。

 近寄ると、戦場の焦げた匂いの中に、ふわりと甘い香りが混じっていることに気づく。それは彼女自身が持つ、清涼な白百合のような体臭だ。

 レインの指先が、彼女の背中に触れる。

 ビクリ、とシルヴィアの肩が可愛らしく跳ねた。



「……すまない。男に背中を見せるなど、騎士として不覚だ」

「気にするな。今は騎士じゃなくて、ただの共犯者だろ?」



 レインは器用に革紐を解き、留め具を外していく。

 露わになったうなじは、驚くほど白く、そして無防備だった。後れ毛が風に揺れ、首筋の滑らかなラインを際立たせている。

 レインは努めて冷静に、作業を続けた。

 もし彼女が今、振り返って微笑みかけたら、理性が吹き飛んでしまうかもしれない。それほどまでに、無防備なシルヴィアの破壊力は凄まじかった。



「……できたぞ」

「あ、ああ……恩に着る」



 シルヴィアは逃げるように距離を取り、慌ててタオルで顔や腕を拭き始めた。

 その耳まで真っ赤に染まっているのを、レインは見なかったことにした。

 極限状態を脱した後の、奇妙な高揚感と安らぎ。それが二人の間に、甘酸っぱい空気を醸成していた。



「あーあ、やってられないねぇ。こっちは機材の修理で手一杯だっていうのに」



 そんな空気をぶち壊すように、セオがぼやき声を上げた。

 彼は割れた眼鏡を予備のものに替え、壊れかけた鞄から怪しげな道具を広げていた。



「レイン君、ちょっとその帳簿貸して。今のうちに仕事しちゃうから」

「仕事? 何をあわててるんだ」

「『リスクヘッジ』だよ。君、その帳簿が燃やされたり、奪われたりしたらどうするつもり?」



 セオの言葉に、レインの表情が引き締まった。

 確かにそうだ。

 この帳簿は唯一無二の証拠。だが、それ故に敵は全力でこれを狙ってくる。もしバロウズや、あの銀仮面の男が強行手段に出て、この一冊を消滅させれば、全ては水泡に帰す。



「……複製を作る気か?」

「ただの書き写しじゃ意味がないよ。筆跡、インクの成分、紙の質感……それら全てを含めて『本物』としての証拠能力があるんだ」



 セオは小瓶に入った透明な液体を取り出し、ニヤリと笑った。



「そこでこれ。『影写しの秘薬』の出番さ。錬金術ギルド時代に僕が開発して、悪用されすぎて発禁になった自信作だよ」

「……ろくなもんじゃねぇな」

「褒め言葉として受け取っておくよ」



 セオは新しい羊皮紙を帳簿のページに重ね、その上から液体を一滴垂らした。

 ジュワッ、という音と共に、液体が紙に染み込んでいく。

 すると不思議なことに、下のページに書かれていた文字や図形が、まるで鏡に映したかのように、上の羊皮紙へと浮かび上がってきたのだ。

 インクの掠れ具合や、筆圧による紙の凹みまでもが、完全に再現されている。



「すげぇな……魔法か?」

「科学だよ。インクに含まれる魔力残滓を共鳴させて、粒子を再構成してるんだ。……よし、これで完璧な『スペア』が一丁上がり」



 数分後。

 そこには、どちらが本物か見分けがつかないほど精巧な、二冊の帳簿が並んでいた。



「原本はシルヴィアさんが持ってて。公爵家の金庫なら、王宮の宝物庫より安全だろうし」

「任されよ。我が家の地下金庫は、ドラゴンでも破れん」

「で、この複製は僕が預かる。学術的な分析もしたいし、万が一君たちが捕まった時の保険になる」



 レインは頷いた。

 これで、レイン自身が手ぶらになっても、証拠は守られる。

 敵はレインが帳簿を持っていると思い込んで襲ってくるだろうが、それは囮として機能する。



「……ありがとう、二人とも。これで心置きなく戦える」

「礼には及ばんさ。……その代わり、事件が片付いたら、例のピザとやらを腹一杯食わせてもらうぞ」

「僕は『コーラ』の製造プラントを作らせてくれたらそれでいいよ」



 頼もしい仲間たち。

 レインは胸の奥が熱くなるのを感じながら、立ち上がった。



「よし、一度店に戻ろう。……リズが心配してるはずだ」



 迷宮市場に戻ると、そこはいつもの喧騒に包まれていた。

 何事もなかったかのように営業を続ける屋台、客引きの声、肉の焼ける匂い。

 夜明け前の激闘など、誰も知らない。

 それが少し不気味でもあり、同時にレインには、守るべき日常の風景として愛おしくも感じられた。



 『真実の匙』の前に辿り着くと、そこにはちょこんと座り込む小さな影があった。

 猫耳をぺたりと伏せ、膝を抱えている少女。

 リズだ。



「……リズ」

「っ!」



 レインが声をかけると、リズは弾かれたように顔を上げた。

 その大きな瞳は真っ赤に充血し、涙で濡れていた。



「レイン……ッ!」



 彼女は跳ねるように立ち上がると、レインの胸に飛び込んできた。

 ドスッ、という頭突きのような衝撃。

 だが、その腕は強くレインの腰に回され、震えていた。



「バカ! バカレイン! どこ行ってたのよぉ……! 全然帰ってこないし、市場の奥でなんか爆発音がするし……あたし、あたし……ッ!」

「……悪かった。ちょっと、仕入れに手間取ってな」

「嘘つき! こんなに煤だらけで、血の匂いもする……! また無茶したんでしょ!?」



 リズはレインの胸に顔を埋めたまま、ポカポカと拳で叩いてくる。

 痛くはない。

 ただ、彼女の純粋な心配と、安堵の感情が伝わってきて、レインの胸を締め付けた。



「……死んだかと思ったんだから……。レインがいなくなったら、あたし、もう美味しいご飯食べられないじゃない……」

「そうだな。……お前を飢え死にさせるわけにはいかないからな」



 レインはリズの頭に手を置き、その柔らかな髪を撫でた。

 猫耳がくすぐったい。

 この温もり。この小さな命。

 これこそが、レインが命を懸けて守りたかったものだ。

 巨悪を暴く正義感も大事だが、結局のところ、レインの原動力は「目の前の腹を空かせた奴を笑顔にしたい」という、料理人としてのシンプルなエゴなのだ。



「……おかえり、レイン」

「ああ、ただいま」



 リズはようやく顔を上げ、涙でぐしゃぐしゃになった笑顔を見せた。

 その笑顔を見て、シルヴィアもセオも、ほっと表情を緩める。



「さて、と。……朝飯の時間には少し遅いが、何か作るか。お前らも腹が減っただろ?」



 レインは屋台のカウンターに入り、エプロンを締めた。

 いつもの定位置。

 包丁を握ると、不思議と心が落ち着く。

 今日は特別な労いが必要だ。レインは木桶に入った酢飯と、市場の深層で仕入れた極上の鮮魚を取り出した。



「寿司……?」



 シルヴィアが興味深そうに覗き込む。



「ああ。師匠から教えて貰った料理だ。酢で締めた飯と生魚を合わせる、究極のシンプル料理さ」



 レインの手が流れるように動く。

 左手にシャリを取り、空気を含ませるようにふわっと握る。右手には、透き通るような白身を持つ『水晶魚』の切り身。

 『翡翠根』をひと塗りし、ネタとシャリを合わせる。

 キュッ、という小気味よい音。

 指先の体温が魚の脂を僅かに溶かし、最高の口溶けを生み出す「小手返し」の技だ。



「へい、お待ち」



 カウンターに置かれたのは、宝石のように輝く握り寿司。

 水晶魚の白、そして濃厚な脂が乗った『炎のトロ』の赤、さらに軍艦巻きにした『黄金雲丹』。



「こいつには、これが一番合う」



 レインは冷えた樽から、ジョッキに黄金色の液体を注いだ。

 きめ細やかな泡が盛り上がる。

 『ドワーフの黄金麦酒』。キンキンに冷えた生ビールだ。



「うわぁ……きれい……!」



 リズが目を輝かせてトロを頬張る。

 瞬間、彼女の猫耳がピンと立ち、頬がとろけそうに緩んだ。



「んん~っ! お口の中で消えたぁ! なにこれ、脂が甘いよぉ!」



「生魚か……。初めてだが……」



 シルヴィアも恐る恐る口に運ぶ。

 そして、すぐに目を見開いた。



「……っ! 美味い! 酢の酸味が魚の臭みを消して、旨味だけがダイレクトに来る! それにこの麦酒……!」



 グビリ、とビールを煽る。喉を刺す炭酸と苦味が、脂の乗った口内を爽快に洗い流す。



「ぷはぁっ! 悪魔的だ! この組み合わせは罪深すぎる!」



 セオも無言で雲丹を咀嚼し、ビールで流し込んでから、深く頷いた。

 平和な時間。

 戦いの後の、ほんの束の間の安息。

 誰もが、この穏やかな時間がもう少し続けばいいと願っていた。



 ――ヒュンッ!



 空気を切り裂く鋭い音が、その願いを無慈悲に断ち切った。



「ッ!?」



 カァンッ!

 レインの目の前、カウンターの木板に、何かが深々と突き刺さった。

 それは漆黒の投げナイフだった。

 柄には赤いリボンが巻かれており、その禍々しさは市場の喧騒を一瞬で凍りつかせた。



「レイン!」

「動くな!」



 シルヴィアが即座にリズを庇い、セオがカウンターの下に潜り込む。

 レインはナイフが飛んできた方向――人混みの彼方を見据えた。

 だが、そこには行き交う人々がいるだけで、投げた者の姿はない。

 プロの仕業だ。

 気配を完全に殺し、人混みに紛れて一撃を見舞う。殺す気ならいつでも殺せたという警告。



 レインは突き刺さったナイフを引き抜いた。

 赤いリボンには、一枚の羊皮紙が結び付けられていた。

 それを開く。

 書かれていたのは、血文字のような赤いインクで書かれた、短い一文だけだった。



 『帳簿の次は、お前だ』



 シンプルかつ、明確な死刑宣告。

 倉庫での爆破失敗を受け、敵は手段を選ばなくなったのだ。

 証拠隠滅ではなく、証人の抹殺へとシフトした。

 もはや、レインの命そのものがターゲットだ。



「……ふざけた真似を」



 シルヴィアが低い声で唸る。

 その瞳には、先ほどまでの穏やかさは消え、修羅の光が宿っていた。



「こんな人目の多い場所で、堂々と……! 騎士団を舐めるなよ」

「それだけ追い詰められてるってことさ。……奴らにとって、この帳簿がどれだけ致命的か、証明してくれたようなもんだ」



 レインは手紙を握りつぶした。

 恐怖はない。

 いや、ある。だが、それ以上に怒りが勝っていた。

 せっかくのリズの笑顔を、安息の時間を、またしても奪われたことへの怒りが。



「……レイン、どうする? 一度、私の屋敷に身を隠すか?」



 シルヴィアの提案に、レインは首を振った。



「いや。逃げ隠れすれば、奴らはまた店を狙う。リズや、市場の人々を巻き込むかもしれない」



 レインはナイフをカウンターに突き立て返した。

 ギラリと光るその刃に、自分の顔が映る。

 それはもう、ただの料理人の顔ではなかった。



「奴らが俺を狙うなら、好都合だ。……俺が囮になって、奴らを誘き出す」

「レイン!?」

「心配するな。ただ死ぬつもりはない」



 レインはニヤリと笑った。

 その笑顔は、かつて師匠が難解な食材を前にした時に見せた、挑戦的な笑みに似ていた。



「死神からのラブレターにしちゃ、随分と熱烈じゃないか。……だったら、こっちも最高の『お返し』を用意してやろうぜ」



 帳簿の複製はある。原本は安全な場所へ。

 ならば、この身一つで踊ってやる。

 レイン・オルコットは、逃げない。

 

 新たな戦いの幕開けを告げる黒いナイフは、皮肉にもレインの覚悟を鋼のように強固なものへと変えたのだった。
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