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第1章:追放・バズり・ざまぁ編
第11話 直接対決
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水曜日。
カイトたちの悪事が暴かれ、ネット上が大炎上してから一日が経った週の真ん中。
世間はまだ騒がしいが、俺、鈴木悠作にとっては「待ちに待った瞬間」が迫る夕暮れ時でもあった。
「……長かった。本当に長かった」
午後5時半。
東京大迷宮の入り口広場を歩きながら、俺は感慨深げに呟いた。
今日はポチの餌代を稼ぐために、近場の浅層エリアでスライム狩りをしていたのだが、頭の中はアパートのキッチンにある「あるもの」でいっぱいだった。
『旦那ァ、昨日からそればっかりでヤンスね。そんなに楽しみなんで?』
背中の風呂敷――五右衛門が呆れたように言う。
「当たり前だ。いいか五右衛門、俺は昨日の朝から『牛すじの赤ワイン煮込み』を仕込んでいたんだ。下処理に3時間かけ、香味野菜と一緒にじっくり煮込んだ至高の逸品だ」
俺は昨夜の記憶を思い返す。
本来なら、昨日の晩酌でそれを味わうはずだった。
しかし、ダンジョンで突発的に「牡蠣の土手鍋」を作って食べてしまい、さらに帰宅直後にみのりに捕獲され、部屋で宴会になってしまった。
牛すじは「明日の方が美味くなる」と自分に言い聞かせて、冷蔵庫で寝かせておいたのだ。
「丸二日かけて完成した煮込み……。味が染みてトロトロになっているはずだ。想像するだけで震えが来る」
空腹だから急いでいるのではない。
「完成形」を味わいたくてたまらないのだ。
料理人としての業である。
『へいへい。俺っちは魔石さえ食えれば文句ねえでヤンスけど』
肩の上では、ポチが「ワフッ!」と同意するように鳴いた。
こいつも昨日はみのりに構われっぱなしで疲れただろう。今日はゆっくり風呂にでも入れてやるか。
俺は逸る気持ちを抑えきれず、自然と早足になった。
アパートへの近道である、高架下の薄暗い通りへと差し掛かる。
ここを抜ければ、愛しの鍋が待っている。
しかし、その進路を塞ぐように、数人の影がゆらりと現れた。
★★★★★★★★★★★
カイトは、充血した目で地面を見つめていた。
昨日までの栄光は見る影もない。
昨夜の「真実のログ」公開と、その後の「ドローン投棄写真」の拡散により、彼らの人生は完全に終わった。
今朝、協会から正式にライセンスの無期限停止処分が通知され、スポンサーからは損害賠償請求の連絡が届いている。
街を歩けば指をさされ、スマホを見れば通知が鳴り止まない。
彼らは逃げるようにして、この人気の少ない高架下へと流れ着いていた。
「……全部、あいつのせいだ」
カイトがギリリと歯を食いしばる。
自分の過ちを認めることなどできない。
悪いのは全て、自分たちを騙し、陥れ、笑い者にした鈴木悠作だ。
そう思い込まなければ、精神が崩壊しそうだった。
「あいつさえいなければ……俺たちは今頃、英雄になってたんだ。全部あいつが壊したんだ」
カイトは懐に手を入れ、サバイバルナイフの柄を握りしめた。
隣にいるタクマとリナも、虚ろな目で頷いている。
正常な判断力は失われていた。
悠作を痛めつけ、謝罪させ、金を取り上げれば、何かが変わるかもしれないという妄想に取り憑かれている。
「来るぞ……!」
カイトが息を潜める。
向こうから、一人の男が歩いてくるのが見えた。
ヨレヨレの作業着に、背中の風呂敷。
間違いなく鈴木悠作だ。
「……ッ!?」
カイトは息を呑んだ。
悠作の様子が、以前とはまるで違っていたからだ。
早足で歩く悠作の全身から、どす黒く、重苦しいオーラが立ち昇っている。
それは、歴戦の探索者だけが放つことのできる、純粋で濃密な『殺気』だった。
――邪魔をするな。
――俺の前に立つ奴は、誰であろうと排除する。
悠作の目が、そう語っているように見えた。
周囲の空気がビリビリと震え、カラスが一斉に飛び立つほどのプレッシャー。
(ひ、ひぃっ……!)
カイトの足が震える。
こいつ、こんなに恐ろしい奴だったのか?
普段の「眠そうな昼行灯」は仮の姿で、これが本性なのか?
違う。
悠作はただ、「昨日食べ損ねて熟成された牛すじを、今日こそ絶対に食う」という、食欲と執念を全身から発散させているだけなのだ。
だが、精神的に追い詰められているカイトには、それが「自分たちを断罪しに来た死神のオーラ」に見えてしまっていた。
「……び、ビビるな! やるんだ!」
カイトは自分を鼓舞し、震える足で飛び出した。
悠作との距離、あと5メートル。
「おい鈴木ィ!! 待てコラァ!!」
カイトが叫び、懐のナイフを抜こうとする。
その瞬間だった。
ヒュンッ。
風を切るような、微かな音。
直後。
ガギィィィィンッ!!
カイトの手元で、甲高い金属音が炸裂した。
強烈な衝撃が走り、抜きかけたナイフが手から弾き飛ばされる。
回転しながら宙を舞ったナイフは、数メートル後方のコンクリート壁に深々と突き刺さった。
「え?」
カイトは自身の空っぽの手を見て、呆然とした。
何が起きた?
誰もいないのに、ナイフだけが弾かれた?
ヒュッ。
二発目の音がした。
今度は、カイトのすぐ横にある街灯の鉄柱に、何かが着弾した。
バヂヂヂッ! と火花が散り、鋼鉄の柱に指先ほどの穴が開く。
銃撃。
それも、サイレンサー付きの狙撃だ。
「……ひっ」
カイトの脳裏に、昨夜のネット掲示板の情報が過ぎる。
『悠作のアパートを襲撃しようとした信者が、見えない何かに撃たれて逃げ帰った』という噂。
まさか、あれは本当だったのか?
悠作には、見えない護衛がついている?
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ。
三発、四発と連続して着弾音が響く。
カイトの足元のアスファルトが弾け、タクマの杖がへし折られ、リナのバッグの紐が切断される。
正確無比。
神業のような精密射撃。
あと数センチずれていれば、自分たちの頭が吹き飛んでいた。
「あ、あ、あああ……」
カイトは腰を抜かしてへたり込んだ。
目の前には、凄まじい「殺気」を放ちながら迫りくる悠作。
そして、どこからか自分たちの命を狙う「見えない死神」。
詰んだ。
完全に、詰んだ。
「う、うわああああああ!」
「ごめんなさいごめんなさい! もうしません!」
「助けてぇぇぇ!」
カイトたちはアスファルトに頭を擦り付け、失禁しながら絶叫した。
人間としての尊厳など、とっくに投げ捨てていた。
そんな彼らの横を、悠作が通り過ぎる。
ザッ、ザッ、ザッ。
足音が近づき、そして遠ざかっていく。
悠作は立ち止まらなかった。
チラリと彼らの方を一瞥し、何かをボソリと呟いて、そのまま歩き去ってしまったのだ。
「……またゴミが落ちてるな。最近のポイ捨ては質が悪い」
それだけ。
昨日の朝、自宅前に落ちていたスプレー缶を「ゴミ」だと思っていた悠作にとって、彼らもまた「不法投棄された粗大ゴミ」にしか見えなかったのだ。
悠作の背中が見えなくなると同時に、見えない弾丸の嵐も止んだ。
残されたのは、失禁して気絶した三人の元・探索者たちだけだった。
★★★★★★★★★★★
現場から1.5キロメートル離れた、高層ビルの屋上。
貯水タンクの影に伏せていた山口純子は、スコープから目を離して小さく息を吐いた。
「……ふぅ。駆除完了」
手には、愛用の対物魔導ライフル『ブラック・ウィドウ』。
月曜深夜のアパート防衛戦に続き、連日の出動である。
「先日の雑魚に続いて、今日は親玉ですか。懲りない害虫ですね」
純子の瞳は冷たく凪いでいる。
彼女はシフト前の貴重な時間を割いて、悠作の帰宅ルートを監視していたのだ。
「でも、悠作さんのあの『スルー力』……素敵です♡」
純子は頬を染めて、うっとりと呟いた。
スコープ越しに見た悠作の横顔。
何者にも動じず、ただ前だけを見据えて歩くその姿は、彼女にとって崇高な芸術品のように見えたのだ。
「さて、と。悠作さんが無事に通過したなら、私もお店に行かなきゃ」
純子はライフルを素早く分解し、ハードケースに収める。
スナイパーから、可愛いコンビニ店員へ。
「今日は牛すじの煮込みですよね……。悠作さんが作った余り、また差し入れしてくれないかなぁ」
狂気と恋心が入り混じった独り言が、水曜日の夕空に溶けていった。
★★★★★★★★★★★
「ただいまー」
アパートに帰宅した悠作は、玄関でブーツを脱ぎ捨て、真っ直ぐキッチンへと向かった。
道中で変な連中を見た気がするが、そんなことより鍋の中身だ。
「よし、いい匂いだ」
鍋の蓋を開ける。
ふわぁっ、と濃厚な湯気が立ち上る。
赤ワインとフォンドヴォーで煮込まれ、丸二日かけて完成した牛すじは、見るからに味が染みて飴色に輝いている。
「……これだよ。これを待っていたんだ」
悠作はガッツポーズをした。
皿に盛り付け、バゲットを添える。
今日は家でゆっくりと、この極上の煮込みを楽しむのだ。
「ポチ、お前の分もあるぞ」
専用の深皿に山盛りの煮込みを入れてやると、ポチは尻尾が千切れんばかりに振って飛びついた。
ガツガツガツ!
一瞬で皿が空になる。
「早いな……味わって食えよ」
「ワフッ!」
おかわりを要求するポチ。
悠作は苦笑しながら、自分も食卓についた。
バゲットをソースに浸し、牛すじを乗せて口に運ぶ。
濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。時間をかけた分だけ、角が取れ、まろやかで奥深い味わいになっている。
「くぅ~……これだよ、これ」
至福の時間を過ごした後、俺はふと思い立った。
「そうだ、ポチ。お前、うちに来てから一度も風呂に入ってないな?」
「……?」
ポチがキョトンと首を傾げる。
ダンジョン育ちの魔獣に風呂の習慣はないだろうが、室内飼いをするなら清潔にしておきたい。
俺は浴室にお湯を張り、ポチを抱えて連れて行った。
「いいか、暴れるなよ。お湯は気持ちいいぞー」
「クゥーン(ちょっと怖い)」
初めて見るたっぷりの温水に、ポチは少し尻込みしている。
俺は洗面器でお湯をすくい、ポチの足先にかけてやった。
「ほら、怖くない。温かいだろ?」
ポチはビクッとしたが、すぐに「あれ? 悪くないぞ?」という顔をした。
そして、恐る恐る前足を浴槽の縁にかけ、中を覗き込む。
「入ってみるか?」
俺が抱き上げ、ゆっくりと湯船に浸からせる。
チャポン。
お湯が波打ち、白い毛がゆらゆらと揺れる。
「……ワフゥ~~~」
ポチの口から、魂が抜けるようなため息が漏れた。
目がとろんとして、耳がぺたんと倒れる。
どうやら気に入ったらしい。
犬かきのように前足を動かし、パシャパシャとお湯を掻いている。
「ははっ、極楽か?」
俺はスポンジに泡を立て、ポチの体を洗い始めた。
モコモコの泡に包まれて、ポチはされるがままになっている。
頭に泡を乗せてやると、鏡を見て「なんだこれ?」と首を振った。泡が飛び散る。
「こらこら」
シャワーで流し、タオルで拭いてやると、ポチはドライヤーの風に立ち向かうように口を開けて風を食べていた。
フワフワになったポチは、石鹸のいい匂いをさせて俺の膝に乗ってきた。
「……お前、意外と風呂好きだったんだな」
「ワフン(毎日入る!)」
平和だ。
外ではカイトたちが気絶したまま発見され、ついに警察のご厄介になる騒ぎになっているが、悠作の知るところではない。
カイトたちとの因縁に決着がつき、悠作の元に一時の平和が訪れていた。
しかし、それは束の間の休息に過ぎない。
協会の隠蔽工作が限界を迎え、ネットで崇拝される「パジャマの英雄」を、世界が放っておくはずがないのだから。
カイトたちの悪事が暴かれ、ネット上が大炎上してから一日が経った週の真ん中。
世間はまだ騒がしいが、俺、鈴木悠作にとっては「待ちに待った瞬間」が迫る夕暮れ時でもあった。
「……長かった。本当に長かった」
午後5時半。
東京大迷宮の入り口広場を歩きながら、俺は感慨深げに呟いた。
今日はポチの餌代を稼ぐために、近場の浅層エリアでスライム狩りをしていたのだが、頭の中はアパートのキッチンにある「あるもの」でいっぱいだった。
『旦那ァ、昨日からそればっかりでヤンスね。そんなに楽しみなんで?』
背中の風呂敷――五右衛門が呆れたように言う。
「当たり前だ。いいか五右衛門、俺は昨日の朝から『牛すじの赤ワイン煮込み』を仕込んでいたんだ。下処理に3時間かけ、香味野菜と一緒にじっくり煮込んだ至高の逸品だ」
俺は昨夜の記憶を思い返す。
本来なら、昨日の晩酌でそれを味わうはずだった。
しかし、ダンジョンで突発的に「牡蠣の土手鍋」を作って食べてしまい、さらに帰宅直後にみのりに捕獲され、部屋で宴会になってしまった。
牛すじは「明日の方が美味くなる」と自分に言い聞かせて、冷蔵庫で寝かせておいたのだ。
「丸二日かけて完成した煮込み……。味が染みてトロトロになっているはずだ。想像するだけで震えが来る」
空腹だから急いでいるのではない。
「完成形」を味わいたくてたまらないのだ。
料理人としての業である。
『へいへい。俺っちは魔石さえ食えれば文句ねえでヤンスけど』
肩の上では、ポチが「ワフッ!」と同意するように鳴いた。
こいつも昨日はみのりに構われっぱなしで疲れただろう。今日はゆっくり風呂にでも入れてやるか。
俺は逸る気持ちを抑えきれず、自然と早足になった。
アパートへの近道である、高架下の薄暗い通りへと差し掛かる。
ここを抜ければ、愛しの鍋が待っている。
しかし、その進路を塞ぐように、数人の影がゆらりと現れた。
★★★★★★★★★★★
カイトは、充血した目で地面を見つめていた。
昨日までの栄光は見る影もない。
昨夜の「真実のログ」公開と、その後の「ドローン投棄写真」の拡散により、彼らの人生は完全に終わった。
今朝、協会から正式にライセンスの無期限停止処分が通知され、スポンサーからは損害賠償請求の連絡が届いている。
街を歩けば指をさされ、スマホを見れば通知が鳴り止まない。
彼らは逃げるようにして、この人気の少ない高架下へと流れ着いていた。
「……全部、あいつのせいだ」
カイトがギリリと歯を食いしばる。
自分の過ちを認めることなどできない。
悪いのは全て、自分たちを騙し、陥れ、笑い者にした鈴木悠作だ。
そう思い込まなければ、精神が崩壊しそうだった。
「あいつさえいなければ……俺たちは今頃、英雄になってたんだ。全部あいつが壊したんだ」
カイトは懐に手を入れ、サバイバルナイフの柄を握りしめた。
隣にいるタクマとリナも、虚ろな目で頷いている。
正常な判断力は失われていた。
悠作を痛めつけ、謝罪させ、金を取り上げれば、何かが変わるかもしれないという妄想に取り憑かれている。
「来るぞ……!」
カイトが息を潜める。
向こうから、一人の男が歩いてくるのが見えた。
ヨレヨレの作業着に、背中の風呂敷。
間違いなく鈴木悠作だ。
「……ッ!?」
カイトは息を呑んだ。
悠作の様子が、以前とはまるで違っていたからだ。
早足で歩く悠作の全身から、どす黒く、重苦しいオーラが立ち昇っている。
それは、歴戦の探索者だけが放つことのできる、純粋で濃密な『殺気』だった。
――邪魔をするな。
――俺の前に立つ奴は、誰であろうと排除する。
悠作の目が、そう語っているように見えた。
周囲の空気がビリビリと震え、カラスが一斉に飛び立つほどのプレッシャー。
(ひ、ひぃっ……!)
カイトの足が震える。
こいつ、こんなに恐ろしい奴だったのか?
普段の「眠そうな昼行灯」は仮の姿で、これが本性なのか?
違う。
悠作はただ、「昨日食べ損ねて熟成された牛すじを、今日こそ絶対に食う」という、食欲と執念を全身から発散させているだけなのだ。
だが、精神的に追い詰められているカイトには、それが「自分たちを断罪しに来た死神のオーラ」に見えてしまっていた。
「……び、ビビるな! やるんだ!」
カイトは自分を鼓舞し、震える足で飛び出した。
悠作との距離、あと5メートル。
「おい鈴木ィ!! 待てコラァ!!」
カイトが叫び、懐のナイフを抜こうとする。
その瞬間だった。
ヒュンッ。
風を切るような、微かな音。
直後。
ガギィィィィンッ!!
カイトの手元で、甲高い金属音が炸裂した。
強烈な衝撃が走り、抜きかけたナイフが手から弾き飛ばされる。
回転しながら宙を舞ったナイフは、数メートル後方のコンクリート壁に深々と突き刺さった。
「え?」
カイトは自身の空っぽの手を見て、呆然とした。
何が起きた?
誰もいないのに、ナイフだけが弾かれた?
ヒュッ。
二発目の音がした。
今度は、カイトのすぐ横にある街灯の鉄柱に、何かが着弾した。
バヂヂヂッ! と火花が散り、鋼鉄の柱に指先ほどの穴が開く。
銃撃。
それも、サイレンサー付きの狙撃だ。
「……ひっ」
カイトの脳裏に、昨夜のネット掲示板の情報が過ぎる。
『悠作のアパートを襲撃しようとした信者が、見えない何かに撃たれて逃げ帰った』という噂。
まさか、あれは本当だったのか?
悠作には、見えない護衛がついている?
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ。
三発、四発と連続して着弾音が響く。
カイトの足元のアスファルトが弾け、タクマの杖がへし折られ、リナのバッグの紐が切断される。
正確無比。
神業のような精密射撃。
あと数センチずれていれば、自分たちの頭が吹き飛んでいた。
「あ、あ、あああ……」
カイトは腰を抜かしてへたり込んだ。
目の前には、凄まじい「殺気」を放ちながら迫りくる悠作。
そして、どこからか自分たちの命を狙う「見えない死神」。
詰んだ。
完全に、詰んだ。
「う、うわああああああ!」
「ごめんなさいごめんなさい! もうしません!」
「助けてぇぇぇ!」
カイトたちはアスファルトに頭を擦り付け、失禁しながら絶叫した。
人間としての尊厳など、とっくに投げ捨てていた。
そんな彼らの横を、悠作が通り過ぎる。
ザッ、ザッ、ザッ。
足音が近づき、そして遠ざかっていく。
悠作は立ち止まらなかった。
チラリと彼らの方を一瞥し、何かをボソリと呟いて、そのまま歩き去ってしまったのだ。
「……またゴミが落ちてるな。最近のポイ捨ては質が悪い」
それだけ。
昨日の朝、自宅前に落ちていたスプレー缶を「ゴミ」だと思っていた悠作にとって、彼らもまた「不法投棄された粗大ゴミ」にしか見えなかったのだ。
悠作の背中が見えなくなると同時に、見えない弾丸の嵐も止んだ。
残されたのは、失禁して気絶した三人の元・探索者たちだけだった。
★★★★★★★★★★★
現場から1.5キロメートル離れた、高層ビルの屋上。
貯水タンクの影に伏せていた山口純子は、スコープから目を離して小さく息を吐いた。
「……ふぅ。駆除完了」
手には、愛用の対物魔導ライフル『ブラック・ウィドウ』。
月曜深夜のアパート防衛戦に続き、連日の出動である。
「先日の雑魚に続いて、今日は親玉ですか。懲りない害虫ですね」
純子の瞳は冷たく凪いでいる。
彼女はシフト前の貴重な時間を割いて、悠作の帰宅ルートを監視していたのだ。
「でも、悠作さんのあの『スルー力』……素敵です♡」
純子は頬を染めて、うっとりと呟いた。
スコープ越しに見た悠作の横顔。
何者にも動じず、ただ前だけを見据えて歩くその姿は、彼女にとって崇高な芸術品のように見えたのだ。
「さて、と。悠作さんが無事に通過したなら、私もお店に行かなきゃ」
純子はライフルを素早く分解し、ハードケースに収める。
スナイパーから、可愛いコンビニ店員へ。
「今日は牛すじの煮込みですよね……。悠作さんが作った余り、また差し入れしてくれないかなぁ」
狂気と恋心が入り混じった独り言が、水曜日の夕空に溶けていった。
★★★★★★★★★★★
「ただいまー」
アパートに帰宅した悠作は、玄関でブーツを脱ぎ捨て、真っ直ぐキッチンへと向かった。
道中で変な連中を見た気がするが、そんなことより鍋の中身だ。
「よし、いい匂いだ」
鍋の蓋を開ける。
ふわぁっ、と濃厚な湯気が立ち上る。
赤ワインとフォンドヴォーで煮込まれ、丸二日かけて完成した牛すじは、見るからに味が染みて飴色に輝いている。
「……これだよ。これを待っていたんだ」
悠作はガッツポーズをした。
皿に盛り付け、バゲットを添える。
今日は家でゆっくりと、この極上の煮込みを楽しむのだ。
「ポチ、お前の分もあるぞ」
専用の深皿に山盛りの煮込みを入れてやると、ポチは尻尾が千切れんばかりに振って飛びついた。
ガツガツガツ!
一瞬で皿が空になる。
「早いな……味わって食えよ」
「ワフッ!」
おかわりを要求するポチ。
悠作は苦笑しながら、自分も食卓についた。
バゲットをソースに浸し、牛すじを乗せて口に運ぶ。
濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。時間をかけた分だけ、角が取れ、まろやかで奥深い味わいになっている。
「くぅ~……これだよ、これ」
至福の時間を過ごした後、俺はふと思い立った。
「そうだ、ポチ。お前、うちに来てから一度も風呂に入ってないな?」
「……?」
ポチがキョトンと首を傾げる。
ダンジョン育ちの魔獣に風呂の習慣はないだろうが、室内飼いをするなら清潔にしておきたい。
俺は浴室にお湯を張り、ポチを抱えて連れて行った。
「いいか、暴れるなよ。お湯は気持ちいいぞー」
「クゥーン(ちょっと怖い)」
初めて見るたっぷりの温水に、ポチは少し尻込みしている。
俺は洗面器でお湯をすくい、ポチの足先にかけてやった。
「ほら、怖くない。温かいだろ?」
ポチはビクッとしたが、すぐに「あれ? 悪くないぞ?」という顔をした。
そして、恐る恐る前足を浴槽の縁にかけ、中を覗き込む。
「入ってみるか?」
俺が抱き上げ、ゆっくりと湯船に浸からせる。
チャポン。
お湯が波打ち、白い毛がゆらゆらと揺れる。
「……ワフゥ~~~」
ポチの口から、魂が抜けるようなため息が漏れた。
目がとろんとして、耳がぺたんと倒れる。
どうやら気に入ったらしい。
犬かきのように前足を動かし、パシャパシャとお湯を掻いている。
「ははっ、極楽か?」
俺はスポンジに泡を立て、ポチの体を洗い始めた。
モコモコの泡に包まれて、ポチはされるがままになっている。
頭に泡を乗せてやると、鏡を見て「なんだこれ?」と首を振った。泡が飛び散る。
「こらこら」
シャワーで流し、タオルで拭いてやると、ポチはドライヤーの風に立ち向かうように口を開けて風を食べていた。
フワフワになったポチは、石鹸のいい匂いをさせて俺の膝に乗ってきた。
「……お前、意外と風呂好きだったんだな」
「ワフン(毎日入る!)」
平和だ。
外ではカイトたちが気絶したまま発見され、ついに警察のご厄介になる騒ぎになっているが、悠作の知るところではない。
カイトたちとの因縁に決着がつき、悠作の元に一時の平和が訪れていた。
しかし、それは束の間の休息に過ぎない。
協会の隠蔽工作が限界を迎え、ネットで崇拝される「パジャマの英雄」を、世界が放っておくはずがないのだから。
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「これぐらいできないと怒鳴られましたから......」
一方、ロードが追放されたパーティーは、だんだんと崩壊していくのだった。
これは、一人の少年が幸せを送り、幸せを探す話である。
※小説家になろう様でも連載しております。
2021/02/12日、完結しました。
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