勇者召喚に巻き込まれた家族のサバイバル

ken

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歓声の檻

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 お尻に走った衝撃の痛みが、遅れて背骨をつたって頭まで響いた。息が詰まる。視界が滲む。だが、痛みより先に耳が現実を掴んでしまう。

 ――うるさい。

 歓声。拍手。足音。金属の擦れる音。炎が爆ぜる音。人いきれ。
 そして、そのすべてを押しのけるように――

「ワン! ワンッ! ワンワンワン!」

 コハクが吠える。悲鳴に近い吠え方だ。普段の、遊びに誘う声ではない。恐怖が喉を細く尖らせた、命綱みたいな吠え方。

「コハク、コハク、大丈夫だ。大丈夫だぞ」

 父が抱えている。胸に押しつけるように、両腕で包んでいる。父自身も身を縮めているのに、抱く腕だけは崩れない。コハクの震えが、父の服を小刻みに揺らしていた。

 母の手が、私の袖を掴んだままだ。爪が食い込むほど強い。月子は父の隣に寄り、肩に手を置き、半歩だけ前へ出ている。庇う位置だ。駅で揉め事に巻き込まれたとき、彼女がいつも無意識に取る立ち方――“まず盾になる”立ち方。

 私は腰を押さえながら上体を起こし、息を整えて周囲を見た。

 石の床。高い天井。太い梁。壁に並ぶ燭台。松明の火が揺れている。
 電気がない。蛍光灯もない。影の揺れが、空間を生き物みたいに見せる。

 その空間を、ローブ姿の人間と、騎士っぽい鎧の人間が埋め尽くしていた。
 布を何重にも重ねた者。胸に紋章を縫い付けた者。槍を持ち、顔を硬くした者。
 ――まあ、ファンタジーな恰好をした人達。そう言うしかない。

 彼らは私たちを見下ろし、喜んでいる。成功を祝っている。歓声は“歓迎”の形をしているのに、その目は人を見ていない。まるで獲物を見つけた猟犬みたいに、興奮の光だけがある。

 コハクが吠えるたび、数人の騎士が顔をしかめる。槍の穂先がわずかにこちらへ向く。
 母が息を呑み、月子の肩がぴくりと動いた。

「……なにここ……」

 口から漏れたのは、問いというより、現実の確認だった。

 思わず見回して、すぐに“もう一塊”が視界に入る。
 直達一家。

 直。派手な母親。赤く髪を染めた弟。水色に染めた妹。足元には柴犬のこまちちゃん。
 直の母親が喚いている。声量だけは世界が変わっても変わらない。

「ちょっと、誰か説明しなさいよ! ここどこ!? 何この広さ、天井高すぎでしょ! ――私のバッグ! スマホ! 運転手は!? 私を誰だと思ってるの!」

 弟は周囲の“女の目”を探すみたいに視線を滑らせ、妹は不機嫌そうに腕を組み、直は――珍しく言葉がない。口を半開きにして、ただ前を見ている。

 私たちは私たちで、守るので精一杯だった。
 父を中心に固まるしかない。コハクがいる。父の胸にいる。父が揺れれば、コハクが落ちる。父が傷つけば、コハクの世界が崩れる。

 私は呼吸を浅くし、耳を澄ませた。歓声の中の“意味のある断片”を拾う。
 救急外来で培った、雑音の海から必要な言葉だけを引き抜く癖。

「……成功だ」
「……召喚陣が……」
「……勇者……」
「……王子殿下……」

 ――日本語だ。

 ぞくり、と背筋が冷えた。
 明らかに外国人の顔立ちをしているのに。服装も文化も違うのに。
 なのに、耳に入る言葉だけが日本語として整ってしまう。

 翻訳。
 何らかの力で、言語がこちらの理解できる形に変換されている。
 つまり、ここは“普通の海外”ではない。

 頭の中で、いやに具体的な単語が組み上がる。

 ――勇者召喚。

 ライトノベルで見た。ゲームで見た。
 異世界の大国が儀式で“勇者”を呼び出し、災厄にぶつける。
 呼ばれた側の人生は、問答無用で切り取られる。

 両親が呆然としているのが分かった。父はコハクを抱く腕にさらに力を込め、母は視線が忙しく動く。出口を探し、危険を探し、逃げ道を組み立てようとしている。
 月子は唇を噛み、周囲を見て、そして私を見た。――「やばい」と、目が言っている。

 そのとき、ローブ姿の男が二人、こちらへ歩み出てきた。
 一人は白を基調とした神官のような装い。もう一人は黒に金の刺繍、杖を持つ。
 歩幅が揃っている。役割が決まっている。儀式の手順に沿って動いている。

 周囲がざわめき、歓声がさらに高まった。

「鑑定だ!」
「勇者の資質を! 称号を!」

 また日本語が飛ぶ。
 私は喉の奥が乾いていくのを感じた。鑑定――ステータス――役割分担。
 全部、物語の“お決まり”だ。だが、いまは現実だ。

 二人の男が、透明な板――水晶のような平板を掲げた。
 板の表面が、薄い光を帯びる。空気が張る。周囲が息を呑み、期待が一斉にこちらへ向く。

 そこで、直が前へ出た。

「おっ、鑑定? なにそれ、ステータス出るやつ? やべ、超おもしれーじゃん!」

 嬉々としている。こういう場面だけは強い。
 直の母親も食いつく。

「やって! 早くやって! 私、絶対すごいの出るわ!」

 弟は薄く笑い、妹は気だるそうに「あー、はいはい」とでも言いたげに肩を落とした。

 神官が水晶板を直へ向ける。
 瞬間、板の表面に光の文字が浮かび上がった。観衆がどよめき、歓声が爆発する。

 読み上げが始まる。淡々と、容赦なく。

「……新方直。バツ二。無職。――称号『勇者』」

 歓声が割れた。
 直は胸を張る。無職も離婚も、いまこの場では“勝者の装飾”にしかなっていない。

 次に呼ばれたのは、若作り命の直の父だった。髪も肌も、年齢への抵抗がにじむ。だが立ち方だけは自信満々だ。

「……新方一星。バツ三。――称号『聖盾騎士』」

 盾。守護。聖。
 観衆が再び沸く。
 私は息を呑んだ。よりによって、責任から逃げることに長けた男に“守る称号”。皮肉が胸の奥に刺さる。

 続いて、水色に髪を染めた直の妹。自堕落な家事手伝い。眠そうな目で板へ近づく。

「……新方ミオ。家事手伝い。――称号『大魔導士』」

 夢を蝕む。大魔導士。
 歓声はさっきより一段高い。だが本人は肩をすくめるだけで、興味がない顔をした。
 力と無関心が同居すると、厄介だ――医師の直感ではなく、人間としての直感がそう告げた。

 そして最後に、赤く髪を染めた弟。女を常に何人もキープし、大学やキャバクラに出入りし、歌謡学生――そんな単語が勝手に浮かぶほど、匂いがある男。

「……新方レイジ。――称号『吟遊士』」

 妖しく奏で、惑わせる吟遊士。
 歓声の中に、甘い嬌声が混じった。レイジはそれを当然のように受け取り、片手を上げて笑った。

 直達一家の鑑定が終わる。
 神官と魔導士が、次の対象へ視線を動かした。

 その視線が――こちらへ向くのを、私は見た。

 父の腕の中で、コハクが小さく息を呑んだ。
 母の指が、私の袖をさらに強く掴む。
 月子が、父の前に半歩出た。

 私は一度だけ、深く息を吸った。

 ――ここからが、本当の地獄かもしれない。

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