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第12話 紙の上の作戦会議
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扉の外で待っていた騎士は、こちらが何か言う前に視線を促すだけで歩き出した。拒否の余地がない歩幅だ。私たちはその背中に合わせて動く。父の腕の中でコハクが小さく震え、月子が父の肘をそっと支える。母は私の背中側にぴたりとつき、四人と一匹が一塊のまま廊下を進んだ。
磨かれた石床。装飾の凝った柱。やけに甘い香を含んだ空気。
立派であるほど、逃げ場がない。
通されたのは、客間より小さく、しかし妙に整い過ぎた応接室だった。机と椅子が正面を向いて揃い、壁際には無言の騎士が二人。視線を落としているのに、こちらの呼吸まで数えていそうな気配がある。
席の向こうに、ヴァレリア副大臣がいた。背筋の伸びた壮年の女性。薄い色合いの長い金髪を一つにまとめ、目元には疲れが滲まない。忙しさを押し殺して立ち続ける人の体の作り方をしている。
「時間を取れず、すみません」
口調は丁寧だが、感情の余白は少ない。必要なことを必要なだけ伝え、手続きを進める。そのための声だった。
ヴァレリアは机上に一枚の文書を置いた。厚みはない。だが紙質がいい。国家が使う紙だと分かる。
「先に確認です。あなた方の能力情報について、鑑定の場で漏れました。こちらが把握しているのは“漏れた”という事実と、現場の反応だけです。内容の細部は、鑑定の場にいた者しか知りません」
月子が即座に言う。
「じゃあ、今ここにいる人たちは?」
ヴァレリアは首を横に振った。
「私も含め、ここにいる者は詳細を知りません。だからこそ封じます。封じる範囲と対象は、この文書に記しました。あなた方が持ち帰る必要はありません。ここで確認してください」
私の胃の奥がきしんだ。持ち帰る必要がない。つまり、持ち帰らせない。管理する側の言葉だ。
「封じる、というのは……」
私が問いかけると、ヴァレリアは淡々と続けた。
「口外の禁止です。口頭だけではなく、第三者に伝達できる形の筆記、図示、合図も含めます。対象は鑑定の場に居合わせた者全員。あなた方ではありません」
父が抱えたコハクが、少しだけ尻尾を動かした。意味を理解したわけではないだろう。ただ、場の温度が下がったのを感じ取ったのだと思う。
母が、文書を一読する。視線が速い。設計図面を追う目だ。読み終えると、母は小さく頷いた。
「こちらの生活を縛る内容ではない。……ただし、この城内での出入りと接触については、別件で制限が入る可能性がある、という理解でよろしいですか」
「その通りです。あなた方の安全のために必要な範囲で」
安全、という語が、檻の鍵に聞こえる。
私は深呼吸して言った。
「制約をかけるなら、早くしてください。これ以上、誰かに知られたくない」
「準備は進めています。発動は今日中。ただ、術式官が現場の全員を特定し、順に付与します。時間がかかります」
月子が唇を噛む。
「今日中……」
「それまで、あなた方はこの区画から出ないでください。必要な物は運ばせます」
ヴァレリアはそれだけ告げると、文書を回収し、軽く頭を下げた。
「……私は戻ります。あなた方が生きて帰るために、こちらも動きます。ですが、あなた方の心が落ち着く保証まではできません」
忙しさが、言葉の端々に滲む。彼女は立ち上がり、騎士に合図して部屋を出た。扉が閉まり、足音が遠ざかる。
私たちは同じ騎士に導かれ、客間へ戻った。扉が閉じた瞬間、私は声を出しかけたが――母の手が、私の袖を軽く引いた。
母は、何も言わない。ただ、壁際を一瞬だけ見る。騎士の立ち位置。扉の近くにある、目立たない影。誰が監視で、誰が護衛なのか、そんな分類の意味はない。どちらもこちらの自由を削る存在だ。
母は机に紙を広げ、万年筆を置いた。そして、紙にたった二文字を書いた。
『筆談』
私は喉の奥が冷えた。さっきの説明で「あなた方には制約をかけない」と言われた。それでも、耳はある。目もある。ここで口を開けば、材料を渡すだけだ。
月子が、静かに頷く。父も、コハクを撫でる手を止めずに頷いた。コハクだけが、場違いなくらい無邪気に鼻を鳴らす。
母が、すでに書き留めていた紙束を引き寄せた。第十――いや、あの客間で、私たちが手探りで確認し、母が残したメモだ。そこには、私の固有スキルの説明が、驚くほど整った文章で写されている。母の字は綺麗だ。綺麗であるほど、内容の異様さが浮き彫りになる。
母はそのページを開き、私と月子に見せる。父にも見えるように、紙を少し回した。
そこに書かれていたのは――これだ。
---
【固有スキル 生活設計】
織庭神ルメイアからの気まぐれギフト。魔力の消費はない。亜空間に繋がっている。使用の際は「生活設計」と唱えること。スキル保持者の望む入口が現れる。生活設計の中は外界からの一切の影響を受けない。時間停止ではない。スキル保持者にしか開閉できない。生物の収納可能。スキル保持者が生活設計に生物を入れて移動することが可能。移動時の振動は生活設計内には伝わらない。ただし、スキル保持者が生活設計内にいると移動は不可。
生活設計を使用すればスキルレベルが上がり可能性が広がるが、どのようになるかはスキル保持者次第。スキル保持者自身のレベルアップにも、影響を受ける。成長が未知なスキル。
生活設計は、更に別の亜空間にも繋がっている。これは選択式でスキル保持者の魔力を消費するので、使用の際に注意が必要。こちらも生活設計のレベルやスキル保持者のレベルに影響を受ける。
---
月子が首を傾げる。目が文字の上を往復している。
私は、その文言の中で、どうしても引っかかる箇所があった。
――生物の収納可能。
――生物を入れて移動することが可能。
――移動時の振動は伝わらない。
――保持者が中にいると移動は不可。
喉から言葉が出かけた。いや、正確には、胸の中で叫びたかった。
(これ、使える。家族を入れて動ける。コハクも入れられる。守れる)
その瞬間、母の視線が私の口元に刺さった。声にするな、と言う目。
母は、紙の余白に小さく書き足した。
『口は危険。』
私は唇を噛んで頷き、同じ余白に、指先で軽く印をつけるように書いた。
『生物入れて移動=重要。』
月子が覗き込み、すぐに別の余白に書く。
『直対策?』
私は頷く。あいつは必ずやらかす。必ず、こちらに火の粉を飛ばす。こちらが避けても、あいつのほうから近寄ってくる。現実世界ですらそうだった。異世界でまともになるはずがない。
父が、紙の端に控えめに書く。
『コハクは入れる? 息は?』
私は父の字を見て、胸が詰まった。父の心配はいつだって先にコハクへ向く。家族が揃っているときほど、その優しさが痛い。
母が説明文を指先でなぞり、父の問いに対する答えを、そのまま示した。
『生物収納可能。外界の影響を受けない。』
父は一度だけ、強く頷いた。コハクの背を撫で、落ち着かせる。コハクは父の膝の上で丸くなり、耳だけをこちらへ向けている。
私たちは筆談で、次々と考えを書き並べた。声にしないぶん、思考が速くなる。紙の上なら、順番を入れ替えられる。消せる。線を引ける。
月子が書く。
『入口、どこに出る? 目立つ?』
私は書く。
『望む入口=形は選べる。場所は…要検証。部屋の角、ベッド脇、クローゼット風が無難?』
母が書く。
『試すなら、監視の目がない瞬間。まず小さく。入口だけ出してすぐ閉じる。』
父が書く。
『中に入ってる間は動けない=悠一郎が外に出る必要。危ない。』
私は書く。
『だから家族を中へ。俺は外で動く。短時間。』
月子が書く。
『短時間で済まない時は?』
私は手が止まった。紙の上で、ペン先が迷う。迷いはそのまま残る。残っていい。残るから次に繋げられる。
母が、私の迷いを拾うように書いた。
『長引くなら、別の亜空間。魔力消費。選択式。危険。温存。』
――更に別の亜空間にも繋がっている。魔力消費。注意。
そこは、まだ触れないほうがいい。逃げ道があると分かっただけで十分だ。焦って使えば、こちらが倒れる。医師として、私はそれを知っている。手札は、切る順番を間違えると毒になる。
月子が紙に書き足す。
『監視されてる=紙も見られる?』
母が静かに首を横に振り、書く。
『見られても、具体を残さない。合図と条件だけ。』
私はすぐに書く。
『人名、地名、手順の細部は書かない。』
月子が短く書く。
『了解。』
父が、コハクの頭を撫でながら書く。
『いつでも抱えて入れるように、ハーネス外さない。』
私はその一文に、胸が熱くなった。現実的で、強い。守る準備だ。
母がさらに書く。
『部屋の出入口付近、常に整える。持ち物、最小。』
設計士の整理は、ここで生きる。動線。配置。混乱したときに迷わないための形。
私は医師として、もう一つ書き足す。
『水。食。薬。優先順位。』
月子が即座に返す。
『スマホは? 使えないけど持つ?』
私は紙に小さく書く。
『光源、時計、メモ。持つ。』
父が書く。
『トイレ。風呂。』
母が書く。
『生活魔法持ちの父が対応…ただし外で目立たない。』
その文字を見て、父が小さく笑いそうな顔をした。声は出さない。笑いは紙の上に落とすには軽すぎる。だから父は、コハクの耳を軽く揉んだ。コハクが「ふぅ」と鼻を鳴らす。
紙の上に、少しだけ空気が戻る。
戻った空気の中で、私はもう一度、固有スキルの文言を見た。
外界からの影響を受けない。
時間停止ではない。
保持者にしか開閉できない。
私が閉じたら、誰も開けられない。私が倒れたら、家族は出られない。
守りの形が、同時に責任の形でもある。
私はペンを握り直し、余白に書いた。
『俺が倒れない前提は捨てる。代替手段を作る。』
月子がすぐに書く。
『代替=私が外に出る?』
母が書く。
『危険。悠一郎の体調管理。睡眠。食事。水。』
父が書く。
『休め。コハクの毛を撫でる時間も入れろ。』
私はその字を見て、喉の奥が痛くなった。父の言葉はいつも不器用だが、核心に刺さる。私は医師なのに、自分の体を後回しにする癖がある。家族を守ると決めた瞬間、無理を正当化してしまう。
母が紙を一枚めくり、新しいページを作った。見出しを書き、箇条書きを始める。
『優先』
『①家族を離さない』
『②情報を出さない』
『③コハクを最優先で守る』
『④入口の検証は慎重に』
『⑤別亜空間は最後』
月子が、その横に付け足す。
『直に近寄らない。見つけても逃げる。』
私はその一文に、強く頷いた。正しい。戦わない。勝ち負けの土俵に乗らない。あいつは、巻き込んでくることで満足する。巻き込まれなければ、こちらの勝ちだ。
そのとき、扉の外で、足音が止まった。
ノックが一度。
室内の空気が、また固まる。
母が、万年筆の先を紙から離し、私たち全員に目で合図した。
紙を伏せるのではない。伏せれば余計に怪しい。代わりに、余白に走り書きした。
『平常。』
私たちは瞬時に動いた。父はコハクを抱き直し、月子は椅子の背を軽く掴んで姿勢を整え、母は紙を机の端に揃える。私は深く息を吸い、顔の筋肉を落ち着かせる。
扉の外の声が、抑えた調子で言った。
「お食事の用意が整いました。必要であれば、水も追加できます」
母が私を見る。私が小さく頷く。母は声を出さずに、扉へ向かって一度だけ扉を開け、必要な物だけを受け取る仕草をした。
扉が閉まる。
母は戻り、机に盆を置いた。湯気の立つ皿と、パンに似たもの、水差し。
私たちは、紙の上で同じ言葉を書いた。
『食べる。』
生きるために。
守るために。
そして、次の一手を間違えないために。
コハクが父の腕の中でくるりと体勢を変え、丸い目で私を見た。
私は、声にせず、紙にだけ書いた。
『大丈夫。』
その二文字だけで、いまは十分だった。
磨かれた石床。装飾の凝った柱。やけに甘い香を含んだ空気。
立派であるほど、逃げ場がない。
通されたのは、客間より小さく、しかし妙に整い過ぎた応接室だった。机と椅子が正面を向いて揃い、壁際には無言の騎士が二人。視線を落としているのに、こちらの呼吸まで数えていそうな気配がある。
席の向こうに、ヴァレリア副大臣がいた。背筋の伸びた壮年の女性。薄い色合いの長い金髪を一つにまとめ、目元には疲れが滲まない。忙しさを押し殺して立ち続ける人の体の作り方をしている。
「時間を取れず、すみません」
口調は丁寧だが、感情の余白は少ない。必要なことを必要なだけ伝え、手続きを進める。そのための声だった。
ヴァレリアは机上に一枚の文書を置いた。厚みはない。だが紙質がいい。国家が使う紙だと分かる。
「先に確認です。あなた方の能力情報について、鑑定の場で漏れました。こちらが把握しているのは“漏れた”という事実と、現場の反応だけです。内容の細部は、鑑定の場にいた者しか知りません」
月子が即座に言う。
「じゃあ、今ここにいる人たちは?」
ヴァレリアは首を横に振った。
「私も含め、ここにいる者は詳細を知りません。だからこそ封じます。封じる範囲と対象は、この文書に記しました。あなた方が持ち帰る必要はありません。ここで確認してください」
私の胃の奥がきしんだ。持ち帰る必要がない。つまり、持ち帰らせない。管理する側の言葉だ。
「封じる、というのは……」
私が問いかけると、ヴァレリアは淡々と続けた。
「口外の禁止です。口頭だけではなく、第三者に伝達できる形の筆記、図示、合図も含めます。対象は鑑定の場に居合わせた者全員。あなた方ではありません」
父が抱えたコハクが、少しだけ尻尾を動かした。意味を理解したわけではないだろう。ただ、場の温度が下がったのを感じ取ったのだと思う。
母が、文書を一読する。視線が速い。設計図面を追う目だ。読み終えると、母は小さく頷いた。
「こちらの生活を縛る内容ではない。……ただし、この城内での出入りと接触については、別件で制限が入る可能性がある、という理解でよろしいですか」
「その通りです。あなた方の安全のために必要な範囲で」
安全、という語が、檻の鍵に聞こえる。
私は深呼吸して言った。
「制約をかけるなら、早くしてください。これ以上、誰かに知られたくない」
「準備は進めています。発動は今日中。ただ、術式官が現場の全員を特定し、順に付与します。時間がかかります」
月子が唇を噛む。
「今日中……」
「それまで、あなた方はこの区画から出ないでください。必要な物は運ばせます」
ヴァレリアはそれだけ告げると、文書を回収し、軽く頭を下げた。
「……私は戻ります。あなた方が生きて帰るために、こちらも動きます。ですが、あなた方の心が落ち着く保証まではできません」
忙しさが、言葉の端々に滲む。彼女は立ち上がり、騎士に合図して部屋を出た。扉が閉まり、足音が遠ざかる。
私たちは同じ騎士に導かれ、客間へ戻った。扉が閉じた瞬間、私は声を出しかけたが――母の手が、私の袖を軽く引いた。
母は、何も言わない。ただ、壁際を一瞬だけ見る。騎士の立ち位置。扉の近くにある、目立たない影。誰が監視で、誰が護衛なのか、そんな分類の意味はない。どちらもこちらの自由を削る存在だ。
母は机に紙を広げ、万年筆を置いた。そして、紙にたった二文字を書いた。
『筆談』
私は喉の奥が冷えた。さっきの説明で「あなた方には制約をかけない」と言われた。それでも、耳はある。目もある。ここで口を開けば、材料を渡すだけだ。
月子が、静かに頷く。父も、コハクを撫でる手を止めずに頷いた。コハクだけが、場違いなくらい無邪気に鼻を鳴らす。
母が、すでに書き留めていた紙束を引き寄せた。第十――いや、あの客間で、私たちが手探りで確認し、母が残したメモだ。そこには、私の固有スキルの説明が、驚くほど整った文章で写されている。母の字は綺麗だ。綺麗であるほど、内容の異様さが浮き彫りになる。
母はそのページを開き、私と月子に見せる。父にも見えるように、紙を少し回した。
そこに書かれていたのは――これだ。
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【固有スキル 生活設計】
織庭神ルメイアからの気まぐれギフト。魔力の消費はない。亜空間に繋がっている。使用の際は「生活設計」と唱えること。スキル保持者の望む入口が現れる。生活設計の中は外界からの一切の影響を受けない。時間停止ではない。スキル保持者にしか開閉できない。生物の収納可能。スキル保持者が生活設計に生物を入れて移動することが可能。移動時の振動は生活設計内には伝わらない。ただし、スキル保持者が生活設計内にいると移動は不可。
生活設計を使用すればスキルレベルが上がり可能性が広がるが、どのようになるかはスキル保持者次第。スキル保持者自身のレベルアップにも、影響を受ける。成長が未知なスキル。
生活設計は、更に別の亜空間にも繋がっている。これは選択式でスキル保持者の魔力を消費するので、使用の際に注意が必要。こちらも生活設計のレベルやスキル保持者のレベルに影響を受ける。
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月子が首を傾げる。目が文字の上を往復している。
私は、その文言の中で、どうしても引っかかる箇所があった。
――生物の収納可能。
――生物を入れて移動することが可能。
――移動時の振動は伝わらない。
――保持者が中にいると移動は不可。
喉から言葉が出かけた。いや、正確には、胸の中で叫びたかった。
(これ、使える。家族を入れて動ける。コハクも入れられる。守れる)
その瞬間、母の視線が私の口元に刺さった。声にするな、と言う目。
母は、紙の余白に小さく書き足した。
『口は危険。』
私は唇を噛んで頷き、同じ余白に、指先で軽く印をつけるように書いた。
『生物入れて移動=重要。』
月子が覗き込み、すぐに別の余白に書く。
『直対策?』
私は頷く。あいつは必ずやらかす。必ず、こちらに火の粉を飛ばす。こちらが避けても、あいつのほうから近寄ってくる。現実世界ですらそうだった。異世界でまともになるはずがない。
父が、紙の端に控えめに書く。
『コハクは入れる? 息は?』
私は父の字を見て、胸が詰まった。父の心配はいつだって先にコハクへ向く。家族が揃っているときほど、その優しさが痛い。
母が説明文を指先でなぞり、父の問いに対する答えを、そのまま示した。
『生物収納可能。外界の影響を受けない。』
父は一度だけ、強く頷いた。コハクの背を撫で、落ち着かせる。コハクは父の膝の上で丸くなり、耳だけをこちらへ向けている。
私たちは筆談で、次々と考えを書き並べた。声にしないぶん、思考が速くなる。紙の上なら、順番を入れ替えられる。消せる。線を引ける。
月子が書く。
『入口、どこに出る? 目立つ?』
私は書く。
『望む入口=形は選べる。場所は…要検証。部屋の角、ベッド脇、クローゼット風が無難?』
母が書く。
『試すなら、監視の目がない瞬間。まず小さく。入口だけ出してすぐ閉じる。』
父が書く。
『中に入ってる間は動けない=悠一郎が外に出る必要。危ない。』
私は書く。
『だから家族を中へ。俺は外で動く。短時間。』
月子が書く。
『短時間で済まない時は?』
私は手が止まった。紙の上で、ペン先が迷う。迷いはそのまま残る。残っていい。残るから次に繋げられる。
母が、私の迷いを拾うように書いた。
『長引くなら、別の亜空間。魔力消費。選択式。危険。温存。』
――更に別の亜空間にも繋がっている。魔力消費。注意。
そこは、まだ触れないほうがいい。逃げ道があると分かっただけで十分だ。焦って使えば、こちらが倒れる。医師として、私はそれを知っている。手札は、切る順番を間違えると毒になる。
月子が紙に書き足す。
『監視されてる=紙も見られる?』
母が静かに首を横に振り、書く。
『見られても、具体を残さない。合図と条件だけ。』
私はすぐに書く。
『人名、地名、手順の細部は書かない。』
月子が短く書く。
『了解。』
父が、コハクの頭を撫でながら書く。
『いつでも抱えて入れるように、ハーネス外さない。』
私はその一文に、胸が熱くなった。現実的で、強い。守る準備だ。
母がさらに書く。
『部屋の出入口付近、常に整える。持ち物、最小。』
設計士の整理は、ここで生きる。動線。配置。混乱したときに迷わないための形。
私は医師として、もう一つ書き足す。
『水。食。薬。優先順位。』
月子が即座に返す。
『スマホは? 使えないけど持つ?』
私は紙に小さく書く。
『光源、時計、メモ。持つ。』
父が書く。
『トイレ。風呂。』
母が書く。
『生活魔法持ちの父が対応…ただし外で目立たない。』
その文字を見て、父が小さく笑いそうな顔をした。声は出さない。笑いは紙の上に落とすには軽すぎる。だから父は、コハクの耳を軽く揉んだ。コハクが「ふぅ」と鼻を鳴らす。
紙の上に、少しだけ空気が戻る。
戻った空気の中で、私はもう一度、固有スキルの文言を見た。
外界からの影響を受けない。
時間停止ではない。
保持者にしか開閉できない。
私が閉じたら、誰も開けられない。私が倒れたら、家族は出られない。
守りの形が、同時に責任の形でもある。
私はペンを握り直し、余白に書いた。
『俺が倒れない前提は捨てる。代替手段を作る。』
月子がすぐに書く。
『代替=私が外に出る?』
母が書く。
『危険。悠一郎の体調管理。睡眠。食事。水。』
父が書く。
『休め。コハクの毛を撫でる時間も入れろ。』
私はその字を見て、喉の奥が痛くなった。父の言葉はいつも不器用だが、核心に刺さる。私は医師なのに、自分の体を後回しにする癖がある。家族を守ると決めた瞬間、無理を正当化してしまう。
母が紙を一枚めくり、新しいページを作った。見出しを書き、箇条書きを始める。
『優先』
『①家族を離さない』
『②情報を出さない』
『③コハクを最優先で守る』
『④入口の検証は慎重に』
『⑤別亜空間は最後』
月子が、その横に付け足す。
『直に近寄らない。見つけても逃げる。』
私はその一文に、強く頷いた。正しい。戦わない。勝ち負けの土俵に乗らない。あいつは、巻き込んでくることで満足する。巻き込まれなければ、こちらの勝ちだ。
そのとき、扉の外で、足音が止まった。
ノックが一度。
室内の空気が、また固まる。
母が、万年筆の先を紙から離し、私たち全員に目で合図した。
紙を伏せるのではない。伏せれば余計に怪しい。代わりに、余白に走り書きした。
『平常。』
私たちは瞬時に動いた。父はコハクを抱き直し、月子は椅子の背を軽く掴んで姿勢を整え、母は紙を机の端に揃える。私は深く息を吸い、顔の筋肉を落ち着かせる。
扉の外の声が、抑えた調子で言った。
「お食事の用意が整いました。必要であれば、水も追加できます」
母が私を見る。私が小さく頷く。母は声を出さずに、扉へ向かって一度だけ扉を開け、必要な物だけを受け取る仕草をした。
扉が閉まる。
母は戻り、机に盆を置いた。湯気の立つ皿と、パンに似たもの、水差し。
私たちは、紙の上で同じ言葉を書いた。
『食べる。』
生きるために。
守るために。
そして、次の一手を間違えないために。
コハクが父の腕の中でくるりと体勢を変え、丸い目で私を見た。
私は、声にせず、紙にだけ書いた。
『大丈夫。』
その二文字だけで、いまは十分だった。
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戦わない、争わない。
ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。
ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、
やさしい異世界孤児院ファンタジー。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
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