勇者召喚に巻き込まれた家族のサバイバル

ken

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第19話 目に映る扉、見えない境界

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 扉は、鍵だ。

 そして鍵には、必ず“癖”がある。

 実家の玄関ドアみたいな顔をして、私にだけ従うこの扉も例外じゃない。便利さに酔うと、あっさり首を取られる。だから私は、最初の数日を、ひたすら検証に注ぎ込むことにした。家族にとって、これが命綱になるかもしれないのなら――検証は、料理の下ごしらえと同じだ。面倒でも、手を抜いたら後で必ず痛い目を見る。

 母が先に、照覧で周囲を確かめる。私たちのいる家は大きい。庭がある分、死角も増える。だからこそ、確認の回数は多い方がいい。

「今は……近くに人の気配はないわ」

 母の声は小さい。無意識に、壁にも耳がある前提で話している。父はコハクの喉元を撫で、犬の呼吸が落ち着くのを待っている。月子は腕を組み、私の手元を見ていた。彼女の目は、仕事場でトラブルを潰す人間のそれだ。楽観なんて最初からない。

「じゃあ、やる」

 私は廊下に立つ。さっき扉を出した場所から、少し離れた地点だ。石造りの家は、音が響く。歩幅を抑え、足音を殺す。妙に神経が研ぎ澄まされるのは、ここが“帰れない世界”だからだ。

 問題は、離れた場所でも扉を使えるか、だった。

 結論から言うと――使える。だが、縛りがある。

「生活設計」

 唱えるだけでは足りない。扉を出したい地点を、きっちり決める。そこに“玄関がある”と、強く想像する。さらに、私は“開ける動作”を同時にする必要があった。取っ手を掴み、捻って、引く。まるで、そこに既に扉があるかのように。

 すると――空気が裂けるように、玄関ドアが現れる。

 ただし。

 現れるのは、必ず私の目視範囲内だけだ。

 視界に入っている場所なら、距離は多少あっても成立する。廊下の先、角を曲がった先が見える位置なら、そこへ出せる。庭へ向かうガラス戸越しに、庭の一角が見えるなら、そこにも出せる。

 だが、壁の向こうは無理だった。

 私は隣の部屋で試した。扉を出したい場所を頭に描く。距離も近い。動作も同じ。なのに、何度やっても現れない。まるで、私の想像が、壁に弾かれて霧散するみたいに。

 月子が呟いた。

「目で確認できない場所は、出せない……ってことか」

「多分。目視が条件」

 母が頷く。

「制約があるのは当然ね。無制限に出せたら、それこそ危険だもの」

 危険。そうだ。便利すぎる力は、必ず奪われる。だから、制約があるなら歓迎すべきだ――そう思うのに、胸の奥が少しだけ冷える。もしも逃げる時、角を曲がった先に扉を出したくても見えなければ出せない。暗闇なら、見えない。煙で視界が潰れても、見えない。

 私は、覚えておくべきことを頭の中で箇条書きにした。

 目視。動作。想像。時間制限。音の遮断。保存と隔離。運搬。

 そして、もうひとつ。

 扉を“閉める”だけなら、別のやり方ができた。

 扉を開けて部屋に入る。中の白い空間に一歩踏み込む。そこで扉を閉める――その動作すら、いらなかった。頭の中で「閉まれ」と念じるだけで、扉はすっと閉じた。まるで、鍵を回すみたいに。

 もっとも、開けっ放しにした場合は三分で勝手に閉じて消える。放っておいても閉まるのなら、閉める機能は保険に過ぎない。

 けれど、保険は命を救う。

「閉められるなら、中の人を守る速度が上がる」

 月子が、即座に実務的な結論を出した。

「うん。開けたままの三分は短い。慌ててると、絶対ミスる」

 父はコハクの前足をそっと握って、深呼吸した。

「……コハクが入ったまま閉じたら、出せるよな?」

 私は、父の視線を正面から受け止めた。

「出せる。私が開ける限り」

 その言葉に、父の肩が少しだけ落ちる。安心と不安が混ざった、複雑な動きだった。家族を守れる力を得た喜びと、それが“私ひとり”に集中する怖さ。私だって、同じものを感じている。

 検証は地味だ。だが、地味だからこそ、積み重ねが効く。

 開ける。入る。置く。閉める。消える。再び出す。確認する。閉める。移動する。出す。開ける。合流する。

 この繰り返しを、何十回もやった。母の照覧による安全確認も、その都度挟んだ。周囲に誰もいないと分かっていても、確認を省けば、次に省略が癖になる。癖は、必ず破綻につながる。

 月子が途中で笑った。

「悠一郎、これ、訓練じゃなくて仕事だな」

「仕事だよ。命を守る仕事」

 医師としての仕事より、よほど正解がない。よほど、怖い。

 けれど、やっているうちに、身体が覚えていく。扉を出す動作が、息をするのと同じくらい自然になる。玄関ドアの取っ手を捻る感覚が、手の中に馴染んでいく。

 そして、数日が過ぎた頃。

 扉を出して、閉めて、消して、また出して――その瞬間、視界の端に、見慣れない文字列が弾けた。

【スキル 生活設計 レベル5にアップしました】

 私は反射的に目を瞬かせる。

 次の瞬間。

 てってれってー、と安っぽい音楽が頭の中で鳴った。

「……は?」

 声が漏れた。月子が眉を上げ、母が怪訝そうにこちらを見る。父はコハクの耳を撫でながら、「どうした」と口の形だけで聞いてくる。

 私は、頭の中の表示を追った。

【HP1000追加 レベルアップに伴い ボーナスポイント5000追加されます】

 ……HP?

 ポイント?

 思わず口を引き結ぶ。さっきまでの表示は、もっと淡々としていた。必要事項だけが出て、消える。なのに今回は、やけに“ゲーム”っぽい。しかも、音付き。

 そして何より、ナレーションの調子が違う。いつもより軽い。悪ふざけにも見える。腹が立つべきなのに、私は奇妙に冷静だった。むしろ、増えるなら助かる、と即座に思ってしまった。最低だ。でも、現実は現実だ。使えるものは使う。

 表示は続く。

【生活設計レベル5になったため、四畳半から六畳に拡大します。SP(生活ポイント)でオプションを追加できます】

「……説明、最後まで言えよ」

 思わず毒づいた。文章が途中で切れている。日本語だったり、アルファベットだったり。統一感がない。誰が作ったシステムか知らないが、雑すぎる。ふざけるな、と言いたくなる。

 月子が肩をすくめた。

「雑な仕様でも、増えるなら勝ち。六畳はでかい」

 母が私の表情を見て、察したように言う。

「表示が出たのね。……内容、覚えてる?」

 私は頷き、口の中で反芻した。

 六畳に拡大。
 HPが増える。ボーナスポイントが増える。
 そして、SP――生活ポイントで、オプションを追加できる、らしい。

 ポイントの意味は分からない。だが、“拡張”という単語が出た時点で価値はある。狭い白い部屋が広がるなら、できることも増える。コハクが落ち着ける。父が座れる。月子が作業できる。母が休める。私が考えられる。

 私は、廊下に扉を出した。

「生活設計」

 玄関ドアが現れ、私はいつもの動作で開ける。

 白い部屋が――変わっていた。

 確かに広い。圧迫感が薄れ、空気が少しだけ柔らかい。床も壁も天井も白いままなのに、広さが変わるだけで、ここまで“生きた空間”に近づくのかと驚く。六畳。たったそれだけの差が、人間の心に与える影響は大きい。

 私は、笑いそうになった。笑う状況じゃないのに。

 月子が覗き込み、短く息を吐く。

「……これなら、コハクも回れる」

 父が小さく頷いた。コハクは扉の縁を嗅ぎ、慎重に前足を一歩入れる。尻尾が揺れた。怖いけれど、怖すぎない。安全が匂いで分かっているのか、ただ父がいるからなのか――どちらにせよ、今はありがたい。

 母が言った。

「ポイントの使い道は、慎重に考えましょう。増えたからといって、すぐに使うのは危険よ」

 その通りだ。増えたポイントが、どこから来たのか分からない。無償の贈り物ほど、怖いものはない。

 だが同時に、私は確信した。

 この技能は、使えば育つ。
 育てれば、逃げ道が太くなる。

 目に映る範囲にしか扉は出ない。壁の向こうには開けない。時間制限もある。雑な表示もある。安っぽい音も鳴る。

 それでも。

 六畳に広がった白い空間に立った瞬間、私は思った。

 これなら――まだ、生き延びられる。

 私は取っ手に手を添え、ゆっくりと扉を閉めた。
 頭の中で“閉まれ”と念じると、鍵がかかるような感覚が返ってくる。

 外の世界の匂いが、消える。
 外の世界の音が、途切れる。
 ここには、私たちの呼吸だけが残る。

 私は家族を見回した。父はコハクを抱き、月子は目を細め、母は静かに頷く。

 最初の数日を、検証に費やしたのは正しかった。
 まだ何も、安心できない。
 でも、安心を作る手順なら、作れる。

 私は心の中で、もう一度だけ唱えた。

 ――次は、もっと確実に。
 ――次は、もっと安全に。
 ――次は、もっと強く。

 扉の向こうに広がる白い部屋は、少しずつ、私たちの“生活”に近づいていく。
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