死者からの検索履歴、削除しますか? ~デジタル遺品整理室の暗号解読~

ken

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第二章:黒い履歴と白い嘘

第18話 AIに残された恋人(前編)

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 12月の神保町は、枯葉色のフィルターがかかったような独特の哀愁を漂わせている。
 古書店街の並木道。冷たい風が吹き抜ける中、不釣り合いな二人が歩いていた。

「……おい、大家。いつまで連れ回す気だ」

 所長の阿部邦彦は、マフラーに顔を埋めながら文句を言った。
 隣を歩くのは、この街の主であり、阿部の天敵でもある後藤かほりだ。
 彼女はクラシカルなツイードのコートにベレー帽を合わせ、手には文庫本を持っている。まるで文学少女がそのまま大人になったような佇まいだが、その実態は阿部の生殺与奪の権を握る猛獣使いである。

「文句を言わないの。家賃の更新料、まけてあげたでしょ? その対価よ」
「対価が『荷物持ち』兼『散歩の同伴』か。安く見られたもんだ」
「あら、光栄に思いなさいよ。神保町の女王とデートできるなんて」

 かほりは悪戯っぽく微笑み、老舗の喫茶店『ラドリオ』に入った。
 レンガ造りの薄暗い店内。琥珀色の照明。
 二人は奥の席に向かい合った。

「……で? 本当の目的はなんだ」

 阿部はウインナーコーヒーを注文し、訝しげにかほりを見た。
 彼女が単なる暇つぶしで阿部を連れ出すはずがない。

「阿部くん。あなた最近、データの『0』と『1』ばかり見て、人間の『顔』を見てない気がしてね」
「職業柄、仕方ないだろ」
「データは事実を語るけど、真実を語るとは限らないわ。……これ、読んでみて」

 かほりは読んでいた文庫本を阿部に差し出した。
 フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』だ。

「人間とアンドロイドの違いは何だと思う? 知能? 感情? ……いいえ、『共感』よ」
「……何が言いたい」
「これから来る依頼人。……ちょっと厄介よ。技術だけじゃ解けないわ」

 かほりは意味深に予言した。
 彼女の勘は、時として阿部の検索アルゴリズムより鋭い。
 喫茶店のスピーカーから流れるシャンソンを聴きながら、阿部は苦いコーヒーに浮かぶ甘い生クリームを啜った。
 この甘さと苦さのアンバランスさが、妙に心に引っかかった。

 事務所に戻ると、予言通り「厄介な」空気を纏った依頼人が待っていた。
 石川彩が困った顔でお茶を出している。

「……お待たせいたしました、所長」

 依頼人は、高木翔太さん。
 大手IT企業のエンジニアだという彼は、質の良いスーツを着ているが、ネクタイは緩み、無精髭が目立つ。そして何より、その目は深く落ち窪み、焦点が定まっていなかった。
 彼の腕には、一台のハイスペックなノートPCが抱えられている。まるで赤ん坊を抱くように、大切そうに。

「……阿部さんですね。噂は聞いています。どんなプロテクトでも解除できる、と」
「モノによるな。依頼品はそのPCか?」
「はい。……この中に、彼女がいます」

 高木さんはPCをテーブルに置いた。
 ステッカーでデコレーションされた、女性的なデザインのPCだ。

「婚約者の、美咲のものでした。彼女は……先月、急性白血病で亡くなりました」
「ご愁傷様です」
「美咲は、天才的なAIエンジニアでした。彼女は生前、ある『個人的なプロジェクト』に没頭していました。それは……自分自身の人格、記憶、思考パターンを学習させた、対話型AIの開発です」

 阿部の眉がピクリと動いた。
 人格コピーAI。SFの世界の話だが、技術的には不可能ではない領域に来ている。

「彼女はそれを『Me』と呼んでいました。『私が死んでも、Meがいれば貴方は寂しくないわ』って……。でも、彼女が亡くなった後、このPCを開こうとしたら、強固なプロテクトがかかっていて起動できないんです」

 高木さんは悲痛な声で訴えた。

「お願いします。ロックを解除して、『Me』を起動してください。僕は……もう一度、彼女と話がしたいんです」

 切実な願い。
 しかし、阿部は冷たく言い放った。

「断る」
「えっ……?」
「死者を模倣したAIなど、遺族を狂わせるだけだ。それは美咲さんじゃない。過去のログを継ぎ接ぎして、それらしい言葉を吐き出すだけのチャットボットだ。そんなものに依存すれば、あんたは現実に戻れなくなるぞ」

 阿部の言葉は正論だった。
 技術者として、AIの限界と残酷さを知っているからこその拒絶だ。
 しかし、高木さんは食い下がった。

「偽物でもいいんです! 嘘でもいいから、彼女の声が聞きたい……! そうじゃなきゃ、僕は……生きていけない……」

 その目には、狂気にも似た執着が宿っていた。
 阿部は顔をしかめ、追い返そうとした。
 その時。

「所長、お願いします」

 彩が口を挟んだ。
 彼女は高木さんの横に立ち、真っ直ぐに阿部を見つめていた。

「この方の依頼、受けてあげてください」
「石川、お前もか。これは救いじゃない、麻薬だぞ」
「かもしれません。でも……何も言わずに消えてしまった大切な人と、もう一度話したいと願う気持ちは、痛いほど分かります」

 彩の手が、ポケットの中の自分のスマホに触れていた。
 彼女もまた、姉の「声」を探し求めた一人だ。

「それが偽物だと分かっていても、サヨナラを言うための時間が必要な時もあるんです。……このまま門前払いしたら、高木さんは本当に壊れてしまいます」
「……」

 阿部は彩の真剣な眼差しと、憔悴しきった高木さんを見比べた。
 そして、先ほどのかほりの言葉を思い出した。

 『人間とアンドロイドの違いは、共感よ』

 論理で言えば断るべきだ。だが、感情はそれを許さない。

「……チッ。分かったよ」

 阿部は乱暴に頭をかきむしり、PCを引き寄せた。

「ただし条件がある。起動に成功しても、それが『彼女そのもの』だとは思うな。あくまでプログラムだ。それを理解できるならやる」
「はい……! 約束します!」

 高木さんの顔に、微かな希望の光が差した。
 阿部はPCをケーブルに繋ぎ、解析ツールを走らせた。
 画面に文字列が流れる。

「……ふん。美咲さんと言ったか。相当な腕前だな」

 阿部は感心したように呟いた。

「OSレベルから書き換えられている。通常のブルートフォース攻撃は通用しない。セキュリティゲートには、特殊な認証システムが組み込まれている」
「認証システム?」
「パスワード入力じゃない。『質問』だ」

 阿部がエンターキーを押すと、モニターにポップアップウィンドウが表示された。
 そこには、無機質なフォントでこう書かれていた。

 『Q1. 私たちが初めて出会った場所は?』

「……記憶認証か」
「はい。彼女は言っていました。『Me』を目覚めさせることができるのは、私を一番よく知っている人だけだって」
「ロマンチックだが、ハッカー泣かせな仕様だ。辞書攻撃が効かん」

 阿部は高木さんに向き直った。

「ここからは共同作業だ。俺がシステム内部の回答照合プロセスを監視する。高木さん、あんたは正解を入力しろ。ただし、チャンスは少ない。ミスが続けばデータは自己崩壊する仕組みだ」
「わ、分かりました」

 高木さんは震える指でキーボードに向かった。

「初めて出会った場所……。大学の図書館です」
「入力しろ」

 高木さんが『大学の図書館』と打ち込む。
 正解。次の質問が表示される。

 『Q2. 初めてのデートで見た映画のタイトルは?』
 『Q3. 私がコーヒーに入れる砂糖の数は?』

 高木さんは次々と答えていく。

 『スター・ウォーズ』、『2個』。

 順調に見えた。しかし、質問は徐々に難易度を増していった。

 『Q10. 私たちが一番激しく喧嘩した理由は?』

 高木さんの手が止まった。

「喧嘩……。たくさんしました。どれのことだろう……」
「焦るな。システム側のログ解析によると、日付のタグ付けがされている。……3年前のクリスマスイブだ」
「3年前……ああっ!」

 高木さんは顔を覆った。

「僕が……仕事でデートをドタキャンした時だ。彼女、すごく怒って……いや、泣いてた」
「入力しろ。『ドタキャン』か?」
「いえ、違うんです。彼女が怒ったのは、ドタキャンしたことじゃなくて……僕が『たかがデートだろ』って言ったことに対してで……」

 高木さんは唇を噛み締め、『価値観の不一致』と入力しようとして、消した。
 迷いがある。
 入力ミスは許されない。

「石川、サポートしろ」

 阿部が指示した。
 彩は高木さんの隣に座り、優しく声をかけた。

「高木さん。美咲さんは、その喧嘩の後、何て言っていましたか? 仲直りの言葉は?」
「……彼女は、『時間は命の切り売りなのよ。それを軽んじないで』って」
「時間は命……。エンジニアらしい、でも切実な言葉ですね」
「はい。彼女は……その頃から、自分の病気に気づいていたのかもしれません。だから、一分一秒を大切にしたかったんだ」

 高木さんは涙を拭った。

「答えは……『時間の価値』だ」

 入力する。
 正解。ウィンドウが消え、プログレスバーが進む。
 あと少しだ。

「最後の質問だ」

 画面に表示されたのは、短い問いかけだった。

 『Last Question. 私が貴方を愛した理由は?』

 重い沈黙が流れた。
 あまりに主観的で、答えのない問い。
 高木さんは呆然とした。

「そんなの……分からないよ。優しいから? 趣味が合うから? 何度か聞いたけど、彼女はいつも『秘密』って笑うだけで……」
「思い出してください」

 彩が言った。

「美咲さんが、一番幸せそうにしていた瞬間を。その時、貴方は何をしていましたか?」
「幸せそうに……」

 高木さんは目を閉じ、記憶の糸を手繰り寄せる。
 阿部もまた、黙って待った。
 喫茶店でかほりが言っていた言葉が頭をよぎる。

 『人間は記憶でできている』。

 AIという論理の塊を起動する鍵が、最も曖昧な「愛の記憶」だというのは、美咲というエンジニアの皮肉だろうか。それとも祈りだろうか。

「……夢だ」

 高木さんが顔を上げた。

「僕が、独立して自分のサービスを作りたいって夢を語った時。彼女は一番嬉しそうに聞いてくれた。『貴方の作る未来が見たい』って」
「……」
「僕は、自信がなくて諦めかけていた。でも、彼女だけは信じてくれた。……答えは、『夢を信じてくれたから』……いや、『未来』か?」

 高木さんは迷いながらキーボードに手を置く。
 阿部がモニターの波形を見た。

「待て。……入力フォームの文字数制限を確認する。……全角4文字だ」
「4文字……?」

 高木さんは考え込む。
 夢、未来、信頼……どれも当てはまらない。
 彩がハッとして言った。

「高木さん。美咲さんは、ご自身もエンジニアでしたよね。……エンジニアにとって、最高の賛辞は何ですか?」
「えっ? それは……」

 高木さんの脳裏に、ある言葉が閃いた。
 病室で、最後に彼女が言った言葉。

 ――翔太くんのコードは、綺麗ね。

「……『同じ景色』?」
「違います」

 阿部が口を開いた。

「4文字だ。彼女はお前と同じ技術者だった。そしてお前の夢を共有していた。……なら、これしかないだろう」

 阿部は高木さんの手を取り、キーボードへと導いた。
 高木さんは、震える指でその言葉を打ち込んだ。

 『共同開発』

 違う。4文字だ。
 
 『世界変革』

 違う。
 高木さんは、ふと、美咲の笑顔を思い出した。
 彼女はいつも、僕の隣にいた。
 僕の前でも、後ろでもなく。

 『パートナ』

 エンターキーを押す。
 カチッ。
 
 画面が白く発光した。
 無数のプログラムコードが高速で走り去り、やがて一つの光に収束していく。
 スピーカーから、起動音が鳴った。
 それは、高木さんと美咲さんが好きだった曲の、最初の和音だった。

「……あ……」

 モニターの中に、光の粒子が集まり、人の形を成していく。
 3Dモデルのアバター。
 ショートカットの髪、泣きぼくろのある目元、少しはにかんだような笑顔。
 生前の美咲さんそのものだった。

『……こんにちは、高木くん』

 合成音声だが、抑揚や息遣いまで再現された声。
 美咲の声だ。

「美咲……っ!」

 高木さんはモニターに縋り付き、号泣した。

『ふふ、また泣き虫になってる。……久しぶりね。待ってたよ』

 画面の中の美咲は、優しく微笑み、まるで画面越しに頬に触れるような仕草をした。
 そこにいる。
 データの中に、確かに彼女の魂の欠片が存在している。

「……成功だ」

 阿部は静かに椅子を引いた。
 技術的な勝利だ。プロテクトは解除された。
 だが、阿部の表情は晴れなかった。
 再会を果たした恋人たちを見つめるその目は、どこか冷たく、そして哀れむような色を帯びていた。

「……パンドラの箱を開けたな」

 阿部は誰にも聞こえない声で呟いた。
 彩は、涙を流して喜ぶ高木さんを見て、安堵の表情を浮かべている。
 彼女はまだ知らない。
 死者を蘇らせるという行為が、どれほど残酷な代償を伴うのかを。

 窓の外では、冷たい雨が雪へと変わり始めていた。
 モニターの中の美咲の笑顔は、永遠に変わらないデジタルデータとして、そこで輝き続けていた。
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