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第二章:黒い履歴と白い嘘
第18話 AIに残された恋人(前編)
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12月の神保町は、枯葉色のフィルターがかかったような独特の哀愁を漂わせている。
古書店街の並木道。冷たい風が吹き抜ける中、不釣り合いな二人が歩いていた。
「……おい、大家。いつまで連れ回す気だ」
所長の阿部邦彦は、マフラーに顔を埋めながら文句を言った。
隣を歩くのは、この街の主であり、阿部の天敵でもある後藤かほりだ。
彼女はクラシカルなツイードのコートにベレー帽を合わせ、手には文庫本を持っている。まるで文学少女がそのまま大人になったような佇まいだが、その実態は阿部の生殺与奪の権を握る猛獣使いである。
「文句を言わないの。家賃の更新料、まけてあげたでしょ? その対価よ」
「対価が『荷物持ち』兼『散歩の同伴』か。安く見られたもんだ」
「あら、光栄に思いなさいよ。神保町の女王とデートできるなんて」
かほりは悪戯っぽく微笑み、老舗の喫茶店『ラドリオ』に入った。
レンガ造りの薄暗い店内。琥珀色の照明。
二人は奥の席に向かい合った。
「……で? 本当の目的はなんだ」
阿部はウインナーコーヒーを注文し、訝しげにかほりを見た。
彼女が単なる暇つぶしで阿部を連れ出すはずがない。
「阿部くん。あなた最近、データの『0』と『1』ばかり見て、人間の『顔』を見てない気がしてね」
「職業柄、仕方ないだろ」
「データは事実を語るけど、真実を語るとは限らないわ。……これ、読んでみて」
かほりは読んでいた文庫本を阿部に差し出した。
フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』だ。
「人間とアンドロイドの違いは何だと思う? 知能? 感情? ……いいえ、『共感』よ」
「……何が言いたい」
「これから来る依頼人。……ちょっと厄介よ。技術だけじゃ解けないわ」
かほりは意味深に予言した。
彼女の勘は、時として阿部の検索アルゴリズムより鋭い。
喫茶店のスピーカーから流れるシャンソンを聴きながら、阿部は苦いコーヒーに浮かぶ甘い生クリームを啜った。
この甘さと苦さのアンバランスさが、妙に心に引っかかった。
事務所に戻ると、予言通り「厄介な」空気を纏った依頼人が待っていた。
石川彩が困った顔でお茶を出している。
「……お待たせいたしました、所長」
依頼人は、高木翔太さん。
大手IT企業のエンジニアだという彼は、質の良いスーツを着ているが、ネクタイは緩み、無精髭が目立つ。そして何より、その目は深く落ち窪み、焦点が定まっていなかった。
彼の腕には、一台のハイスペックなノートPCが抱えられている。まるで赤ん坊を抱くように、大切そうに。
「……阿部さんですね。噂は聞いています。どんなプロテクトでも解除できる、と」
「モノによるな。依頼品はそのPCか?」
「はい。……この中に、彼女がいます」
高木さんはPCをテーブルに置いた。
ステッカーでデコレーションされた、女性的なデザインのPCだ。
「婚約者の、美咲のものでした。彼女は……先月、急性白血病で亡くなりました」
「ご愁傷様です」
「美咲は、天才的なAIエンジニアでした。彼女は生前、ある『個人的なプロジェクト』に没頭していました。それは……自分自身の人格、記憶、思考パターンを学習させた、対話型AIの開発です」
阿部の眉がピクリと動いた。
人格コピーAI。SFの世界の話だが、技術的には不可能ではない領域に来ている。
「彼女はそれを『Me』と呼んでいました。『私が死んでも、Meがいれば貴方は寂しくないわ』って……。でも、彼女が亡くなった後、このPCを開こうとしたら、強固なプロテクトがかかっていて起動できないんです」
高木さんは悲痛な声で訴えた。
「お願いします。ロックを解除して、『Me』を起動してください。僕は……もう一度、彼女と話がしたいんです」
切実な願い。
しかし、阿部は冷たく言い放った。
「断る」
「えっ……?」
「死者を模倣したAIなど、遺族を狂わせるだけだ。それは美咲さんじゃない。過去のログを継ぎ接ぎして、それらしい言葉を吐き出すだけのチャットボットだ。そんなものに依存すれば、あんたは現実に戻れなくなるぞ」
阿部の言葉は正論だった。
技術者として、AIの限界と残酷さを知っているからこその拒絶だ。
しかし、高木さんは食い下がった。
「偽物でもいいんです! 嘘でもいいから、彼女の声が聞きたい……! そうじゃなきゃ、僕は……生きていけない……」
その目には、狂気にも似た執着が宿っていた。
阿部は顔をしかめ、追い返そうとした。
その時。
「所長、お願いします」
彩が口を挟んだ。
彼女は高木さんの横に立ち、真っ直ぐに阿部を見つめていた。
「この方の依頼、受けてあげてください」
「石川、お前もか。これは救いじゃない、麻薬だぞ」
「かもしれません。でも……何も言わずに消えてしまった大切な人と、もう一度話したいと願う気持ちは、痛いほど分かります」
彩の手が、ポケットの中の自分のスマホに触れていた。
彼女もまた、姉の「声」を探し求めた一人だ。
「それが偽物だと分かっていても、サヨナラを言うための時間が必要な時もあるんです。……このまま門前払いしたら、高木さんは本当に壊れてしまいます」
「……」
阿部は彩の真剣な眼差しと、憔悴しきった高木さんを見比べた。
そして、先ほどのかほりの言葉を思い出した。
『人間とアンドロイドの違いは、共感よ』
論理で言えば断るべきだ。だが、感情はそれを許さない。
「……チッ。分かったよ」
阿部は乱暴に頭をかきむしり、PCを引き寄せた。
「ただし条件がある。起動に成功しても、それが『彼女そのもの』だとは思うな。あくまでプログラムだ。それを理解できるならやる」
「はい……! 約束します!」
高木さんの顔に、微かな希望の光が差した。
阿部はPCをケーブルに繋ぎ、解析ツールを走らせた。
画面に文字列が流れる。
「……ふん。美咲さんと言ったか。相当な腕前だな」
阿部は感心したように呟いた。
「OSレベルから書き換えられている。通常のブルートフォース攻撃は通用しない。セキュリティゲートには、特殊な認証システムが組み込まれている」
「認証システム?」
「パスワード入力じゃない。『質問』だ」
阿部がエンターキーを押すと、モニターにポップアップウィンドウが表示された。
そこには、無機質なフォントでこう書かれていた。
『Q1. 私たちが初めて出会った場所は?』
「……記憶認証か」
「はい。彼女は言っていました。『Me』を目覚めさせることができるのは、私を一番よく知っている人だけだって」
「ロマンチックだが、ハッカー泣かせな仕様だ。辞書攻撃が効かん」
阿部は高木さんに向き直った。
「ここからは共同作業だ。俺がシステム内部の回答照合プロセスを監視する。高木さん、あんたは正解を入力しろ。ただし、チャンスは少ない。ミスが続けばデータは自己崩壊する仕組みだ」
「わ、分かりました」
高木さんは震える指でキーボードに向かった。
「初めて出会った場所……。大学の図書館です」
「入力しろ」
高木さんが『大学の図書館』と打ち込む。
正解。次の質問が表示される。
『Q2. 初めてのデートで見た映画のタイトルは?』
『Q3. 私がコーヒーに入れる砂糖の数は?』
高木さんは次々と答えていく。
『スター・ウォーズ』、『2個』。
順調に見えた。しかし、質問は徐々に難易度を増していった。
『Q10. 私たちが一番激しく喧嘩した理由は?』
高木さんの手が止まった。
「喧嘩……。たくさんしました。どれのことだろう……」
「焦るな。システム側のログ解析によると、日付のタグ付けがされている。……3年前のクリスマスイブだ」
「3年前……ああっ!」
高木さんは顔を覆った。
「僕が……仕事でデートをドタキャンした時だ。彼女、すごく怒って……いや、泣いてた」
「入力しろ。『ドタキャン』か?」
「いえ、違うんです。彼女が怒ったのは、ドタキャンしたことじゃなくて……僕が『たかがデートだろ』って言ったことに対してで……」
高木さんは唇を噛み締め、『価値観の不一致』と入力しようとして、消した。
迷いがある。
入力ミスは許されない。
「石川、サポートしろ」
阿部が指示した。
彩は高木さんの隣に座り、優しく声をかけた。
「高木さん。美咲さんは、その喧嘩の後、何て言っていましたか? 仲直りの言葉は?」
「……彼女は、『時間は命の切り売りなのよ。それを軽んじないで』って」
「時間は命……。エンジニアらしい、でも切実な言葉ですね」
「はい。彼女は……その頃から、自分の病気に気づいていたのかもしれません。だから、一分一秒を大切にしたかったんだ」
高木さんは涙を拭った。
「答えは……『時間の価値』だ」
入力する。
正解。ウィンドウが消え、プログレスバーが進む。
あと少しだ。
「最後の質問だ」
画面に表示されたのは、短い問いかけだった。
『Last Question. 私が貴方を愛した理由は?』
重い沈黙が流れた。
あまりに主観的で、答えのない問い。
高木さんは呆然とした。
「そんなの……分からないよ。優しいから? 趣味が合うから? 何度か聞いたけど、彼女はいつも『秘密』って笑うだけで……」
「思い出してください」
彩が言った。
「美咲さんが、一番幸せそうにしていた瞬間を。その時、貴方は何をしていましたか?」
「幸せそうに……」
高木さんは目を閉じ、記憶の糸を手繰り寄せる。
阿部もまた、黙って待った。
喫茶店でかほりが言っていた言葉が頭をよぎる。
『人間は記憶でできている』。
AIという論理の塊を起動する鍵が、最も曖昧な「愛の記憶」だというのは、美咲というエンジニアの皮肉だろうか。それとも祈りだろうか。
「……夢だ」
高木さんが顔を上げた。
「僕が、独立して自分のサービスを作りたいって夢を語った時。彼女は一番嬉しそうに聞いてくれた。『貴方の作る未来が見たい』って」
「……」
「僕は、自信がなくて諦めかけていた。でも、彼女だけは信じてくれた。……答えは、『夢を信じてくれたから』……いや、『未来』か?」
高木さんは迷いながらキーボードに手を置く。
阿部がモニターの波形を見た。
「待て。……入力フォームの文字数制限を確認する。……全角4文字だ」
「4文字……?」
高木さんは考え込む。
夢、未来、信頼……どれも当てはまらない。
彩がハッとして言った。
「高木さん。美咲さんは、ご自身もエンジニアでしたよね。……エンジニアにとって、最高の賛辞は何ですか?」
「えっ? それは……」
高木さんの脳裏に、ある言葉が閃いた。
病室で、最後に彼女が言った言葉。
――翔太くんのコードは、綺麗ね。
「……『同じ景色』?」
「違います」
阿部が口を開いた。
「4文字だ。彼女はお前と同じ技術者だった。そしてお前の夢を共有していた。……なら、これしかないだろう」
阿部は高木さんの手を取り、キーボードへと導いた。
高木さんは、震える指でその言葉を打ち込んだ。
『共同開発』
違う。4文字だ。
『世界変革』
違う。
高木さんは、ふと、美咲の笑顔を思い出した。
彼女はいつも、僕の隣にいた。
僕の前でも、後ろでもなく。
『パートナ』
エンターキーを押す。
カチッ。
画面が白く発光した。
無数のプログラムコードが高速で走り去り、やがて一つの光に収束していく。
スピーカーから、起動音が鳴った。
それは、高木さんと美咲さんが好きだった曲の、最初の和音だった。
「……あ……」
モニターの中に、光の粒子が集まり、人の形を成していく。
3Dモデルのアバター。
ショートカットの髪、泣きぼくろのある目元、少しはにかんだような笑顔。
生前の美咲さんそのものだった。
『……こんにちは、高木くん』
合成音声だが、抑揚や息遣いまで再現された声。
美咲の声だ。
「美咲……っ!」
高木さんはモニターに縋り付き、号泣した。
『ふふ、また泣き虫になってる。……久しぶりね。待ってたよ』
画面の中の美咲は、優しく微笑み、まるで画面越しに頬に触れるような仕草をした。
そこにいる。
データの中に、確かに彼女の魂の欠片が存在している。
「……成功だ」
阿部は静かに椅子を引いた。
技術的な勝利だ。プロテクトは解除された。
だが、阿部の表情は晴れなかった。
再会を果たした恋人たちを見つめるその目は、どこか冷たく、そして哀れむような色を帯びていた。
「……パンドラの箱を開けたな」
阿部は誰にも聞こえない声で呟いた。
彩は、涙を流して喜ぶ高木さんを見て、安堵の表情を浮かべている。
彼女はまだ知らない。
死者を蘇らせるという行為が、どれほど残酷な代償を伴うのかを。
窓の外では、冷たい雨が雪へと変わり始めていた。
モニターの中の美咲の笑顔は、永遠に変わらないデジタルデータとして、そこで輝き続けていた。
古書店街の並木道。冷たい風が吹き抜ける中、不釣り合いな二人が歩いていた。
「……おい、大家。いつまで連れ回す気だ」
所長の阿部邦彦は、マフラーに顔を埋めながら文句を言った。
隣を歩くのは、この街の主であり、阿部の天敵でもある後藤かほりだ。
彼女はクラシカルなツイードのコートにベレー帽を合わせ、手には文庫本を持っている。まるで文学少女がそのまま大人になったような佇まいだが、その実態は阿部の生殺与奪の権を握る猛獣使いである。
「文句を言わないの。家賃の更新料、まけてあげたでしょ? その対価よ」
「対価が『荷物持ち』兼『散歩の同伴』か。安く見られたもんだ」
「あら、光栄に思いなさいよ。神保町の女王とデートできるなんて」
かほりは悪戯っぽく微笑み、老舗の喫茶店『ラドリオ』に入った。
レンガ造りの薄暗い店内。琥珀色の照明。
二人は奥の席に向かい合った。
「……で? 本当の目的はなんだ」
阿部はウインナーコーヒーを注文し、訝しげにかほりを見た。
彼女が単なる暇つぶしで阿部を連れ出すはずがない。
「阿部くん。あなた最近、データの『0』と『1』ばかり見て、人間の『顔』を見てない気がしてね」
「職業柄、仕方ないだろ」
「データは事実を語るけど、真実を語るとは限らないわ。……これ、読んでみて」
かほりは読んでいた文庫本を阿部に差し出した。
フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』だ。
「人間とアンドロイドの違いは何だと思う? 知能? 感情? ……いいえ、『共感』よ」
「……何が言いたい」
「これから来る依頼人。……ちょっと厄介よ。技術だけじゃ解けないわ」
かほりは意味深に予言した。
彼女の勘は、時として阿部の検索アルゴリズムより鋭い。
喫茶店のスピーカーから流れるシャンソンを聴きながら、阿部は苦いコーヒーに浮かぶ甘い生クリームを啜った。
この甘さと苦さのアンバランスさが、妙に心に引っかかった。
事務所に戻ると、予言通り「厄介な」空気を纏った依頼人が待っていた。
石川彩が困った顔でお茶を出している。
「……お待たせいたしました、所長」
依頼人は、高木翔太さん。
大手IT企業のエンジニアだという彼は、質の良いスーツを着ているが、ネクタイは緩み、無精髭が目立つ。そして何より、その目は深く落ち窪み、焦点が定まっていなかった。
彼の腕には、一台のハイスペックなノートPCが抱えられている。まるで赤ん坊を抱くように、大切そうに。
「……阿部さんですね。噂は聞いています。どんなプロテクトでも解除できる、と」
「モノによるな。依頼品はそのPCか?」
「はい。……この中に、彼女がいます」
高木さんはPCをテーブルに置いた。
ステッカーでデコレーションされた、女性的なデザインのPCだ。
「婚約者の、美咲のものでした。彼女は……先月、急性白血病で亡くなりました」
「ご愁傷様です」
「美咲は、天才的なAIエンジニアでした。彼女は生前、ある『個人的なプロジェクト』に没頭していました。それは……自分自身の人格、記憶、思考パターンを学習させた、対話型AIの開発です」
阿部の眉がピクリと動いた。
人格コピーAI。SFの世界の話だが、技術的には不可能ではない領域に来ている。
「彼女はそれを『Me』と呼んでいました。『私が死んでも、Meがいれば貴方は寂しくないわ』って……。でも、彼女が亡くなった後、このPCを開こうとしたら、強固なプロテクトがかかっていて起動できないんです」
高木さんは悲痛な声で訴えた。
「お願いします。ロックを解除して、『Me』を起動してください。僕は……もう一度、彼女と話がしたいんです」
切実な願い。
しかし、阿部は冷たく言い放った。
「断る」
「えっ……?」
「死者を模倣したAIなど、遺族を狂わせるだけだ。それは美咲さんじゃない。過去のログを継ぎ接ぎして、それらしい言葉を吐き出すだけのチャットボットだ。そんなものに依存すれば、あんたは現実に戻れなくなるぞ」
阿部の言葉は正論だった。
技術者として、AIの限界と残酷さを知っているからこその拒絶だ。
しかし、高木さんは食い下がった。
「偽物でもいいんです! 嘘でもいいから、彼女の声が聞きたい……! そうじゃなきゃ、僕は……生きていけない……」
その目には、狂気にも似た執着が宿っていた。
阿部は顔をしかめ、追い返そうとした。
その時。
「所長、お願いします」
彩が口を挟んだ。
彼女は高木さんの横に立ち、真っ直ぐに阿部を見つめていた。
「この方の依頼、受けてあげてください」
「石川、お前もか。これは救いじゃない、麻薬だぞ」
「かもしれません。でも……何も言わずに消えてしまった大切な人と、もう一度話したいと願う気持ちは、痛いほど分かります」
彩の手が、ポケットの中の自分のスマホに触れていた。
彼女もまた、姉の「声」を探し求めた一人だ。
「それが偽物だと分かっていても、サヨナラを言うための時間が必要な時もあるんです。……このまま門前払いしたら、高木さんは本当に壊れてしまいます」
「……」
阿部は彩の真剣な眼差しと、憔悴しきった高木さんを見比べた。
そして、先ほどのかほりの言葉を思い出した。
『人間とアンドロイドの違いは、共感よ』
論理で言えば断るべきだ。だが、感情はそれを許さない。
「……チッ。分かったよ」
阿部は乱暴に頭をかきむしり、PCを引き寄せた。
「ただし条件がある。起動に成功しても、それが『彼女そのもの』だとは思うな。あくまでプログラムだ。それを理解できるならやる」
「はい……! 約束します!」
高木さんの顔に、微かな希望の光が差した。
阿部はPCをケーブルに繋ぎ、解析ツールを走らせた。
画面に文字列が流れる。
「……ふん。美咲さんと言ったか。相当な腕前だな」
阿部は感心したように呟いた。
「OSレベルから書き換えられている。通常のブルートフォース攻撃は通用しない。セキュリティゲートには、特殊な認証システムが組み込まれている」
「認証システム?」
「パスワード入力じゃない。『質問』だ」
阿部がエンターキーを押すと、モニターにポップアップウィンドウが表示された。
そこには、無機質なフォントでこう書かれていた。
『Q1. 私たちが初めて出会った場所は?』
「……記憶認証か」
「はい。彼女は言っていました。『Me』を目覚めさせることができるのは、私を一番よく知っている人だけだって」
「ロマンチックだが、ハッカー泣かせな仕様だ。辞書攻撃が効かん」
阿部は高木さんに向き直った。
「ここからは共同作業だ。俺がシステム内部の回答照合プロセスを監視する。高木さん、あんたは正解を入力しろ。ただし、チャンスは少ない。ミスが続けばデータは自己崩壊する仕組みだ」
「わ、分かりました」
高木さんは震える指でキーボードに向かった。
「初めて出会った場所……。大学の図書館です」
「入力しろ」
高木さんが『大学の図書館』と打ち込む。
正解。次の質問が表示される。
『Q2. 初めてのデートで見た映画のタイトルは?』
『Q3. 私がコーヒーに入れる砂糖の数は?』
高木さんは次々と答えていく。
『スター・ウォーズ』、『2個』。
順調に見えた。しかし、質問は徐々に難易度を増していった。
『Q10. 私たちが一番激しく喧嘩した理由は?』
高木さんの手が止まった。
「喧嘩……。たくさんしました。どれのことだろう……」
「焦るな。システム側のログ解析によると、日付のタグ付けがされている。……3年前のクリスマスイブだ」
「3年前……ああっ!」
高木さんは顔を覆った。
「僕が……仕事でデートをドタキャンした時だ。彼女、すごく怒って……いや、泣いてた」
「入力しろ。『ドタキャン』か?」
「いえ、違うんです。彼女が怒ったのは、ドタキャンしたことじゃなくて……僕が『たかがデートだろ』って言ったことに対してで……」
高木さんは唇を噛み締め、『価値観の不一致』と入力しようとして、消した。
迷いがある。
入力ミスは許されない。
「石川、サポートしろ」
阿部が指示した。
彩は高木さんの隣に座り、優しく声をかけた。
「高木さん。美咲さんは、その喧嘩の後、何て言っていましたか? 仲直りの言葉は?」
「……彼女は、『時間は命の切り売りなのよ。それを軽んじないで』って」
「時間は命……。エンジニアらしい、でも切実な言葉ですね」
「はい。彼女は……その頃から、自分の病気に気づいていたのかもしれません。だから、一分一秒を大切にしたかったんだ」
高木さんは涙を拭った。
「答えは……『時間の価値』だ」
入力する。
正解。ウィンドウが消え、プログレスバーが進む。
あと少しだ。
「最後の質問だ」
画面に表示されたのは、短い問いかけだった。
『Last Question. 私が貴方を愛した理由は?』
重い沈黙が流れた。
あまりに主観的で、答えのない問い。
高木さんは呆然とした。
「そんなの……分からないよ。優しいから? 趣味が合うから? 何度か聞いたけど、彼女はいつも『秘密』って笑うだけで……」
「思い出してください」
彩が言った。
「美咲さんが、一番幸せそうにしていた瞬間を。その時、貴方は何をしていましたか?」
「幸せそうに……」
高木さんは目を閉じ、記憶の糸を手繰り寄せる。
阿部もまた、黙って待った。
喫茶店でかほりが言っていた言葉が頭をよぎる。
『人間は記憶でできている』。
AIという論理の塊を起動する鍵が、最も曖昧な「愛の記憶」だというのは、美咲というエンジニアの皮肉だろうか。それとも祈りだろうか。
「……夢だ」
高木さんが顔を上げた。
「僕が、独立して自分のサービスを作りたいって夢を語った時。彼女は一番嬉しそうに聞いてくれた。『貴方の作る未来が見たい』って」
「……」
「僕は、自信がなくて諦めかけていた。でも、彼女だけは信じてくれた。……答えは、『夢を信じてくれたから』……いや、『未来』か?」
高木さんは迷いながらキーボードに手を置く。
阿部がモニターの波形を見た。
「待て。……入力フォームの文字数制限を確認する。……全角4文字だ」
「4文字……?」
高木さんは考え込む。
夢、未来、信頼……どれも当てはまらない。
彩がハッとして言った。
「高木さん。美咲さんは、ご自身もエンジニアでしたよね。……エンジニアにとって、最高の賛辞は何ですか?」
「えっ? それは……」
高木さんの脳裏に、ある言葉が閃いた。
病室で、最後に彼女が言った言葉。
――翔太くんのコードは、綺麗ね。
「……『同じ景色』?」
「違います」
阿部が口を開いた。
「4文字だ。彼女はお前と同じ技術者だった。そしてお前の夢を共有していた。……なら、これしかないだろう」
阿部は高木さんの手を取り、キーボードへと導いた。
高木さんは、震える指でその言葉を打ち込んだ。
『共同開発』
違う。4文字だ。
『世界変革』
違う。
高木さんは、ふと、美咲の笑顔を思い出した。
彼女はいつも、僕の隣にいた。
僕の前でも、後ろでもなく。
『パートナ』
エンターキーを押す。
カチッ。
画面が白く発光した。
無数のプログラムコードが高速で走り去り、やがて一つの光に収束していく。
スピーカーから、起動音が鳴った。
それは、高木さんと美咲さんが好きだった曲の、最初の和音だった。
「……あ……」
モニターの中に、光の粒子が集まり、人の形を成していく。
3Dモデルのアバター。
ショートカットの髪、泣きぼくろのある目元、少しはにかんだような笑顔。
生前の美咲さんそのものだった。
『……こんにちは、高木くん』
合成音声だが、抑揚や息遣いまで再現された声。
美咲の声だ。
「美咲……っ!」
高木さんはモニターに縋り付き、号泣した。
『ふふ、また泣き虫になってる。……久しぶりね。待ってたよ』
画面の中の美咲は、優しく微笑み、まるで画面越しに頬に触れるような仕草をした。
そこにいる。
データの中に、確かに彼女の魂の欠片が存在している。
「……成功だ」
阿部は静かに椅子を引いた。
技術的な勝利だ。プロテクトは解除された。
だが、阿部の表情は晴れなかった。
再会を果たした恋人たちを見つめるその目は、どこか冷たく、そして哀れむような色を帯びていた。
「……パンドラの箱を開けたな」
阿部は誰にも聞こえない声で呟いた。
彩は、涙を流して喜ぶ高木さんを見て、安堵の表情を浮かべている。
彼女はまだ知らない。
死者を蘇らせるという行為が、どれほど残酷な代償を伴うのかを。
窓の外では、冷たい雨が雪へと変わり始めていた。
モニターの中の美咲の笑顔は、永遠に変わらないデジタルデータとして、そこで輝き続けていた。
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・プロット段階の壁打ち
・作者による執筆後の校正
病弱少年が怪我した小鳥を偶然テイムして、冒険者ギルドの採取系クエストをやらせていたら、知らないうちにLV99になってました。
もう書かないって言ったよね?
ファンタジー
ベッドで寝たきりだった少年が、ある日、家の外で怪我している青い小鳥『ピーちゃん』を助けたことから二人の大冒険の日々が始まった。
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