深夜のコンビニで「死にそうな美女」に豚汁を奢ったら、翌日会社で鬼上司がチラチラ見てくる件

ken

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第4章 公私混同の同棲生活

第27話 合鍵の重み

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 日曜日。
 台風一過の青空は今日も続いていたが、午後に差し掛かると、少しずつ雲が広がり始めていた。
 夕暮れの気配が近づく、李雪のマンションのリビング。

 俺は、ソファに座って愛犬レオの撮影会に勤しんでいた。
 カメラマンは俺。
 そしてスタイリスト兼演出家は、李雪だ。

「……動かないでね、レオくん。いい子よ」

 彼女は真剣な表情で、レオに「ある衣装」を着せようと奮闘している。
 それは、昨日の大掃除の際、クローゼットの奥から発掘された犬用のパーカーだった。
 鮮やかな黄色い生地。背中には茶色の縞模様。
 そしてフードには、先端が黒い長い耳と、赤いほっぺたがついている。
 そう、ピカチュウだ。

「なんでこんなもの持ってるんですか?」

 俺が呆れて聞くと、彼女は顔を赤らめながら作業を続けた。

「……いつか犬を飼ったら着せようと思って、衝動買いしたのよ。まさかこんなに早く出番が来るなんて思わなかったけど」

 彼女は言い訳しながら、レオの前足を通し、スナップボタンを留めた。
 サイズは奇跡的にぴったりだ。
 レオは「なんだこれ?」という顔で体を捻っているが、満更でもなさそうだ。

「よし、着れたわ! ……師匠、フード被せて!」

「了解」

 俺はレオの頭に、ピカチュウの顔がついたフードを被せた。
 その瞬間。
 リビングに電流が走った(比喩的に)。

「……っ!」

「……これは」

 俺と李雪は同時に息を呑んだ。
 そこには、世界で一番可愛い電気ネズミ……じゃなくて、豆柴がいた。
 黒い顔の周りを黄色いフードが縁取り、麻呂眉のつぶらな瞳がこちらを見上げている。
 レオが首を傾げると、フードの耳がプルンと揺れた。

「きゃぁぁぁっ! 可愛いぃぃぃ!」

 李雪が理性を崩壊させて叫んだ。
 彼女はレオを抱き上げ、その頬にスリスリと自分の頬を押し付ける。

「何これ! 反則よ! 破壊力が桁違いだわ!」

「……確かに。これは兵器ですね」

 俺も認めざるを得ない。
 普段の黒柴姿も最高だが、このコスプレ姿は卑怯だ。
 レオはされるがままになりながら、「パパ、助けて」という視線を俺に送ってくるが、尻尾はパタパタと振られている。あざとい。

「写真! 写真撮って!」

「連写してますよ」

 俺はスマホのシャッターを切りまくった。
 李雪とレオのツーショット。
 完璧な構図だ。
 普段はクールな彼女が、こんなにデレデレに崩れた顔を見せるなんて。
 この写真が会社に流出したら、営業二課の士気に関わるだろう。

 ひとしきり撮影会を楽しんだ後、李雪はレオを膝に乗せて、満足げに溜息をついた。

「……はぁ。幸せ」

 彼女はレオの背中を撫でながら、窓の外を見た。
 空が茜色に染まり始めている。
 楽しい時間は、あっという間に過ぎ去っていく。
 金曜の夜から始まった、予期せぬ同居生活。
 掃除をして、料理を作って、そしてこうして無為な時間を共有した。
 それは、俺にとっても夢のような週末だった。

 だが、現実は待ってくれない。
 明日は月曜日。仕事がある。
 俺は一度自宅に帰り、月曜の準備をしなければならない。レオの散歩道具や、自分の着替えも必要だ。

「……そろそろ、おいとまします」

 俺が静かに告げると、李雪の撫でる手がピタリと止まった。
 彼女はゆっくりとこちらを向く。
 その瞳には、隠しきれない寂しさが揺れていた。

「……そうね。明日は仕事だものね」

「ええ。……また、会社で会いましょう」

 俺は立ち上がり、荷物をまとめた。
 レオのキャリーバッグ、俺の着替えが入った鞄。
 部屋は綺麗に片付いている。
 俺たちが来る前よりも、ずっと居心地の良い空間になったはずだ。

「レオ、帰るぞ。服、脱ごうな」

 俺が手を伸ばすと、李雪はレオを抱きしめたまま、首を横に振った。

「……このまま」

「え?」

「この服、あげるわ。レオくんへのプレゼント」

 彼女は少し拗ねたように言った。

「私が持ってても意味ないし。……それに、似合ってるから」

「……ありがとうございます。レオも喜びます」

 俺は苦笑して礼を言った。
 レオはピカチュウのまま、俺の腕の中に移動した。
 李雪の温もりが、黄色い生地に残っている。

 玄関まで、彼女が見送りに来てくれた。
 広い大理石のホール。
 来た時よりも、この場所が広く、そして冷たく感じる。

「……じゃあ、お世話になりました」

 俺は靴を履き、ドアノブに手をかけた。

「……待って」

 背後から、彼女の声がした。
 振り返ると、彼女は何かを握りしめた手を、胸元に当てていた。
 視線は床に落ちている。

「……どうかしましたか?」

「……これ」

 彼女は一歩近づき、握りしめていたものを俺に差し出した。
 小さな金属の塊。
 銀色に光る、鍵だった。

「……鍵?」

「……合鍵よ」

 彼女は顔を逸らしたまま、早口で言った。

「スペアキー。……持っておいて」

 俺は驚きで言葉を失った。
 合鍵。
 それは、単なる物理的なアクセス権ではない。
 相手の生活、プライバシー、そして心の中に踏み込むことを許される、最大の信頼の証だ。
 まだ「付き合おう」という言葉さえ交わしていない俺たちが、それを持っていいのだろうか。

「……いいんですか? 俺なんかが」

 俺が躊躇うと、彼女は眉をひそめて、俺を睨み上げた。
 その目は潤んでいるが、強い意志が宿っていた。

「……勘違いしないでよね」

 彼女は言い訳をするように、語気を強めた。

「これは、レオくんのためよ」

「レオ?」

「そうよ。……このマンションはペット可だし、防音もしっかりしてるから、レオくんも過ごしやすいでしょ?」

 彼女はレオの頭をツンと突いた。

「貴方の家だと、留守番中に吠えたりしたら近所迷惑かもしれないし。……それに、また何かあった時、避難場所が必要じゃない」

「……まあ、確かに」

「だから、いつでも連れてこれるように。……いちいちオートロックを開けたり、私が在宅か確認するのは面倒でしょう? だから、渡すの」

 完璧な理論武装だ。
 だが、その論理の隙間から、「いつでも来てほしい」という本音がダダ漏れになっている。
 レオのため、と言いつつ、彼女自身が寂しさを埋めるために俺を求めてくれているのだ。

 俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。
 彼女の不器用な愛情表現。
 それを拒む理由など、どこにもない。

「……分かりました」

 俺はレオを片手で抱き直し、空いた手で鍵を受け取った。
 ずしりと重い。
 金属の冷たさと、彼女の体温が混じり合っている。
 それは、「責任」の重さであり、同時に「選ばれた」という喜びの重さでもあった。

「大切にします。……師匠への信頼の証として」

「……ふん。無くしたら承知しないわよ」

 彼女はフイッと顔を背けたが、その耳は真っ赤だった。
 
「それと」

 彼女はボソリと付け加えた。

「……冷蔵庫、空っぽになっちゃったから。また今度、補充しに来なさいよ」

「……承知しました。コンシェルジュの務めですから」

 俺は深く頷いた。
 それは、「また来る」という約束であり、この生活がこれからも続くという宣言だった。

 ドアを開ける。
 夕暮れの風が吹き込んできた。
 廊下の向こうには、東京の街並みが広がっている。

「行ってきます、迷い猫さん」

「……行ってらっしゃい」

 彼女の声に見送られ、俺は部屋を出た。
 ドアが閉まるカチャリという音が、新しい契約の締結音のように響いた。

 エレベーターを待ちながら、俺は掌の中の鍵を握りしめた。
 これは、単なるスペアキーではない。

 「氷の女帝」の心の扉を開く、世界でたった一つの鍵だ。

 腕の中のレオが、不思議そうに俺の顔を見上げている。
 ピカチュウのフードが少しズレていた。

「……お前のおかげだな、レオ」

 俺はフードを直してやりながら、苦笑した。
 この小さな共犯者がいなければ、ここまで早く距離が縮まることはなかっただろう。
 
 マンションを出ると、空には一番星が光っていた。
 明日からまた、忙しい一週間が始まる。
 だが、今の俺には「帰るべき場所」が二つある。
 自分の家と、彼女の家。
 その事実だけで、どんな激務も乗り越えられる気がした。

 俺は鍵をポケットの奥深くにしまい、レオと共に軽やかに歩き出した。
 次に会うのは、明日の会社だ。
 そこで俺たちは、また「上司と部下」の仮面を被る。
 けれど、その仮面の下で繋がっている秘密の糸は、もう誰にも断ち切れないほど太く、強くなっているのだ。
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