蛮勇カイン・ザ・バーバリアン・ヒーロー

湯島

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野生児カイン9

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お世辞にも衛生的とは言い難かった。ここは悪臭が芬々(ふんぷん)と漂い、汚物が澱んでいる下水道の地下だ。
衛兵のシャンクは貴族殺害の未遂犯だというバーバリアンの捜索を裁判官から命じられていた。
他の衛兵達も同じだ。連射式のクロスボウを胸板の辺りに構え、シャンクが掲げたランプの明かりを頼りに地下通路を渡っていく。

それにしても酷い場所だった。湿気を含んだ汚水の臭気もそうだが、石壁全体も黒カビに覆われている。
こんな場所からはさっさと引き上げたいものだとシャンクは舌打ちした。
シャンクが衛兵に配属されたのが半年ほど前で、それまでの仕事といえば割り当てられた地区の見張りと巡回だけだった。

だから今回のような捕物を経験したことはない。
正直な所、シャンクは下手人がさっさと捕縛されるなり、殺されるなりしてくれればいいと感じていた。
そうすればこんな面倒な手間は掛けずに済むし、酒場でゆっくりと酒を飲んで休むこともできる。

下水道の中で、シャンクは下手人がとっとと捕らえられますように、
そして自分には近づいてきませんようにと、不運避けの神であるタバワに祈った。
相手は化物じみた怪力を誇る凶暴なバーバリアンだと聞いていたからだ。
押し寄せる数十人もの衛兵を薙ぎ倒し、捕縛用の網を引き裂き、まんまと逃げおおせたというのだから恐れ入る。

そんなお尋ね者を相手にするのは命がいくつあっても足りないだろう。シャンクがもう一度、早口で神への祈りを唱える。
だが、残念ながらシャンクの祈りは神には届かなかったようだ。
背後から首筋にナイフを突きつけられ、シャンクは慄くように身震いした。

「おい、お前の仲間は他に後何人いる?」
「お、俺を含めて百人ほどだ……」
両手をあげ、後ろを振り返らずにシャンクは答えた。

「なるほど、百人か。それでは次はこのまま大急ぎで向こうまで走って叫べ。あっちに人影が見えたぞとな。
ああ、言っておくが俺は夜目が利くし弓矢の扱いも得意だ。嘘だと思うなら試してみるといい」
試せと言われてもシャンクにそんな度胸はない。それでなくても心底、肝を冷やしているというのに。

カインから命じられた通りにシャンクは行動した。通路を大急ぎで走りながらあそこに人影が見えたぞと騒ぎ続けた。
その叫びを聞きつけた他の衛兵達がシャンクの後を追う。
音もなく下水道の天井に張り付いた蛮人は、それを静かに見下ろしていた。



カインはヒズラドの行方を追った。屋敷は既にもぬけの殻だった。
だが、カインがシラミ潰しに探していくと、
どうやらこのワラギア貴族は首都から南に位置する街、タネローンに潜んでいるらしいという事がわかった。

タネローンは国王直属の自由都市だ。だからタネローンには領主は居らず、市民の代表者である市長が自治権を行使する。
ヒズラドはこのタネローンにある隠れ家の中で、事が済むまで黙って眺めていようという魂胆のようだった。
あるいは罠を仕掛けてこちらがノコノコと現れるのを狙っているのか。

カインは館をぐるりと囲っている忍び返しのついた高い塀を軽々と乗り越えた。常人には及びもつかない跳躍力だ。
塀を飛び越えた蛮人は、次に物陰に潜むと精霊の力を使って館の周囲を観察した。
すると屋敷を十重二十重に囲う赤い光線が見えた。この光線は人間の肉眼では見えない類のものだ。

慌てることなく、カインは考えた。
そして一旦離れてから近くの道具屋で等身大の鏡を持ち出してくると、再び屋敷に引き返してきたのだった。
荒野の野生児が二つの鏡を盾のように構え、光線を反射させながら進んでいく。
そして蔦に覆われた館の石壁に手をかけると、力強くよじ登っていった。
最上階までたどり着くと鎧戸を素手で叩き壊し、中へと侵入する。この蛮人に入り込めぬ場所はないのだ。



再び、ヒズラドはバーバリアンの凶手に晒されていた。護衛に雇った戦士や魔術師達はカインの存在すら認識できずに眠らされた。
「ヒズラド、一度ならず二度までも俺を謀ったな。このままでは俺は当分の間はワラギアに戻ることはできん。
その溜飲を下げるために俺は思う存分に貴様を切り刻もうと考えている。生きたままでな」

「助けてくれっ、もう一度チャンスをくれっ、なんならわしの全財産をやろうっ」
「往生際の悪い奴だな。お前のような男は信用できん。とはいえ、この前は俺も爪が甘かった。
そうだな、証拠の品が欲しい。念書を書くならば考えようではないか」

「ああ、わかったっ、勿論書くともっ」
命が助かるかも知れないという一筋の希望にヒズラドはしがみついてきた。
そんなヒズラドに対し、カインは何の感情の起伏も感じられない視線を送った。

「では二通書け。押印と自署を忘れるなよ。
まずはこの俺にワラギアにある屋敷を贈与すること。暗殺未遂の申し立ては虚偽であったこと。
盗賊から娘を救い出した俺に対し、世間体を気にして口封じに刺客を差し向けたこと。
今では深く後悔していること。これらを全て綴っていけ」

バーバリアンの言うがままにヒズラドは念書に筆を走らせた。書き終えた念書をカインがじっと眺める。
「よし、いいだろう。上出来だ。だが、血印が必要だ」
筆を握っていたヒズラドにカインがナイフを握らせた。そして相手の喉笛に握らせたナイフを突き刺した。

「あるいはお前の信じる神であれば情けも掛けただろう。だがな、生憎と俺は神ではないのだ。
二度の裏切りは絶対に許さん」
机に広がった血溜まりに顔をうつ伏せたヒズラドに向かってカインが静かに語りかける。

それからカインは部屋の窓を開け放ち、
「これならば俺への詫びとして喉を突いて自決したように見えるだろう」と呟くと闇夜の中へと消えていった。


それからカインがワラギアに戻ると逮捕状は取り下げられていた。
ヒズラドから贈られた屋敷へとその足で赴く。だが、そこに待っていたのは涙で頬を濡らしたエレナの姿だった。
「どうして、どうして貴方が……」
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