猫が繋いだ私たちの日々

はるかわ 美穂

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第一章(母:明美)

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「ただいま」

その声が聞こえると、明美はすぐさま玄関へ向かう。

「ちょっと、そこで止まりなさい」

靴を脱いで家に上がろうとする和樹を強い口調で制止した。

「玄関でカバンも服もはたいて。それから靴下はそこで脱いで」

サッカー部に所属している和樹は、部活から帰って来るといつも家を砂だらけにするので、明美は神経質になっていた。

砂を家の中に落とさないよう何度言っても聞かないので、最近ではこうして明美が玄関まで出向いている。

「わかってるって」

和樹がダルそうにしながらカバンや服をはたくと砂がパラパラと落ちた。

「そしたらお風呂場で着替えてね」

「それもわかってる」

思春期真っただ中の和樹は明美にうんざりした様子でドスドスと家に上がり、お風呂場へ向かう。

とりあえず砂の被害が抑えられたことに安堵しながらリビングに戻ると、手洗いを終えたらしいみのりがダイニングテーブルを拭いていた。

「お母さんも一緒に食べるよね?」

「そうね」

みのりは出来上がっている料理をテキパキと二人分テーブルに並べた。

「今日のご飯これ?」

お風呂場から出てきた和樹が台所に置かれた料理を指さしたため、「そうよ」と明美は頷く。

「鶏肉かよ」

がっかりしたように呟きながら、和樹はお盆に皿を乗せる。

「ほうれん草のおひたしも冷蔵庫に入ってるから忘れないようにね」

明美の言葉に返事をする代わりに、和樹は黙って冷蔵庫から副菜を出し、それもお盆に乗せるとさっさと部屋へ行ってしまった。

「ねぇ……ホントあいつ何様なの?」

吐き捨てるように言ったみのりに「反抗期なのよ」と明美は肩を竦める。

確かに強い口調で拒絶されると明美も少なからずショックを受けるが、それも正常な成長の証だと思っている。


「それで、その時に香奈が『それって意味あるの?』ってすっごい真面目に聞いてきて、もうみんな爆笑」

楽しそうに学校のことを話すみのりに耳を傾けながら食器を洗っていると、突然二階から大きな物音と笑い声が聞こえて来た。

おそらくゲームに熱中している和樹が犯人だろう。

「あいつ、家壊す気?」

弟の行動にイライラしているみのりに「それは困るわねぇ」と眉を下げて答える。

「和樹と鉢合わせたくないから、私もうお風呂入る」

「まだお湯張ってないから入れなさいよ」

「はーい」

再び誰も居なくなったリビングでは、食器を洗う音だけが響く。

(みのりが喋ってた時はあんなに賑やかに感じたのにね)

一日のうちで家族とまともに話すのは、夕食前後の時間だけ。それもみのり限定だ。

悪いわけではないが、やはりこの広いリビングをどこか寂しいと感じる。

最後の一枚を洗って水切りかごに皿を入れた時、明美は和樹の弁当箱が出ていないことに気づいた。

「またあの子は……」

明美はため息をつきながら二階へと上がる。

「和樹。お弁当箱出してちょうだい」

部屋の扉をノックすると、ヘッドフォンをしているのか返事がない。

「ねぇちょっと、和樹」

強めに呼びかけると、「ちょっと待って」と投げやりな声が聞こえてきた。

大きい独り言が留まることなく続いているので、恐らくゲームの最中なのだろう。

以前もそう言われて待ったことがあるが、五分じゃ済まなかった。

「入るわよ」

明美は和樹の返事が聞こえる前に扉を開けた。

「あっ、勝手に入ってくんなって!」

ゲーム機とこちらを交互に見ながら和樹は吠える。

「弁当箱出してない和樹が悪いんでしょう」

息子の言葉を無視して、明美は彼のスクールバッグから弁当箱を取り出した。

「晩ご飯の食器は自分で下ろしなさいね」

そう告げても、聞こえているのかいないのか。

「前みたいに放ったらかしにしたら、お母さん怒るからね」

「はぁ、もうわかってる……ってあー!やばいやばい!」

こっちの話など聞かず、ゲームに夢中な息子に呆れながら部屋を出る。

和樹の弁当箱も洗い終えた頃にみのりがお風呂を上がったので、明美はそれに続いた。

明美はお風呂に入った後はすぐに寝室へ行くので、みのりも自然と部屋で過ごしている。

そして空っぽになったリビングに、仕事を終えた弘昌が帰って来るのだ。

(いったい、いつからうちはこんなにバラバラになっちゃったのかしらね)

明美は自分でも自覚しないうちに、途方のない虚脱感を抱えていた。



「だから、この棚を品出しするならこっちが先だって言ってるじゃない。もう忘れたの?」

「すみません……」

今日も今日とて当たりの強い斉藤に委縮しながら、明美は謝罪する。

静かに黙っていれば通り過ぎる嵐だと思い口を噤むが、どうやら今日は彼女の機嫌が悪いらしかった。

「何なの、その顔は。言いたいことでもあるの」

心臓から湧き上がるモヤモヤした感情をぐっと抑え、明美は首を振る。

「いえ……ありません。言われた通りにします」

「じゃあやりなさい。まったく、本当に仕事ができないんだから」

捨て台詞のように吐かれた言葉が、明美の耳に強く残った。

腹の奥から、沸々と怒りがこみ上げてくる。

どうして、ここまで言われなければならないのか。

何が気にくわなくてこの女性は自分に突っかかってくるのだろう。

頭が怒りで支配され、その日は家に帰っても気分が落ちたままだった。
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