猫が繋いだ私たちの日々

はるかわ 美穂

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第一章(母:明美)

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いつもより手抜きのご飯を作っていると、授業後にそのまま下校してきたみのりが帰って来た。

そういえばみのりは今日、部活が休みで塾に行く日だった。

さっさと着替えて塾へ向かったみのりを見送り、明美は一人のリビングでため息をつく。

このままではあの反抗期の和樹が帰って来た時に喧嘩になりそうだ。

晩ご飯をつくり終えた後、なんとかして心を持ち直そうと深呼吸を繰り返していたら、玄関の扉が開く音がした。

件の和樹が帰って来たのかと思い気を引き締めて玄関へ向かったが、そこに立っていたのは塾終わりのみのりだった。

しかし、何やら様子がおかしい。

肩で息をしながら、みのりは自身の胸元に視線を落とした。

「お、お母さん……この子、どうしよう……」

そこには、みのりの手に抱かれた薄汚い子猫がいた。

「何を連れて帰って来てるの!?」

明美はこれまでの鬱憤も吹っ飛んで、驚きのあまり声が大きくなった。

みのりは心底申し訳なさそうに委縮して、「ご、ごめん。でもこの子がついてきて……」と弁論する。

「野良猫でしょう?だったら戻してきなさい」

「そうかもだけど、この子本当にどこまでもついてきて……明日雨だって言ってたし、放って帰るのがどうしても可哀想で……」

みのりは普段、一度ダメだと言われたら食い下がることは少ない。

そんな娘が懇願している状況に、明美は頭を悩ませた。

映画やドラマなどで、動物を連れ帰ってきた子どもを親が叱る場面を何度か見たことがあるが、まさか自分が遭遇するとは。

みのりの胸に抱かれている雑種の子猫を見ると、バチッと目が合う。

そしてその小さな口が大きく開き、「にゃー」と鳴いた。

目やにもついており、顔は泥で汚れている。

見た目はとてもみすぼらしいのに、そのか細い声だけはクリアで混じり気がなかった。

「……とりあえずお風呂に入れましょう。それからお父さんと相談だわ」

あからさまに目を輝かせたみのりに、「相談するだけよ。お父さんがダメって言ったらダメだからね」と釘を刺す。

「うん、うん!」

みのりは嬉しそうに靴を脱ぐと、カバンを置いてお風呂場の方へ駆けていく。

娘が拾ってきたのだから、自分で綺麗にしてやるだろうと思っていたら、数分も経たないうちに「お母さーん」と泣きつくような声が聞こえて来た。

「もう、何?」

お風呂場を覗くと、あちこち服が濡れているみのりに、洗い場の端っこで「シャーッ」と牙を剥いている子猫がいる。

「めっちゃ暴れるから濡れたし、手も引っ掛かれた……」

完全に意気消沈しているみのりに、明美はため息をつく。

「風邪ひくからさっさと着替えなさい。お母さんがやるから」

「ありがとう……」

シャワーヘッドを母に渡してバトンタッチしたみのりは、自分の着替えを取るために二階へ向かった。

未だに体を縮めて威嚇している猫に、明美は心を鬼にしてぬるめのお湯をかけた。

みのりの言う通り、体を翻してどったんばったんと暴れ、しぶきがこちらにかかってくる。

「ちょっと、もう、大人しくしなさいっ」

体がある程度濡れたのを確認した明美は、気合で猫の体を掴んだ。

「にゃあああ!」

先ほどの可愛らしい声はどこへやら。この世の終わりとでも言うほどの低い声。

細い爪がバリバリと皮膚をひっかくが、明美はとくに汚れている部分を探し、お湯で擦り洗いをした。

ペット用のシャンプーなど持っていなかったので、お湯だけで汚れを落とすのは至難の業だった。

何度も爪を立てられる痛みに耐えながら、なんとか目立つ泥は落とせた後、脱衣所へと連れて行く。

するとそこには着替えたみのりが立っていた。どうやら一部始終を見ていたらしい。

「あ、ごめん。何か手伝った方がいい?」

「もういいわよ。危ないから離れてなさい」

「はい……」

みのりはすごすごと脱衣所を出て、リビングの方へと向かった。

タオルドライ中もドライヤー中も、終始猫は明美に威嚇していたが、明美は淡々とこなすべき仕事をこなした。

手は引っかかれすぎてみみず腫れがいくつもできている。ドライヤーの熱がしみるが、猫の体が渇くまでの辛抱だ。

「よし、こんなものかしらね。ほら、もう自由よ」

明美がリビングまで連れて来て放してやると、猫は一目散にソファの下にもぐった。

「……すごい、そんなところ潜れるんだ」

ソファでくつろいでいたみのりが感心したように呟く。

「猫ちゃーん。出ておいでー。こっちですよー」

指を素早く動かして猫の興味を引こうとするみのりに、「だいぶストレス与えちゃったから、しばらく放っておいた方がいいでしょうね」と告げる。

明美は救急箱が入っている箪笥の引き出しを開けて、血が出ているところに消毒液を垂らした。

あまりにも沁みるので、歯の隙間から息を吸ってしまう。

その音で明美の状態に気づいたみのりが、「えっ、お母さん大丈夫?」と駆け寄って来る。

「大丈夫じゃないわよ。もうやりたい放題に引っ掛かれたんだから」

「あぁ、痛そう……。私、絆創膏貼るの手伝おうか?」

「たぶんすぐに取れちゃうし良いわ。ありがとう」

明美の言葉に納得したみのりはまたソファに座ると、そこから下を覗き込むように頭を下げた。
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