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第三章(父:弘昌)
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「えっ。ツナ俺のとこに来た!」
仕事に集中していると、和樹が突然声を上げた。
膨らんだ風船が弾けるように、集中力が切れる。
身を乗り出して見てみると、あぐらをかく和樹の上に確かにツナが乗っている。
おそらく弘昌が相手にしてくれないことを理解して、別の人のところへ行ったのだろう。
「うわーすげー。嬉しー」
和樹はニヤニヤした表情でツナを見ている。
「ツナはほんっと可愛いなぁー」
小さな体を抱きしめて、和樹は頬を寄せる。
もしかしたら、ツナが膝の上に乗るのは和樹にとって珍しいことなのかもしれない。
ツナに構えないことを残念に思いながら、弘昌は再び仕事に戻ろうとした。
が、ふとリビングの時計が目に入る。
時刻は深夜12時前。いつの間にかずいぶん時間が経っている。
「和樹、もう寝ろ。いつまでゲームやってるんだ」
「うーん。もうゲームはしないけど、ツナが来たから動けねぇよ」
和樹は締まりのない表情で言う。
息子の良心に任せても何の意味もなかったことに呆れると同時に、仕事をしているすぐ傍でダラダラとゲームを続けられていた事実に苛立ちが募る。
「いい加減にしろ」
思った以上に低い声が出て、弘昌自身もたじろいだ。
和樹は不服そうな顔をして、「わかったよ」とツナを下ろして立ち上がる。
ゲームのソフトを抜いて、和樹はリビングを出る。
「おやすみ」
それだけ言って、息子は自身の部屋へ行ってしまった。
思わず、本日二度目の大きなため息が漏れる。
(子どもに当たるなんて、父親失格だな)
結局、その後は仕事が捗らず、翌朝に持ち越すこととなった。
***
「とりあえずこの案件を片付けたら、月次の忙しさからは解放されるな」
「そうですね」
隣席の川村と言葉を交わしながら、いつも通り手早く業務を片付けていく。
「あ」
部下の作った売上資料の最終チェックを行っていると、弘昌はひとつのミスを発見した。
この資料を作ったのは誰だったか。
作成者の欄を見ると、『岡田』と表記がある。
「岡田くん。ちょっと良い?」
少し離れた席に座る部下を呼ぶと、彼は「はいっ」と返事をして立ち上がった。
慌ててこちらに駆けてきた岡田に、「ここの数字が間違ってるから、修正してもらえる?」と、ディスプレイを指さす。
「すみませんっ」
指された場所を確認した岡田は、わずかに表情をこわばらせた。
この一箇所を直した場合、続けて他の部分も訂正が必要になってくるので、少し厄介な類のミスだ。
「すみません……」
なぜこんな大事なところを見落としていたのか、とでも言うように岡田は肩を落とす。
少し作業が増えてしまっただろうが、岡田の許容範囲内だろうと考え、弘昌は静観することにした。
しかしその数十分後のこと。
「次の開発との会議資料ね。はい確かに。……あ、そうだ岡田くん」
弘昌のチェックを通過した資料を岡田が部長に渡すと、彼はそのまま呼び止められた。
「度々申し訳ないんだけど、また営業の方から資料の修正依頼が来てね。これ作ったの君だったよね」
「……はい」
「じゃあ悪いんだけど、今日中に修正してもらえないかな」
岡田の表情には一瞬苦渋が浮かんだが、「はい」とぎこちなく頷いた。
一部始終を見ていた弘昌は、部下のキャパシティーが心配になる。
ちょうど休憩時間に入る頃合いだったので、席を立つついでに岡田に話しかけた。
「タスク抱えすぎてないか?もし大変そうだったら俺が受け持つぞ」
弘昌を見上げた岡田は少しだけ口角を上げ、「ありがとうございます」と言う。
「でも、大丈夫です」
眉根を寄せる岡田に、本当に大丈夫かと聞きそうになったが、部下が「大丈夫」と言うなら、これ以上追及するのも野暮だろう。
「わかった。俺は休憩出るから、岡田くんもキリがいいところで休憩入るんだぞ」
「はい」
わずかな心配を抱きながら、弁当を持って弘昌はフロアを出る。
下の階へ行くボタンを押して、エレベーターが来るのを待っていると、スマホを持っていないことに気づいた。
「しまった」
弘昌はすぐに踵を返し、企画部の方へ駆ける。
カードをかざして室内に入ると、パーテーションの向こうで話し声が聞こえて来た。
「本当に大丈夫なの?岡田くん」
「……大丈夫じゃないかもしれないです」
死にそうな岡田の声色に、川村が声を上げて笑った。
「だったら何でさっき中谷さんに頼らないの。せっかく気にかけてくれてたのに」
「中谷さんに頼るなんて、そんなことできませんよ」
慌てた口調で岡田は言う。
ここで登場するのはさすがにまずいと思い、弘昌はその場で踏みとどまる。
「何で?」
川村の問いに、「それは……」と岡田が言い淀む。
「中谷さんに頼ると、これくらいの仕事もできないのかって思われてしまいそうで……その、怖いんです」
「……なるほど、それはちょっとわかるかも」
二人のその言葉は、弘昌の頭にガツンと衝撃を与えた。
その後も二人は何かを話していたが、率直な部下の言葉のショックが大きすぎて聞こえない。
弘昌はよろよろと方向転換し、そのまま部屋を出た。
味のしない弁当を休憩室でひとり黙々と食べていると、「おす」と声を掛けられる。
見上げると、そこには小山が立っていた。
「……小山か」
「どうした。なんか元気ないな」
言いつつ、小山は弘昌の隣に腰かける。
「ああ……まぁ」
先ほどの二人の会話がずっと頭の中で巡っている弘昌は、曖昧な返事しかできなかった。
そんな弘昌を気遣ってか、小山もむやみに話しかけてこず、静かに昼食を摂っている。
(仕事ができる人間でいようと思ってはいたが、まさかそれが他人を委縮させていたとは)
確かに、弘昌は自分が仕事の速さと正確さにこだわっている手前、他人の仕事ぶりにも敏感なところがあった。
少しでも他人の業務が滞ったり、期限に間に合わないような案件があれば、自分が助力してタスクを終わらせようと意気込んでいた。
もしかすると、そういう仕事に対する姿勢が、部下から距離を置かれていた原因なのかもしれない。
しかし仕事である以上、期限を守ることは絶対。
できないならできないと素直に言ってくれればそれで済むのだ。
なのに何故、部下たちは――
「なぁ、小山って、部下から頼りにされてるか?」
隣で親子丼をかきこんでいる小山に問うと、「どうした突然」と目を瞬いた。
仕事に集中していると、和樹が突然声を上げた。
膨らんだ風船が弾けるように、集中力が切れる。
身を乗り出して見てみると、あぐらをかく和樹の上に確かにツナが乗っている。
おそらく弘昌が相手にしてくれないことを理解して、別の人のところへ行ったのだろう。
「うわーすげー。嬉しー」
和樹はニヤニヤした表情でツナを見ている。
「ツナはほんっと可愛いなぁー」
小さな体を抱きしめて、和樹は頬を寄せる。
もしかしたら、ツナが膝の上に乗るのは和樹にとって珍しいことなのかもしれない。
ツナに構えないことを残念に思いながら、弘昌は再び仕事に戻ろうとした。
が、ふとリビングの時計が目に入る。
時刻は深夜12時前。いつの間にかずいぶん時間が経っている。
「和樹、もう寝ろ。いつまでゲームやってるんだ」
「うーん。もうゲームはしないけど、ツナが来たから動けねぇよ」
和樹は締まりのない表情で言う。
息子の良心に任せても何の意味もなかったことに呆れると同時に、仕事をしているすぐ傍でダラダラとゲームを続けられていた事実に苛立ちが募る。
「いい加減にしろ」
思った以上に低い声が出て、弘昌自身もたじろいだ。
和樹は不服そうな顔をして、「わかったよ」とツナを下ろして立ち上がる。
ゲームのソフトを抜いて、和樹はリビングを出る。
「おやすみ」
それだけ言って、息子は自身の部屋へ行ってしまった。
思わず、本日二度目の大きなため息が漏れる。
(子どもに当たるなんて、父親失格だな)
結局、その後は仕事が捗らず、翌朝に持ち越すこととなった。
***
「とりあえずこの案件を片付けたら、月次の忙しさからは解放されるな」
「そうですね」
隣席の川村と言葉を交わしながら、いつも通り手早く業務を片付けていく。
「あ」
部下の作った売上資料の最終チェックを行っていると、弘昌はひとつのミスを発見した。
この資料を作ったのは誰だったか。
作成者の欄を見ると、『岡田』と表記がある。
「岡田くん。ちょっと良い?」
少し離れた席に座る部下を呼ぶと、彼は「はいっ」と返事をして立ち上がった。
慌ててこちらに駆けてきた岡田に、「ここの数字が間違ってるから、修正してもらえる?」と、ディスプレイを指さす。
「すみませんっ」
指された場所を確認した岡田は、わずかに表情をこわばらせた。
この一箇所を直した場合、続けて他の部分も訂正が必要になってくるので、少し厄介な類のミスだ。
「すみません……」
なぜこんな大事なところを見落としていたのか、とでも言うように岡田は肩を落とす。
少し作業が増えてしまっただろうが、岡田の許容範囲内だろうと考え、弘昌は静観することにした。
しかしその数十分後のこと。
「次の開発との会議資料ね。はい確かに。……あ、そうだ岡田くん」
弘昌のチェックを通過した資料を岡田が部長に渡すと、彼はそのまま呼び止められた。
「度々申し訳ないんだけど、また営業の方から資料の修正依頼が来てね。これ作ったの君だったよね」
「……はい」
「じゃあ悪いんだけど、今日中に修正してもらえないかな」
岡田の表情には一瞬苦渋が浮かんだが、「はい」とぎこちなく頷いた。
一部始終を見ていた弘昌は、部下のキャパシティーが心配になる。
ちょうど休憩時間に入る頃合いだったので、席を立つついでに岡田に話しかけた。
「タスク抱えすぎてないか?もし大変そうだったら俺が受け持つぞ」
弘昌を見上げた岡田は少しだけ口角を上げ、「ありがとうございます」と言う。
「でも、大丈夫です」
眉根を寄せる岡田に、本当に大丈夫かと聞きそうになったが、部下が「大丈夫」と言うなら、これ以上追及するのも野暮だろう。
「わかった。俺は休憩出るから、岡田くんもキリがいいところで休憩入るんだぞ」
「はい」
わずかな心配を抱きながら、弁当を持って弘昌はフロアを出る。
下の階へ行くボタンを押して、エレベーターが来るのを待っていると、スマホを持っていないことに気づいた。
「しまった」
弘昌はすぐに踵を返し、企画部の方へ駆ける。
カードをかざして室内に入ると、パーテーションの向こうで話し声が聞こえて来た。
「本当に大丈夫なの?岡田くん」
「……大丈夫じゃないかもしれないです」
死にそうな岡田の声色に、川村が声を上げて笑った。
「だったら何でさっき中谷さんに頼らないの。せっかく気にかけてくれてたのに」
「中谷さんに頼るなんて、そんなことできませんよ」
慌てた口調で岡田は言う。
ここで登場するのはさすがにまずいと思い、弘昌はその場で踏みとどまる。
「何で?」
川村の問いに、「それは……」と岡田が言い淀む。
「中谷さんに頼ると、これくらいの仕事もできないのかって思われてしまいそうで……その、怖いんです」
「……なるほど、それはちょっとわかるかも」
二人のその言葉は、弘昌の頭にガツンと衝撃を与えた。
その後も二人は何かを話していたが、率直な部下の言葉のショックが大きすぎて聞こえない。
弘昌はよろよろと方向転換し、そのまま部屋を出た。
味のしない弁当を休憩室でひとり黙々と食べていると、「おす」と声を掛けられる。
見上げると、そこには小山が立っていた。
「……小山か」
「どうした。なんか元気ないな」
言いつつ、小山は弘昌の隣に腰かける。
「ああ……まぁ」
先ほどの二人の会話がずっと頭の中で巡っている弘昌は、曖昧な返事しかできなかった。
そんな弘昌を気遣ってか、小山もむやみに話しかけてこず、静かに昼食を摂っている。
(仕事ができる人間でいようと思ってはいたが、まさかそれが他人を委縮させていたとは)
確かに、弘昌は自分が仕事の速さと正確さにこだわっている手前、他人の仕事ぶりにも敏感なところがあった。
少しでも他人の業務が滞ったり、期限に間に合わないような案件があれば、自分が助力してタスクを終わらせようと意気込んでいた。
もしかすると、そういう仕事に対する姿勢が、部下から距離を置かれていた原因なのかもしれない。
しかし仕事である以上、期限を守ることは絶対。
できないならできないと素直に言ってくれればそれで済むのだ。
なのに何故、部下たちは――
「なぁ、小山って、部下から頼りにされてるか?」
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