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第四章(娘:みのり)
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みのりは光遠高校のパンフレットを持ち、ページを開く。
学校の理念が紹介されている見開きのページを流し、次をめくると、専科について記載されている。
『美術・デザイン科』
真っ先に飛び込んできた文字に、パンフレットを持つみのりの手に力がこもった。
優香は、今の歳で絵を将来の仕事に活かそうと考え、光遠高校に進むことを決意している。
(私は……優香みたいに才能があるわけじゃない)
ただの好奇心でその世界に飛び込もうとするのは、きっと本気の人からすれば失礼だ。
だから、冒険せずに無難な選択で良い。
絵が描きたいなら普通科の高校に通ってもできるし、わざわざ遠い学校に行く必要もない。
脳裏に浮かんだのは、今日の部活中に見た優香の繊細な描写。
みのりは光遠高校のパンフレットをそのまま自室のゴミ箱に捨てた。
「で、その時に裕司が蹴ったボールが俺のとこにきて――」
夕食中、楽しそうに部活のことを話す弟に耳を傾けていると、足にふわりと柔らかいものが触れた。
テーブルの下を覗き込むと、案の定ツナが足元をうろついている。
「ツナ。どうしたの」
優しい声で問いかけると、小さな声で「にゃん」と返事をしてくれる。
「お好み焼きにかかってる鰹節が気になるんでしょ」
明美の言葉に、みのりは合点がいき頷く。
「さすがにソースがついたやつはあげられないや。ごめんね」
みのりは身をかがめて、テーブル下で鎮座しているツナの頭を撫でる。
すると、みのりの言葉の意味を理解したのか、ツナは身を翻し、空席になっている弘昌の椅子に飛び乗った。
「あら、お母さんのところに来てもあげられないわよ」
ツナは二本の前足を明美の膝に乗せ、体を前のめりにしながら鼻をふんふんと鳴らしている。
「こら、お行儀よくしなさい」
明美はツナの前足を弘昌の席に戻し、またお好み焼きを食べ始める。
しかし、それでもツナは再び明美の膝に前足を乗せる。
ツナが夕食中に空いた椅子に乗るのはいつものことだが、ここまで前のめりなのは珍しい。それもこれも鰹節が原因だろう。
明美が困った様子で何度もツナを戻していると、「ほらほら、ツナおいで」と和樹が鰹節をちらつかせた。
「ちょっと、それソースついてるでしょ」
みのりが咎めると、「大丈夫だって」と和樹が笑う。
「ちゃんとソースがついてない鰹節取ったから」
お好み焼きから剥がした些細な鰹節を和樹はテーブル越しにツナに近づけた。
それに気づいたツナは瞳を丸くして、和樹の手にある鰹節を口にする。
美味しそうに食べているが、これによってさらにねだられる少し先の未来が想像できる。
しかし、なんだかんだ言って、みのりも含め、家族三人で美味しそうに鰹節を頬張るツナを微笑ましく見ていた。
「あ、そうだわ。みのり、最終決定版の進路希望調査票ってもうもらったの?」
脈絡もなく降られた問いに、みのりは食べ物が喉が詰まりそうになった。
「んぐっ、ごほっ、ごほっ。……昨日渡されたとこ、提出は12月5日までって言われた」
お茶を一口飲んで答えると、「桜賀から変わりないのよね」と明美に問われる。
みのりは「……うん」と茶碗に視線を落としながら頷いた。
「じゃあちゃちゃっと出しちゃいなさいね。お母さんもサインしておくから」
先ほどと同じトーンで相槌を打ったみのりは、みそ汁をすする。
第一希望の欄に桜賀高校と書いて、それを明美に渡すだけだ。
そしたら明美がサインをしてくれる。みのりはそれを担任に提出すれば良い。これまでと同じ流れ。
たったそれだけなのに、どうしてこんなに気が重たいのだろうか。
***
「できた!見てみのり!」
それから数日後のこと、部活の最中についに優香が作品を完成させた。
優香の一声で、みのりのみならず他の部員も彼女の絵に視線を集める。
「うわぁ……すごいね」
それはみのりの口から出た自然な感想だった。
縦向きの四つ切画用紙の下部には、優香が先日懸命に描いていた薄暗い住宅街がある。
そしてもっとも目を引く中央には、羽を広げたカラスの後ろ姿が描かれている。
カラスは白光りする太陽に向かって飛んでおり、濡羽色の羽が光を反射し、ところどころ虹色のようになっている。
住宅街の描き込みもさることながら、カラスの羽の精巧さが際立っている。
パッと見た時に目を引く迫力と完成度の高さに、みのりを含む部員みんなが感嘆の声を漏らした。
「すごいっ、ほんとすごいよ優香!」
真子の称賛に、優香は頬を染めて「ありがとう」とはにかむ。
「牧野先生、この絵は文化祭の時いちばん目立つところに飾りましょう!」
興奮気味な真子に、顧問の彼女は苦笑した。
「そうねぇ。ベニヤ板にそれぞれ貼るだけだから、場所にこだわらなくても、みんな目立つようになってると思うわよ」
「優香のは一枚のベニヤ板独占して貼りましょうっ」
「当日のレイアウトを考える前に、あなたはちゃんと絵を描けてるの?」
「はっ」
真子は息をのんで、そそくさと自分の席へと戻る。
それを見ていた他の部員たちもクスクスと笑いながら、各々自分の席へと戻る。
みのりは自身の画用紙に視線を落とす。未だに定まっていない自身の線画にとても恥ずかしくなった。
その日の帰り道、優香は何を考えながらあの絵を完成させたか話してくれた。
「いちばん表現したかったのは、闇に負けずに飛び立つ力なんだ。カラスは不吉の象徴って言われてるけど、私はカラスのツヤツヤした真っ黒な羽が結構好きでさ」
爛々と目を輝かせる優香が眩しくて、みのりは「うん」と生返事をする。
「だから、羽に陽の光が当たって虹色に輝いてるのも表現したかったの。不吉な真っ黒の鳥だとしても、希望に向かって飛び立てば誰だってその光を受けて輝けるんだって」
テーマに対する深い解釈が、優香のセンスと繊細な感性を思わせる。
「なんか、ほんと……すごいね」
みのりは優香とは中学に入ってからの友人だが、最初はこんな風にあからさまな劣等感を抱いたりしなかった。
お互いに絵が好きで、それに関することなら何時間でも話せるくらいに息が合っているような、仲のいい友人だった。
いつから優香を遠い存在だと思うようになったのか。
学校の理念が紹介されている見開きのページを流し、次をめくると、専科について記載されている。
『美術・デザイン科』
真っ先に飛び込んできた文字に、パンフレットを持つみのりの手に力がこもった。
優香は、今の歳で絵を将来の仕事に活かそうと考え、光遠高校に進むことを決意している。
(私は……優香みたいに才能があるわけじゃない)
ただの好奇心でその世界に飛び込もうとするのは、きっと本気の人からすれば失礼だ。
だから、冒険せずに無難な選択で良い。
絵が描きたいなら普通科の高校に通ってもできるし、わざわざ遠い学校に行く必要もない。
脳裏に浮かんだのは、今日の部活中に見た優香の繊細な描写。
みのりは光遠高校のパンフレットをそのまま自室のゴミ箱に捨てた。
「で、その時に裕司が蹴ったボールが俺のとこにきて――」
夕食中、楽しそうに部活のことを話す弟に耳を傾けていると、足にふわりと柔らかいものが触れた。
テーブルの下を覗き込むと、案の定ツナが足元をうろついている。
「ツナ。どうしたの」
優しい声で問いかけると、小さな声で「にゃん」と返事をしてくれる。
「お好み焼きにかかってる鰹節が気になるんでしょ」
明美の言葉に、みのりは合点がいき頷く。
「さすがにソースがついたやつはあげられないや。ごめんね」
みのりは身をかがめて、テーブル下で鎮座しているツナの頭を撫でる。
すると、みのりの言葉の意味を理解したのか、ツナは身を翻し、空席になっている弘昌の椅子に飛び乗った。
「あら、お母さんのところに来てもあげられないわよ」
ツナは二本の前足を明美の膝に乗せ、体を前のめりにしながら鼻をふんふんと鳴らしている。
「こら、お行儀よくしなさい」
明美はツナの前足を弘昌の席に戻し、またお好み焼きを食べ始める。
しかし、それでもツナは再び明美の膝に前足を乗せる。
ツナが夕食中に空いた椅子に乗るのはいつものことだが、ここまで前のめりなのは珍しい。それもこれも鰹節が原因だろう。
明美が困った様子で何度もツナを戻していると、「ほらほら、ツナおいで」と和樹が鰹節をちらつかせた。
「ちょっと、それソースついてるでしょ」
みのりが咎めると、「大丈夫だって」と和樹が笑う。
「ちゃんとソースがついてない鰹節取ったから」
お好み焼きから剥がした些細な鰹節を和樹はテーブル越しにツナに近づけた。
それに気づいたツナは瞳を丸くして、和樹の手にある鰹節を口にする。
美味しそうに食べているが、これによってさらにねだられる少し先の未来が想像できる。
しかし、なんだかんだ言って、みのりも含め、家族三人で美味しそうに鰹節を頬張るツナを微笑ましく見ていた。
「あ、そうだわ。みのり、最終決定版の進路希望調査票ってもうもらったの?」
脈絡もなく降られた問いに、みのりは食べ物が喉が詰まりそうになった。
「んぐっ、ごほっ、ごほっ。……昨日渡されたとこ、提出は12月5日までって言われた」
お茶を一口飲んで答えると、「桜賀から変わりないのよね」と明美に問われる。
みのりは「……うん」と茶碗に視線を落としながら頷いた。
「じゃあちゃちゃっと出しちゃいなさいね。お母さんもサインしておくから」
先ほどと同じトーンで相槌を打ったみのりは、みそ汁をすする。
第一希望の欄に桜賀高校と書いて、それを明美に渡すだけだ。
そしたら明美がサインをしてくれる。みのりはそれを担任に提出すれば良い。これまでと同じ流れ。
たったそれだけなのに、どうしてこんなに気が重たいのだろうか。
***
「できた!見てみのり!」
それから数日後のこと、部活の最中についに優香が作品を完成させた。
優香の一声で、みのりのみならず他の部員も彼女の絵に視線を集める。
「うわぁ……すごいね」
それはみのりの口から出た自然な感想だった。
縦向きの四つ切画用紙の下部には、優香が先日懸命に描いていた薄暗い住宅街がある。
そしてもっとも目を引く中央には、羽を広げたカラスの後ろ姿が描かれている。
カラスは白光りする太陽に向かって飛んでおり、濡羽色の羽が光を反射し、ところどころ虹色のようになっている。
住宅街の描き込みもさることながら、カラスの羽の精巧さが際立っている。
パッと見た時に目を引く迫力と完成度の高さに、みのりを含む部員みんなが感嘆の声を漏らした。
「すごいっ、ほんとすごいよ優香!」
真子の称賛に、優香は頬を染めて「ありがとう」とはにかむ。
「牧野先生、この絵は文化祭の時いちばん目立つところに飾りましょう!」
興奮気味な真子に、顧問の彼女は苦笑した。
「そうねぇ。ベニヤ板にそれぞれ貼るだけだから、場所にこだわらなくても、みんな目立つようになってると思うわよ」
「優香のは一枚のベニヤ板独占して貼りましょうっ」
「当日のレイアウトを考える前に、あなたはちゃんと絵を描けてるの?」
「はっ」
真子は息をのんで、そそくさと自分の席へと戻る。
それを見ていた他の部員たちもクスクスと笑いながら、各々自分の席へと戻る。
みのりは自身の画用紙に視線を落とす。未だに定まっていない自身の線画にとても恥ずかしくなった。
その日の帰り道、優香は何を考えながらあの絵を完成させたか話してくれた。
「いちばん表現したかったのは、闇に負けずに飛び立つ力なんだ。カラスは不吉の象徴って言われてるけど、私はカラスのツヤツヤした真っ黒な羽が結構好きでさ」
爛々と目を輝かせる優香が眩しくて、みのりは「うん」と生返事をする。
「だから、羽に陽の光が当たって虹色に輝いてるのも表現したかったの。不吉な真っ黒の鳥だとしても、希望に向かって飛び立てば誰だってその光を受けて輝けるんだって」
テーマに対する深い解釈が、優香のセンスと繊細な感性を思わせる。
「なんか、ほんと……すごいね」
みのりは優香とは中学に入ってからの友人だが、最初はこんな風にあからさまな劣等感を抱いたりしなかった。
お互いに絵が好きで、それに関することなら何時間でも話せるくらいに息が合っているような、仲のいい友人だった。
いつから優香を遠い存在だと思うようになったのか。
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