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第四章(娘:みのり)
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「えっ、その猫可愛い!」
部活中、真子がみのりの手元を見て声を上げた。
彼女の視線を追いかければ、みのりが模写用に撮ったツナの写真がある。
「えへへ、うちの猫なの」
写真を持ってよく見せると、「そっか、前に飼い始めたって言ってたよね」と真子が目を輝かせる。
「文化祭の絵は、家のネコ描くの?」
真子の問いに、みのりは「そうしようかなって」と頷いた。
弘昌と話してからもみのりは自分なりにテーマについて考えてみたが、思いのほか「ツナ=希望」がしっくりきた。
そんなわけで、みのりは今日の部活動の時間から、ツナを描くことに集中している。
ツナはよくソファの上で丸まっているので、その写真を一枚撮って、今朝コンビニで現像してきたところだ。
「うわぁ、優香はもう描き終えちゃったし、みのりまで完全に描くもの決まっちゃたんなら、いよいよ私まずいじゃん!早く描かないと」
真子は慌てた様子で自分の席へと戻る。
そんな彼女を苦笑しながら見送り、みのりは作業を再開する。
数日前まではテーマの具現化に悩んで、頼りない線を描いていたが、今は自信を持って手を動かせる。
自分が納得した題材で絵を描けば、こんなにも迷わずに線を描ける。
それはみのりが久しく忘れていた感覚だった。
息を止めたまま深い水中にもぐるように、集中力が研ぎ澄まされていく。
一つのことに集中している時、空中で揺蕩うような心地よさを感じる。
みのりは他の部員の筆の音すら耳に入らず、家にいる愛しくて小さな生き物をただ描写し続けた。
「今日、みのりすごく集中して描いていたね」
帰り道、優香が突然そんなことを言った。
「……そうだね。終わりのチャイムが鳴るまで余計なこと考えず、ずっと絵描いてたかも」
「いいね。完成が楽しみだな。私、みのりの描く絵好きだから」
優香が目を細めて笑う。
みのりは何も言えず笑みを返した。
優香は時々、こうして気を遣ってみのりの絵を褒めてくれる。
以前、みのりの絵と優香の絵が並んで展示された時、皆がこぞって優香の絵ばかり褒め称えていた時に、彼女がそう言ってくれたのだ。
私はみのりの絵が好きだと。
正直、みのりは優香の絵が称賛されることは当然だと思っていたので、いまさら悪感情はなかった。
だけど、優香としては友人の絵がスルーされることに耐えられなかったのだろう。
その時から、彼女は度々みのりの絵を評価してくれる。
才能ある友人からみのり絵が好きだと言われるたびに複雑な感情が湧く。
「……良い絵が描けるように頑張るよ」
しかし、優香との間にある力量差を、みのりはよく理解している。
(きっと私は、逆立ちしたって優香みたいにはなれないだろうな)
***
家に帰ると、いつものようにツナが出迎えてくれた。
「ただいま」
ソファに体を預けたままツナを抱き上げると、柔らかい肉球が部屋着越しにみのりのお腹に沈む。
「ふふ」
ゴロゴロと喉を鳴らして体の上でだらけるツナを見ると、愛おしさが湧き上がって来る。
しばらくツナの体を撫でていると、明美にご飯の準備を手伝うよう言われ、みのりは泣く泣くソファから立ち上がった。
みのりを含む、和樹と明美の三人で夕食を食べ終えると、しばらく家族団らんの時間。
帰って来たばかりの時と同じように、ツナをお腹の上に乗せて撫でていると、和樹がさっそくテレビゲームの電源を入れた。
最近は和樹がテレビ番組に飽きると勝手にゲームを始めるのが主流になっている。
「前はあんなにゲーム機使ってたのに、なんでテレビゲームなの」
とくに見たい番組があるわけじゃなかったので非難する気持ちはなかったが、我が物顔でテレビを占領してゲームをする弟はなんとなく気にくわなかった。
父である弘昌が一緒になってゲームをやるようになってから、その傾向が一層強くなった気がする。
「土日に友達んちで遊ぶ時にコレやるようになったんだよ。姉ちゃんもやる?」
屈託なく笑う弟に、みのりは「いい」と首を振る。
対戦形式のゲームはあまり好きじゃない。
明美と会話をしたり、だらだらとスマホを見たりしていると、玄関の扉が開く音がした。
みのりのお腹の上で大人しくしていたツナが、耳を立てて首をフイと動かす。
リビングの入り口に目を向けると、仕事終わりの弘昌が入って来る。
「おかえりなさい」
「ただいま」
明美が顔を綻ばせ、夫である弘昌を迎える。
「うっ」
ツナがみのりのお腹を蹴って床に降りた。
トテトテと足音を鳴らし、甘えた鳴き声で弘昌の下へ行く。
「あの猫は……人を踏み台のように……」
ついさっきまで可愛がっていた猫が途端に小悪魔のように見え、みのりは尻尾がぴんと立った小さなお尻を睨みつける。
「ツナぁ~。ただいまぁ」
外向きのハリのある服装に反して、緩み切った表情を浮かべる父を横目に、みのりはスマホの時刻を確認した。
20時50分。
少し前まで、弘昌はこの時間帯よりも三十分以上遅く帰宅していたが、近頃はみのりと明美が自室に行く前に帰って来るようになった。
なんでもちょっとした業務改革があったらしい。
そのおかげで、最近は平日の夜に家族四人が揃うことも少なくない。
家族四人がリビングにいると、この家は実は結構狭かったんだな、ということを感じる。
「あ、再来週の金曜日は飲み会が入ったから、俺の分の夕飯は作らなくて良いぞ」
荷物を下ろしながら弘昌は告げる。
明美は「そうなの」と言いながら、リビングの壁にかかったカレンダーをめくった。
ちょうど再来週の金曜日から十二月が始まるからだろう。
弘昌は手を洗うため、リビング奥にある洗面所の方へ消えた。
「……そういえばみのり、進路希望調査票の件、どうなったの?」
忘れていた重要事項に、みのりの体がきしんだ。
部活中、真子がみのりの手元を見て声を上げた。
彼女の視線を追いかければ、みのりが模写用に撮ったツナの写真がある。
「えへへ、うちの猫なの」
写真を持ってよく見せると、「そっか、前に飼い始めたって言ってたよね」と真子が目を輝かせる。
「文化祭の絵は、家のネコ描くの?」
真子の問いに、みのりは「そうしようかなって」と頷いた。
弘昌と話してからもみのりは自分なりにテーマについて考えてみたが、思いのほか「ツナ=希望」がしっくりきた。
そんなわけで、みのりは今日の部活動の時間から、ツナを描くことに集中している。
ツナはよくソファの上で丸まっているので、その写真を一枚撮って、今朝コンビニで現像してきたところだ。
「うわぁ、優香はもう描き終えちゃったし、みのりまで完全に描くもの決まっちゃたんなら、いよいよ私まずいじゃん!早く描かないと」
真子は慌てた様子で自分の席へと戻る。
そんな彼女を苦笑しながら見送り、みのりは作業を再開する。
数日前まではテーマの具現化に悩んで、頼りない線を描いていたが、今は自信を持って手を動かせる。
自分が納得した題材で絵を描けば、こんなにも迷わずに線を描ける。
それはみのりが久しく忘れていた感覚だった。
息を止めたまま深い水中にもぐるように、集中力が研ぎ澄まされていく。
一つのことに集中している時、空中で揺蕩うような心地よさを感じる。
みのりは他の部員の筆の音すら耳に入らず、家にいる愛しくて小さな生き物をただ描写し続けた。
「今日、みのりすごく集中して描いていたね」
帰り道、優香が突然そんなことを言った。
「……そうだね。終わりのチャイムが鳴るまで余計なこと考えず、ずっと絵描いてたかも」
「いいね。完成が楽しみだな。私、みのりの描く絵好きだから」
優香が目を細めて笑う。
みのりは何も言えず笑みを返した。
優香は時々、こうして気を遣ってみのりの絵を褒めてくれる。
以前、みのりの絵と優香の絵が並んで展示された時、皆がこぞって優香の絵ばかり褒め称えていた時に、彼女がそう言ってくれたのだ。
私はみのりの絵が好きだと。
正直、みのりは優香の絵が称賛されることは当然だと思っていたので、いまさら悪感情はなかった。
だけど、優香としては友人の絵がスルーされることに耐えられなかったのだろう。
その時から、彼女は度々みのりの絵を評価してくれる。
才能ある友人からみのり絵が好きだと言われるたびに複雑な感情が湧く。
「……良い絵が描けるように頑張るよ」
しかし、優香との間にある力量差を、みのりはよく理解している。
(きっと私は、逆立ちしたって優香みたいにはなれないだろうな)
***
家に帰ると、いつものようにツナが出迎えてくれた。
「ただいま」
ソファに体を預けたままツナを抱き上げると、柔らかい肉球が部屋着越しにみのりのお腹に沈む。
「ふふ」
ゴロゴロと喉を鳴らして体の上でだらけるツナを見ると、愛おしさが湧き上がって来る。
しばらくツナの体を撫でていると、明美にご飯の準備を手伝うよう言われ、みのりは泣く泣くソファから立ち上がった。
みのりを含む、和樹と明美の三人で夕食を食べ終えると、しばらく家族団らんの時間。
帰って来たばかりの時と同じように、ツナをお腹の上に乗せて撫でていると、和樹がさっそくテレビゲームの電源を入れた。
最近は和樹がテレビ番組に飽きると勝手にゲームを始めるのが主流になっている。
「前はあんなにゲーム機使ってたのに、なんでテレビゲームなの」
とくに見たい番組があるわけじゃなかったので非難する気持ちはなかったが、我が物顔でテレビを占領してゲームをする弟はなんとなく気にくわなかった。
父である弘昌が一緒になってゲームをやるようになってから、その傾向が一層強くなった気がする。
「土日に友達んちで遊ぶ時にコレやるようになったんだよ。姉ちゃんもやる?」
屈託なく笑う弟に、みのりは「いい」と首を振る。
対戦形式のゲームはあまり好きじゃない。
明美と会話をしたり、だらだらとスマホを見たりしていると、玄関の扉が開く音がした。
みのりのお腹の上で大人しくしていたツナが、耳を立てて首をフイと動かす。
リビングの入り口に目を向けると、仕事終わりの弘昌が入って来る。
「おかえりなさい」
「ただいま」
明美が顔を綻ばせ、夫である弘昌を迎える。
「うっ」
ツナがみのりのお腹を蹴って床に降りた。
トテトテと足音を鳴らし、甘えた鳴き声で弘昌の下へ行く。
「あの猫は……人を踏み台のように……」
ついさっきまで可愛がっていた猫が途端に小悪魔のように見え、みのりは尻尾がぴんと立った小さなお尻を睨みつける。
「ツナぁ~。ただいまぁ」
外向きのハリのある服装に反して、緩み切った表情を浮かべる父を横目に、みのりはスマホの時刻を確認した。
20時50分。
少し前まで、弘昌はこの時間帯よりも三十分以上遅く帰宅していたが、近頃はみのりと明美が自室に行く前に帰って来るようになった。
なんでもちょっとした業務改革があったらしい。
そのおかげで、最近は平日の夜に家族四人が揃うことも少なくない。
家族四人がリビングにいると、この家は実は結構狭かったんだな、ということを感じる。
「あ、再来週の金曜日は飲み会が入ったから、俺の分の夕飯は作らなくて良いぞ」
荷物を下ろしながら弘昌は告げる。
明美は「そうなの」と言いながら、リビングの壁にかかったカレンダーをめくった。
ちょうど再来週の金曜日から十二月が始まるからだろう。
弘昌は手を洗うため、リビング奥にある洗面所の方へ消えた。
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