46 / 101
38-1
しおりを挟む
「ああっ、なんてこと。見てくださいアルバート様!」
エレノアは敢えて大きな声で彼の名前を呼び、庭に出る。この位置なら確実にバルコニーからエレノアの姿が見えるだろう。
先ほどまでけたたましく笑っていた男たちの声が、今や水を打ったように静かになっている。
エレノアは庭に咲いている美しい花の葉っぱを指さした。
「こんなに綺麗な花なのに、葉っぱに穴が開いてますわ……」
残念そうな顔をするエレノアに、アルバートが「虫が食べてしまったんでしょうね」と答える。
「以前本で読んだことがあります。美しい蝶たちは、幼虫の時に葉っぱを食料にしているんですよね。そして成虫になった後も花の蜜を栄養にしている」
「……そうですね」
エレノアの行動の意図をつかみかねているのか、アルバートは少し困惑しながらも話を合わせてくれる。
「つまり蝶は、花の恩恵を受けて生きているということですよね」
「ええ」
「なら、蝶は感謝しないといけませんね。自身が多大なる恩恵に預かって今の自分があるということを。安らかに飛べているのは誰のおかげなのか。間違っても自分に恵みを施してくれる者を詰るようなことがないようにしなくては。……もしそんな愚かな行為をする蝶がいたとしたら、それは甘い蜜を啜るだけのただの害虫ですもの」
エレノアは声を張り上げながらバルコニーへ視線を向けた。二人の男とばっちり視線が合ったため、微笑みを向ける。
彼らは顔を引きつらせ、バタバタと建物の中へ戻っていった。
(フン。蛾じゃなくて蝶にしてあげただけでもありがたいと思いなさい)
「……却って気を遣わせてしまいましたね。申し訳ありません」
アルバートが苦笑して告げる。
「いえ、これは私がしたくてしたことなので、気にしないでください」
回帰前にもアルバートは時々社交界で不名誉な陰口を叩かれていた。
精神異常者の件もそうだが、元平民を妻に迎えるなんて高位貴族としてのプライドがないのか、など。
エレノアは彼らに反駁したい気持ちでいっぱいだったが、そんな勇気もなくいつも見過ごすだけだった。
(数年越しだけど、私、ようやく言い返せたわ)
完全な自己満足ではあるが、当時できなかったことを実行できたおかげか、少し心が軽くなった。
「余計に時間を過ごしてしまいましたね。行きましょう」
言いつつアルバートの方を見ると、視線が交わる。どうやらエレノアが見る前からこちらを見ていたらしい。
その瞳が何かを探るように揺れている気がして、エレノアはたじろいだ。
思わず高鳴った胸を抑えながら、「どうかされましたか?」と問いかける。
「……いえ、何でもありません。控室へ向かいましょう」
アルバートはそう言って、何事もなかったかのように視線を逸らした。
その後、無事控室にたどり着き、エレノアは彼にお辞儀をする。
「公爵様、わざわざ送ってくださりありがとうございました」
彼はそのまま立ち去るかと思いきや、こちらをじっと見つめてくる。
「アルバートです」
「……はい?」
「アルバートとお呼びください」
突然の要求にエレノアは目を瞬く。
簡単に他人に名前呼びを許すような人ではなかったはずだが、一体どうしたのだろう。
エレノアの疑問が顔に出ていたのか、アルバートは言葉を続ける。
「皇帝派筆頭である公爵の私と、アスター様の間で信頼関係が築けていると周囲に知らしめるのは大事なことかと思いまして」
「……なるほど」
言われてみればそうかもしれない。
アルバートが専属護衛で居てくれるのは降誕祭の期間だけ。
明日が終わればエレノアとアルバートが直接関わる機会はほとんどなくなるだろう。
今のうちにゼレンハノン家と親密であることを貴族派に印象付けておくのは大事なことだ。
「承知しました。……では、アルバート様」
かつて何度も呼んだその名は口に馴染んでいて、エレノアは思わず笑みがこぼれた。
まさかもう一度彼の名を面と向かって呼べるなんて。
その時、廊下の開いた窓から冷たい夜風が入り込んで来て、エレノアの身体が震えた。
「……風邪を引かれてはいけません。早く中へ」
アルバートの厚意に甘え、エレノアは控室の中へ入る。
扉を閉じる間際、彼の瞳が熱に浮かされているように見えたのは……恐らく気のせいだろう。
控室で束の間の休息を取った後、エレノアは再び会場に戻り、フェリクスの力を借りながら皇帝派貴族たちとの親交を深めた。
その後アマンダが再び絡んでくることもなく、舞踏会は無事に終わりを迎えた。
入場時とは反対に、参加者を見送る立場となったエレノアは、早くお風呂に入って寝たい気持ちを抑えながら微笑んでいた。
最後の家門を見送ると、警備の任務を終えたらしいアルバートが、エレノアとフェリクスの下へやって来る。
「アスター様、私は明日の朝7時から部屋の外で待機しておりますので、ご用命があれば何なりとお申し付けください」
「えっ、それはさすがに早すぎませんか?パレードは11時からですよ?」
「存じております。ただ、アスター様は朝早くから準備を始められるはずですから、私は護衛として部屋の外で待機し、お守りするのが役目です」
「……」
アルバートの申し出に、エレノアは頷くことができなかった。
ただでさえ彼は、降誕祭が始まる数日前からエレノアの護衛として四六時中職務を全うしてくれている。
降誕祭後に休暇が与えられているとはいっても、働きすぎなのは間違いない。
部屋にいる間は安全だろうし、彼にわざわざ早朝から来てもらう必要もないはず。
「いいえ、アルバート様はパレード開始前の10時に合わせて来られてください」
エレノアは敢えて大きな声で彼の名前を呼び、庭に出る。この位置なら確実にバルコニーからエレノアの姿が見えるだろう。
先ほどまでけたたましく笑っていた男たちの声が、今や水を打ったように静かになっている。
エレノアは庭に咲いている美しい花の葉っぱを指さした。
「こんなに綺麗な花なのに、葉っぱに穴が開いてますわ……」
残念そうな顔をするエレノアに、アルバートが「虫が食べてしまったんでしょうね」と答える。
「以前本で読んだことがあります。美しい蝶たちは、幼虫の時に葉っぱを食料にしているんですよね。そして成虫になった後も花の蜜を栄養にしている」
「……そうですね」
エレノアの行動の意図をつかみかねているのか、アルバートは少し困惑しながらも話を合わせてくれる。
「つまり蝶は、花の恩恵を受けて生きているということですよね」
「ええ」
「なら、蝶は感謝しないといけませんね。自身が多大なる恩恵に預かって今の自分があるということを。安らかに飛べているのは誰のおかげなのか。間違っても自分に恵みを施してくれる者を詰るようなことがないようにしなくては。……もしそんな愚かな行為をする蝶がいたとしたら、それは甘い蜜を啜るだけのただの害虫ですもの」
エレノアは声を張り上げながらバルコニーへ視線を向けた。二人の男とばっちり視線が合ったため、微笑みを向ける。
彼らは顔を引きつらせ、バタバタと建物の中へ戻っていった。
(フン。蛾じゃなくて蝶にしてあげただけでもありがたいと思いなさい)
「……却って気を遣わせてしまいましたね。申し訳ありません」
アルバートが苦笑して告げる。
「いえ、これは私がしたくてしたことなので、気にしないでください」
回帰前にもアルバートは時々社交界で不名誉な陰口を叩かれていた。
精神異常者の件もそうだが、元平民を妻に迎えるなんて高位貴族としてのプライドがないのか、など。
エレノアは彼らに反駁したい気持ちでいっぱいだったが、そんな勇気もなくいつも見過ごすだけだった。
(数年越しだけど、私、ようやく言い返せたわ)
完全な自己満足ではあるが、当時できなかったことを実行できたおかげか、少し心が軽くなった。
「余計に時間を過ごしてしまいましたね。行きましょう」
言いつつアルバートの方を見ると、視線が交わる。どうやらエレノアが見る前からこちらを見ていたらしい。
その瞳が何かを探るように揺れている気がして、エレノアはたじろいだ。
思わず高鳴った胸を抑えながら、「どうかされましたか?」と問いかける。
「……いえ、何でもありません。控室へ向かいましょう」
アルバートはそう言って、何事もなかったかのように視線を逸らした。
その後、無事控室にたどり着き、エレノアは彼にお辞儀をする。
「公爵様、わざわざ送ってくださりありがとうございました」
彼はそのまま立ち去るかと思いきや、こちらをじっと見つめてくる。
「アルバートです」
「……はい?」
「アルバートとお呼びください」
突然の要求にエレノアは目を瞬く。
簡単に他人に名前呼びを許すような人ではなかったはずだが、一体どうしたのだろう。
エレノアの疑問が顔に出ていたのか、アルバートは言葉を続ける。
「皇帝派筆頭である公爵の私と、アスター様の間で信頼関係が築けていると周囲に知らしめるのは大事なことかと思いまして」
「……なるほど」
言われてみればそうかもしれない。
アルバートが専属護衛で居てくれるのは降誕祭の期間だけ。
明日が終わればエレノアとアルバートが直接関わる機会はほとんどなくなるだろう。
今のうちにゼレンハノン家と親密であることを貴族派に印象付けておくのは大事なことだ。
「承知しました。……では、アルバート様」
かつて何度も呼んだその名は口に馴染んでいて、エレノアは思わず笑みがこぼれた。
まさかもう一度彼の名を面と向かって呼べるなんて。
その時、廊下の開いた窓から冷たい夜風が入り込んで来て、エレノアの身体が震えた。
「……風邪を引かれてはいけません。早く中へ」
アルバートの厚意に甘え、エレノアは控室の中へ入る。
扉を閉じる間際、彼の瞳が熱に浮かされているように見えたのは……恐らく気のせいだろう。
控室で束の間の休息を取った後、エレノアは再び会場に戻り、フェリクスの力を借りながら皇帝派貴族たちとの親交を深めた。
その後アマンダが再び絡んでくることもなく、舞踏会は無事に終わりを迎えた。
入場時とは反対に、参加者を見送る立場となったエレノアは、早くお風呂に入って寝たい気持ちを抑えながら微笑んでいた。
最後の家門を見送ると、警備の任務を終えたらしいアルバートが、エレノアとフェリクスの下へやって来る。
「アスター様、私は明日の朝7時から部屋の外で待機しておりますので、ご用命があれば何なりとお申し付けください」
「えっ、それはさすがに早すぎませんか?パレードは11時からですよ?」
「存じております。ただ、アスター様は朝早くから準備を始められるはずですから、私は護衛として部屋の外で待機し、お守りするのが役目です」
「……」
アルバートの申し出に、エレノアは頷くことができなかった。
ただでさえ彼は、降誕祭が始まる数日前からエレノアの護衛として四六時中職務を全うしてくれている。
降誕祭後に休暇が与えられているとはいっても、働きすぎなのは間違いない。
部屋にいる間は安全だろうし、彼にわざわざ早朝から来てもらう必要もないはず。
「いいえ、アルバート様はパレード開始前の10時に合わせて来られてください」
153
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめる事にしました 〜once again〜
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【アゼリア亡き後、残された人々のその後の物語】
白血病で僅か20歳でこの世を去った前作のヒロイン、アゼリア。彼女を大切に思っていた人々のその後の物語
※他サイトでも投稿中
孤独な公女~私は死んだことにしてください
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【私のことは、もう忘れて下さい】
メイドから生まれた公女、サフィニア・エストマン。
冷遇され続けた彼女に、突然婚約の命が下る。
相手は伯爵家の三男――それは、家から追い出すための婚約だった。
それでも彼に恋をした。
侍女であり幼馴染のヘスティアを連れて交流を重ねるうち、サフィニアは気づいてしまう。
婚約者の瞳が向いていたのは、自分では無かった。
自分さえ、いなくなれば2人は結ばれる。
だから彼女は、消えることを選んだ。
偽装死を遂げ、名も身分も捨てて旅に出た。
そしてサフィニアの新しい人生が幕を開ける――
※他サイトでも投稿中
許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください>
私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
私のことはお気になさらず
みおな
恋愛
侯爵令嬢のティアは、婚約者である公爵家の嫡男ケレスが幼馴染である伯爵令嬢と今日も仲睦まじくしているのを見て決意した。
そんなに彼女が好きなのなら、お二人が婚約すればよろしいのよ。
私のことはお気になさらず。
白い結婚を終えて自由に生きてまいります
なか
恋愛
––アロルド、私は貴方が結婚初日に告げた言葉を今でも覚えている。
忘れもしない、あの時貴方は確かにこう言った。
「初めに言っておく、俺達の婚姻関係は白い結婚として……この関係は三年間のみとする」
「白い結婚ですか?」
「実は俺には……他に愛する女性がいる」
それは「公爵家の令嬢との問題」を理由に、三年間だけの白い結婚を強いるもの。
私の意思を無視して三家が取り決めたものであったが、私は冷静に合意を決めた
――それは自由を得るため、そして『私自身の秘密を隠すため』の計算でもあった。
ところが、三年の終わりが近づいたとき、アロルドは突然告白する。「この三年間で君しか見えなくなった。白い結婚の約束をなかったことにしてくれ」と。
「セシーリア、頼む……どうか、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ」
アロルド、貴方は何を言い出すの?
なにを言っているか、分かっているの?
「俺には君しかいないと、この三年間で分かったんだ」
私の答えは決まっていた。
受け入れられるはずがない。
自由のため、私の秘密を守るため、貴方の戯言に付き合う気はなかった。
◇◇◇
設定はゆるめです。
とても強い主人公が自由に暮らすお話となります。
もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!
もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません~死に戻った嫌われ令嬢は幸せになりたい~
桜百合
恋愛
旧題:もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません〜死に戻りの人生は別の誰かと〜
★第18回恋愛小説大賞で大賞を受賞しました。応援・投票してくださり、本当にありがとうございました!
10/24にレジーナブックス様より書籍が発売されました。
現在コミカライズも進行中です。
「もしも人生をやり直せるのなら……もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません」
コルドー公爵夫妻であるフローラとエドガーは、大恋愛の末に結ばれた相思相愛の二人であった。
しかしナターシャという子爵令嬢が現れた途端にエドガーは彼女を愛人として迎え、フローラの方には見向きもしなくなってしまう。
愛を失った人生を悲観したフローラは、ナターシャに毒を飲ませようとするが、逆に自分が毒を盛られて命を落とすことに。
だが死んだはずのフローラが目を覚ますとそこは実家の侯爵家。
どうやらエドガーと知り合う前に死に戻ったらしい。
もう二度とあのような辛い思いはしたくないフローラは、一度目の人生の失敗を生かしてエドガーとの結婚を避けようとする。
※完結したので感想欄を開けてます(お返事はゆっくりになるかもです…!)
独自の世界観ですので、設定など大目に見ていただけると助かります。
※誤字脱字報告もありがとうございます!
こちらでまとめてのお礼とさせていただきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる