その鹿を人間にする方法

はるかわ 美穂

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鹿男との邂逅

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今日は7月30日。夏休みでも変わらず学校に向かって部活に励んでいたのだろう。

「いいな。中学生に戻りたい」

中学生の時もある程度人間関係には悩んでいただろうけど、大人になってからの方がもっと複雑だ。

義務教育課程なら働かなくてもいいし、勝ち組じゃないか。

「二十代が何言うてんの」

先に玄関に上がったお母さんが、やれやれと肩をすくめる。

そうは言っても、衝動的に会社を辞めて都会から逃げるように実家に戻って来た24歳無職なんて、字面だけでも見通しが暗い。

両親は最終的にいつも私の選択を尊重してくれるけど、私の将来を不安に感じているのは言うまでもない。

その証拠に、夕飯の席では父から「次は何の仕事するんや」と質問された。

「……とりあえず、考え中」

「こっちで就職したらええやん。大阪行けばなんぼでも仕事あるし」

「まぁ、ね」

うちはよそと比べるとそこそこ寛容な上に放任主義だとは思うけど、父は私が東京に行くことを最後まで渋っていたので、今回の退職を機に戻って来てほしいのだろう。

正直言って、一人暮らしが性に合っていることに気づいてしまったので、こっちに戻ってきたとしても実家で暮らすことはあまり考えていない。

「……考えとく」

だけど、真っ向から父の意見を拒否するのも気が引けたし、実家に戻るつもりがないことを言えば父を傷つけてしまいそうだったので、当たり障りない返事をしておいた。


***


それから丸一日は怠惰に過ごした。

お昼過ぎに起きて、お腹が空いたら食べて、眠たくなったら寝る。ベッドから降りるのはトイレに行く時とご飯を食べる時だけ。

時間の経過とともに茜と話した時の衝撃は薄まりつつあったけど、ふとした瞬間に茜の声が鮮明思い出されて、心が泥水に浸かったような気持ちになった。

さすがに二日間何もしないのは時間がもったいない気がして、ラフな格好に着替えて外出した。

特に行き先は決めてなかったけど、大阪はなんとなく騒がしそうだったので、奈良市の方面へ向かうことにした。

だとしたら、奈良公園を散策するのが良いかもしれない。怠けた体にはちょうどいい散歩ルートな上、鹿を見て癒されることができる。一石二鳥だ。

電車に乗って約十分ほど揺られれば、目的の駅に着く。

……あんまり変わってないな。

JR奈良駅から奈良公園に向かう三条通りの風景は、数年前の記憶と同じままだった。

車一台しか通れないような細い車道の両脇に、灰色の石畳が敷かれた広い歩道が奥まで続いている。

学生たちが夏休みと言えど、社会人はただの平日。そのおかげか、通りの人気はまばら、というより閑散としていた。

寂しそうに来客を待つ骨董屋や喫茶店をぼんやり眺めながら道を進んでいけば、いつの間にか奈良公園に到着する。

敷地内に入れば、そこかしこに鹿の姿がある。芝生の上で集まって眠っている鹿たちもいれば、私と同じようにぼんやりしながら歩いている鹿もいる。

とりあえず、適当に歩き回ってみよう。

そうして公園を歩き回って約十分。奈良駅から歩いてきたこともあって、すでに疲れてきた。それに、8月の日差しを舐めていた。めちゃめちゃに熱い。

じっとり汗ばんだ背中に服が張り付いて気持ち悪いし、気分はもう散歩どころではない。

とりあえずどこか休めるところがないか周囲を見渡してみると、数十メートル先に小さな茶屋が見えた。のぼりが立っているため、間違いなく飲食店だろう。

しめた!

私は早足になってその茶屋まで駆ける。

道行く人にわかりやすく見える位置に立っている看板を見ると、そこにはバニラやストロベリー、抹茶など、様々な味のソフトクリームのメニューがあった。

ひんやりと冷たくて柔らかいそれを想像して、私は思わず唾を飲み込む。

ここまで頑張って歩いてきたんだから、ご褒美としてソフトクリームを食べるくらい良いはず。

「すみません。抹茶のソフトクリームください」

店主らしき人に声をかけて小銭を渡すと、数分もしないうちに望みの品が出てきた。

ちょうど木陰になっているベンチに座ってアイスを頬張る。外の空気に触れながら食べるソフトクリームも風情があって良い。

蒸しに蒸された体にキンキンに冷えたソフトクリームはとてつもなく気持ちいい。

ほろ苦い抹茶の中にしっかりとソフトとしての甘みがあって、まるで飲み物のように食べ進めてしまう。

「~~っ」

がっつき過ぎて頭が痛くなる現象に足をじたばたさせると、こちらをガン見している鹿と目が合った。

小さい頭に角はなく、楕円形の耳が左右対称にピンと立っている。木漏れ日が降り注いだような小麦色の毛並みをしているところを見るにまだ子鹿だ。

奈良公園の鹿とはいえ、野生の動物であることにはかわらないので、その眼力にわずかにたじろいでしまう。

だけど鹿は何かをするでもなく、ただ私が黙々とアイスを食べているところを見ている。

なんとなく私も鹿の目を見つめ返していると、コーンを噛んだパキッという音に鹿が反応した、気がする。

あの鹿は鹿せんべいが食べたいのかもしれない……。

食事中の私を鹿がガン見してくる理由なんてそれ以外考えられない。

人に見られるよりはマシかもしれないけど、動物に食事シーンをまじまじと見つめられるのも居心地が悪い。

はいはいわかりましたよ、なんて心の中で勝手に返事をして、ソフトクリームを食べ終えた私は立ち上がった。
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