22 / 49
2日目
22
しおりを挟む
ずっと言えずにいる、私の本当の気持ち。
一人暮らしを続けたい。
それを言ったら両親を拒絶することになりそうで、二人の期待を裏切ってしまう気がして、怖かった。
だけど――
『もっと自分の気持ちを大切にしてくれ』
切望するような彼の声が脳裏をよぎる。
自分の気持ちを大事にするということがどういうことなのか、私にはまだよくわからない。
だけど、自分のやりたいことを隠して親の希望に合わせようとしている今の私は、自分の気持ちを大事にしているとは言えないんじゃないだろうか。
一方的だったとも言える彼との約束。それでも、啓太との間に結んだそれを蔑ろにはしたくない。
ほんの少しの勇気がわいた。
「あのさ、お母さん」
母の隣に腰かけて話しかけると、緊張で声が震えた。
お母さんは不思議そうな表情でこちらを見ている。
あれ、もしかして、こんな風に面と向かって自分の気持ちを言うのって初めてかもしれない。
呼吸は浅くなるし、心臓は祭り囃子の太鼓のようにドコドコと鳴っている。
「あの、な……」
しどろもどろな私の言葉を、母は何かを察したのか黙って待ってくれる。
手のひらを強く握り、腹をくくった。
「私、こっちで仕事を探すことになったとしても、一人暮らしは続けたいと思ってんねん」
情けないくらいに声が震えた。自分の思いを打ち明けられたことによる軽やかさと罪悪感が同じくらいの質量が同時にやってくる。
母の顔を見るのが怖くなって俯くと、「そうか。あんたの好きなようにしたらええよ」と至って軽い言葉が返ってきた。
「え、いいの?」
「そりゃあお母さんも真緒が帰ってきてくれたら嬉しいけど、あんたも大人なんやから、自分の住む場所くらい自分で決めるやろ」
何を当然のことを言っているのだ、とでも言いたげな顔に、胸につかえていた重りがスッと消えた気がした。
「そっか……」
「あ、でもお父さんは残念がるやろうなぁ」
父のショックを受けた顔を想像したのか、母は肩をすくめて笑う。
反して私の表情が曇ったことに気づいたのか、母は私を見て穏やかに微笑んだ。
「真緒は昔から手がかからんくてお利口さんやったから、お母さんもお父さんも助かっとった。感がいい子で、こうして欲しいって思ったらすぐにその通りにしてくれたからな。でも、ちょっとだけ心配やった。自分の気持ちを隠してないかって。だから今真緒が思ってること話してくれて、安心したわ」
母の優しい手が私の髪を撫でる。
「お母さんもお父さんも、真緒が元気に健康でいてくれるだけで嬉しいんやで。だから、申し訳ないとか思う必要あらへん」
親の期待を裏切ることが怖かった。いい子じゃない私は、可愛がってもらえないんじゃないかと思っていたから。
だけど、違った。
鼻の奥がツンとする。目頭が熱くなって、何度も瞬きを繰り返す。
鼻をすすった音で、私が泣いていることがバレてしまい、お母さんには「何で泣くん」と困った顔で笑われた。
「……ずっと、いい子でいなきゃいけないって、思ってたから。一人暮らししたいなんて、期待を裏切るようなこと言っちゃダメだと思ってた」
母はぽろぽろ零れる私の涙を拭いながら、きょとんとした顔をする。
「確かに真緒が昔からいい子で助かったけど、悪い子でもなんだかんだ言って大好きやったはずやで。でも、いい子やなって褒め続けたんが、逆に真緒を不安にさせてしもうたんかなぁ」
ごめんな、と言いながら母は私をそっと抱きしめる。
しゃくりあげる声を我慢しながら、私はおおげさに首を振った。
そういえば、母からいい子だねと褒められることはあっても、いい子でいなさいと強要されたことはなかったかもしれない。
私はその誉め言葉を曲解して受け取って、これまでずっと人の顔色を窺っていたんだろうか。
だけどその仮説はどこかしっくりこない。
まだ、何かを見落としている気がする。
「お父さんには今日中に話すんか?」
母の問いかけに頷く。自分の気持ちはなるべく早く伝えた方が良いだろう。
「大丈夫。お父さんも最終的には応援してくれるで」
「……だといいな」
ようやく涙が止まった顔で、私は力なく笑った。
その日の夜、夕食時に一人暮らしをしたい旨を父に伝えると、案の定お父さんはとてもショックを受けたけど、最後には私がしたいようにするのが一番だと言って受け入れてくれた。
私が恐れていた先にある世界は、自分が思っていたよりもずっと優しかった。
***
「あ、明日のパンないわ」
夕食を終え、家族三人で団らんしていたところ、キッチンの棚にあるカゴを見た母が言った。
「ちょっとコンビニ行ってくるな。なんか欲しいもんでもある?」
そう言って母が出かける準備をしようとするので、「私行くで」と慌ててソファから立ち上がる。
「あら、行ってくれんの?」
「うん。パン買ってくればええんやんな?他に何かいる?」
「お金渡したるからパン以外にも好きなやつ買ってきぃ」
お父さんがカバンから財布を出してくる。
「ええよ。それくらい自分のお金で買うし。この間まで働いてたぶんのお金あるから」
「そおか?」
「うん。じゃあちょっと行ってくるわ」
「いや、ちょっと待って。こんな夜に一人で行くんわやっぱ危ないんちゃうか」
「夜って言ってもまだ七時だけど……。それに、どうせ自転車乗るし」
「お父さんはホンマに真緒のこと好きやなぁ。コンビニくらい自由に行かせたり」
呆れているのか、からかっているのか微妙なラインで母が含み笑いをする。
父はしゅんとしてソファに戻る。父の中で私はまだお小遣いや送迎が必要な子どもに見えているのかもしれない。
「じゃあちょっと行ってくるな」
「気をつけてな」
真剣な父の様子に吹き出しながら、カバンを持って家を出る。
徒歩だと十数分、自転車だと五分以内に着ける場所に最寄りのコンビニがある。慣れ親しんだ道のりを自転車でスイスイ進み、目的地にはすぐに着いた。
一人暮らしを続けたい。
それを言ったら両親を拒絶することになりそうで、二人の期待を裏切ってしまう気がして、怖かった。
だけど――
『もっと自分の気持ちを大切にしてくれ』
切望するような彼の声が脳裏をよぎる。
自分の気持ちを大事にするということがどういうことなのか、私にはまだよくわからない。
だけど、自分のやりたいことを隠して親の希望に合わせようとしている今の私は、自分の気持ちを大事にしているとは言えないんじゃないだろうか。
一方的だったとも言える彼との約束。それでも、啓太との間に結んだそれを蔑ろにはしたくない。
ほんの少しの勇気がわいた。
「あのさ、お母さん」
母の隣に腰かけて話しかけると、緊張で声が震えた。
お母さんは不思議そうな表情でこちらを見ている。
あれ、もしかして、こんな風に面と向かって自分の気持ちを言うのって初めてかもしれない。
呼吸は浅くなるし、心臓は祭り囃子の太鼓のようにドコドコと鳴っている。
「あの、な……」
しどろもどろな私の言葉を、母は何かを察したのか黙って待ってくれる。
手のひらを強く握り、腹をくくった。
「私、こっちで仕事を探すことになったとしても、一人暮らしは続けたいと思ってんねん」
情けないくらいに声が震えた。自分の思いを打ち明けられたことによる軽やかさと罪悪感が同じくらいの質量が同時にやってくる。
母の顔を見るのが怖くなって俯くと、「そうか。あんたの好きなようにしたらええよ」と至って軽い言葉が返ってきた。
「え、いいの?」
「そりゃあお母さんも真緒が帰ってきてくれたら嬉しいけど、あんたも大人なんやから、自分の住む場所くらい自分で決めるやろ」
何を当然のことを言っているのだ、とでも言いたげな顔に、胸につかえていた重りがスッと消えた気がした。
「そっか……」
「あ、でもお父さんは残念がるやろうなぁ」
父のショックを受けた顔を想像したのか、母は肩をすくめて笑う。
反して私の表情が曇ったことに気づいたのか、母は私を見て穏やかに微笑んだ。
「真緒は昔から手がかからんくてお利口さんやったから、お母さんもお父さんも助かっとった。感がいい子で、こうして欲しいって思ったらすぐにその通りにしてくれたからな。でも、ちょっとだけ心配やった。自分の気持ちを隠してないかって。だから今真緒が思ってること話してくれて、安心したわ」
母の優しい手が私の髪を撫でる。
「お母さんもお父さんも、真緒が元気に健康でいてくれるだけで嬉しいんやで。だから、申し訳ないとか思う必要あらへん」
親の期待を裏切ることが怖かった。いい子じゃない私は、可愛がってもらえないんじゃないかと思っていたから。
だけど、違った。
鼻の奥がツンとする。目頭が熱くなって、何度も瞬きを繰り返す。
鼻をすすった音で、私が泣いていることがバレてしまい、お母さんには「何で泣くん」と困った顔で笑われた。
「……ずっと、いい子でいなきゃいけないって、思ってたから。一人暮らししたいなんて、期待を裏切るようなこと言っちゃダメだと思ってた」
母はぽろぽろ零れる私の涙を拭いながら、きょとんとした顔をする。
「確かに真緒が昔からいい子で助かったけど、悪い子でもなんだかんだ言って大好きやったはずやで。でも、いい子やなって褒め続けたんが、逆に真緒を不安にさせてしもうたんかなぁ」
ごめんな、と言いながら母は私をそっと抱きしめる。
しゃくりあげる声を我慢しながら、私はおおげさに首を振った。
そういえば、母からいい子だねと褒められることはあっても、いい子でいなさいと強要されたことはなかったかもしれない。
私はその誉め言葉を曲解して受け取って、これまでずっと人の顔色を窺っていたんだろうか。
だけどその仮説はどこかしっくりこない。
まだ、何かを見落としている気がする。
「お父さんには今日中に話すんか?」
母の問いかけに頷く。自分の気持ちはなるべく早く伝えた方が良いだろう。
「大丈夫。お父さんも最終的には応援してくれるで」
「……だといいな」
ようやく涙が止まった顔で、私は力なく笑った。
その日の夜、夕食時に一人暮らしをしたい旨を父に伝えると、案の定お父さんはとてもショックを受けたけど、最後には私がしたいようにするのが一番だと言って受け入れてくれた。
私が恐れていた先にある世界は、自分が思っていたよりもずっと優しかった。
***
「あ、明日のパンないわ」
夕食を終え、家族三人で団らんしていたところ、キッチンの棚にあるカゴを見た母が言った。
「ちょっとコンビニ行ってくるな。なんか欲しいもんでもある?」
そう言って母が出かける準備をしようとするので、「私行くで」と慌ててソファから立ち上がる。
「あら、行ってくれんの?」
「うん。パン買ってくればええんやんな?他に何かいる?」
「お金渡したるからパン以外にも好きなやつ買ってきぃ」
お父さんがカバンから財布を出してくる。
「ええよ。それくらい自分のお金で買うし。この間まで働いてたぶんのお金あるから」
「そおか?」
「うん。じゃあちょっと行ってくるわ」
「いや、ちょっと待って。こんな夜に一人で行くんわやっぱ危ないんちゃうか」
「夜って言ってもまだ七時だけど……。それに、どうせ自転車乗るし」
「お父さんはホンマに真緒のこと好きやなぁ。コンビニくらい自由に行かせたり」
呆れているのか、からかっているのか微妙なラインで母が含み笑いをする。
父はしゅんとしてソファに戻る。父の中で私はまだお小遣いや送迎が必要な子どもに見えているのかもしれない。
「じゃあちょっと行ってくるな」
「気をつけてな」
真剣な父の様子に吹き出しながら、カバンを持って家を出る。
徒歩だと十数分、自転車だと五分以内に着ける場所に最寄りのコンビニがある。慣れ親しんだ道のりを自転車でスイスイ進み、目的地にはすぐに着いた。
0
あなたにおすすめの小説
忘れ去られた婚約者
かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』
甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。
レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。
恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。
サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!?
※他のサイトにも掲載しています。
毎日更新です。
【完結】そんなに嫌いなら婚約破棄して下さい! と口にした後、婚約者が記憶喪失になりまして
Rohdea
恋愛
──ある日、婚約者が記憶喪失になりました。
伯爵令嬢のアリーチェには、幼い頃からの想い人でもある婚約者のエドワードがいる。
幼馴染でもある彼は、ある日を境に無口で無愛想な人に変わってしまっていた。
素っ気無い態度を取られても一途にエドワードを想ってきたアリーチェだったけど、
ある日、つい心にも無い言葉……婚約破棄を口走ってしまう。
だけど、その事を謝る前にエドワードが事故にあってしまい、目を覚ました彼はこれまでの記憶を全て失っていた。
記憶を失ったエドワードは、まるで昔の彼に戻ったかのように優しく、
また婚約者のアリーチェを一途に愛してくれるようになったけど──……
そしてある日、一人の女性がエドワードを訪ねて来る。
※婚約者をざまぁする話ではありません
※2022.1.1 “謎の女”が登場したのでタグ追加しました
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる