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その鹿を人間にする方法
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ホームに滑り込んできた電車に乗ると、車内は結構空いていた。
今日は日曜日なのでそれなりに人が多いと思ったが、多くの人はもう少し早い時間に動き出しているのかもしれない。
空いている席に座って電車に揺られながらスマホを触っていると、駅を過ぎる毎に徐々に人が増えてくる。
座席の前に立つ人の邪魔にならないよう足をひっこめた時、「ねぇ、お父さん。座りたい」という声が聞こえて顔を上げた。
私の正面には小学校低学年くらいの女の子と、その父親と思われる男性が立っており、女の子はうんざりした様子で父の腕を掴んでいる。
父親は娘の背を撫でながら「うーん」と言って視線を逸らす。その時、ちょうど正面にいる私と目が合った。
周囲の人はスマホを触っているだけで、二人の会話に気づいているのかいないのかすらわからない。
突発的に罪悪感が湧いて、「あの、座りますか」と声をかけた。
本音を言えば私も座っていたかったけど、しょうがない。
「いいんですか」
父親は申し訳なさそうな顔をしたが、私の申し出をありがたく思っているようだった。
「ほら、えり。お礼言って」
「……ありがとうございます」
父に促され、恥ずかしそうにお礼を言った少女は私が元いた席に腰かける。
「どういたしまして」
さすがに二人の傍に立つのは気が引けたので、私はドア横のスペースに収まって目的地に着くまで待った。
すると、向かいに立っていたおばあさんが「優しいのね」と声をかけてくれた。
まさか話しかけられるとは思っていなかったので、取り繕って「いや、そんなことは……」と愛想笑いを浮かべる。
おばあさんは穏やかに微笑んで私を見てくれていた。
困った。注目されるくらいなら黙ったままの方が良かったかもしれない。
でもあそこで席を譲らないのも思いやりがない気がするし……。
優しいのね、というおばあさんの言葉が頭の中を何度も巡る。
違う。私は優しいわけじゃない。嫌われるのが怖いだけだ。
だから、啓太を傷つけた。
私はいつも人の顔色を窺っている。優しくない自分に、価値はないと思ってる。
もっと自分の気持ちを大事にしろと啓太は言ってくれた。私も彼の言葉に応えたくて変わろうとしたけど、自分の気持ちが誰かを傷つけるものだった時は、どうしたらいいのだろう。
やっぱり、私さえ我慢すれば丸く収まるんじゃないか――?
その時、啓太が奈良町を散策した時に言っていた言葉を思い出した。
『我慢したところで誰にも良い影響なんか与えへんし、結局いつかは限界迎えんねんから。むしろ溜め込む方が迷惑やわ』
今更ながら、あの時の彼の言葉に合点がいく。
あれはきっと、自分の気持ちを押し殺して啓太と付き合っていた私のことを言っていたんだ。
再会してからの啓太は私に色々と良くしてくれたけど、当時の私が犯した過ちについてはずっと怒っていたのかもしれない。
そう考えると、啓太がくれたこれまでの優しさが、全て砂となって手のひらから零れていくような感覚がした。
あの日感じた極度の無価値観がぶり返して、自分という存在が恥ずかしくなってくる。
私という人間がどうしても肯定できない。
なんで私はこんな性格なんだろう。啓太が好きだと言ってくれた自分にどうやって戻ればいいんだろう。
私は私を慮ってくれる啓太に甘えていた。啓太が私を大切にしてくれるから、それで私は自分の価値が上がった気がしていた。
だけど、私は啓太に好きだと思ってもらえるような人間じゃない。
そしたら私を支えるもの全てが無くなってしまったような気がして恐ろしかった。
気が付けば乗り換えの駅に着いていて、私は浮かんだ涙を拭いながらホームに降りる。
憂鬱な気持ちで新宿行きの電車に乗り込み、待ち合わせ場所になっているJR新宿駅の改札前に無事到着した。
数分前に茜から『ごめん。電車遅延してて10分くらい遅れる!』と来ていたので、意図せず二十分近く暇になってしまう。
近場のカフェで休もうかと思ったけど節約したいし、新宿で無理に動いたら迷子になりそうなので、大人しく待ち合わせ場所に留まることにする。
久しぶりに茜と会うだけでも結構な気力を使うのに、行きの電車内で余計なことを考えたせいで、気分はさらに落ち込んでいる。
人が行き交う先に見える大きなデジタル広告をぼんやりと見つめていると、流行りの女優が主演を務めている映画の宣伝がされていた。
『自分と一生付き合っていくのは自分なんだから、まずはあなたが自分を一番大事にしてあげなさい』
そのセリフが、確かな質量を持って私の心に降って来る。
まるで平手打ちを食らった気分だった。
私は自分の気持ちを大事にするということがいまいちわからなくて、啓太が私を思いやってくれるから、それに応えたくて行動しただけだった。
私のことに心を砕いてくれる人の言うことを聞いていれば、それだけで良いとどこかで考えていた。
だけど、違う。啓太が言っていた「自分の気持ちを大事にする」は、「私が私を労わる」ことを望んでいるということだったんだ。
啓太は何度もそれを伝えてくれていたのに、気づくのが遅すぎた。
啓太でも、お母さんでも、お父さんでもなく、誰かの評価に依存するんじゃない。
私は、たとえ私の好きな人から嫌われたとしても、自分が好きだと思える人になりたい。
自分を恥じない人になりたい。自分に、正直でいたい。
本当に向き合わなきゃいけないのは他人じゃなくて、自分の気持ちだった。
今日は日曜日なのでそれなりに人が多いと思ったが、多くの人はもう少し早い時間に動き出しているのかもしれない。
空いている席に座って電車に揺られながらスマホを触っていると、駅を過ぎる毎に徐々に人が増えてくる。
座席の前に立つ人の邪魔にならないよう足をひっこめた時、「ねぇ、お父さん。座りたい」という声が聞こえて顔を上げた。
私の正面には小学校低学年くらいの女の子と、その父親と思われる男性が立っており、女の子はうんざりした様子で父の腕を掴んでいる。
父親は娘の背を撫でながら「うーん」と言って視線を逸らす。その時、ちょうど正面にいる私と目が合った。
周囲の人はスマホを触っているだけで、二人の会話に気づいているのかいないのかすらわからない。
突発的に罪悪感が湧いて、「あの、座りますか」と声をかけた。
本音を言えば私も座っていたかったけど、しょうがない。
「いいんですか」
父親は申し訳なさそうな顔をしたが、私の申し出をありがたく思っているようだった。
「ほら、えり。お礼言って」
「……ありがとうございます」
父に促され、恥ずかしそうにお礼を言った少女は私が元いた席に腰かける。
「どういたしまして」
さすがに二人の傍に立つのは気が引けたので、私はドア横のスペースに収まって目的地に着くまで待った。
すると、向かいに立っていたおばあさんが「優しいのね」と声をかけてくれた。
まさか話しかけられるとは思っていなかったので、取り繕って「いや、そんなことは……」と愛想笑いを浮かべる。
おばあさんは穏やかに微笑んで私を見てくれていた。
困った。注目されるくらいなら黙ったままの方が良かったかもしれない。
でもあそこで席を譲らないのも思いやりがない気がするし……。
優しいのね、というおばあさんの言葉が頭の中を何度も巡る。
違う。私は優しいわけじゃない。嫌われるのが怖いだけだ。
だから、啓太を傷つけた。
私はいつも人の顔色を窺っている。優しくない自分に、価値はないと思ってる。
もっと自分の気持ちを大事にしろと啓太は言ってくれた。私も彼の言葉に応えたくて変わろうとしたけど、自分の気持ちが誰かを傷つけるものだった時は、どうしたらいいのだろう。
やっぱり、私さえ我慢すれば丸く収まるんじゃないか――?
その時、啓太が奈良町を散策した時に言っていた言葉を思い出した。
『我慢したところで誰にも良い影響なんか与えへんし、結局いつかは限界迎えんねんから。むしろ溜め込む方が迷惑やわ』
今更ながら、あの時の彼の言葉に合点がいく。
あれはきっと、自分の気持ちを押し殺して啓太と付き合っていた私のことを言っていたんだ。
再会してからの啓太は私に色々と良くしてくれたけど、当時の私が犯した過ちについてはずっと怒っていたのかもしれない。
そう考えると、啓太がくれたこれまでの優しさが、全て砂となって手のひらから零れていくような感覚がした。
あの日感じた極度の無価値観がぶり返して、自分という存在が恥ずかしくなってくる。
私という人間がどうしても肯定できない。
なんで私はこんな性格なんだろう。啓太が好きだと言ってくれた自分にどうやって戻ればいいんだろう。
私は私を慮ってくれる啓太に甘えていた。啓太が私を大切にしてくれるから、それで私は自分の価値が上がった気がしていた。
だけど、私は啓太に好きだと思ってもらえるような人間じゃない。
そしたら私を支えるもの全てが無くなってしまったような気がして恐ろしかった。
気が付けば乗り換えの駅に着いていて、私は浮かんだ涙を拭いながらホームに降りる。
憂鬱な気持ちで新宿行きの電車に乗り込み、待ち合わせ場所になっているJR新宿駅の改札前に無事到着した。
数分前に茜から『ごめん。電車遅延してて10分くらい遅れる!』と来ていたので、意図せず二十分近く暇になってしまう。
近場のカフェで休もうかと思ったけど節約したいし、新宿で無理に動いたら迷子になりそうなので、大人しく待ち合わせ場所に留まることにする。
久しぶりに茜と会うだけでも結構な気力を使うのに、行きの電車内で余計なことを考えたせいで、気分はさらに落ち込んでいる。
人が行き交う先に見える大きなデジタル広告をぼんやりと見つめていると、流行りの女優が主演を務めている映画の宣伝がされていた。
『自分と一生付き合っていくのは自分なんだから、まずはあなたが自分を一番大事にしてあげなさい』
そのセリフが、確かな質量を持って私の心に降って来る。
まるで平手打ちを食らった気分だった。
私は自分の気持ちを大事にするということがいまいちわからなくて、啓太が私を思いやってくれるから、それに応えたくて行動しただけだった。
私のことに心を砕いてくれる人の言うことを聞いていれば、それだけで良いとどこかで考えていた。
だけど、違う。啓太が言っていた「自分の気持ちを大事にする」は、「私が私を労わる」ことを望んでいるということだったんだ。
啓太は何度もそれを伝えてくれていたのに、気づくのが遅すぎた。
啓太でも、お母さんでも、お父さんでもなく、誰かの評価に依存するんじゃない。
私は、たとえ私の好きな人から嫌われたとしても、自分が好きだと思える人になりたい。
自分を恥じない人になりたい。自分に、正直でいたい。
本当に向き合わなきゃいけないのは他人じゃなくて、自分の気持ちだった。
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