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その鹿を人間にする方法
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ぐす、と鼻をすする音がして顔を上げた。
そこには瞳を潤ませる啓太がいて、「え、泣いてるの?」と思わず呆然として聞いてしまう。
「泣くやろ。こんなん」
彼は涙交じりの声でつっけんどんなことを言う。それがなんだか可笑しくって、私は笑った。
だけど同時に啓太への愛しさや感謝が私の全身を満たして、それが一筋の涙となって零れ落ちた。
啓太が好きでいてくれたのは昔の私だ。今の私のことを、啓太は好きじゃないかもしれない。
だけど、それでも良い。
彼が私を救ってくれたこと、そして――私が彼を好きだということは、疑いようのない事実だから。
「啓太、聞いて。私まだ啓太に言えてないことがあるの」
彼の手を握り、涙の膜が張った瞳をまっすぐに見つめる。
「中学の時、自分の気持ちに嘘ついて啓太と付き合って、傷つけて、本当にごめん」
彼が何かを言おうとしたのを察して、私は「それから」と無理やり言葉を続けた。
「自分に都合の悪いこと忘れて啓太を二回も傷つけたことも、ごめんなさい」
啓太は私に忘れられていると悟った時、どんな気持ちだっただろう。どんな表情をしていたんだろう。
私のことを軽蔑してもおかしくなかったのに、啓太は私の言葉を信じて、最後まで面倒を見てくれた。
「啓太が好きになってくれたのは過去の私だから、啓太はもう私のことなんて好きじゃないかもしれない」
啓太の手を握る自分の手が震える。でも、伝えなきゃ。
「――けどね、私は好き。私は啓太のこと大好きだよ」
血液が沸騰したかのように身体が熱い。恥ずかしさなのか、想いを告げられたことによる感動なのかわからないけど、視界はもうずっと涙でぐちゃぐちゃ。
「啓太にとったら今更かもしれないけど――」
「んなわけないやろ!」
叱責にも近い圧に驚いて、私は首を竦めて固まる。
「……ほんまか?ほんまに俺のこと、好きなんか?」
「う、うん。そうだよ」
「好きって、友達としてとか、そういう意味じゃなくて……」
「異性として、好き」
彼の質問に答える度、頬や耳が熱くなっていく。
私の答えを聞いた彼は「夢ちゃうよな?」と言いながら自分の頬を引っ張った。
「夢じゃないよ」
ギリギリとつねられている頬が痛そうで、思わず彼の手に触れた。その瞬間、全身に衝撃を受ける。
一瞬何が起こったのかわからず瞬きを繰り返していると、顔のすぐ横に啓太の柔らかい髪の毛があることに気づいた。
そして一拍遅れて、抱きしめられているということに気づく。
「ははっ、嬉し」
本当に幸せそうな彼の声が耳元で聞こえて、心臓が甘く締め付けられた。
「啓太は……私のこと好き、なの?」
おずおずと彼の背中に手を回す。
一連の流れを見ていればなんとなく想像はついたが、それでも実感が湧かなかった。
「当たり前やろ。何年片思いやってると思ってんねん」
「……え?」
啓太は私から体を話すと、「幼稚園の時からやから……」と言って指折り数え始める。
「軽く二十年近くやな」
「そんなに!?」
確かに啓太が幼稚園の時に私を慕ってくれていたのは知っていたけど、それが続いたのも中学のあの瞬間までだと思っていた。
「中学の時に私に酷いことされて、嫌いになったんじゃないの?この前も、『我慢したところで誰にも良い影響なんか与えへんし、溜め込む方が迷惑やわ』って言ってたじゃない。あれ、私のことじゃないの?」
啓太は、そんなことよく覚えてたな、とでも言いたげな顔をして、「あれは……」と項垂れた。
「真緒のことちゃう。俺のことや。中学の時に俺が真緒に酷いこと言ってもうたのも結局……俺が我慢してたからや」
それは初耳だ。
「……どういうこと?」
私の問いかけに対し、彼は感傷的な表情を浮かべ、口を開いた。
「俺のこと好きちゃうのに真緒が俺と付き合ってくれたっていうのは、俺もよくわかっとった。けど、真緒と一緒にいられるんやったら俺はそれでも良いと思ってたんや。でも、付き合っていくうちにどんどん欲が出てきてん。真緒に触れたいし、真緒にも俺のこと好きになってもらいたい。でも欲張ったらお前は確実に離れていく。だからその気持ち抑えつけて、ゆっくり俺のこと好きになってもらえたらいいと思ってた。……そう決めたんは俺やったのに、いつまでも俺のこと見てくれん真緒に勝手にイライラし始めた。俺はこんなに真緒のこと想ってんのに、って。そんな時に真緒に拒否られて裏切られた気ぃなってもうて、感情爆発させた」
彼は小さく息をついて、もう一度私を正面から見据えた。
「だからごめんな、真緒。自分の気持ちに噓ついて他人を傷つけたんは、俺も一緒やねん」
顔を歪ませた啓太に、私は精一杯首を振る。彼は心の底から反省した声音で言葉を続けた。
「俺もちゃんと自分の気持ち言うべきやった。『真緒に好きになってもらいたかった』『寂しかった』って。そしたら、あんな最悪な言葉、真緒に言わんで済んだのに……」
彼の目じりに溜まっていた涙がぽろりと零れ落ちた。後悔している過去の映像を目の前で見ているかのように、心がここにないように見える。
私は彼に一歩近づき、強く抱きしめた。
「真緒?」
私たちは、同じことで悩んでいた。
啓太は私の心を救ってくれたけど、それは彼の過去の後悔からくる手助けだったのかもしれない。
だとしたら、どうすれば彼の心は救われるんだろう。
「啓太」
彼を抱きしめたまま、顔を上げる。至近距離で見つめ合っているので、彼の色素の薄い瞳に私の姿が反射しているのが見えた。
「私は、あの過去があって良かったと思ったよ」
「……ほんまに?」
「うん。だってあのことがなかったら、私は啓太との過去を忘れたいなんて思わなかったはずだから。お願いごとの始まりは茜とのことが原因だったけど、悩みの根本はどっちも一緒。そのおかげで、啓太の顔が鹿になるなんていうへんてこな世界ができたんだよ」
そこには瞳を潤ませる啓太がいて、「え、泣いてるの?」と思わず呆然として聞いてしまう。
「泣くやろ。こんなん」
彼は涙交じりの声でつっけんどんなことを言う。それがなんだか可笑しくって、私は笑った。
だけど同時に啓太への愛しさや感謝が私の全身を満たして、それが一筋の涙となって零れ落ちた。
啓太が好きでいてくれたのは昔の私だ。今の私のことを、啓太は好きじゃないかもしれない。
だけど、それでも良い。
彼が私を救ってくれたこと、そして――私が彼を好きだということは、疑いようのない事実だから。
「啓太、聞いて。私まだ啓太に言えてないことがあるの」
彼の手を握り、涙の膜が張った瞳をまっすぐに見つめる。
「中学の時、自分の気持ちに嘘ついて啓太と付き合って、傷つけて、本当にごめん」
彼が何かを言おうとしたのを察して、私は「それから」と無理やり言葉を続けた。
「自分に都合の悪いこと忘れて啓太を二回も傷つけたことも、ごめんなさい」
啓太は私に忘れられていると悟った時、どんな気持ちだっただろう。どんな表情をしていたんだろう。
私のことを軽蔑してもおかしくなかったのに、啓太は私の言葉を信じて、最後まで面倒を見てくれた。
「啓太が好きになってくれたのは過去の私だから、啓太はもう私のことなんて好きじゃないかもしれない」
啓太の手を握る自分の手が震える。でも、伝えなきゃ。
「――けどね、私は好き。私は啓太のこと大好きだよ」
血液が沸騰したかのように身体が熱い。恥ずかしさなのか、想いを告げられたことによる感動なのかわからないけど、視界はもうずっと涙でぐちゃぐちゃ。
「啓太にとったら今更かもしれないけど――」
「んなわけないやろ!」
叱責にも近い圧に驚いて、私は首を竦めて固まる。
「……ほんまか?ほんまに俺のこと、好きなんか?」
「う、うん。そうだよ」
「好きって、友達としてとか、そういう意味じゃなくて……」
「異性として、好き」
彼の質問に答える度、頬や耳が熱くなっていく。
私の答えを聞いた彼は「夢ちゃうよな?」と言いながら自分の頬を引っ張った。
「夢じゃないよ」
ギリギリとつねられている頬が痛そうで、思わず彼の手に触れた。その瞬間、全身に衝撃を受ける。
一瞬何が起こったのかわからず瞬きを繰り返していると、顔のすぐ横に啓太の柔らかい髪の毛があることに気づいた。
そして一拍遅れて、抱きしめられているということに気づく。
「ははっ、嬉し」
本当に幸せそうな彼の声が耳元で聞こえて、心臓が甘く締め付けられた。
「啓太は……私のこと好き、なの?」
おずおずと彼の背中に手を回す。
一連の流れを見ていればなんとなく想像はついたが、それでも実感が湧かなかった。
「当たり前やろ。何年片思いやってると思ってんねん」
「……え?」
啓太は私から体を話すと、「幼稚園の時からやから……」と言って指折り数え始める。
「軽く二十年近くやな」
「そんなに!?」
確かに啓太が幼稚園の時に私を慕ってくれていたのは知っていたけど、それが続いたのも中学のあの瞬間までだと思っていた。
「中学の時に私に酷いことされて、嫌いになったんじゃないの?この前も、『我慢したところで誰にも良い影響なんか与えへんし、溜め込む方が迷惑やわ』って言ってたじゃない。あれ、私のことじゃないの?」
啓太は、そんなことよく覚えてたな、とでも言いたげな顔をして、「あれは……」と項垂れた。
「真緒のことちゃう。俺のことや。中学の時に俺が真緒に酷いこと言ってもうたのも結局……俺が我慢してたからや」
それは初耳だ。
「……どういうこと?」
私の問いかけに対し、彼は感傷的な表情を浮かべ、口を開いた。
「俺のこと好きちゃうのに真緒が俺と付き合ってくれたっていうのは、俺もよくわかっとった。けど、真緒と一緒にいられるんやったら俺はそれでも良いと思ってたんや。でも、付き合っていくうちにどんどん欲が出てきてん。真緒に触れたいし、真緒にも俺のこと好きになってもらいたい。でも欲張ったらお前は確実に離れていく。だからその気持ち抑えつけて、ゆっくり俺のこと好きになってもらえたらいいと思ってた。……そう決めたんは俺やったのに、いつまでも俺のこと見てくれん真緒に勝手にイライラし始めた。俺はこんなに真緒のこと想ってんのに、って。そんな時に真緒に拒否られて裏切られた気ぃなってもうて、感情爆発させた」
彼は小さく息をついて、もう一度私を正面から見据えた。
「だからごめんな、真緒。自分の気持ちに噓ついて他人を傷つけたんは、俺も一緒やねん」
顔を歪ませた啓太に、私は精一杯首を振る。彼は心の底から反省した声音で言葉を続けた。
「俺もちゃんと自分の気持ち言うべきやった。『真緒に好きになってもらいたかった』『寂しかった』って。そしたら、あんな最悪な言葉、真緒に言わんで済んだのに……」
彼の目じりに溜まっていた涙がぽろりと零れ落ちた。後悔している過去の映像を目の前で見ているかのように、心がここにないように見える。
私は彼に一歩近づき、強く抱きしめた。
「真緒?」
私たちは、同じことで悩んでいた。
啓太は私の心を救ってくれたけど、それは彼の過去の後悔からくる手助けだったのかもしれない。
だとしたら、どうすれば彼の心は救われるんだろう。
「啓太」
彼を抱きしめたまま、顔を上げる。至近距離で見つめ合っているので、彼の色素の薄い瞳に私の姿が反射しているのが見えた。
「私は、あの過去があって良かったと思ったよ」
「……ほんまに?」
「うん。だってあのことがなかったら、私は啓太との過去を忘れたいなんて思わなかったはずだから。お願いごとの始まりは茜とのことが原因だったけど、悩みの根本はどっちも一緒。そのおかげで、啓太の顔が鹿になるなんていうへんてこな世界ができたんだよ」
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