24 / 67
24.悪女の噂
しおりを挟む
マルの部屋の前にロナウドが立っている。
「ごっごしゅじ……」
叫びそうになる唇に、人差し指を一本当てられる。
「宿舎で叫んではいけない」
「……むぁい(はい)」
「部屋に呼ばれたいのだが、いいだろうか?」
こくこくと頷いてマルが部屋の扉を開け、急いで壁と脇机にあるランプに火を灯す。
ここは一人で暮らすには十分な部屋だ。窓があって、ベッドもあって、棚も机も椅子もある。足らないものは、あの素晴らしい景色と思っていた。そうもそうではあるけれど。もっと大事なものが足りなかった。目の前にいるロナウドが足りなかったのだ。
きっと、ここがとんでもなく豪奢な部屋だとしても、王宮にあるような庭園があったとしても、同じように思うだろう。
彼が視界に入るだけで、いつもより部屋が明るい。そんなことあるわけがないのに。あるわけがないから、気が付いてしまう。
ロナウドを足らないと思っていた理由を。
「困った、これでは足りないな」
「え⁈」
「一人部屋だから、椅子が一脚しかないのは当然か。いや、こちらが押しかけたのだから仕方ない。実はこれを持ってきたのだ」
マルは考えが筒抜けになってたのかと内心焦ったが、そうではなかったので胸をなで下ろす。
ロナウドが持っていたのは、籐で編まれたバスケットだ。金具を外して広げると、ワインのミニボトルや食器がバンドで固定されていて、油紙で包んだチーズまで出てきた。
「カシスが花を食べたがって……。違うな、私がマルと食べたかったのだ。そう何度も時間を共有したわけでもないのに、なくなると落ち着かなくてな」
「……ご主人様、まだ一日ですよ」
「私はこらえ性がないのかもしれない」
「気が合いますね。俺もです」
冷えていた夜の空気が、ふっとあたたかく感じた。
そうしてベッドに並んで腰掛けたり、一人が椅子に座ったり、立ったりもしたが、どうもしっくり治まらない。身長差と微妙に合わないのだ。
「今度からはもう一つ椅子を用意しておきます」
「待て、これならどうだろう。ほら、ここだ」
ロナウドが椅子に座り、ぽんと腿を叩く。
腿。そこは腿の上。そこは主人の膝の上だ。
「座り心地は良くないかもしれんが、高さは合うかもしれない。嫌じゃなければだが」
「い、いやじゃないですけど……いいんですか?」
「私が構わないのだ。あとはマル次第だ」
マルは少し考えてから、では、とおもむろにロナウドの膝の上に座る。チーズを食べるなら横向きがいいだろうと横を向く。近い。身長差がほどよく埋まり、顔と顔が近くなった。
「どうやら追加の椅子はいらないな。ほら、どうだ?」
よく磨かれたいつもの細い銀色のフォークにチーズを刺してマルへ向けられる。マルが好きなレーズン入りだ。ぱくりと食べる。
「美味しいです」
ロナウドが食べさせてくれているのだから。
マルの首には青々としたつるが絡まって、そこへいくつも花が連なって生まれた。もう一口食べると、さらにつるが伸びて花も生まれる。
ロナウドに会えて嬉しい、嬉しいと、抑えられない気持ちが花になっていく。
「これは見事だ。だが、つるがある」
「そうですね……」
「悩みがあるのか?」
以前、マルはロナウドへ『悩むとつるが生まれやすい』と伝えたからだ。本心が現れてしまうのは、花生みの欠点だなと思ったが、今更だった。
ロナウドに拾われたこと以外は、花生みのせいで損ばかりの人生を歩んできた。
「……ないです。花の生み方をアベルに教えてもらったから、それでたくさん生めたんだと思います」
「そうか、ならいいが……」
「ご主人様の方こそ、悩みがあるんじゃないですか?」
「悩み……?」
「はい。ありそうに見えます」
一呼吸分だけ逡巡し、実は、とロナウドが切り出した。
「マルが『男をたぶらかす稀代の悪女で浮気者』だと忠告してくれた者がいてな」
マルの頭には、くりくりのくせ毛の同僚が浮かんだ。
「悪女……なんですか、俺」
「ふむ。それによると、マルは私と付き合いながらアニムスと浮気しているそうだ」
「えぇ、俺、チーズが浮気相手だって聞いたような……気がしたんですけど……。違ったかな?」
「チーズか。それは困った。アニムスが相手なら決闘という手も取れるが、チーズが相手ではかなり厳しい。負けてしまうかもしれぬ。そら、もう一切れどうだ」
口にチーズが運ばれて、また花が次々と生まれていく。
「マルにこれほど花を生ませられるのは、チーズをおいて他にないからな」
悪女と付き合うのは大変だ、と付け足す唇は、柔らかな弧を描いていた。
「えーと、そうですね……チーズは強敵です!」
「この花の量を見る限り、かなり手強い相手だ」
ロナウドはミニボトルから直接ワインを飲む。ロナウドの膝には、つるを巻いて花を散らしたような下働きのマルがいる。
ひっそりとした非日常があった。クローゼットの中に隠れたり、立ち入り禁止の洞窟を探検をするような、悪さを一匙味わう。
「お返しです。どうぞ」
マルもロナウドへチーズを差し出す。それを当たり前のようにロナウドも食べた。
「気遣いをする悪女か」
「はい」
ロナウドが構ってくれるのなら悪女の噂もそう悪くはないと思えた。
マルがくふふと笑うと、大きな手で頭をくしゃくしゃに撫でられた。
夜が更けるのが惜しい。チーズを食べるように、ゆっくりと味わいたいと思うのに。
■■■
「また呼ばれたいのだが、いいだろうか」
「いつでも歓迎します」
別れ際に、もう一度頭を撫でられた。
ロナウドが屋根裏の階段をきしませながら降りていく。その音が聞こえなくなるまで、マルは部屋の扉の前で耳を澄ませていた。
静かな世界に戻ってしまうと、一層寂しさが増す。ロナウドがいなくなった部屋は、とても暗く見えてしまう。さっきまではとても明るかった。
そうだ。やっぱりそうなのだ。
自分はロナウドが好きなのだ。
マルは崖の上から暗い海へ突き落とされたように、心が沈んでいく。
逃亡奴隷が主人に恋してどうしようというのだ。
「ごっごしゅじ……」
叫びそうになる唇に、人差し指を一本当てられる。
「宿舎で叫んではいけない」
「……むぁい(はい)」
「部屋に呼ばれたいのだが、いいだろうか?」
こくこくと頷いてマルが部屋の扉を開け、急いで壁と脇机にあるランプに火を灯す。
ここは一人で暮らすには十分な部屋だ。窓があって、ベッドもあって、棚も机も椅子もある。足らないものは、あの素晴らしい景色と思っていた。そうもそうではあるけれど。もっと大事なものが足りなかった。目の前にいるロナウドが足りなかったのだ。
きっと、ここがとんでもなく豪奢な部屋だとしても、王宮にあるような庭園があったとしても、同じように思うだろう。
彼が視界に入るだけで、いつもより部屋が明るい。そんなことあるわけがないのに。あるわけがないから、気が付いてしまう。
ロナウドを足らないと思っていた理由を。
「困った、これでは足りないな」
「え⁈」
「一人部屋だから、椅子が一脚しかないのは当然か。いや、こちらが押しかけたのだから仕方ない。実はこれを持ってきたのだ」
マルは考えが筒抜けになってたのかと内心焦ったが、そうではなかったので胸をなで下ろす。
ロナウドが持っていたのは、籐で編まれたバスケットだ。金具を外して広げると、ワインのミニボトルや食器がバンドで固定されていて、油紙で包んだチーズまで出てきた。
「カシスが花を食べたがって……。違うな、私がマルと食べたかったのだ。そう何度も時間を共有したわけでもないのに、なくなると落ち着かなくてな」
「……ご主人様、まだ一日ですよ」
「私はこらえ性がないのかもしれない」
「気が合いますね。俺もです」
冷えていた夜の空気が、ふっとあたたかく感じた。
そうしてベッドに並んで腰掛けたり、一人が椅子に座ったり、立ったりもしたが、どうもしっくり治まらない。身長差と微妙に合わないのだ。
「今度からはもう一つ椅子を用意しておきます」
「待て、これならどうだろう。ほら、ここだ」
ロナウドが椅子に座り、ぽんと腿を叩く。
腿。そこは腿の上。そこは主人の膝の上だ。
「座り心地は良くないかもしれんが、高さは合うかもしれない。嫌じゃなければだが」
「い、いやじゃないですけど……いいんですか?」
「私が構わないのだ。あとはマル次第だ」
マルは少し考えてから、では、とおもむろにロナウドの膝の上に座る。チーズを食べるなら横向きがいいだろうと横を向く。近い。身長差がほどよく埋まり、顔と顔が近くなった。
「どうやら追加の椅子はいらないな。ほら、どうだ?」
よく磨かれたいつもの細い銀色のフォークにチーズを刺してマルへ向けられる。マルが好きなレーズン入りだ。ぱくりと食べる。
「美味しいです」
ロナウドが食べさせてくれているのだから。
マルの首には青々としたつるが絡まって、そこへいくつも花が連なって生まれた。もう一口食べると、さらにつるが伸びて花も生まれる。
ロナウドに会えて嬉しい、嬉しいと、抑えられない気持ちが花になっていく。
「これは見事だ。だが、つるがある」
「そうですね……」
「悩みがあるのか?」
以前、マルはロナウドへ『悩むとつるが生まれやすい』と伝えたからだ。本心が現れてしまうのは、花生みの欠点だなと思ったが、今更だった。
ロナウドに拾われたこと以外は、花生みのせいで損ばかりの人生を歩んできた。
「……ないです。花の生み方をアベルに教えてもらったから、それでたくさん生めたんだと思います」
「そうか、ならいいが……」
「ご主人様の方こそ、悩みがあるんじゃないですか?」
「悩み……?」
「はい。ありそうに見えます」
一呼吸分だけ逡巡し、実は、とロナウドが切り出した。
「マルが『男をたぶらかす稀代の悪女で浮気者』だと忠告してくれた者がいてな」
マルの頭には、くりくりのくせ毛の同僚が浮かんだ。
「悪女……なんですか、俺」
「ふむ。それによると、マルは私と付き合いながらアニムスと浮気しているそうだ」
「えぇ、俺、チーズが浮気相手だって聞いたような……気がしたんですけど……。違ったかな?」
「チーズか。それは困った。アニムスが相手なら決闘という手も取れるが、チーズが相手ではかなり厳しい。負けてしまうかもしれぬ。そら、もう一切れどうだ」
口にチーズが運ばれて、また花が次々と生まれていく。
「マルにこれほど花を生ませられるのは、チーズをおいて他にないからな」
悪女と付き合うのは大変だ、と付け足す唇は、柔らかな弧を描いていた。
「えーと、そうですね……チーズは強敵です!」
「この花の量を見る限り、かなり手強い相手だ」
ロナウドはミニボトルから直接ワインを飲む。ロナウドの膝には、つるを巻いて花を散らしたような下働きのマルがいる。
ひっそりとした非日常があった。クローゼットの中に隠れたり、立ち入り禁止の洞窟を探検をするような、悪さを一匙味わう。
「お返しです。どうぞ」
マルもロナウドへチーズを差し出す。それを当たり前のようにロナウドも食べた。
「気遣いをする悪女か」
「はい」
ロナウドが構ってくれるのなら悪女の噂もそう悪くはないと思えた。
マルがくふふと笑うと、大きな手で頭をくしゃくしゃに撫でられた。
夜が更けるのが惜しい。チーズを食べるように、ゆっくりと味わいたいと思うのに。
■■■
「また呼ばれたいのだが、いいだろうか」
「いつでも歓迎します」
別れ際に、もう一度頭を撫でられた。
ロナウドが屋根裏の階段をきしませながら降りていく。その音が聞こえなくなるまで、マルは部屋の扉の前で耳を澄ませていた。
静かな世界に戻ってしまうと、一層寂しさが増す。ロナウドがいなくなった部屋は、とても暗く見えてしまう。さっきまではとても明るかった。
そうだ。やっぱりそうなのだ。
自分はロナウドが好きなのだ。
マルは崖の上から暗い海へ突き落とされたように、心が沈んでいく。
逃亡奴隷が主人に恋してどうしようというのだ。
69
あなたにおすすめの小説
魔女の呪いで男を手懐けられるようになってしまった俺
ウミガメ
BL
魔女の呪いで余命が"1年"になってしまった俺。
その代わりに『触れた男を例外なく全員"好き"にさせてしまう』チート能力を得た。
呪いを解くためには男からの"真実の愛"を手に入れなければならない……!?
果たして失った生命を取り戻すことはできるのか……!
男たちとのラブでムフフな冒険が今始まる(?)
~~~~
主人公総攻めのBLです。
一部に性的な表現を含むことがあります。要素を含む場合「★」をつけておりますが、苦手な方はご注意ください。
※この小説は他サイトとの重複掲載をしております。ご了承ください。
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
-----------------------------------------
0時,6時,12時,18時に1話ずつ更新
復讐の鎖に繋がれた魔王は、光に囚われる。
篠雨
BL
予言の魔王として闇に閉ざされた屋敷に隔離されていたノアール。孤独な日々の中、彼は唯一の光であった少年セレを、手元に鎖で繋ぎ留めていた。
3年後、鎖を解かれ王城に連れ去られたセレは、光の勇者としてノアールの前に戻ってきた。それは、ノアールの罪を裁く、滅却の剣。
ノアールが死を受け入れる中、勇者セレが選んだのは、王城の命令に背き、彼を殺さずに再び鎖で繋ぎ直すという、最も歪んだ復讐だった。
「お前は俺の獲物だ。誰にも殺させないし、絶対に離してなんかやらない」
孤独と憎悪に囚われた勇者は、魔王を「復讐の道具」として秘密裏に支配下に置く。しかし、制御不能な力を持つ勇者を恐れた王城は、ついに二人を排除するための罠を仕掛ける。
歪んだ愛憎と贖罪が絡み合う、光と闇の立場が逆転した物語――彼らの運命は、どこへ向かうのか。
捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~
水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。
死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!?
「こんなところで寝られるか!」
極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く!
ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。
すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……?
「……貴様、私を堕落させる気か」
(※いいえ、ただ快適に寝たいだけです)
殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。
捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!
【完結】下級悪魔は魔王様の役に立ちたかった
ゆう
BL
俺ウェスは幼少期に魔王様に拾われた下級悪魔だ。
生まれてすぐ人との戦いに巻き込まれ、死を待つばかりだった自分を魔王様ーーディニス様が助けてくれた。
本当なら魔王様と話すことも叶わなかった卑しい俺を、ディニス様はとても可愛がってくれた。
だがそんなディニス様も俺が成長するにつれて距離を取り冷たくなっていく。自分の醜悪な見た目が原因か、あるいは知能の低さゆえか…
どうにかしてディニス様の愛情を取り戻そうとするが上手くいかず、周りの魔族たちからも蔑まれる日々。
大好きなディニス様に冷たくされることが耐えきれず、せめて最後にもう一度微笑みかけてほしい…そう思った俺は彼のために勇者一行に挑むが…
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる