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42.クッキー缶
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マルは厩舎から出て行くロナウドの背を見送った。目に焼き付けて、いつでも思い出せるように。
後は荷物をまとめなければいけない。これといって荷物はなくて、着替えくらいしか思いつかなかった。屋根裏部屋へ向かおうとすると、厩舎の入り口でアベルと出くわした。
「わっ! あ、アベル!」
「何だよ大声出して」
「あ、あの、あのね、ちょっと話したいことがあって」
アベルは花を入れる籠を棚にしまうと、近くに掛けてある竜の鞍を運び始めた。
「いいけど、じゃあ何しながら話す? 俺と鞍の手入れする? それとも幼竜かラバの散歩? 花やり? 爪の手入れは、今のところ必要な竜がいないはずだけど」
「えっと、あまり時間ないんだ」
時間は刻々と過ぎていく。逃げる時間は早い方がいいはずなのだ。
「じゃあ一息で言えよ、聞いてやるから」
「わかった。ん、と……俺、ここを離れることにしたんだ。色々ありがとう、じゃあね。あ、一息じゃ言えなかった」
「分かった。夕飯には帰ってくるんだろ? 遅かったらマルの分のデザートまで俺が食べるからな」
早く帰ってこいという意味だ。普通のただの外出と思っているのだろう。アベルは鞍をブラシで払う手は止めていないし、耳だけマルに向けている。
「……帰らないの。ずっと」
「は? ロナウド隊長の屋敷に戻るってこと? 随分と急だな」
「戻らない。誰も俺のことを知らないとこに行かなきゃならなくなったから」
鞍からマルへ視線を移したその目が、なんで、と問いかけていた。
「俺ね、あるとこから逃げてきたんだけど、見つかっちゃったんだ。だからまた逃げないと」
「逃げるって……誰かに相談とかしたのか? ロナウド隊長は? 困ってるなら何とかしてくれるんじゃないの?」
「ううん。言ってない。誰にも言えないんだ。相談なんかしたら、投獄されちゃうから」
投獄されるとは、即ちマル自身が犯罪者と告白してることだった。
「嘘だ! そんな……お前、きっと騙されてる! どうせ利用されてるとかそんなんだろ。だってさ、投獄って言うけど、それって相当あくどくて、知恵絞らないとできないんだぞ? お前を絞ったって、何にもないだろ。びびりだし、頭ん中だって花畑じゃねぇか!」
アベルがマルをけなすほど、マルは嬉しくなった。怒りながらこんなにも、マルが善良だと力一杯訴えてるのだから。だからこそ信頼を裏切るようで申し訳ない気持ちにもなってしまう。
「……ありがと」
「褒めてねぇよ! そういうとこだよっ!」
「でも、ほんとなんだ。荷物をまとめたら、すぐ出て行かなきゃ危ないんだ」
「一体、何しでかしたんだよ。どうせたいしたことじゃないんだろ。全然何でもなくって、一人で勘違いしてるだけじゃねぇの? それに逃げるって言ったって、どこ行くつもりなんだよ」
「……ごめん。アベルは何にも知らない方がいいよ……。それに、急すぎて俺もあんまり考えてないんだ」
ゴロナに目を付けられたり、訊ねられたりしても、知らないと通せる方がいい。ただでさえも二人で帰るところをゴロナに見られていたのだ。万が一の可能性を潰しておきたかった。
「もうっ! このばか! 大ばかっ! なんで、なんでっ……くそっ……ばかが……マルのくせに」
思い返せば、アベルには初対面でも『ばか』となじられた。ブスだのグズだの散々言われたが、一番多かったのはやっぱり『ばか』だ。
でも、こんなに切なくなる『ばか』は、聞いたことがない。きれいな顔を歪めて、やるせなさそうにアベルは何度も『ばか』と繰り返す。
だがもう荷物をまとめてここを立たなければならない。アベルへ別れを言いかけると先に「すぐ行くのか?」と訊かれた。一度部屋に帰ることを告げるとアベルは「僕もすぐマルの部屋に行く。渡したいものがある」と言うので、二人して屋根裏へ急いだ。
着替え以外の荷物らしい荷物はない。ワインに染まった四枚のハンカチは、側机の上へ置いた。ロナウドと屋敷の者へのメッセージも添えた。
『ご主人様と料理長とマチルダさんとホセさんへ たくさんありがとうございました。ハンカチはお礼です。ワインで汚れてしまいました。ごめんなさい。 マル』
変な文章だと思ったが、これ以上のことは書けなかった。字もふらついて読みにくいが、精一杯だった。冷静になろうと思っても、背中から何か恐ろしい猛獣が迫ってくる気配がして、動悸が収まらない。今にも鋭い牙や爪で襲われるようで腕も震えてきた。
バンッ。
ノックもなしに部屋の扉が乱暴に開いて、マルが飛び上がるほど驚いた。アベルが駆け込んできたのだ。
「これ! 持ってけよ!」
手渡されたのは見たことがある銀色の缶。以前、第四隊長がマルへくれたクッキー缶と同じ物だった。
「お前もこれ好きだろ? ばかみたいに一気に食べるんじゃないぞ! 大事に食べろ!」
「あ……」
マルが貰った缶を奪って一気に食べ尽くした張本人の言う台詞とは思えなかった。でも、別れ際に急いで渡したのが、このクッキー缶だ。マルがアベルとの出会いから今までを大切にしているように、アベルもまた同じように思ってくれている証なのだろう。
「あべる……」
マルの大切な友だ。
後は荷物をまとめなければいけない。これといって荷物はなくて、着替えくらいしか思いつかなかった。屋根裏部屋へ向かおうとすると、厩舎の入り口でアベルと出くわした。
「わっ! あ、アベル!」
「何だよ大声出して」
「あ、あの、あのね、ちょっと話したいことがあって」
アベルは花を入れる籠を棚にしまうと、近くに掛けてある竜の鞍を運び始めた。
「いいけど、じゃあ何しながら話す? 俺と鞍の手入れする? それとも幼竜かラバの散歩? 花やり? 爪の手入れは、今のところ必要な竜がいないはずだけど」
「えっと、あまり時間ないんだ」
時間は刻々と過ぎていく。逃げる時間は早い方がいいはずなのだ。
「じゃあ一息で言えよ、聞いてやるから」
「わかった。ん、と……俺、ここを離れることにしたんだ。色々ありがとう、じゃあね。あ、一息じゃ言えなかった」
「分かった。夕飯には帰ってくるんだろ? 遅かったらマルの分のデザートまで俺が食べるからな」
早く帰ってこいという意味だ。普通のただの外出と思っているのだろう。アベルは鞍をブラシで払う手は止めていないし、耳だけマルに向けている。
「……帰らないの。ずっと」
「は? ロナウド隊長の屋敷に戻るってこと? 随分と急だな」
「戻らない。誰も俺のことを知らないとこに行かなきゃならなくなったから」
鞍からマルへ視線を移したその目が、なんで、と問いかけていた。
「俺ね、あるとこから逃げてきたんだけど、見つかっちゃったんだ。だからまた逃げないと」
「逃げるって……誰かに相談とかしたのか? ロナウド隊長は? 困ってるなら何とかしてくれるんじゃないの?」
「ううん。言ってない。誰にも言えないんだ。相談なんかしたら、投獄されちゃうから」
投獄されるとは、即ちマル自身が犯罪者と告白してることだった。
「嘘だ! そんな……お前、きっと騙されてる! どうせ利用されてるとかそんなんだろ。だってさ、投獄って言うけど、それって相当あくどくて、知恵絞らないとできないんだぞ? お前を絞ったって、何にもないだろ。びびりだし、頭ん中だって花畑じゃねぇか!」
アベルがマルをけなすほど、マルは嬉しくなった。怒りながらこんなにも、マルが善良だと力一杯訴えてるのだから。だからこそ信頼を裏切るようで申し訳ない気持ちにもなってしまう。
「……ありがと」
「褒めてねぇよ! そういうとこだよっ!」
「でも、ほんとなんだ。荷物をまとめたら、すぐ出て行かなきゃ危ないんだ」
「一体、何しでかしたんだよ。どうせたいしたことじゃないんだろ。全然何でもなくって、一人で勘違いしてるだけじゃねぇの? それに逃げるって言ったって、どこ行くつもりなんだよ」
「……ごめん。アベルは何にも知らない方がいいよ……。それに、急すぎて俺もあんまり考えてないんだ」
ゴロナに目を付けられたり、訊ねられたりしても、知らないと通せる方がいい。ただでさえも二人で帰るところをゴロナに見られていたのだ。万が一の可能性を潰しておきたかった。
「もうっ! このばか! 大ばかっ! なんで、なんでっ……くそっ……ばかが……マルのくせに」
思い返せば、アベルには初対面でも『ばか』となじられた。ブスだのグズだの散々言われたが、一番多かったのはやっぱり『ばか』だ。
でも、こんなに切なくなる『ばか』は、聞いたことがない。きれいな顔を歪めて、やるせなさそうにアベルは何度も『ばか』と繰り返す。
だがもう荷物をまとめてここを立たなければならない。アベルへ別れを言いかけると先に「すぐ行くのか?」と訊かれた。一度部屋に帰ることを告げるとアベルは「僕もすぐマルの部屋に行く。渡したいものがある」と言うので、二人して屋根裏へ急いだ。
着替え以外の荷物らしい荷物はない。ワインに染まった四枚のハンカチは、側机の上へ置いた。ロナウドと屋敷の者へのメッセージも添えた。
『ご主人様と料理長とマチルダさんとホセさんへ たくさんありがとうございました。ハンカチはお礼です。ワインで汚れてしまいました。ごめんなさい。 マル』
変な文章だと思ったが、これ以上のことは書けなかった。字もふらついて読みにくいが、精一杯だった。冷静になろうと思っても、背中から何か恐ろしい猛獣が迫ってくる気配がして、動悸が収まらない。今にも鋭い牙や爪で襲われるようで腕も震えてきた。
バンッ。
ノックもなしに部屋の扉が乱暴に開いて、マルが飛び上がるほど驚いた。アベルが駆け込んできたのだ。
「これ! 持ってけよ!」
手渡されたのは見たことがある銀色の缶。以前、第四隊長がマルへくれたクッキー缶と同じ物だった。
「お前もこれ好きだろ? ばかみたいに一気に食べるんじゃないぞ! 大事に食べろ!」
「あ……」
マルが貰った缶を奪って一気に食べ尽くした張本人の言う台詞とは思えなかった。でも、別れ際に急いで渡したのが、このクッキー缶だ。マルがアベルとの出会いから今までを大切にしているように、アベルもまた同じように思ってくれている証なのだろう。
「あべる……」
マルの大切な友だ。
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