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エドゥアルドからのお礼

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数日後。

「フランシーナ」

 一人きりの自習室で帰り支度をしていると、またもやエドゥアルドに呼び止められた。

 もう日は暮れ始め、薄暗い校舎にはひと気も無い。
 ひとりで勉強に没頭していたフランシーナは、彼がまだ残っていたことに驚いた。
 
「エドゥアルド様も、まだ残っていらっしゃったのですね。今日は何か?」
「フランシーナに渡したいものがあって」
 
 こちらへと歩み寄るエドゥアルドは、今日も現実感が無いくらい爽やかだ。
 夕日の射し込む自習室で、彼はフランシーナの前に小さな紙袋を差し出した。

「これを君に」
 
 唐突に差し出された、紙の袋。

 小ぶりで、持ち手は上質なリボンで出来ている。
 深いオレンジの紙袋をよく見てみれば、そこには『ナディラ』の箔押しがしてあった。
 
(これは……?)

 もしかして、これは高級チョコレート専門店ナディラの紙袋ではないだろうか。

 王都の一等地に店を構え、超一流のショコラティエ達によって作られるチョコレートは、一粒で数千ゴールドするとも言われ……巷では話題の一品だった。
 予約無しでは買えないほど入手困難なものとして有名で、もちろんフランシーナは一度も口にしたことが無い。

「え……このようなものを、なぜ私に?」
「問題を教えてくれたお礼だよ」
「お礼?」
「この間、丁寧に解説してくれたでしょ?」
 
 フランシーナは、目をぱちぱちと瞬かせた。
 
 確かに先日、エドゥアルドへ問題の解き方を教えた。
 とはいっても、ロビーのソファでほんの少しだけ、問題のポイントを解説しただけである。

 なのに彼はそのお礼として、人生で一度食べられるかどうかと言われるほどの高級チョコレートを寄越そうとしている。
 どう考えてもお礼として釣り合うものではなくて、とてもじゃないが受け取ることは出来ない。

「ありがとうございます、エドゥアルド様。ですがこんなに高価なもの受け取れません」
「なぜ?」
「だって、あんなの……ほんの数分のことで……」  
「お礼、何を贈ればフランシーナが喜ぶか考えたんだ。君はチョコレート好きだから、ちょうどいいと思ったんだけど」

 エドゥアルドはこんなに高価なチョコレートを『ちょうどいい』と言って、やっぱりにこにこと笑っている。
 フランシーナの前へ、ナディラの紙袋を差し出したまま。
  
「チョコレート……好きですが、なぜご存知なのですか?」
「いつも食べてるじゃない。知ってるよ」
「えっ」

 なぜ……と不思議に思ったけれど、どうやらチョコレートを食べる姿が目撃されていたようだ。

 確かにチョコレートは大好きで、自習室や休憩時間にこっそりと食べたりした。けれど、そんなに食べていただろうか。
 見られていたと思うと少し恥ずかしい。

「だからといって、こんな……」
「これは、お礼の気持ちなんだ。受け取ってもらえないと少し寂しい」

 いつまでも受け取ろうとしないフランシーナに、エドゥアルドは少し俯いて。輝く瞳を少しだけ曇らせると、寂しそうに目を伏せた。

 そんな表情をされてしまうと、なんだか受け取らないこちらが悪いように思えて胸が痛くなってくる。
 べつに彼を傷つけるつもりではなくて、フランシーナは慌てて紙袋を受け取った。

「そ、そこまで仰るのなら……ありがたく頂きます」
「貰ってくれるんだ? 嬉しいな」

 チョコレートを受け取った途端、エドゥアルドの顔はパッと輝く。

「本当によろしいのでしょうか。こんな高価なものを頂いてしまって」
「いいんだよ。僕がどうしてもお礼したくて用意したものなんだから」

 さあ、途中まで一緒に帰ろう。
 そう言ってエドゥアルドはフランシーナの先を歩く。実に自然な流れであったが、いつの間にか一緒に帰ることになってしまったらしい。
 
 校舎を出て、彼の足は迷いなく女子寮へと向かっていた。フランシーナを寮へと送るつもりなのだろう。

 敷地内にある寮までは、校舎から歩いて十分程の距離である。
 いつも自習室に残るフランシーナは、誰かと帰ることなど久しぶりで。ひとりきりならあっという間の十分が恨めしいほど長く感じた。
 
 話し上手なエドゥアルドに対し、気の利いた会話ができない自分はなんと不甲斐ないことか。
 それでも気を遣ってあれこれ話題を振ってくれるエドゥアルドには尊敬の念すら覚える。

「これからも、時々一緒に帰っていいかな?」
「え? も、もちろん。時間が合うのなら」

 人気者であるエドゥアルドのことだ。いつも誰かに囲まれていることだし、もう二人きりで帰るなどそんな機会はないだろう。
 そう思いつつも、フランシーナは気安く返事をした。

(私みたいな女にも本当に分け隔てなくて、本当に出来た方だわ……)
 
 結局、チョコレートは受け取ることになってしまった。
 小さな紙袋のはずなのに、それはずっしりと重く感じた。
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