待ての出来ない前世犬令嬢は、今世こそご主人様から愛されたい

小桜

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渦中の人

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 ジルベルトは、抱きつくフィオレンティナをやっとのことで引き剥がすと、彼女を連れて屋敷へ戻った。
 リビングの暖炉では、火がパチパチとはぜている。

(暖かい、生き返る……)
 
 オレンジ色の炎は、冷えきった身体をじわじわと溶かしてくれる。ジルベルトは暖炉の前にしゃがみこむと、かじかむ指を炎にかざした。
 
 フィオレンティナは暖を取る前に「濡れてしまったので、先に着替えてまいりますわ」と客間へ戻ってしまった。
 馬に乗って身一つでやって来た彼女に、着替えなどあったのだろうか。メイドに、適当な服を用意させるべきか――
 そんなことを考えていると、暖炉前でうとうとしていた父が目を覚ました。
 
「ジルベルト、戻ったのか。ずいぶんと長いあいだ外にいたな」
「……フィオレンティナ嬢が、ブラックとボール遊びをしてくれていた。放っておくわけにはいかないだろう」

 父はいつも通り、暖炉前のアームチェアにゆったりと座っていた。足元には遊び疲れたブラックが、床にペタリと伏せている。
 そして炎のそばには分厚い鍋が置かれていた。中身はおそらく、父の大好きな芋だろう。

「こんな近くに置いていたらまた芋が焦げるぞ」
「大丈夫だ、加減してある。それより――あのご令嬢は、いつ帰るんだ?」
「さあ……」

 そんなこと、ジルベルトが知りたい。
 彼女のためを思って「早く帰れ」と言ったのに、フィオレンティナにはまったく響かなかったようだった。
 それどころか、心配したことで彼女を喜ばせてしまったらしい。
 
 初対面だというのに何故これほどまで懐かれているのか分からなくて、ジルベルトは困惑している。
 それとも、彼女は誰にでもこうして人懐っこいのだろうか。
 
 もしそうだったなら、あの人懐っこさは恐ろしい。 
 抱きつかれるほど喜ばれては無下にもできなくて、あれ以上「帰れ」と言えなくなってしまったのだ。
 令嬢になど、これっぽっちも興味の無かったジルベルトが。

「父よ……フィオレンティナ嬢のことを『すんげ~性格の悪さ』だと言っていたが」
「ああ、そんなことも言ったな」

 フィオレンティナとは昨日会ったばかりだ。
 だが、今のところ『すんげ~性格悪い』と思ったことは一瞬たりとも無かった。むしろ、令嬢らしからぬ親しみやすさに毒気を抜かれているくらいだ。

 だから不思議でならなかった。父が言っていたことが。

「父は彼女のことを、性格が悪いと思うか?」
「いや……そんな感じはしないな」
「では何だ? あの情報は」
「何って、彼女は有名人だぞ。これに書いてある。ほら」

 父はゆっくりと立ち上がり、一冊のゴシップ誌をジルベルトに手渡した。
 
 数ヶ月に一度、王都の出版社から発行されるその雑誌は、アルベロンドで暮らす者達にとって数少ない情報源であった。
 とはいっても、こちらへ届くのは半月遅れで、情報としては微妙に古い。
 
 しかし父はそのゴシップ誌を好んでよく読んでいた。
 王都で絶え間なく繰り広げられる愛憎劇は、まるで別世界の出来事で。平和で時が止まったようなアルベロンドでは、こういった王都のうわさ話も貴重な娯楽のひとつなのだった。
 ジルベルトは、まったく読んだことがないのだが。
 
「有名人なのか。たしかに、彼女は王都でも目立つだろうな」
「目立つなんてもんじゃない。彼女は王子の元婚約者だ。性悪で、婚約破棄されたとかいう……」
「は?」

  
 父の言葉に、思わず言葉を無くした。
 先ほど、庭で豪速球を放っていたフィオレンティナが?

 
「王子の元婚約者!?」
「そうだ。美しくも棘のあるエルミーニの薔薇、フィオレンティナ・エルミーニ侯爵令嬢。この最新号では婚約破棄されたと報じられていたが」 

 空いた口が塞がらない。
 
 最新号とはいえ、これは半月遅れのもの。
 もし雑誌の情報が確かであるならば、半月前には婚約破棄されたということになる。
 
(王子から婚約破棄されていた……? つい先程、あんなにも笑っていたのに?)
 
 何から何まで信じられなかった。
 天真爛漫なフィオレンティナが『性悪』で通っていることも、王子の婚約者であったことも、そして婚約破棄されたことも。
 昨日、父があれほどまでに慌てていた理由もわかった気がする。

「渦中の令嬢が、なぜこんな辺鄙な土地に……」
「な、驚くだろう。もしかすると、身を隠しに来ているのかもしれんな――」

 なるほど、その可能性も有り得る。ゴシップ誌に書かれていたような状況であるならば、王都を離れたくなっても無理は無い。

 とりあえず昨日から今日まで、フィオレンティナ本人はこのことについて一言も口にしなかった。本人としては、隠しておきたいことなのだろう。
 ひとまず、このゴシップ誌はフィオレンティナの目につくところにあってらならない。ジルベルトは慌ててソファの下にゴシップ誌を隠す。
 
 そこへ、タイミング良くフィオレンティナが戻ってきた。

  
「見て下さる!? リリアンにお借りしましたの!」

 意気揚々と現れたフィオレンティナに、ジルベルトは再び驚愕した。
 
 黒く分厚い冬仕様のワンピースに、真っ白なエプロンドレス。長く美しい金髪は、赤いリボンでひとつに結わえられている。
 
 彼女は、なんとメイド服に身を包んでいた。
 王子の元婚約者であり、エルミーニの薔薇とまで謳われた令嬢が。

「な、なぜだ……?」
「わたくし、着替えなんて持ってきてなかったんですもの。リリアンなら背丈も近いでしょう? なので着替えをお願いしましたの」
「ほらっ、ジルベルト様見て下さい。かわいいでしょ~! 似合ってる~!」
「いやですわ、リリアンったら」

 リリアンは二十歳になるメイドだ。ちょうど歳も近く背格好も似ている二人は、能天気にもキャッキャとメイド服姿を楽しんでいる。

「も、もっと普通の服はなかったのか」 
「ありますけど~。でもフィオレンティナ様は一度でいいからメイド服を着てみたいって」
「思っていたとおり、とっても可愛らしいですわ! わたくし、明日からもメイド服でよろしくてよ」

(いや。駄目だろう……)
 侯爵令嬢に――王子の元婚約者に、メイド服なんて着せていては絶対に駄目だろう。
(どうしたらいいんだ……?)

 やはり女は分からない。
 盛り上がる二人との間に隔たりを感じながら、ジルベルトは頭を悩ませた。
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