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もう遊びなんて呼べない
しおりを挟む夜の街は、壊れた宝石のようにきらめいていた。
光が届かないビルの隙間を歩きながら、大和は胸元のスマホを握りしめる。通知は来ていない。来るはずもない。わかっているのに、期待してしまう。
——今日で終わりにしよう。
そう決めて、何度目かのため息をついた。
大和が彼、湊に出会ったのは一年前。職場の飲み会で隣同士になり、意気投合して、気づけば二人でバーに移動していた。
湊は適度に距離を詰めてくる。自信に満ちた瞳。人を惑わせるような笑い方。
最初から「危険だ」と思っていたのに――。
「大和、来るの遅い」
急に引き寄せられ、壁に背中を押し付けられた。
息が触れ合うほどの距離。湊の顔はいつも通りの余裕で満ちていた。
「ごめん。仕事、長引いて」
「俺との約束の時は俺を優先しろよ」
そう言って、軽くキスを落とす。
触れただけのくせに、心臓が跳ねる。
湊はわかっている。自分がどうすれば人を夢中にできるか、全部。
「……ねぇ、湊。明日、会える?」
「さあ?俺、気分で動くから」
その答えを聞くたびに胸が痛む。
自分は都合のいい相手。呼ばれた時だけ会い、必要なくなれば連絡も来ない。
それでも声を聞けば嬉しくて、触れられれば全部どうでもよくなってしまう。
「なぁ、大和。そんな顔すんなよ。遊びなんだからさ、もっと楽にしろって」
——遊び。
本人が言っているのに、どうして割り切れないんだろう。
「……湊はさ。誰かを本気で好きになったこと、ある?」
「突然なに? ないよ。俺、誰かに縛られるの嫌いだし」
知ってた。なのに、期待した自分が馬鹿みたいだ。
「そっか。……じゃあ、今日が最後でいい」
湊の指が大和の顎を掴む。
「は? なにそれ。俺が飽きたって言ってないだろ?」
「飽きられる前に終わらせたいんだよ。俺、きっと湊のこと好きだから……このままじゃ壊れる」
一瞬、湊の表情が止まった。
その沈黙に、ふざけた言い訳も、軽い冗談も入らなかった。
「……好きって、言うなよ」
低い声だった。
いつもの余裕が消えた、素の声。
「言われたら、俺……困るだろ」
「困っていいよ。もう終わりだから」
背を向けて歩き出す。
本当は走りたい。泣きたい。
でも振り返ったら、また湊に縛られてしまう。
——これでいい。これ以上、傷つきたくない。
「大和!」
名前を呼ぶ声が追ってくる。
でも振り返らない。
振り返ったら、負けだ。
雨が降り出した。
本当に終わりなのだと、空が代わりに泣いてくれているみたいだった。出会って一年。今ならまだ、引き返せる。
大和の背中が、雨の中に溶けていった。
追いかけるべきだった。
腕を掴んで、そんな言葉取り消せって怒鳴りたかった。
でもできなかった。足が動かなかった。
——好き、なんて。
言われた瞬間、胸の奥を何か鋭いもので突かれたみたいだった。
普通なら軽く笑って流せる。
「重いこと言うなよ」と茶化して終わりだったはずだ。
なのに、声が出なかった。
「遊びなんだから」
そう言った俺の軽薄さが、あいつの顔を歪ませていた。
その顔が、離れない。
……どうして、あんなに苦しそうだったんだよ。
いつもなら帰りのタクシーを呼ぶところを、俺は雨の街を一人で歩いた。
胸の奥がじんじん痛んで、煙草を何本吸っても全然収まらない。
スマホを開いては閉じる。
メッセージの画面に「ごめん、戻ってこい」と打ちかけて、消す。
そんな資格、俺にはない。
遊びのつもりだった。
軽く寄ってきて、俺が呼べば来る。都合がいい。
そんな関係が楽だった。
どこかで「どうせ誰とも本気にならない」と思っていた。
でも——。
『俺、きっと湊のこと好きだから……このままじゃ壊れる』
あの言葉だけが、泥みたいに胸に沈んでいく。
壊れるって何だよ。
そんなに俺と一緒にいるのが辛かったのか。
なのにあいつはいつも、俺が触れると嬉しそうに笑って……。
気付かないふりをしていただけだ。
本当はとうに気付いていた。
あいつが俺を見る目が、誰より真っ直ぐなことに。
だから困ったんだ。
そんな目を向けられたら、俺まで——。
スマホが震えた。
心臓が跳ねる。
……けれど画面に表示されたのは、仕事の連絡だった。
期待していた自分が、情けなくて笑った。
「……何やってんだ、俺」
思えば、大和の「最後にしよう」という背中には、嘘がなかった。
本気で離れようとしていた。
俺のことを好きだと言っておきながら、本気で距離を置こうとしてる。
そんなの、聞いてない。
あいつがいなくなるなんて、考えたことなかった。
寂しい、なんて感情、誰にだって抱くと思っていなかった。
……会いたい。
その言葉が喉でつかえて、苦しい。
でも俺が行ったところで、大和は受け入れてくれるのか。
また傷つけるだけなんじゃないか。
答えはわからない。
けど——。
行かなきゃ、終わる。
俺はスマホを握り直し、濡れた道路を踏み出した。
息が白くなるほどの夜気の中で、自分の心臓の音だけがはっきり聞こえる。
逃げていたのは、大和じゃない。
俺のほうだ。
「……待ってろよ。勝手に終わらせんな」
気付けば、走り出していた。
大和の家の前に着いたとき、雨は弱まっていた。
けれど心臓の鼓動は収まらない。
呼び鈴に指を伸ばした瞬間、手が震えた。
——本当に、押していいのか?
怖かった。
開いた扉の向こうで、冷たい目をされるかもしれない。
「もう二度と会わない」と言われるかもしれない。
それでも、行かないという選択肢はなかった。
意を決して押したが、返事がない。
二度、三度と押す。
……やはり静まり返ったままだ。
留守か、それとも無視されているのか。
どちらにしても胸が痛い。
階段を降りようとしたその時、エントランスのドアが開いた。
傘を差した大和が立っていた。
目が合った瞬間、息が止まった。
でも大和は、驚きよりも先に困ったように眉を寄せた。
「……湊。なんでここに?」
「話が、したくて」
「あれだけ言ったのに?」
声は淡々としていたが、その奥にほんの少しの震えがあった。
湊は一歩近づいた。
「俺は終わらせるなんて思ってない。だから——」
「湊がどう思ってるかじゃないよ。俺が無理なんだよ」
遮られた。
その言葉に胸がざらりと削られる。
「無理って……俺と会うのが?」
「そうだよ。湊といると、嬉しいより先に怖いが来る。
好きになっちゃいけないってわかってたのに、もう止められなくて……。
だからここで終わらせないと、俺、本当に壊れる」
全部、わかっていたはずのことを、改めて突きつけられる。
「……壊れるほど、俺のこと好きだったのかよ」
そう問うと、大和は苦しそうに笑った。
「そんなの、言わせないでよ」
ずるいのは自分だとわかっていた。
それでも湊は手を伸ばした。
「だったら……まだ俺のこと、好きなんだろ?」
大和は一瞬言葉を失い、すぐに視線をそらした。
「好きだよ。でも、だから離れるんだよ。
湊が本気じゃない限り、俺はもう無理なの」
胸の奥に何かが突き刺さるようだった。
“本気じゃない”と、自分で言わせてきた。
大和が歩き出す。
すれ違う瞬間、湊は腕を掴もうとした。
けれど、その手が空を切る。
大和は半歩引いて、苦しそうに首を振った。
「お願いだから……優しくしないで。戻れなくなる」
その言葉が、湊の足を縫い付けた。
優しくしたいのに、すればするほど遠ざかる。
近づきたいのに、近づけば傷つけてしまう。
どうしたらいいのかわからなかった。
「……わかった」
それだけ言うのが精一杯だった。
大和は小さく会釈し、ふたたび歩き出す。
背中が遠ざかる。
また、雨が降り始めた。
湊は濡れたアスファルトに立ち尽くす。
胸の奥から、喉まで焼けるような痛みがせり上がった。
「好きじゃ……ないわけ、ねぇだろ……」
誰にも届かない声が、雨に消えた。
大和の背中が見えなくなってから、どれくらい雨の中に立っていただろう。
寒いのに、頭だけが熱かった。
——本気じゃない限り、俺はもう無理なの。
その言葉が何度も反響して、胸の奥を締めつける。
俺が、本気じゃない……?
今までは、その通りだった。
誰にも本気にならなかった。
本気になってしまったら、縛られる気がして。
相手に期待したら、裏切られたときに自分が壊れる。
ずっとそう思っていた。
だから遊びでいい。
軽く触れて、軽く笑って、軽いまま終わる関係だけで十分だった。
はずなのに。
大和の「終わり」が、痛かった。
胸の奥がぐちゃぐちゃになって、息をするのも苦しいほどだった。
「……なんだよ、これ」
スマホを開いては閉じる。
“会いたい”と打って、消す。
また打って、また消す。
こんなの、遊びの相手にする行動じゃない。
気づくのが遅すぎたのかもしれない。
いつも俺を真っ直ぐ見て、緊張しながらも近づいてきた大和。
俺が呼べば嬉しそうに来てくれて、
触れればちゃんと震えて……。
そんな反応が愛おしいなんて、認めるのが怖かっただけだ。
泣きそうに笑った大和の顔が焼き付いて離れない。
『湊が本気じゃない限り、俺はもう無理なの』
「……じゃあ、どうしたらいいんだよ」
答えはわかっている。
大和の望むのは“本気”だ。
曖昧に笑って誤魔化す関係でも、気分で呼ぶ関係でもない。
本気なら、覚悟を見せろ。
言葉じゃなく、行動で示せ。
そう言われている気がした。
でも、それが怖い。
怖いのに、もう逃げられない。
胸の中がざわざわして、熱くて、落ち着かなくて。
今すぐあいつに会いたいのに、合わせる顔がない。
最低なことを言って、本気じゃないと誤解させて、苦しませて。
……あいつが壊れそうだったのは、俺のせいだ。
「……大和」
名前を呟くと、心臓がぎゅっと縮まる。
こんなの、どう考えても遊びなんかじゃない。
誰より大事だ。
誰にも触れられたくない。
他の誰のことも見ないでほしい。
隣にいてほしい。
笑ってほしい。
泣く顔なんて二度と見たくない。
「……俺、ほんとに……」
喉が詰まって、最後まで言葉にできなかった。
でも理解した。
——好きなんだ。
自分でも呆れるほど単純で、どうしようもないくらいに。
夜の街を歩きながら、考える。
どうやって伝えればいいのか。
逃げずに、ちゃんと向き合って、
自分が本気であることを示す方法。
ひとつずつでいい。
焦らなくていい。
ただ、もう二度と失いたくない。
雨が止んだ空を見上げながら、湊は静かに息を吐いた。
「……次こそ、ちゃんと向き合う。逃げない」
胸の奥で、ゆっくりと熱が広がっていく。
その熱は、痛みでも後悔でもない。
確かな——恋だった。
湊と別れた日の夜、部屋に戻っても心は落ち着かなかった。
濡れたシャツを脱ぎ、温かいシャワーを浴びても、胸の奥の冷たさだけが残っている。
——終わったはずなのに。
そう繰り返して、自分に言い聞かせようとする。
終わらせたのは自分。
湊が遊びなら、そこに未来なんてなかった。
夢を見る方が馬鹿だった。
それなのに、目を閉じると浮かんでくる。
湊が少し照れた時の笑い方。
無意識に近づいてくる距離の近さ。
背中を壁に押し付けられた時の体温。
軽く触れた唇。
くすぐったいくらい優しい指先。
全部、どうして消えてくれないんだろう。
枕に顔を押し付けても、胸の痛みは消えない。
むしろ鮮明になるばかりだった。
翌朝、会社に行っても心はぼんやりしたままだった。
「大和、大丈夫? なんか疲れてない?」
同僚に声をかけられ、慌てて笑顔を作る。
「平気。寝不足なだけだよ」
本当は眠れていない。
湊のことを考えないようにすると、逆に思い出してしまう。
帰り道の電車の窓に映る自分の顔が、思っていたより弱っていて驚いた。
「……情けないな、俺」
恋なんて、もっと楽しくて温かいものだと思っていた。
こんなに苦しくて、息が詰まって、
胸が締めつけられるようなものだとは知らなかった。
歩きながら、駅前のコンビニの前でふと足が止まる。
湊が好きだったコーヒーがふと目に入る。
夜、少し苦めのそれを飲みながら隣に座っていた湊の横顔が、無意識に思い浮かぶ。
「……やめろよ」
声に出しても止まらない。
忘れようとするほど、思い出す。
湊の声。
湊の目。
湊の匂い。
湊の手。
湊の言葉。
全部、まだ鮮明で、まだどこかで触れられる気がしてしまう。
あんなふうに触れられたのは、きっと——いや、絶対に初めてだ。
湊の軽さに傷ついたはずなのに、
その軽さの中に見え隠れする優しさを、ちゃんと感じてしまっていた。
だから苦しい。
だから離れられない。
——湊が来てくれた理由を、聞きたかった。
家の前まで来てくれた意味。
あんな顔で俺の名前を呼んだ意味。
聞けなかった言葉の続きを、何度も想像してしまう。
そしてその度、心臓がぎゅっと痛む。
「……だめだ、ほんと」
湊が本気じゃないなら、終わらせなきゃいけない。
そう思って離れようとしているのに。
離れれば離れるほど、恋しさは増していく。
湊の声が、耳の奥で響く。
『待ってろよ。勝手に終わらせんな』
あの時、確かに聞こえたその言葉が離れない。
幻聴であってほしいのに、忘れられない。
「……会いたいよ」
その一言を、誰にも聞かれないように小さく零す。
声に出した途端、心が溶けてしまうように痛くなった。
今日も、湊のことばかり考えている。
離れようとすればするほど、湊に戻ってしまう。
こんな恋、初めてだ。
仕事をしていても、街を歩いていても、
何をしていても——大和の顔が浮かんでくる。
苦しそうに笑った顔。
「好きだよ」と震えた声。
触れたときの温度。
すれ違う瞬間に引かれた腕。
あれが最後になるなんて、考えたくなかった。
そのくせ、怖くて踏み出せずにいた自分が情けない。
でも、もう逃げないと決めたのは自分だ。
逃げていたら、本気なんか伝わらない。
——本気は言葉だけじゃ足りない。
あの日、大和が言った言葉が胸の奥で反響する。
俺は、やっとわかった。
本気なら行動だ。
傷つく覚悟をすること。
それでも相手を掴みにいくこと。
そうしないと、きっと大和は二度と振り向かない。
仕事が終わると同時に、いつものバーには向かわなかった。
ひとりで考える時間も、誤魔化す酒もいらない。
向かう先はひとつだけ。
大和が通勤に使っている駅へ。
電車の到着時間を検索しながら、心臓が不規則に脈打つ。
こんな緊張を感じたのは生まれて初めてかもしれない。
「……っ、落ち着けよ、俺」
手が少し震えている。
ポケットの中のスマホを握り直して、深呼吸をした。
もし拒絶されたらどうする?
もし「遅い」と言われたら?
もしもう好きじゃないと言われたら……?
最悪の想像ばかり浮かぶ。
でも、今日行かなかったら——
もう二度と会えなくなる気がした。
そのほうがずっと怖い。
駅に着くと、夕方のラッシュで人の波が押し寄せていた。
その中に、大和の姿を探す。
人混みが苦手なはずなのに、今日は焦りが勝っていた。
「……いないか」
一度深呼吸をし、改札横の柱にもたれた。
電光掲示板には、大和がいつも帰る電車の時刻が近づいている。
怖くても、逃げない。
そう決めた。
と、そのとき。
反対側のホームへ向かう階段を降りていく横顔が見えた。
黒いコート。
少し俯いて歩く癖。
スマホを胸元で握るその仕草。
「……大和」
声が漏れた。
喉がひりつく。
追いかけたい。
名前を呼びたい。
でも今呼んだら、
逃げられる気がして、足がすくむ。
——違う。逃げてるのは俺だ。
そう気付いた瞬間、
湊の足は自然と動き出していた。
人をかき分け、階段へ向かう。
心臓が痛いくらい跳ねている。
汗ばむ手を握りしめながら、
湊は階段の下へ続く影を追いかけた。
「大和——!」
届くか届かないかの距離。
握りしめた言葉。
いま踏み出さないと、二度と届かなくなる。
階段を駆け下りた先で、
大和が驚いたように振り返る。
二人の視線が、空気の中でぶつかった。
その瞬間——
湊はもう、後戻りできなかった。
階段を駆け下りた勢いのまま、湊は大和の前で足を止めた。
息が荒い。心臓が喉元まで競り上がっている。
大和は、驚きに目を大きくしていた。
けれど、すぐにその瞳は警戒で揺れる。
まるで、触れられたくない痛みを守るように。
「……湊、なんで……?」
声が弱い。
けれどその弱さが、湊の胸を締めつけた。
どうしてこんな顔をさせたんだろう。
どうして、あの日もっとちゃんと向き合わなかったんだろう。
「話がしたい。……ちゃんと」
そう言うと、湊は苦しげに眉を寄せた。
「話すことなんて、もうないよ。俺、終わらせたいって……」
「終わらせたくない」
湊が遮るように言うと、大和の肩が小さく震えた。
「……湊、そういうの……今言わないで。ずるいよ」
「ずるくても言わせてくれ。
……あの日、お前が言ってたこと、ずっと考えてたんだ」
大和は視線をそらした。
耳がほんの少し赤くなっている。
拒絶される覚悟はしてきたけれど、こうして見ると胸が痛む。
「考えなくていいよ。
俺の気持ちなんて、湊には……」
「考えたいんだよ。お前の気持ちを、ちゃんと」
言い終わると同時に、大和が息を呑むのがわかった。
湊自身も驚いていた。
自分がこんなふうに言葉を選んで、
誰かに必死になるなんて想像したこともなかった。
「……湊、やめて」
大和の声は小さかった。
でも、その小ささの中に必死さが滲む。
「そんな顔で言われたら……期待しちゃうだろ」
その一言が、湊の胸を真っ二つに割った。
期待させるような態度を取ったのは、自分だ。
軽く笑って、曖昧に距離を詰めて、
都合のいい関係に甘えてきたのは全部自分のせいだ。
でも、もう違う。
これ以上、大和に「期待」を我慢させたくない。
「大和……俺、お前のこと——」
言葉が喉で燃えるようだった。
言えば全てが変わる。
逃げ道なんてなくなる。
だけど、言わなきゃ何も始まらない。
「好きだよ、湊。
でも……それだけじゃ足りない」
大和が先に言った。
泣きそうな声で、震える唇で。
湊は息を飲んだ。
胸が張り裂けそうだった。
「言葉だけじゃなくて……行動で示してくれなきゃ、信じられない」
その言葉は、責める響きじゃなかった。
ただ、傷ついた心が本音を吐き出しただけだった。
湊は一歩だけ、大和に近づく。
そして震える手を伸ばし——
だが腕の途中で止めた。
触れてほしいのか、触れたら壊れるのか。
それを判断できないまま、湊は唇を噛んだ。
「……触っていい?」
問うと、大和は驚いたように目を瞬いた。
いつもの湊なら、何も言わずに触れていた。
だからこそ、その言葉は真剣さを示していた。
大和はゆっくりと、ほんの少しだけ頷いた。
許されたことに胸が熱くなる。
湊は恐る恐る手を伸ばし、
大和の頬に触れないほどの距離で――指を止めた。
触れる瞬間まで、逃げ道を与えるように。
その仕草に、大和の目がわずかに揺れる。
「……逃げないから。
もう、軽い気持ちでお前に触れたりしない。
ちゃんと向き合うから」
その言葉を聞いて、大和は唇を噛んだまま視線を落とした。
触れてほしい。
でも、怖い。
その葛藤が、痛いほど伝わってくる。
「湊……ほんとに、変わるの?」
「変わる。
——本気だから」
その瞬間、大和の瞳に涙がにじんだ。
そして湊の指先が、
ようやく大和の頬にそっと触れた。
その温度に、二人の呼吸が止まった。
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