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第二章
83 遺声
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村にトカゲが押し入る騒動があった夜更け。アグルはサリに対して深々と頭を下げていた。
「すまなかった。皆の前で君を辱めてしまった」
「そんな……アグルさんが謝るようなことじゃありません。私の失態です」
「いいや、さっきの場合……悪いのは彼女だ」
彼女、がファティを指し示すのは明らかだったがあえて名前を出さなかったようだ。
「聖女様がなさることに間違いなどありません」
サリの口は恣意的な言葉ではなく、ただ口から滑り落ちただけだった。
「そうではないよ。聖女様は少し頑迷に過ぎる。かつての聖人エムスは賢明だったが信徒の意見を聞き入れなかったため死地をさまようことになった。そのようなことを避けねばならん。
だからあえて君を叱ることで聖女様に自分を省みて欲しかったんだ。しかし君を傷つけることになったのは私の咎だ。気のすむまで殴ってもらってかまわない」
「いえ……アグルさんの考えはわかりました。私もあなたを咎めることはありません」
敬礼をとり、敬いを示すとアグルはまっすぐにサリの顔を見た。
「本当にすまなかった。だが俺が本当に信頼しているのは君だ。できるだけ聖女様を見守ってくれ」
信頼を十全に示されたと感じたサリは笑みを浮かべ、はい、と明朗に答えた。
「まったくもって愚かな女どもだ」
誰もいない夜道を歩きながらアグルは一人言葉を吐き捨てる。
「一人はあっさり騙され、知性の欠片も感じない。一人はわがままばかり」
まだ復興したばかりの真新しい道と同じように自分自身の理想がしっかりと固められていると疑っていない。
「だがまあ、銀髪は役に立つ。俺が上手く手綱を握れば兄さんの理想を叶える役に立つはずだ。もう一人は銀髪を操る道具になってもらうとしよう」
アグルの胸中はただただ純粋に兄の理想を遂げることだけを願っていた。他の何を踏みにじったとしても、彼からしてみればそれは必要なことなのだ。……その願いにおいて彼は敬虔で気高い殉教者だったかもしれない。
翌日。
トゥーハ村に近いテゴ村でトカゲを目撃した村人がいるという報告を受け、村長とアグルは話し合っていた。
「確かトカゲは一度目撃されるとすぐに集まると聞きます。あそこにいる人は多くない。隣村だけでは危険かもしれません。すぐに隣村に出かける準備をした方がよいでしょう」
「アグルさん。聖女様にはここに残ってもらうよう説得していただけますね?」
「もちろんです」
もちろん胸中はその言葉とは違う。銀髪も連れて行くつもりだ。あれの名を売るのにはちょうどいい機会だ、そう思っていた。
「私も連れて行ってはくれませんか?」
「いけません」
ファティと会話しながらその思惑とは正反対の言葉を口にするアグル。
「どのような危険があるかわかりません。何度も言いますが、貴女を危険にさらすわけにはいきません」
「でも……アグルさんや他のみんなに何かあったら……」
あくまでも他人の心配をするファティ。その優しさに心打たれたのか、アグルが折れることになった。
傍から見れば。
「わかりました。では必ず私かサリの傍にいてください。そして必ずこちらの指示には従うこと。できますね?」
「は、はい!」
「サリ。今度こそ聖女様から目を離さないように」
「お任せくださいアグルさん」
明るい顔で返事をする二人の女をアグルは内心で笑っていた。これもまた人心掌握術の一種だ。あえて望みとは正反対のことを口にした後で譲歩することで、相手に借りを作らせるのだ。さらにいかにもあなたが大事だと錯覚させる狙いもある。
今はまだ誰も気づいていなかったが、彼には扇動の才能があった。その才がこの世界をどこへ導くのかはまだ誰にもわからない。
先遣隊のテゴ村への移動には馬を使うことになった。これらの馬はアグルが万が一に備えて購入した馬であり、まさに今が万が一の時だったからだ。それでも馬は数頭しかいないので必然的に人選は絞られることになった。もちろんその中にはアグルや、サリに同乗するファティも含まれていた。
ファティを見た村長は何かを諦めた顔つきでファティに対して無言で祈りを捧げた。有事に備えてティマチはここに残らなければならない。
残るものは皆一様にファティを気遣っていた。徒歩でテゴ村まで行く村人もいるが、到着はかなり遅れるだろう。
「では行こう。何もなければそれに越したことはないが、万が一ということもあるできるだけ急ぐぞ」
一方そのころ――――テゴ村の村人はただ震えるばかりだった。何故ならもうすでに巨大なトカゲ数匹が村に侵入しており、今まさに家畜の小鬼を喰らっていたからだ。折りの悪いことに戦える若者は森にトカゲの痕跡を探しに行ってしまっていた。
村人は必至に村で最も頑丈な建物である教会に立て籠もり、祈りの言葉を口にし、天に助けを乞うていた。
そんな暇があればさっさと逃げればいい気もするが、今現在村長は他の村へ逃げ……援助を求めに行っているため不在だった。それでも逃げるくらいできそうなものだが……時として人は指示がなければ思考を放棄して最も楽な選択をしてしまう。
次は自分かもしれない。そう思っても体が動かなかった。
ぎょろりと眼を動かし、まるで品定めでもするように舌をチロリと出しながら近づいてくる。若者の内何人かはやたら滅多に窓から<光弾>を撃ちまくるが動揺が激しくかすりさえしなかった。
「神よ、我らに加護を」
「救世主よ、我らに勇気を」
人々が震える声で祈りを捧げた時、その祈りは聞き届けられた。
銀色の剣がトカゲたちを一刀のもと切り伏せた。
村人たちが頭を上げると、教会の中からでもわかる銀色の光が辺りを照らしていた。
一瞬のうちに数体の巨大なトカゲは息絶えた。否、わずか一匹だけ最も巨大なトカゲが生き残っていた。しかしそれも長くないだろう。
「私がとどめを刺します。聖女様はお下がりください」
ためらうことなくそのトカゲに近づき、<剣>を突き、
その直前トカゲが弱弱しい鳴き声を上げた、
立てた。
「……え……?」
「聖女様? いかがなさいましたか?」
困惑の声をサリは聞き逃さなかった。
「今……何か聞こえませんでしたか?」
「いえ? 特に何も」
ファティはどこか不安そうにしていたが、やがてサリに向き直った。あの騒動があってからサリと向き合うのは初めてだ。
「サリ、私――――」
その言葉は教会から出て、群がってきたテゴ村の村人たちによってかき消された。
「貴女がトゥーハ村の聖女様ですね!?」
「おお、なんという神々しい御髪!」
「この恩は決して忘れません」
「サージと申します! 助けて頂いてありがとうございます」
「ありがとうごさいます! おかげで何の被害もありませんでした」
あっという間に人波にもまれるファティ。サリはその様子をじっと眺めていた。
(まずまずの成果だな)
アグルの皮算用としてはまだ雌伏の時だ。銀髪に実戦経験を積ませ、名声を高めるために人々を助けて回る。それはやがて感謝という名の強力な地盤となり、都で名を馳せるための踏み台になるはずだ。
(あの御子とのつながりもある。上手くいけばあの祭りに参加することも不可能ではないかもしれない)
アグルは心中でだけ仄暗い笑みをかたどっていた。
そして森の中に小さな、しかし暗い緑の影が蠢いていたことに気付いた者は誰もいなかった
「すまなかった。皆の前で君を辱めてしまった」
「そんな……アグルさんが謝るようなことじゃありません。私の失態です」
「いいや、さっきの場合……悪いのは彼女だ」
彼女、がファティを指し示すのは明らかだったがあえて名前を出さなかったようだ。
「聖女様がなさることに間違いなどありません」
サリの口は恣意的な言葉ではなく、ただ口から滑り落ちただけだった。
「そうではないよ。聖女様は少し頑迷に過ぎる。かつての聖人エムスは賢明だったが信徒の意見を聞き入れなかったため死地をさまようことになった。そのようなことを避けねばならん。
だからあえて君を叱ることで聖女様に自分を省みて欲しかったんだ。しかし君を傷つけることになったのは私の咎だ。気のすむまで殴ってもらってかまわない」
「いえ……アグルさんの考えはわかりました。私もあなたを咎めることはありません」
敬礼をとり、敬いを示すとアグルはまっすぐにサリの顔を見た。
「本当にすまなかった。だが俺が本当に信頼しているのは君だ。できるだけ聖女様を見守ってくれ」
信頼を十全に示されたと感じたサリは笑みを浮かべ、はい、と明朗に答えた。
「まったくもって愚かな女どもだ」
誰もいない夜道を歩きながらアグルは一人言葉を吐き捨てる。
「一人はあっさり騙され、知性の欠片も感じない。一人はわがままばかり」
まだ復興したばかりの真新しい道と同じように自分自身の理想がしっかりと固められていると疑っていない。
「だがまあ、銀髪は役に立つ。俺が上手く手綱を握れば兄さんの理想を叶える役に立つはずだ。もう一人は銀髪を操る道具になってもらうとしよう」
アグルの胸中はただただ純粋に兄の理想を遂げることだけを願っていた。他の何を踏みにじったとしても、彼からしてみればそれは必要なことなのだ。……その願いにおいて彼は敬虔で気高い殉教者だったかもしれない。
翌日。
トゥーハ村に近いテゴ村でトカゲを目撃した村人がいるという報告を受け、村長とアグルは話し合っていた。
「確かトカゲは一度目撃されるとすぐに集まると聞きます。あそこにいる人は多くない。隣村だけでは危険かもしれません。すぐに隣村に出かける準備をした方がよいでしょう」
「アグルさん。聖女様にはここに残ってもらうよう説得していただけますね?」
「もちろんです」
もちろん胸中はその言葉とは違う。銀髪も連れて行くつもりだ。あれの名を売るのにはちょうどいい機会だ、そう思っていた。
「私も連れて行ってはくれませんか?」
「いけません」
ファティと会話しながらその思惑とは正反対の言葉を口にするアグル。
「どのような危険があるかわかりません。何度も言いますが、貴女を危険にさらすわけにはいきません」
「でも……アグルさんや他のみんなに何かあったら……」
あくまでも他人の心配をするファティ。その優しさに心打たれたのか、アグルが折れることになった。
傍から見れば。
「わかりました。では必ず私かサリの傍にいてください。そして必ずこちらの指示には従うこと。できますね?」
「は、はい!」
「サリ。今度こそ聖女様から目を離さないように」
「お任せくださいアグルさん」
明るい顔で返事をする二人の女をアグルは内心で笑っていた。これもまた人心掌握術の一種だ。あえて望みとは正反対のことを口にした後で譲歩することで、相手に借りを作らせるのだ。さらにいかにもあなたが大事だと錯覚させる狙いもある。
今はまだ誰も気づいていなかったが、彼には扇動の才能があった。その才がこの世界をどこへ導くのかはまだ誰にもわからない。
先遣隊のテゴ村への移動には馬を使うことになった。これらの馬はアグルが万が一に備えて購入した馬であり、まさに今が万が一の時だったからだ。それでも馬は数頭しかいないので必然的に人選は絞られることになった。もちろんその中にはアグルや、サリに同乗するファティも含まれていた。
ファティを見た村長は何かを諦めた顔つきでファティに対して無言で祈りを捧げた。有事に備えてティマチはここに残らなければならない。
残るものは皆一様にファティを気遣っていた。徒歩でテゴ村まで行く村人もいるが、到着はかなり遅れるだろう。
「では行こう。何もなければそれに越したことはないが、万が一ということもあるできるだけ急ぐぞ」
一方そのころ――――テゴ村の村人はただ震えるばかりだった。何故ならもうすでに巨大なトカゲ数匹が村に侵入しており、今まさに家畜の小鬼を喰らっていたからだ。折りの悪いことに戦える若者は森にトカゲの痕跡を探しに行ってしまっていた。
村人は必至に村で最も頑丈な建物である教会に立て籠もり、祈りの言葉を口にし、天に助けを乞うていた。
そんな暇があればさっさと逃げればいい気もするが、今現在村長は他の村へ逃げ……援助を求めに行っているため不在だった。それでも逃げるくらいできそうなものだが……時として人は指示がなければ思考を放棄して最も楽な選択をしてしまう。
次は自分かもしれない。そう思っても体が動かなかった。
ぎょろりと眼を動かし、まるで品定めでもするように舌をチロリと出しながら近づいてくる。若者の内何人かはやたら滅多に窓から<光弾>を撃ちまくるが動揺が激しくかすりさえしなかった。
「神よ、我らに加護を」
「救世主よ、我らに勇気を」
人々が震える声で祈りを捧げた時、その祈りは聞き届けられた。
銀色の剣がトカゲたちを一刀のもと切り伏せた。
村人たちが頭を上げると、教会の中からでもわかる銀色の光が辺りを照らしていた。
一瞬のうちに数体の巨大なトカゲは息絶えた。否、わずか一匹だけ最も巨大なトカゲが生き残っていた。しかしそれも長くないだろう。
「私がとどめを刺します。聖女様はお下がりください」
ためらうことなくそのトカゲに近づき、<剣>を突き、
その直前トカゲが弱弱しい鳴き声を上げた、
立てた。
「……え……?」
「聖女様? いかがなさいましたか?」
困惑の声をサリは聞き逃さなかった。
「今……何か聞こえませんでしたか?」
「いえ? 特に何も」
ファティはどこか不安そうにしていたが、やがてサリに向き直った。あの騒動があってからサリと向き合うのは初めてだ。
「サリ、私――――」
その言葉は教会から出て、群がってきたテゴ村の村人たちによってかき消された。
「貴女がトゥーハ村の聖女様ですね!?」
「おお、なんという神々しい御髪!」
「この恩は決して忘れません」
「サージと申します! 助けて頂いてありがとうございます」
「ありがとうごさいます! おかげで何の被害もありませんでした」
あっという間に人波にもまれるファティ。サリはその様子をじっと眺めていた。
(まずまずの成果だな)
アグルの皮算用としてはまだ雌伏の時だ。銀髪に実戦経験を積ませ、名声を高めるために人々を助けて回る。それはやがて感謝という名の強力な地盤となり、都で名を馳せるための踏み台になるはずだ。
(あの御子とのつながりもある。上手くいけばあの祭りに参加することも不可能ではないかもしれない)
アグルは心中でだけ仄暗い笑みをかたどっていた。
そして森の中に小さな、しかし暗い緑の影が蠢いていたことに気付いた者は誰もいなかった
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