うちの猫は液体です

秋葉夕雲

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第二章

第66話 眠り

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 巨大なドミノが倒れるように、マロンキャノチーは横倒しになった。
 油断せずに葵は追撃しようとして。
「サレンダー」
 マロンキャノチーのか細い声を聴いた。
「……ずいぶんあっさり諦めるのね。たかが足が一本折れたくらいで」
 その言葉は彼女の無知を示す言葉だったが、それを指摘するものは誰もいなかった。
「……俺の足は俺の誇りだ。それを折ったのだからお前たちの勝ち。それだけだ」
 サレンダーを宣言すればギフテッドはそのギフトと知性を消失する。マロンキャノチーがまだ喋れているのは残り火に過ぎない。
「皆本さん。ベアさん。もう行きましょう。ここに敵はいません」
「そうね。さ、二人とも帰りましょう。ところで、おばちゃんのベンちゃんはどこ?」
「あっちに……って、めちゃくちゃ泣きそうなんだけど!?」
「あら大変! 急がないと!」
 駆け出す葵とさつま、ベア。
 残った五月はぽつりと。
「サレンダーしたのは私たちがあなたを殺したことにさせないためですか?」
「人間に看取られるのが我慢ならんだけだ」
「そうですか」
 目線さえ合わせずに会話は終わった。
 さわやかな風が吹き抜け、走り去った葵を見送るとマロンキャノチーは一頭だけになった。



 ボロボロになった体に鞭打ち、引きずるように歩み続ける。
「良く生きてるわね、あんた」
「その言葉、そっくりお返ししますよ」
「うんうん、よく頑張ったわ二人とも」
「「ベアさんほどじゃないわよ(ありません)」」
 二人は完全に同調した。
 間違いなく一番ボロボロなのはベアトリクスだったが、一番元気なのも彼女だった。おそるべき熊の生命力だろう。
「皆本さん。さっきのオールインですが……どうして絞り切れなかったんですか?」
 ふと、疑問は五月の口をついて出た。
「ん、ああ、あれね。ヴィシュヌは知ってる?」
「インドの神様ですよね」
「そ。ヴィシュヌは複数の化身、アヴァターラを持つ神様。カルキはその一つ。カルキは作られた神様なのよ。いやまあ、ありとあらゆる神話は創作だけど、特にその傾向が強い神様なの」
「どういう意味ですか?」
 諸説あるんだけどね、と前置きしてから離し始めた。
「カルキはもともと別の神、ていうか英雄だったんだけどバラモン、つまり司祭の身分だったらしいの。バラモンの復権を望む人々によって強い英雄をヴィシュヌに組み込む必要があって未来に現れ、悪を滅ぼし、世界を再生する神になった」
「それだとなぜあのギフトになったんでしょうか」
「私の予想だけどね。カルキを作った人々にとっての悪は、自分たち以外の人や宗教なんじゃない? だから自分から遠い宗教や生き物を倒すギフトになった」
 それは救世の神のあまりにも醜悪な裏側だった。自分以外の人々を倒すために無理矢理他の物をつぎはぎし、武器とする。そうやって生まれたのがカルキ。
 それが人類を憎むマロンキャノチーに宿ったというのだからもはや業が深い。
「もともとヴィシュヌは他の宗教や英雄を組み込み、倒す役割があるの。それも含めてなんでしょうね」
「なら、ハヤグリーヴァというのは?」
「こっちは日本だと馬頭観音の呼び名の方が一般的ね。ヴィシュヌに倒された魔物でもあり、同時にヴィシュヌのアヴァターラとして扱われる馬。馬の首を持つもの以外に殺されないっていう逸話もあるから共通点のあるものに弱いって性質がギフトになってもおかしくなかったのよ」
 わたしもまだまだねー、と愚痴る葵。
「で、これからどうする?」
「ひとまず特害対に連絡。後始末もやってくれるでしょう。それから病院ですね」
「またなのねー。んーでもギフトのおかげかしら。さっきより痛みが引いてる気がするわ」
「ギフトの対象になると傷の治りが早いわよ。おばちゃんもこの通りよ」
 血がぼたぼた流れ、肩に大きなくぼみがあるその体はやはり無事には見えない。
「ベアさんもありがとう。あなたがいなかったらわたしら絶対死んでたわ」
「お互い様よ。……でも、葵ちゃん。気づいてる?」
「え、何が?」
「マロンキャノチーのオーナーの死因はおかしいのよ」
「ええ。私もそう思います」
「えっと、ごめん。二人ともどういうこと?」
 一人だけ事態が呑み込めていない葵は困惑していた。
「マロンキャノチーは代償を支払っていませんでした」
「そりゃそうでしょ。ギフテッドしかいなかったんだし」
 ベアトリクスが葵の疑問に答えた。
「ギフテッドの代償が必要ないパターンは二つあるわ。オーナーが寿命で死んだ場合。これはレアケースね。もう一つはオーナーがギフテッドに殺された場合。事故や自殺の場合代償が必要でギフトは大幅に制限されてしまうの」
「!」
「おそらく、マロンキャノチーのオーナーの死にはギフテッドが関わっています」
「あんたが言ってた、洗脳のギフトだっけ。そいつなら行動を強制できるわよね。どうなの?」
 以前の事件の顛末を聞いたときに、特害対の一人が洗脳されていたらしいことを想いだした。
「洗脳されたオーナーが自殺したとしたら、ギフトの代償は消失するでしょう」
 前回だけでなく、今回も裏で同じ人物が暗躍している可能性が高いと知った葵は獰猛な笑みを見せた。
「は、上等よ。そいつのせいでさつまが傷つけられたようなもんなんだから、のしつけて百倍返ししてやるわ」
「あ」
「ベアさん? どうかしましたか?」
「そういえば、洗脳のギフテッドを見つけたらしいわよ」
「マジ!? よし、今からぶっ殺しに行くわよ!」
「無茶言わないでくださいワン!」
「まったくです。自分の体をいたわるべきでしょう」
「そうそう。それにもう、そいつには追っ手を差し向けたらしいわよ」
「え、誰?」
「河登さん。あと、ポルチーニちゃんよ」
「……行く意味なさそうね」
「ですね。あの人で無理なら、私たちは足手まといにしかならないでしょう」
 とりあえず、葵は洗脳のギフト持ちの冥福を祈っておいた。もちろんとっととくたばれ、という意味である。
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