37 / 141
第一章
第35話 あなたはだあれ
しおりを挟む
葵は髪の毛とリボンをいじりつつどこか別の場所を見ているような顔だった。
「福笑い?」
何かの比喩とは予想ができたが、実感として理解するのは五月には難しかった。
「そ。私、目の形とか色とか、髪形とか、そういうのなら頑張れば記憶できるのよ。でも、それを全体としてまとめた印象を記憶できない。認識できない。多分この二つは同じね」
「パーツ単体なら理解できても、全体を組み立てることができない。そういうことですか」
「そんな感じじゃないかしら」
「もしかして赤いリボンを右に着けているのは、自分の顔を見分けるためですか?」
「そうね。どうも赤色は他よりも印象に残りやすいのよ。その次が青。左右非対称なのも同じね」
五月も女性として自分の顔は毎日見る。その顔さえも見分けることができないというのはどんな感覚なのか想像ができなかった。
「で、二つ目。変化を予測できないのよ」
「変化。表情の変化ですか」
「表情だけじゃないわ。角度とか髪形とか、そういう変化を上手く認識できないの。だから静止画だと頑張れば覚えられるわ」
「例えば、写真で見ている人と実際に会った時に印象が違うことがあります。あなたの場合はそれが極端に働いているのですか?」
「先生もそんな感じのこと言ってたわね。でも、何度も会ってる人ならぼんやりとわかるのよ」
「私の場合は上着を脱いだだけでわからなったんですね」
「悪かったわね」
「責めるつもりはありません。努力でどうにかできるものでもないのでしょう?」
「まあね。中学生のころ、何とかしてクラスメイトの顔を覚えようとして見たこともあったけど、結局無意味だったわ」
「失礼を承知で聞きますが……あなたはご両親の顔まで見分けることができなかったのですか?」
そこは地雷に近い場所だったのか、葵はしばし沈黙した。
「小学生高学年くらいなら……なんとか他の人と見分けられるようにはなってたわ。時間の力って偉大ね」
「……それ以前は……?」
やはりまた黙る。それでも諦めたように口を開いた。
「昔。私が保育所に通っていたころ」
唐突に時間が飛んだ。おそらく、それが葵の一番深いところにある思い出。
「これは後から考えたことだけど、季節の変わり目だった。お母さんはちょっと風邪気味だった。だから、私を保育所に連れて行った時と服装と声が違っていたのよ。ちょっとだけだけどね。でも、それだけで私はお母さんが見分けられなかった」
「それは……あなたが悪いんじゃありません」
「そうね。でも、きっとお母さんはショックを受けたでしょうね。あんまり覚えてないけど私、この人はママじゃないって泣き叫んでたそうよ」
五月は胸に痛みを覚えた。
大事に育てていた娘からそんな言葉をかけられた母の気持ち。そんなひどい言葉を言ってしまった娘の気持ち。
どちらの心情も理解するのは難しいが、想像するだけで胸が締め付けられそうだった。
「結局その後お父さんが迎えに来てくれたんだけど……いろいろあったそうよ。もしかしたら、虐待とかも疑われたのかもしれない。検査して、相貌失認が判明したから疑いは晴れたみたいね」
「ご両親はそれから……どうなさったんですか?」
「どう……うーん、いろいろなお医者さんに診てもらったけど、どの人も治す方法はないって断言したそうよ。世間にとって私は普通じゃないけど、私にとってはこれが普通なのよ。両親は多少時間がかかったけどそれを理解してくれた。今考えるとそれってすごいことで、とても感謝してる」
病気とは何らかの異常を表す状態だ。
ならば生まれつきそうであるものを病気と呼んでよいのか。
「だからとにかく顔がわからなくても何とかなるように工夫してくれたわ。例えば、服を何種類かに限定してローテーションを組んだり、髪を切るときは事前に私に伝えておくとか。目立つ髪留めにするとか。あ、あとはやっぱり名札ね。私にとって名札は生命線だったのよ」
「中学や高校でも名札はあったんですか?」
「中学はあったし、高校はあるところを選んだわ。しょっちゅう付け忘れてくる人もいるし、何度も注意してるから口うるさいって思われてるでしょうけど。そんなこんなで上手くやってたのよ」
おおむね語り終えたと思ったのか葵は軽く息を吐いた。
「福笑い?」
何かの比喩とは予想ができたが、実感として理解するのは五月には難しかった。
「そ。私、目の形とか色とか、髪形とか、そういうのなら頑張れば記憶できるのよ。でも、それを全体としてまとめた印象を記憶できない。認識できない。多分この二つは同じね」
「パーツ単体なら理解できても、全体を組み立てることができない。そういうことですか」
「そんな感じじゃないかしら」
「もしかして赤いリボンを右に着けているのは、自分の顔を見分けるためですか?」
「そうね。どうも赤色は他よりも印象に残りやすいのよ。その次が青。左右非対称なのも同じね」
五月も女性として自分の顔は毎日見る。その顔さえも見分けることができないというのはどんな感覚なのか想像ができなかった。
「で、二つ目。変化を予測できないのよ」
「変化。表情の変化ですか」
「表情だけじゃないわ。角度とか髪形とか、そういう変化を上手く認識できないの。だから静止画だと頑張れば覚えられるわ」
「例えば、写真で見ている人と実際に会った時に印象が違うことがあります。あなたの場合はそれが極端に働いているのですか?」
「先生もそんな感じのこと言ってたわね。でも、何度も会ってる人ならぼんやりとわかるのよ」
「私の場合は上着を脱いだだけでわからなったんですね」
「悪かったわね」
「責めるつもりはありません。努力でどうにかできるものでもないのでしょう?」
「まあね。中学生のころ、何とかしてクラスメイトの顔を覚えようとして見たこともあったけど、結局無意味だったわ」
「失礼を承知で聞きますが……あなたはご両親の顔まで見分けることができなかったのですか?」
そこは地雷に近い場所だったのか、葵はしばし沈黙した。
「小学生高学年くらいなら……なんとか他の人と見分けられるようにはなってたわ。時間の力って偉大ね」
「……それ以前は……?」
やはりまた黙る。それでも諦めたように口を開いた。
「昔。私が保育所に通っていたころ」
唐突に時間が飛んだ。おそらく、それが葵の一番深いところにある思い出。
「これは後から考えたことだけど、季節の変わり目だった。お母さんはちょっと風邪気味だった。だから、私を保育所に連れて行った時と服装と声が違っていたのよ。ちょっとだけだけどね。でも、それだけで私はお母さんが見分けられなかった」
「それは……あなたが悪いんじゃありません」
「そうね。でも、きっとお母さんはショックを受けたでしょうね。あんまり覚えてないけど私、この人はママじゃないって泣き叫んでたそうよ」
五月は胸に痛みを覚えた。
大事に育てていた娘からそんな言葉をかけられた母の気持ち。そんなひどい言葉を言ってしまった娘の気持ち。
どちらの心情も理解するのは難しいが、想像するだけで胸が締め付けられそうだった。
「結局その後お父さんが迎えに来てくれたんだけど……いろいろあったそうよ。もしかしたら、虐待とかも疑われたのかもしれない。検査して、相貌失認が判明したから疑いは晴れたみたいね」
「ご両親はそれから……どうなさったんですか?」
「どう……うーん、いろいろなお医者さんに診てもらったけど、どの人も治す方法はないって断言したそうよ。世間にとって私は普通じゃないけど、私にとってはこれが普通なのよ。両親は多少時間がかかったけどそれを理解してくれた。今考えるとそれってすごいことで、とても感謝してる」
病気とは何らかの異常を表す状態だ。
ならば生まれつきそうであるものを病気と呼んでよいのか。
「だからとにかく顔がわからなくても何とかなるように工夫してくれたわ。例えば、服を何種類かに限定してローテーションを組んだり、髪を切るときは事前に私に伝えておくとか。目立つ髪留めにするとか。あ、あとはやっぱり名札ね。私にとって名札は生命線だったのよ」
「中学や高校でも名札はあったんですか?」
「中学はあったし、高校はあるところを選んだわ。しょっちゅう付け忘れてくる人もいるし、何度も注意してるから口うるさいって思われてるでしょうけど。そんなこんなで上手くやってたのよ」
おおむね語り終えたと思ったのか葵は軽く息を吐いた。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
俺は陰キャだったはずなのに……なぜか学園内でモテ期が到来した件
こうたろ
青春
友人も恋人も居ないボッチ学生だった山田拓海が何故かモテだしてしまう。
・学園一の美人で、男女問わず憧れの的。
・陸上部のエースで、明るく活発なスポーツ女子。
・物静かで儚げな美術部員。
・アメリカから来た金髪碧眼でハイテンションな留学生。
・幼稚園から中学まで毎朝一緒に登校していた幼馴染。
拓海の生活はどうなるのか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる