【完結】蘭姫と薬花の国

神谷さや

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物言わぬ花

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 鬱蒼と生い茂る草木を小枝でかき分け、カトレアは林の中にひっそりと建つ、シードリング一家の旧宅前にやって来た。

 寒々しい空気を纏った屋敷は廃屋同然となっており、置き去りにされた庭道具や日用品などが目に付く。反面屋敷の周辺は雑草が抜かれており、定期的に手入れをしているのがうかがえた。

 夜の帳が迫る頃となり、カトレアは寒気に身を震わせながらも、慎重に玄関先まで足を運んだ。扉は固く閉ざされている。中まで届くように強めに扉を叩くが、反応はない。

 外側を回ってみると、カトレアは割れた窓のあたりで足を止めた。隙間から、薄ぼんやりとした鬼火のような灯りが見え、とっさに後ずさりする。

 よく見ると、灯りは蝋燭の灯火だった。揺らめく火が映し出す姿を目にして、カトレアは反射的に声を上げた。瞬時に蝋燭のそばにいた人影が立ち上がり、素早く窓越しにやって来た。先刻路地で痛めつけられていた、あの少女だった。
 彼女は来客の正体を知るとすぐさま背を向けた。姿を消される前に呼び止める。

「待って! わたし、帰る家がないの。お金もないし、食べ物もない。一晩だけでいい、ここで休ませて欲しいのよ!」

 口にするとつくづく情けない状況だ。少女は怖々とこちらを振り返る。信じ難いといった目つきをしていた。

 いくら少年たちを追い払ったとはいえ、どこぞの者とも知れないカトレアをそう易々と受け入れないだろう。だがカトレアも、比較的安全な城下町を離れての野宿は避けたい。畑を荒らす野犬やカラスに襲われたり、さらには村の憲兵に捕まろうものなら、ひとたまりもない。

「お願い、わたしはおまえに決して乱暴はしない! むしろ、おまえを邪険に扱うような奴がいたら、さっきみたいに追い払ってやるわよ!」

 証として、手に持ったままの小枝を掲げる。少女は半信半疑といった表情だったが、カトレアの切迫した様子に根負けしたのか、玄関の方を指し走っていった。
 再び玄関先に向かうと、少女が扉を開けて待っていた。彼女は口を利かす、変な客が来たといった視線を向けながらも、カトレアを招き入れてくれた。

 シードリング夫妻が亡くなってから、ろくに掃除もしていないのだろう。廊下や居間には蜘蛛の巣が張っており、家財はほこりにまみれている。
 少女は右の部屋に入っていったが、やはり元は学校だったようで、左の部屋は机と椅子が積まれていた。

 居間は木製の長机と布張りのソファが二掛け備えられており、長机の上で先程見えた蝋燭が小さな火を灯していた。少女は一人掛けのソファのほこりを手で払い、目で座るよう促した。

 暗がりの中では大丈夫だろうと判断し、カトレアは腰かけると頭巾を取った。開けた視界で、少女の顔をようやくはっきりと確認出来た。幼くも愛らしい顔立ちに、怯えと利発さを宿した瞳をしている。

 少女は距離を置いたまま近寄ろうとしない。カトレアは身を屈め、尋ねてみた。

「おまえ、名は何というの? ずっとここに住んでいるの?」

 少女は口をつぐみ、薄汚れたワンピースの裾を握りしめる。家に通したものの、口は利きたくないという意思表示だろうか。カトレアはさらに質問した。

「ここに来る前、シードリング一家の話を聞いたわ。おまえは、一家心中をして生き残った、シードリング夫妻の娘なの?」

 少女の表情が苦痛に歪んだ。やはり、彼女は死にそびれ、両親のいなくなった生家に一人残っているのだ。

「だけど、何故ここに残って物乞いの真似をしているの? 城下町に行けば孤児院もある、何もこんな暮らしをしてまで、ここに留まることもないでしょう?」

 すると、少女はつぶらな瞳に驚くほど厳しい光を宿した。お前に何が分かる、とでも言いたげに。カトレアもむっとなり、語気を強めた。

「何よ。さっきもせっかく助けてあげたのに、お礼の一つも言えないの? 言いたいことがあるならちゃんと言いなさいよ」

 投げかけると、少女はわずかに口を開く。だが喉から出るのは、音にならない、空回るばかりの息遣いだ。
 少女はもどかしげに口を開閉したのち、引き出しから黄ばんだ紙と木炭をひっつかむと、机に向かって何やら書きつけた。

 文字の読み書きは、コルデホーザでは中流家庭以上の子供が学校に通う、もしくは学のある親、家庭教師などに教わることで初めて出来るようになる。彼女も両親に教わったのだろう。
 突き付けられた紙を受け取ると、こう書かれてあった。

『あたしの名前は、アリッサム。父さんと母さんが死んでから、口が利けなくなった』

 顔を上げると、アリッサムという少女は怒り露わにカトレアを睨み据えていた。まるで、カトレアのせいでこうなったのだと示すように。

 王宮勤めの医師から聞いたことがある。精神的に強い衝撃を受けた者は、何らかの心因症に陥ることがあり、その一つとして失声症という症状がある。喉や声帯などに異常がある訳でなく、あくまで精神的な問題だというが、彼女がこのようになったのもうなずけた。

 両親の腕の中で短い生を終えるはずが、こうして一人取り残されてしまった少女。まだ親に甘えたい年頃の彼女が、どれだけの孤独を抱えて長い一日を過ごしているのかと思うと、父の政策の惨さを痛感せずにいられなかった。
 そこで、カトレアは弾かれたようにアリッサムを凝視した。

「おまえ……もしかして、わたしが誰なのか知っているの?」

 アリッサムは紙をひったくると、再び筆談で答えた。

『薬花の祖、リカステさまと同じ瞳のくせに、才のない王女さま』

 殴り書きされた文字が、むき出しの感情を表していた。血の気が引き、カトレアは紙を押し返すと、自分を抱きすくめた。全身の体温が失われていく。

 彼女は知っている。父マーカスが行った横暴を。その父の恩恵を受け、のうのうと生きてきたカトレアの愚かさを。

 無垢な瞳が、憎しみの矛先を向ける。生誕の宴で閃いた凶刃や、ジャックが弱みにつけ込み忍ばせた短剣よりも、彼女の声なき訴えはカトレアを深々と貫いた。

 どこへ行こうと、父の過ちと自分の無力さはついて回るのだ。ジャックはそれを知らしめるために、カトレアを逃がしたのかもしれない。どうあがいても、無駄なのだと。

 身体に力が入らず、意識が朦朧としてくる。ひどく寒い。
 視界がぐらつき、やがて暗転した。
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