【完結】蘭姫と薬花の国

神谷さや

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物言わぬ花

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「……え?」

 思わず、ジャックの顔をまじまじと見つめる。元々イーデンたちも、カトレアの暗殺を企てたのはアルベール王だと断定していた。
 どういうことなのだろう。茫然としていると、ジャックは疲れた表情で口の端を上げた。

「知りたいか? お前が何故、こんな目に遭うことになったのか」

 そう語りかけたジャックは、王宮の温室でカトレアの思いに耳を傾けてくれた、騎士の顔に戻ったような気がした。

 こくりとうなずき、再び葉陰に身を隠す。ジャックはカトレアを押し込めるようにして、距離を置き外側に腰を下ろした。

「事の始まりは、イーデンがお前の生誕の宴から間もない頃、アルベール王にある取引を持ちかけたことだった」

 イーデンが提示したのは、ヴェルダ側がカトレアの暗殺を遂行するのを条件に、武力によるラランジャの奪還を諦めるというものだった。戦時中、防戦に徹していたヴェルダ側としては、極力再戦を避けたいはずだ。アルベール王は、イーデンの条件をのんだ。

「だが、両国の間で起こった戦は、そもそもマーカス王が一方的に仕掛けたものだ。にっくきマーカス王の娘であるからといって、果たしてアルベール王がお前を暗殺して、何の得になると思う?」

 試すような口振りに、カトレアも胸に手を当て、思考を巡らせる。

 先の戦により、アルベール王の弟君が戦死している。ヴェルダに報復する理由は十分にある。しかしカトレアが暗殺されたとなると、コルデホーザも唯一の王位継承者を奪われ、更なる弔い合戦が始まるであろう。

 いずれにせよ、再戦は免れないのだ。となると、元から好戦的ではないヴェルダ側は、得するどころか不利な状況になる。

「そんなの……戦をしたがっているイーデンたちしか、得にならないじゃない」
「そうだ。それでも、アルベール王はお前の暗殺を遂行すると決めた。何故なら、暗殺に見せかけて、お前をイーデンの魔の手から逃がすためだ」

 目の前に、姿も知らぬアルベール王の手が差し出されたような気がした。複雑に絡み合った不可解な出来事が、ゆっくりとほどかれていく。

 結局は、イーデンが自身の意のままに、コルデホーザだけに留まらず全土を掌握したいが故の謀略なのだ。北の大国から海を越え、コルデホーザの地を踏んだ時から、彼の野望は始まっていたのだ。

「でも、何度もわたしを狙った事件が起こったのよ? それに、お前も元からわたしを生かすつもりだったら、何故こんな仕打ちをしたのか分からないわ」

 訝るカトレアに対し、ジャックはまず前者に関して説明した。生誕の宴の暴漢と、タルトによる毒殺未遂は、イーデン自身が仕組んだものだという。紛れ込んだあの卑しい輩も料理人も、イーデンの依頼を受けていたのだ。

 彼らが何のためらいもなく応じたとは思えないが、王族に対する裏切りを今更ながら許し難く思う。生まれながらに高貴な王族ではないという侮りが見え隠れする。カトレアは歯がゆさに顔をしかめた。

 英雄ウィルとリカステ妃が築き上げた花と緑の国は、もはや造花のように感触の薄れた幻なのだろうか?

 カトレアの様子を伺いつつ、ジャックは自らの行いについても打ち明けた。

「ヴェルダには、王に名を捧げ、手駒となり暗躍する集団が存在する。その内の一人が俺だ。王はお前の暗殺に俺を指名し、同時にこう命じた。
 蘭姫カトレアが王位を継ぐに相応しい器の持ち主であれば力となれ。だが、王位に相当しない者であれば、イーデンの意向通り暗殺を厭わぬと」

 ごくりと生唾を飲む。アルベール王は父マーカスと違い、穏健派として知られていたが、為政者としての容赦ない姿勢が言葉の節々に滲み出ていた。
 ならばジャックが下した判断の数々は、カトレアをどう捉えていたのだろう。身体ごと向き直り尋ねる。

「おまえがこうして訳を話してくれているのなら、わたしにはまだ、生きる意味がある。そうでしょう?」

 風が凪ぎ、辺りは静けさに包まれている。ジャックは真っ直ぐにカトレアを見つめた。

「……お前は、人目を避ける身でありながら、あの子供を助けたんだろう。お前がもし、あの子供を見殺しにしていたら、俺もお前を見殺しにしていた」

 カトレアの脳裏に、この二日間の出来事が蘇った。

 アリッサムが心を開いてくれたのは、ほんの数刻だけだった。
 本来、彼女にとってカトレアは憎むべき存在だ。それでも、彼女はカトレアに恩を返し、ぶっきらぼうではあったが情けをかけてくれた。

 そのアリッサムを身代わりにして、自分はこうして、生き長らえたのだ。

 斜陽に包まれた小さな花の微笑みがよぎり、目頭が熱くなる。音もなく、一筋の涙が冷えた頬を濡らした。家族でもない人間のために涙を流すなど、生まれて初めてだった。

 表情に乏しかったジャックが目を見張る。カトレアは慌てて背を向け、精一杯強がった。

「見ないでよ。おまえなんかにこんな姿、見せたくないのに……」

 昨夜はあの子が近くで一緒に眠ってくれたから、凍えずに済んだ。敬遠されていても、そばにぬくもりを感じられた。
 けれど、今頃アリッサムがどんな目に遭っているかと考えると、身を切られるような痛みが絶えず広がっていく。そのくせ、溢れる涙は熱く伝っていく。

 嗚咽をこらえ、うつむいていると、背後で何かが翻った。
 振り向いた瞬間、緑の外套にくるまれ、カトレアは背後からジャックの腕に包み込まれた。

 抱擁と呼ぶのもためらわれる、緩やかな力。王宮で冗談めかして迫ってきた者とは思えない、遠慮がちなものだった。

「おまえ……今度は何のつもりよ」

 涙声で問う。背中からジャックの体温が伝わり、全身にじわじわと血が巡っていく。

「……今は、本当になぐさめが欲しいんじゃないのか」

 耳元で囁かれた声が思いのほか優しく、心臓が打ち震える。動揺を悟られないよう声を張り上げた。

「わたしをひるませるために、あんな乱暴な真似をしたくせに……! 放しなさいよ」
「そんなに嫌なら、即座に俺を突き飛ばしているはずだ」
「嫌よ。おまえなんて嫌いよ! 嫌いなのに……」

 なのに、何故振りほどけないのだろう。あがく余力もないほど疲れ果てているのだろうか。

 ふいに、レイの感触を思い出す。あれもまた、抱擁ではなかった。レイはただ、カトレアを邪なものから守るための真綿に徹していた。

 だが、今感じているぬくもりは違う。
 みだりに触れようともせず、ジャックはただ静かに、カトレアに体温を分け与えてくれる。暗い林の中で、路頭に迷った娘を凍え死なせぬよう寄り添う、野の獣のように。

 喉が、つかえたように苦しい。ようやく絞り出した声は、かすれていた。

「でも……今は、こんな所じゃ身を寄せ合わないと、眠れないわ……」

 すると、ジャックはカトレアを抱えたまま身体をずらし、土壁にもたれた。二人を繋ぐ温度が漏れないように、今度はしっかりと抱きしめられる。

「あの子供が頼んできたんだ。お前を守ってくれ、と。それだけだ」

 そっけない言葉だったが、声音が単なる気まぐれではないと教えてくれる。

 少し湿り気のある、土ぼこりの匂い。乾いた肌の香り。自分を殺そうとしたはずの男なのに、どうして間近に感じても、嫌な気がしないのだろう。むしろ、新たな涙が絶え間なく頬を滑り落ちていく。

 幼い頃に感じたような、温かなものがこんこんと胸に溢れていくのが、カトレアには不思議でならなかった。

 翌日、朝露の中で目を覚ましたカトレアは、ジャックに改めて同行するよう求めた。彼がうなずくと、アリッサムが連れてきてくれた花畑に足を運び、厳かに告げた。

「物言わぬ花は、美しい。だけど、私は花ではいられない。
 この身を散らしてでも、必ず生き延びてみせる」

 傍らに立つジャックは、面白がるような、満足げな笑みを浮かべた。
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