【完結】蘭姫と薬花の国

神谷さや

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勅命

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 徒歩の半分以下の日数で、カトレアは国境の砦を目指し馬を進めた。

 大陸西部に位置するコルデホーザと、東部のヴェルダを分断する国境線に沿って、大陸の北端から南部のラランジャの中腹まで峡谷が続いている。峡谷は両国と長年中立を保ってきた、ラランジャの象徴であった。

 国境に近づくにつれ、牧歌的な風景は視界の彼方に遠ざかり、荒れ地に硬質な蹄の音が響く。まばらな草むらと、峡谷に向けて広がる平坦な大地は、花と緑溢れるコルデホーザの国領とは思えない荒涼とした空気が流れていた。

 峡谷の手前にそびえる山岳地帯の麓を抜けると、半日もかからずに国境の砦が遠目に見えてくる。銀鼠色の無骨な砦は峡谷の間に二本の石橋が渡されており、それぞれラランジャ、ヴェルダの領地へと続いている。

 ここより遥か北の国境にも、同様に砦と橋が設置されている。だが現在は南北共に封鎖されており、国王もしくはそれに準じる者が発行した手形を持つ者のみが通行を許可されていると、ジャックが説明してくれた。彼はアルベール王の押印と、ラランジャの族長の押印がある手形をそれぞれ持っているという。

 ジャックは任務上三国を行き来出来るよう優遇されているのだろうが、彼が何故王の手駒として暗躍しているのか、何かきっかけはあったのか、カトレアは秘かに気になっていた。

 乾燥地帯であるラランジャから吹き付ける強風の影響だろうか、地面に向かってねじ曲がった大樹がぽつんと佇んでいる。朝早く発ってからほとんど休むことなく走ってきたため、馬を繋ぎ休息を取ることとなった。朝は雲間から陽が射していたが、徐々に薄暗い雲が垂れ込んでいる。

 肌は乾き、髪や手足は荒れ、唇もひび割れている。シスル村での一泊を除き、草蔭や岩場の洞穴などで野宿を強いられ、ろくに見繕うことも出来ない。常に居心地が悪く、口数も少なくなっていたが、自分の置かれている境遇をわめいても決して好転することはない。

 あの王宮で心を殺し、玉座に担ぎ上げられることに比べたら、逃亡による不自由さも許容出来る。そう言い聞かせることで、贅の限りを尽くしてきた自分の甘さを叱咤し、奮い立たせていた。

 カトレアは革袋の水を必要な分だけ摂ると、視界の向こうに建つ砦を見据えた。

「あの砦を越えたら、やっとラランジャへ行けるのね」

 水を与えられ、息を切らしながらむしゃぶりつく馬から視線を動かさずに、ジャックも返答する。

「ラランジャへ行ったからといって、お前の身が保証される訳ではない。亡命した薬花師にとって、お前はにっくきマーカス王の愛娘だ。容易な相手ではない」

 シスル村を発ってから、ジャックはどことなく苛立った様子が続いている。カトレアも負けじと返す。

「承知の上よ。ただ、わたしはお父様とは違う。先代の娘であると同時に、薬花師であったお母様の娘でもあるわ」

 そうだな、と言葉少なに相槌を打つジャックは、張りつめた雰囲気を漂わせている。自分の水分補給を早急に終えると、馬にまたがるよう指示した。

「もう行くの? ずっと走り通しだったのよ、この子をもう少し休ませないと」

 馬の首に手を添え抗議する。まだ呼吸が整っておらず、ぶるぶると息を荒げている。ジャックは取り合わず、無言で乗るよう示した。

「この、冷血漢!」

 カトレアは肩をいからせ、詫びるように馬をひと撫ですると、ジャックの後ろにまたがった。途端、手綱を力いっぱい引っ張り、ジャックは馬の腹を蹴り走り出した。

 彼にしては珍しく、焦燥感が背中から伝わってくる。振り落とされないよう、カトレアはしがみ付くので精一杯だ。

 砦の鉄門が、はっきりと見えた頃だった。後方から別の馬のいななきが耳に届いた。地面に轟く蹄の音は、三頭。
 カトレアは小弓に手をかけ、ほどなくして現れた追手の顔を見て驚愕した。

「……レイ!」

 薄汚れた灰の外套を纏ったレイに、木漏れ日のような温厚さは微塵も残っていない。雷光の鋭さを宿した瞳が、カトレア越しにジャックをとらえている。

 続く二頭の騎馬兵は、制服からして王立騎士団の者だ。ジャックの袖を引っ張り、舌を噛みそうになりながらも追手のことを知らせる。

「ジャック! レイが追ってきている!」
「知っている!」

 ジャックは舌打ちして手綱を操り、荒っぽく方向転換を試みた。馬が竿立ちになり、カトレアはとっさにしがみつく。

 間もなくしてレイたちも追いつき、砦と挟まれる形となった。砦の衛兵たちも、ただならぬ様子にざわめいているのが遠巻きに聞こえる。

「追いつかれる前に、話をつけて突破しようと思っていたが……。お前、わざわざ俺を国境まで向かわせたんだろ?」

 レイは愛馬である白毛の馬にまたがったまま、ジャックを睨み据える。

「コルデホーザの兵が駐屯する国境付近であれば、こちらにとって有利になる」

 口にしつつも、レイに余裕めいた気配は一切ない。

 まさか、レイを追手として差し向けるなんて。イーデンに改めて怒りを覚えるが、あの男に従い、肝心な時にカトレアを守ってくれなかったレイにも同様の感情がこみ上げる。

「レイ!」

 怒気を込めて呼ぶと、レイの瞳が一瞬揺れた。一呼吸置き、カトレアに視線を向ける。後ろめたさと、悲哀の入り混じった色をしていた。

「……カトレア様。ご無事で、何よりです」
「よくも……よくも、そんな口を利けたものね。わたしに忠誠を誓いながら、結局イーデンに服従することを選んだおまえが!」

 声を荒げても、レイの表情は動かなかった。

「レイ、おまえが来たということは、単にわたしを始末するのが目的ではないでしょう? 用件を言いなさい」

 片手を差し出すと、レイは沈黙を挟み、素直に応じた。

「……イーデン様は、貴女が王宮にお戻りになるのでしたら、今回のことは『家出』とし、謹慎処分のみでお許しになるそうです」

 カトレアの捜索は打ち切られたが、まだ公式には死亡と決定づけていない。王宮に戻る最後の機会ということか。

「その代わりに、俺を始末するんだろう?」

 軽々と言ってのけたジャックの言葉に、心臓が嫌な感触を伴って波打った。思わずジャックの腕を掴む。

「そんな……! それじゃ、おまえが今までしてくれたことの意味がなくなってしまう! レイ、おまえにこの男が殺せるというの!?」
「私が手を下さなくとも、彼らがその者の首をはねましょう」

 レイの後方に控える騎士二人は、既に剣の柄に手をかけ、抜け目なくジャックに狙いを定めている。よく見ると、制服の着こなしはだらしなさが目立つ。おそらくイーデンが外部から雇い、騎士に仕立てた者だろう。

「こっちが首を横に振っても、どのみちその騎士面した傭兵が俺を仕留めにかかるんだろうな」

 手足が冷え、動悸だけが高まっていくカトレアとは対照的に、ジャックは全く動じず、笑みすら含んだ声音で尋ねた。

「なら聞く。お前がもしこの任務に失敗したら、どうなると言われた?」

 傭兵たちが青筋を立て、今にもジャックに襲いかかろうと歯噛みするが、レイが腕を伸ばし制止させる。ただでさえ色白な顔が、カトレアも見たことがないほど青白く染まっていく。切実な瞳が、カトレアに真っ直ぐ向けられた。

「……私がカトレア様を連れ戻せず、王宮に帰還したその場で、斬首すると」

 全身が凍りつく。イーデンの残忍な笑みが、レイの背後に見えた。

 たとえそばを離れても、レイは家族同然の存在だ。抵抗すればジャックが殺され、王宮に戻らねば、レイの命が危うい。

「どうしてよ……これじゃまるで、わたしのせいでどちらかを死なせようとしているみたいじゃない!」

 ジャックの腕に力を込める。どこまでもカトレアを貶めようとするイーデンの策略に虫唾が走る。レイはカトレアを見据えたまま、静かに乞う。

「カトレア様、どうか私とお戻りください。貴女がどこへ行こうと戦は必ず再開します。その男は、貴女には相応しくない」

 矢尻を突き立てられたように、胸が疼いた。前方に鋭い視線を向けたままのジャックを仰ぐと、男は一笑に付した。

 ジャックの意図を感じ取り、カトレアも皮肉な笑みを投げかける。

「おまえは、確かにこの男よりも誠実で、献身的だった。けれど、わたしの本当の思いを聞いてくれたのはこの男だった。何故、おまえには打ち明けられなかったと思う?」

 レイの表情が固まった。カトレアは背負っていた小弓を手にし、矢をつがえた。

「おまえには、余計な心配をさせたくなかった。常にわたしとイーデンとの間で板挟みになっているおまえに話しても、無駄だと知っていたから」

 レイが呼びかけるより早く、カトレアは白馬の足元に矢を放った。レイはとっさに手綱を引きかわしたが、控える傭兵たちはいきり立ち、鞘から剣を引き抜いた。ジャックも驚いたように振り返る。

「お前……」

 カトレアは次の矢を引き抜くと、怒号を上げた。

「レイ! おまえとは王宮に戻らない! おまえには、わたしを連れ戻す資格などない!」

 美しい面立ちが、ひしゃげた百合のように歪んだ。

 放った矢を後方の傭兵が長剣で打ち払う。それが合図となった。
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