【完結】蘭姫と薬花の国

神谷さや

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いくじなしと優男

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「……わたしと? それは、どういう意味なの」

 カトレアの問いには答えず、ジャックは腰に手を当て、沈んだ瞳で語った。

「俺が生きていると、立場が危うくなる人間がいてな。エリゼオ様が懸命に働きかけてくれたが、頑として受け入れてくれなかった。やり場のない感情を武術に明け暮れることで紛らわしていたら、十五の頃アルベール王からお声がかかった」

 アルベール王は、主に身寄りのない、身体能力に優れた者を集めていた。彼らは王に名を捧げ、偽名を名乗り、表に出ない特殊な任務を課される。

 万が一任務を遂行出来ず、最悪死亡した場合も、捧げた名と共に人知れず葬られる。誰も彼らの本当の名を知らない。悲しむ家族もいないのだ。

「俺はそういう生き方の方が向いていると思い、二つ返事で承諾した。サフランはあの時からずっと反対している。けど、俺の人生を他人の都合や想いに左右されたくない。いっそ独りの方が、気が楽だ」

 何と声をかけたら良いのか、頼りなげな言葉が浮かんでは泡のように消えていく。ジャックとの間にかき分けることの出来ない茨の壁がそびえ、隔たれているようだった。

 彼は野を駆ける孤独な獣だ。誰とも群れず、情を交わすこともなく、いつ死んでもいいとその日暮らしを続けている。それが、たまらなく悲しかった。

 うつむくカトレアに歩み寄り、ジャックは顔を覗き込む。身の上に心を痛めていると知れたら、彼は馬鹿げていると一蹴するだろう。

 押し黙っていると、ジャックは壁に腕をつけ、カトレアの肩口から波打つ髪を一房手に取った。ゆるやかに上下する胸のあたりから頬、耳にかけて、たちまち熱が放出されていく。乏しい明かりの中で、どうか火照りが気づかれないよう、必死に息を殺した。

 ジャックは手の中で確かめるように髪を弄ぶと、ためらいがちにつぶやいた。

「だけど、お前の姿を見ていると、妙な気分になる。どれだけ疎まれ、蔑まれ、陥れられても、一心に自分の追い求めるものを見据えている……」

 するりと離した手は、カトレアの胸元に下がったロケットに伸びた。あの晩、短剣の刃先で傷付いた箇所を指先でなぞられると、直に触れられたように胸の奥が焼けついた。

「俺は、わざとここを狙ったんだ。お前を、殺さないように。今はそれで良かったと、自然と納得出来る」

 唇を引き結び、ただジャックの一挙一動を見つめる。心臓の音が聞こえそうな距離で、夜空よりも深い色をした眼差しが近づく。

 ジャックの手が、カトレアの頬に伸びた時だった。足早に床を鳴らす音が近づいてきた。

 ほどなくして、客室の方から蝋燭台を手にした金髪の青年が現れた。彼は二人の様子を目にすると、眼光鋭く割って入る。

「このような時間に、カトレア様を連れ出して何用だ」
「レイ!」

 カトレアが咎めても、レイは立ちはだかったままだ。ジャックは持て余した手を握りしめ、いつもの軽薄な笑みで答える。

「俺が連れ出したんじゃない。立ち聞きしていた所を捕まえて、こらしめていただけだ」

 真に受けたレイは肩をいからせ、カトレアを廊下の方へ遠ざけると厳しい声音で忠告した。

「いくらカトレア様を逃がしたとはいえ、図に乗るな。貴様のような輩に、みだりにカトレア様を近づけたくない」

 行きましょうと促され、無理矢理部屋へ連れ戻される。レイの肩越しにジャックを見やると、先程のやりとりが幻のように、片方の口角を上げたたずんでいた。

 二人に充てられた客室に戻ると、レイは蝋燭台を小さな食卓に置き、深々とため息をついた。

「貴女も貴女です。あの男は所詮、役目を果たすだけのために遣わされた者。どうか身分をわきまえますよう」
「それが、あなたに言える台詞なの? あなたはジャックに妬いているのよ。自分が今までしたことを差し置いて、わたしを守ってくれたジャックによく言えたものね」

 レイを連れてきたのは、イーデンの無慈悲な処刑から逃すためだ。だが事情を知っていても、レイが救いの手を差し伸べなかったことは主として、許してはいけないのだ。

 レイは苦痛に歪んだ顔で、しばらくの間黙りこくっていた。夜の外気が通気口から流れ込み、ひとつ身震いする。

「レイ、あなたにも勿論ついて来てもらうわ。もう寝ましょう」

 毛布に手をかけると、レイが強張った表情で近寄る。そのままカトレアの足元に跪くと、細い手を取り、両手で包み込んだ。

「……レイ?」

 呼びかけると、レイはうつむいたまま、両手に力を込めた。

「……貴女の仰る通りです。私は、この手で貴女を守れなかった、自分の不甲斐なさを棚に上げておりました。ですが、貴女があの男と親しげにしているのを黙って見過ごせるほど、私は出来た人間ではないのです」

 顔を上げたレイの双眸が、カトレアを真っ直ぐに射抜く。

 気づいた時には、レイの腕に抱きしめられていた。込められた力と包み込む体温には、もう寸分のためらいもなかった。

「カトレア様……。貴女を、心からお慕いしております」

 レイの切実な想いが、全身に突き刺さる。受け止める想いは抱えきれないほどに、共に分かち合った歳月の重みを伴う。

 見返りを求めない、一途すぎる愛にこのまま身を委ねられたら、どんなに良いだろう。レイはきっと、今までの裏切りを償って有り余るほどの愛情をカトレアに注いでくれる。ジャックもそれを理解した上で、あのように促したのだろう。

 けれどカトレアもまた、レイの想いを知り、同じ形の想いをジャックに抱いてしまった。だからこそ、応えることは出来ない。

「レイ……放してちょうだい」

 想いは違えど、レイは肉親同然の存在だ。やんわりと押し返すが、放せば今生の別れとなるかのように、レイはきつく腕を食い込ませる。カトレアは心を鬼にして、腹の底から声を出した。

「放しなさい!」

 全身から拒絶を示すと、レイはびくりと身を震わせた。おそるおそる離れ、片膝をつき頭を垂れる。

「……申し訳、ありません」

 叱責を受け、うなだれる犬のようなレイがいたたまれず、カトレアもその場に膝を折った。親愛の念を込めて、骨ばった肩に手を添える。

「謝らなければならないのはわたしだわ。あなたに家族以上の感情を持てなかったのに、伴侶となることを約束し、さもあなたが自分のものであるかのように振る舞った」

 結局は、レイの愛情を一心に受ける自分を誇示していた。幼い自己顕示欲が、レイの想いを弄んでいたのだ。

「あなたには伝えなければいけない。わたしは、ジャックが好きなの。初めて出会った時から、きっと……」

 レイが顔を上げ、何か言いたげに唇を開く。カトレアは首を振り制止した。ひとたび自分の気持ちを認めると、驚くほど素直に、切々と想いが溢れた。

「あなたが言っていたことの意味が、ようやく分かったの。たとえこの想いが報われなくても、わたしはジャックを明るい陽の下へ連れて行きたい。彼に自由に生きて欲しい。本当の生きる喜びを、知って欲しいの」

 カトレアはレイを立たせると、向かい合い腕を取った。

「それも含めて、アルベール王と交渉することが山ほどあるの。身勝手を承知で頼むわ。あなたにはイーデンにも仕えていた分、知恵を貸して欲しい。どうか、わたしが晴れてコルデホーザに戻る日まで、一緒に来て」

 蝋燭の明かりを受け、儚く揺れていたレイの瞳が、徐々に本来の光を取り戻す。

 誰よりもカトレアの騎士であることを誉れとするレイの微笑みは、決して通じ合うことのない想いを憂いながらも、新たな希望を芽吹かせていた。粛々とカトレアの手を取り、誓いの口付けを落とす。

「我が主。貴女に救われたこの身と心を尽くして、共に目指すもののため、お供致します」
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