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同情
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紛れ込んでいたイーデンの手下に捕らわれ、カトレアは連合軍と引き離された。人目につかぬよう布袋を被せられ、暗闇の中でただ不気味な振動を感じていた。
うだるような熱気が遠ざかり、冷涼なそよ風が通り抜けていく。夏の陽光を和らげる、コルデホーザの森ならではの涼しさだ。
馬から降ろされ、突き出される。両手を後ろで縛られているため突っ伏すと、湿った土と草の匂いが立ち込めた。ようやく視界が明るくなると、最も憎い存在が勝ち誇った笑みで鎮座していた。
「大層勇ましくなられたようですね、王女殿下。私の前では相変わらず無様ですが」
「……おまえこそ、散々手を尽くして今の今まで、わたしを殺せなかったくせに」
イーデンは装飾過多な白金の甲冑に包まれ、口の端をつり上げた。整った顔ほど、醜悪さが宿るといびつになる。
見たところ、イーデンの陣営のようだ。カトレアを連行してきた者を加え、ざっと十五人は従えている。どこを見渡しても不快な視線に包囲されていた。
「それは私の失態でなく、貴女が名にそぐわぬしぶとさを持っていたからですよ。成り上がりの雑草が見ていた長い夢を、ここで覚ましてあげましょう」
投げかけられた言葉に、耳を疑った。
この男はカトレアだけでなく、父や歴代の君主、英雄ウィルとその妃、果ては民を踏みにじった。ひたむきに生きてきた、全ての人間を嘲ったのだ。
激しい震えが襲う。はらわたが煮えくり返り、弾け飛びそうだ。
イーデンは立ち上がると、傍らに控えていた兵士から抜き身の長剣を受け取り、一歩ずつ近付いてきた。
こんな人間の屑こそ成り上がってしまったら、コルデホーザもヴェルダも、ラランジャも荒れ果ててしまう。ここで潰える訳にはいかない。
弓矢も、自由も奪われている。だが、まだ戦い方はあるはずだ。
イーデンを勝たせるものが高貴な血筋や、手段を問わない狡さなら、自分はこの男が絶対に手に入れられないものを信じる。カトレアは兵士たちに押さえつけられ、土を噛みながらも喉を振り絞った。
「お母様が、何故おまえでなくお父様を選んだのか、よく分かったわ」
目の前に迫ったつま先から睨み上げる。木々がざわめき出す。
「流れる血がどうであろうと、おまえの性根そのものが卑しいと、お母様は誰よりも早く気づいたのよ」
端正な化けの皮が剥がれた。血走った目が鋭利な切っ先を振り下ろす。肉を突き破る、嫌な音がした。
反射的につぶった目はまだ開いた。鼻の先で鮮血が滴り、乾いた金属音が耳をかすめる。
つい先日まで、見飽きるほど扱っていた矢が、イーデンの手の甲を射抜いていた。
「残念だったな。自分の非を認めない奴の末路は、たかが知れている」
行方知れずだった声がようやく届き、一気に視界が滲んだ。
兵士たちが怒号を上げ、次々と一本の木に群がる。葉擦れの音に紛れ降り注ぐ疾風が森を裂き、餌食となった者はつぶれたような悲鳴を上げ倒れる。
頭を振り視界を開くと、木の枝の隙間から小弓を射るルークの姿が見えた。同様の暗い装束を纏った者も三、四人現れ、鮮やかな身のこなしで兵士たちをのしていく。アルベール王に仕える暗躍集団の者たちだ。
「おのれ……!」
呼吸を荒げ、イーデンがカトレアの頭を踏みつける。依然として兵士に拘束されていては避けようもない。取り憑かれたようにもう片方の手で長剣を拾おうとしたイーデンは、突如動きを止めた。
「そこまでだ、イーデン」
清廉とした声が上がる。イーデンは油の切れた人形のように、背後を振り返った。
「恩を、仇で返すか……レイ」
イーデンはびくびくと痙攣し、その場に崩れた。突然の事態に狼狽した兵士たちも切り崩され、カトレアは装束姿の者たちに抱えられた。
乱れたイーデンの髪の間から、赤い液体がどろりと流れる。レイの手中には、矢羽を折った毒矢が握られていた。
「今更何を。貴方が恩着せがましく、私を隷従させていただけのことだ」
レイが血混じりの毒矢を放る。いつの間にかルークが降り立ち、カトレアは片腕でかっさらわれていた。
「お前の小弓を使わせてもらった。元は俺の金で買ったものだからな」
「……あなたのお金でもないでしょう」
もっと言いたいことは沢山あるのに、出てくるのは叩き慣れた憎まれ口だ。声が震え、ルークはカトレアだけに聞こえるよう付け加えた。
「怖かっただろ」
さりげない気遣いに涙腺が緩み、すぐにでも甘えたくなる。だがここですがりつくような真似は絶対にしたくなかった。カトレアはそっとルークを押しやり、自分の力で背を伸ばして立った。
カトレアにとって多勢であった兵士たちは一人残らず伸びており、イーデンも麻痺状態に追いやられ立ち上がることすらままならない。歯ぎしりが上ってきた。
「私の方が……ずっと、秀でているはずだ。頭脳も、政治力も……!」
歯の間から絞り出される主張を、真っ向から否定は出来ない。祖父が後継者として招き、父よりもカトレアよりも為政者として有能であったからこそ、支持する者がいた。
何がイーデンの運命を変えたのかといえば、カトレアの口から伝えられることは、一つだけだ。
「かつて、母が幼き日に語ってくれた、それぞれの美しさが共存する世界。もし母の思いをあなたが強く感じ取っていたら、あなたとわたしの関係はもっと変わっていたのでしょうね」
憎悪は、同情へと変貌を遂げていた。イーデンは捕縛されながら、悄然と今ではない時を見つめていた。
うだるような熱気が遠ざかり、冷涼なそよ風が通り抜けていく。夏の陽光を和らげる、コルデホーザの森ならではの涼しさだ。
馬から降ろされ、突き出される。両手を後ろで縛られているため突っ伏すと、湿った土と草の匂いが立ち込めた。ようやく視界が明るくなると、最も憎い存在が勝ち誇った笑みで鎮座していた。
「大層勇ましくなられたようですね、王女殿下。私の前では相変わらず無様ですが」
「……おまえこそ、散々手を尽くして今の今まで、わたしを殺せなかったくせに」
イーデンは装飾過多な白金の甲冑に包まれ、口の端をつり上げた。整った顔ほど、醜悪さが宿るといびつになる。
見たところ、イーデンの陣営のようだ。カトレアを連行してきた者を加え、ざっと十五人は従えている。どこを見渡しても不快な視線に包囲されていた。
「それは私の失態でなく、貴女が名にそぐわぬしぶとさを持っていたからですよ。成り上がりの雑草が見ていた長い夢を、ここで覚ましてあげましょう」
投げかけられた言葉に、耳を疑った。
この男はカトレアだけでなく、父や歴代の君主、英雄ウィルとその妃、果ては民を踏みにじった。ひたむきに生きてきた、全ての人間を嘲ったのだ。
激しい震えが襲う。はらわたが煮えくり返り、弾け飛びそうだ。
イーデンは立ち上がると、傍らに控えていた兵士から抜き身の長剣を受け取り、一歩ずつ近付いてきた。
こんな人間の屑こそ成り上がってしまったら、コルデホーザもヴェルダも、ラランジャも荒れ果ててしまう。ここで潰える訳にはいかない。
弓矢も、自由も奪われている。だが、まだ戦い方はあるはずだ。
イーデンを勝たせるものが高貴な血筋や、手段を問わない狡さなら、自分はこの男が絶対に手に入れられないものを信じる。カトレアは兵士たちに押さえつけられ、土を噛みながらも喉を振り絞った。
「お母様が、何故おまえでなくお父様を選んだのか、よく分かったわ」
目の前に迫ったつま先から睨み上げる。木々がざわめき出す。
「流れる血がどうであろうと、おまえの性根そのものが卑しいと、お母様は誰よりも早く気づいたのよ」
端正な化けの皮が剥がれた。血走った目が鋭利な切っ先を振り下ろす。肉を突き破る、嫌な音がした。
反射的につぶった目はまだ開いた。鼻の先で鮮血が滴り、乾いた金属音が耳をかすめる。
つい先日まで、見飽きるほど扱っていた矢が、イーデンの手の甲を射抜いていた。
「残念だったな。自分の非を認めない奴の末路は、たかが知れている」
行方知れずだった声がようやく届き、一気に視界が滲んだ。
兵士たちが怒号を上げ、次々と一本の木に群がる。葉擦れの音に紛れ降り注ぐ疾風が森を裂き、餌食となった者はつぶれたような悲鳴を上げ倒れる。
頭を振り視界を開くと、木の枝の隙間から小弓を射るルークの姿が見えた。同様の暗い装束を纏った者も三、四人現れ、鮮やかな身のこなしで兵士たちをのしていく。アルベール王に仕える暗躍集団の者たちだ。
「おのれ……!」
呼吸を荒げ、イーデンがカトレアの頭を踏みつける。依然として兵士に拘束されていては避けようもない。取り憑かれたようにもう片方の手で長剣を拾おうとしたイーデンは、突如動きを止めた。
「そこまでだ、イーデン」
清廉とした声が上がる。イーデンは油の切れた人形のように、背後を振り返った。
「恩を、仇で返すか……レイ」
イーデンはびくびくと痙攣し、その場に崩れた。突然の事態に狼狽した兵士たちも切り崩され、カトレアは装束姿の者たちに抱えられた。
乱れたイーデンの髪の間から、赤い液体がどろりと流れる。レイの手中には、矢羽を折った毒矢が握られていた。
「今更何を。貴方が恩着せがましく、私を隷従させていただけのことだ」
レイが血混じりの毒矢を放る。いつの間にかルークが降り立ち、カトレアは片腕でかっさらわれていた。
「お前の小弓を使わせてもらった。元は俺の金で買ったものだからな」
「……あなたのお金でもないでしょう」
もっと言いたいことは沢山あるのに、出てくるのは叩き慣れた憎まれ口だ。声が震え、ルークはカトレアだけに聞こえるよう付け加えた。
「怖かっただろ」
さりげない気遣いに涙腺が緩み、すぐにでも甘えたくなる。だがここですがりつくような真似は絶対にしたくなかった。カトレアはそっとルークを押しやり、自分の力で背を伸ばして立った。
カトレアにとって多勢であった兵士たちは一人残らず伸びており、イーデンも麻痺状態に追いやられ立ち上がることすらままならない。歯ぎしりが上ってきた。
「私の方が……ずっと、秀でているはずだ。頭脳も、政治力も……!」
歯の間から絞り出される主張を、真っ向から否定は出来ない。祖父が後継者として招き、父よりもカトレアよりも為政者として有能であったからこそ、支持する者がいた。
何がイーデンの運命を変えたのかといえば、カトレアの口から伝えられることは、一つだけだ。
「かつて、母が幼き日に語ってくれた、それぞれの美しさが共存する世界。もし母の思いをあなたが強く感じ取っていたら、あなたとわたしの関係はもっと変わっていたのでしょうね」
憎悪は、同情へと変貌を遂げていた。イーデンは捕縛されながら、悄然と今ではない時を見つめていた。
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